プロローグ
御前会議の席上、十二歳となった皇太子フリードリヒは地方長官の報告を最後まで聞いてから口を開いた。
「オットー、なぜ裁きと統治を切り分けてはいけないのだ」
「この者は、土地を知らずに領民を裁くことはできないと言う。だが土地を知っていることと罪を裁くことは、別ではないのか」
臣下たちの間にかすかな動きがあった。頷きではない。
だが否定でもなかった。
そして、その視線は一斉にオットーに向けられた。
オットーは卓の下で右手を握った。七本の指が順に掌へ折れていく。考えるときの癖だった。
一拍だけ息を止め、口を開いた。
「殿下。仰ることは道理にございます」
それだけを言った。肯定でも否定でもない。皇太子の聡明さを認めつつ、自分の立場を明かさない。
「そうだろう。私にはわからぬ。なぜ皆、このように割り切れぬことを好むのだ」
フリードリヒは呆れたようにそう言った。
「それは世の習いゆえ、にございます」
オットーはこの少年に何度も繰り返した言葉を反射的に返し、その問いをひととき封じ込めた。
帰りの馬車の中、オットーは気づいた。
あの一拍の間に、自分が探していたのは十二進法の言葉ではなかった。十四進法の言葉だった。
クレメンスならどう返すか。それを探していた。
オットーは自分の手を見た。右の七本、左の七本。この十四本の指で国を治めてきた。
翌朝、オットーは馬車を出させた。行き先を告げたとき、御者は何も言わなかった。
この道を知っていた。十二年前にも走った道だ。
半日の道のりをオットーは眠らずに過ごした。
首都の近郊は十二進法で区画された農地が整然と並んでいる。
この退屈な風景を、一身を賭して作ってきた。
それが次第に崩れ、景色には古い様式が混じり始める。
十四進法の時代が残っている土地。
境界線が曖昧で、畑と林の間に誰のものでもない草地がある。
非効率で、そして、美しい。
クレメンスの屋敷は、ちょうどその境目にあった。
十二進法の風景と十四進法の風景の間。あの男のことだ。意図しなかったはずがない。
門は開いていた。十二年前もそうだった。鍵をかけないのか、とあの時も思った。
庭は手を入れていなかった。いや、手を入れないという手の入れ方をしていた。
蔦は壁を覆い、庭木は剪定を免れて自由に伸びている。ただ、調和している。
何も決めていないのに、何かが保たれている。
この上ない、十四進法の庭だった。
老人は庭の椅子に座っていた。膝の上に本があった。読んでいたのではない。
本を膝に置くという形式を維持していた。
その体躯は小さかった。だがオットーは、権力の頂点にいたクレメンスを知っている。
この小ささもまた、「小さな老人」を演じているのに違いない。
「生きていたか」
クレメンスは振り向くことなく言った。
「あなたこそ」
「私は生きているのではない。死に損なっているだけだ」
冗談とも本音ともつかない言い方だった。この男はいつもそうだ。境界を引かせない。十四進法の流儀だった。
オットーはクレメンスの向かいの椅子を引き、腰を下ろした。招かれてはいない。だが拒まれてもいない。
「皇太子殿下の御前会議に出ました」
オットーは自分の声が、思ったより静かなことに気づいた。
「殿下は、なぜ皆は割り切れぬことを好むのだ、と仰いました」
その言葉を口にしたとき、オットーは御前会議の席で感じたものが蘇るのを感じた。
「好む、と。あの方にとって十四の世界は、理解できない古い趣味なのです。本当にわからないのです」
クレメンスは茶を啜り、静かにカップを置いた。
「そうか。それで、お前は何が言いたいのだ」
「あなたは、あの時、本当に十四進法の世界を守ろうとしていたのですか」
言ってしまった、とオットーは思った。十二年分の問いだった。あるいは三十年分の。
「……買いかぶりすぎだ」
「私はただ、十二に割られる醜い世界を見たくなかった。それだけだ」
クレメンスはそう言うと、老いて節くれだった七本の指を広げ、鼻と顎をさすった。
オットーが期待した答えではなかった。期待した答えなどなかった。
だが、この老人が今、割り切れる答えを渡さなかったことはわかった。
渡せなかったのではない。渡さなかった。
オットーは立ち上がった。
聞きたいことは聞けない。それが答えだ。
門を出るとき、背後でクレメンスの声がした。
「オットーよ」
振り返った。老人はまだ椅子に座っていた。
「お前は昔から、考えすぎる」
それが最後の言葉だった。
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