第一譚「空の白刃」
「主よ、今は何を描いているんだ?」
暖かな陽が差し込む午後、縁側で審神者である御影は絵を描いていた。隣には三日月宗近と鶯丸が並んで茶を啜っていた。
三日月は御影の手元を一瞥して尋ねるも集中して手を動かしていた御影は反応に遅れた。
「え?あ、えっと、落書き?」
「鶯でもいたのか?」
「今は鶯の季節では無いなあ」
鶯丸の問いかけに愉快そうに笑う三日月、この二振りの平和なやり取りに少し心が落ち着いていた。
「本当に、ただの落書きだよ」
「心の赴くままに、か。良いじゃないか」
「主は感覚で物事を捉える所があるからなぁ、いつも感心しているよ」
「え、あ、えっと……」
二振りの静かな賛美に目を白黒させていると、中庭から声が聞こえてきた。
「あるじさまー! いっしょにあそびませんかー?」
今剣はぴょんぴょんと跳ねながら御影に手を振った。御影が何か言う前に今剣の背後からやってきた岩融が、
「なんだ主、取り込み中か。今剣よ、また後にしてもらおう」
「取り込み中というか……」と答えあぐねていると、次は三日月が、
「主は思いのままに絵を描き表しているんだ」
静かに微笑み、茶を啜る。
「それに主は運動が苦手だったな。前は鴉の様な走りをしていた」
鶯丸もそれに便乗する様ににこやかに答えた。
「いやそんなことは……」と否定しようとすると、
「それならしかたがないですね……では、またあとでおさそいしますね!」
またぴょんぴょん跳ねながら今剣は来た道を戻って行った。岩融は、その後に続きながら「鴉走りか!見てみたかったなあ!」と大きな声で笑っていた。
「いや、まじで、あの、」
「ははは、主よ、今は絵に集中したいのだろう?」
「もうそれどころじゃないって」
「そうか?」と言いつつ楽しそうに笑っている。
今度は「主ーいるー?」と少し離れた所から声が降り掛かってきた。縁側を歩いて来たのは加州清光だった。
「あ、いたいた。主ー、花壇に植えてた都忘れ、綺麗に咲いたよ」
カメラで撮ったらしく、懐からカメラを取り出し御影に渡した。
「おお、すごい……」
「これはなかなか雅だなあ」
「歌仙とか左文字兄弟とかがよく手入れしてたしね、これどうする?どこかに飾る?」
「そのままでもいいんじゃないかな、欲しい子がいたら摘んでもいいし」
加州にカメラを渡しながら答えると「おっけー、お小夜とか好きそうだし伝えておくね」と言ってまた来た道を戻って行った。
「今日は客人が多いなぁ」
「そうだな」
隣の二振りはまた穏やかに笑った。
先程まで何かを描こうとしていた手は自然と止まっていた。画面に視線を戻したところで思考が止まったように何も浮かばない。
鉛筆を持つ手が震えている。もう今日は描けないかもしれない、そう目を伏せて画材を持ち歩く様のポーチにしまい込み立ち上がった。
「戻るのか、主よ」
「なんかダメみたいだし、部屋に戻るね」
「もう少し暖まっていればいいのに、ここは心地良いぞ」
「ありがとう、でも大丈夫」
二振りにそう告げて縁側から離れた。
「虎さん〜! 待ってください〜!」
大きな虎が庭を駆けているのが視界の端に映った。真っ白な毛並みが妙に目に焼き付いた。
「あ、主さま!」と五虎退は一度止まって御影に頭を下げた。虎も足を止めてこちらをじっと見た。
「虎さん、もう走っちゃダメですよ!」
虎が動きを止めたことで五虎退は虎に触れることが出来た。行儀良く座り、静かに尾を揺らしている姿は猫に似ているがとても雄々しく優雅で美しい。
描こうかな、そう思い立った御影は自室へ戻ろうとした。
「主!」
一段と大きな声が背後から聞こえてきた。慌ただしく走ってくる歌仙兼定の声は、驚きと嬉しみと戸惑いが滲んでいる。
「どうしたの?」
何やら胸騒ぎがする。そんな御影の心中を察したか否か、歌仙は「聞いて驚くなよ」と前置きをした。
この審神者の性格を鑑みるにきっと相当の覚悟が必要となるだろう。また逃げてしまうのだろうな、そう思いつつも歌仙は一拍置いて話し出した。
「前に鵜飼派の二振りの話をしていただろう? それがついに来たんだよ!」
どくん、と脈打つのを感じた。時が止まったかのように静寂に包まれる、それは自分の耳や脳が処理を拒んでいるかのように機能しない。
「今から連れてくるから、また前のように隠れては駄目だぞ」
そう念を押して歌仙は一度鍛刀部屋へ戻って行った。そして御影は早々に自室へ戻り、朝から片される事の無かった敷布団へ直行した。
鍛刀部屋では二振りの刀剣男士が顕現し、歌仙はその姿を見つめた。
「雲生と申します。学びと実践の積み重ね。皆の一助となれるよう、努めてまいります」
「僕は雲次。この本丸の雲行きを見に来たってわけさ。よろしく」
静かに澄んだ昼下がりの空気を思わせる雲生と、爽やかな朝の空のような雲次。対照的な二振りだが、印象は悪くなかった。
──この二振りが本丸でどう機能していくか、主はそこまで考えていただろうか。念を押した手前少しは期待したかったが、どうやら今回も、前の時と同じように主が布団から出てこなくなる気がしてならない。目の前の二振りに大きな問題は見当たらず、むしろ気がかりなのは主の方だ。あの精神的な不安定さが再び表に出なければいいが。
「僕は歌仙兼定。今は主の近侍をしているよ。君たちが来るのを楽しみにしていてね。よく、その話をしていたんだ」
そう言って歩き出し、二振りを審神者の部屋へ案内する。どう切り出せば平和的に済むだろう──そう思案していたところに、
「あれ、来たんだ。いらっしゃい」
前方から加州清光が現れ、二振りに声をかけた。
「彼は僕と同じ古株でね、加州清光と言うんだ」
「よろしく」
二振りも気さくに挨拶を返す。その様子を見て、歌仙はやはり確信する。問題は彼らではない、審神者自身なのだ。
「主、今日は出てきてくれると良いね」
加州はそう言い、「じゃあまた後で」とその場を離れた。その加州の言葉に、雲生は瞬時に言葉を探り、おずおずと問いかけた。
「どういう意味でしょうか? 主は、何か病気でも」
「えっと、主は少し変わっているというか、そういう病気とかではないんだ。ただ……」
「なんだか、ずっと閉じこもってるみたいな言い方だったけど」
「普段はそんなことはないんだが、新しい刀剣男士が来ると部屋、というか布団に閉じこもってしまってね」
歌仙の答えは、かえって雲生の心配を煽ってしまったようだった。
「心配ですね、何かしてあげられることがあれば良いのですが……」
雲生は真剣な表情でそう口にする。
御影が最も気にしていたのは雲生だった。その為、彼が御影の事をこうして気にかけている様子を見ると、歌仙はますます会わせることに不安を覚え始めていた。
審神者の部屋は本丸の端にあり、ほとんど離れのような位置だが、近くには近侍のための書斎や会議室のような広い部屋も備えられている。縁側から内側へ入り、廊下を進むと、
「おや、新しい刀剣男士かい?」
薄暗い廊下から声が聞こえたかと思えば、廊下に面した襖からにっかり青江が顔を出していた事に気がついた。
「青江……驚いたな、何故そんな暗い場所にいるんだ?」
「ふふ、どうしてだろうね」
暗い場所を好むのか、たまたまそこに居合わせただけかは分からないがただ真意の見えない微笑みを返され、歌仙は少し呆れた様にため息をついた。
「彼は?」と雲次が問うと、
「僕はにっかり青江だよ。君たちは、もしかして鵜飼派の二振りかい?」
「どうしてそれを?」
「ふふふ、主がよく話していたからね」
そう言って微笑むとそのまま襖を閉じて部屋の奥へと引っ込んだ。
「不思議な人だね」
「そうですね」
「まあ、彼はいつもああいう感じなんだ。あまり気にしないでくれ」
また廊下を進み、そして審神者の部屋まで着いた。
*
――ああ、またやってしまった。また逃げてしまった。もう、出られない。
画材もすべて部屋のどこかに投げ出して、身ひとつで布団に包まっている。それでいて、状況は何ひとつ変わっていない。
新しい刀剣男士を迎えるたび、御影は布団の中から歌仙や加州などの古株の刀剣男士を通して会話をしていた。だが、それは本当に「会話」と言えるのだろうか。加州は、どうにか主の気が楽になるならと目を瞑ってくれている。しかし、歌仙は今のままではいけないと思っている。そして御影自身も、心の底ではそれを理解していた。にもかかわらず、何も変えられない自分に嫌気がさしていた。
なんて卑劣なんだろう。そう思うだけで、涙がこぼれてしまう。
ぎし、ぎしと足音が廊下を渡って近づいてくる気配に思考はぷつりと遮断された。ついに来てしまった。
「主、連れて来たよ」
襖越しに歌仙の穏やかな声が届く。
――ああ、怖い。
ぎゅっと布団を握る手に、力がこもる。更に体を縮こまらせ、自己嫌悪と新たな存在への恐怖にじっと耐えようとするが、涙はどうしてもこぼれてしまう。
待っていた──その気持ちは、たしかに本物だった。けれど実際には、こんなにも弱い。
「主、入るよ」
少し間を置いて、歌仙が襖を開けた。「君たちは、ここで待っていてくれ」と二振りに声をかけてから、蹲る御影に歩み寄り、そっと膝をついた。
「主、ほら。彼らが来てくれたよ。少しくらい、顔を見せてあげてはどうだろう?」
優しく諭す声。それでも御影は、布団の奥から出ようとはしなかった。
静かに息を吐いた歌仙の背後に、雲生がそっと歩み寄り、片膝をついた。まるで主に忠誠を誓うように胸に手を当て、布団の奥にいるまだ見えぬ主に向かって、静かに声をかけた。
「私は雲生と申します。主、お会いできて光栄です。道中、主のお話は少し伺っておりましたが、私にできることがあれば、直接でなくとも何なりとお申し付けください。必ず力になります、そう誓います」
「そうだよ、主。僕も、同じ気持ちさ」
すぐ隣にいた雲次が、柔らかく微笑みながら続けた。
いつも思う。刀剣男士たちは純粋に「主」に付き従い、温かい言葉を掛けてくれる。物に宿る命だからか、辿って来た道による物なのかは定かではないが、どんな人間に言葉を掛けられても心にくる者はほとんど無かった。彼らの言葉だけがずっと心に響いていた。
ただ静かに涙が溢れ出てくる。嗚咽が外に聞こえない様に我慢することしかできなかったが、歌仙は気付いているのか布団越しにそっと御影の背中に手を置いた。
「とりあえず、後の事はまた改めて話そう。一先ず、君たちの部屋へ案内しようか」
これ以上いる必要はないと判断したか、歌仙は二振りに向かって告げ、立ち上がって先導するように部屋を出た。雲次は後に続くが、雲生は少しの間、同じ姿勢のままじっと見据えていた。
「雲生くん?」
歌仙の呼び掛けに遅れて反応し、「今行きます」と立ち上がった。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。