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食べてすぐ寝たら牛になるよ

梓星

35,365 字

現代ファンタジー、家族ドラマ

"娘が牛になった世界で、父は新たな家族の形を探す。"

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第10章

 在宅勤務でミーティングに参加しながら少し喉に違和感があるなと思ったら、夕方にはひどい寒気を感じ始めた。体温を確認したいところだが、引っ越しの荷物の整理が完全には終わっておらず体温計の所在が分からない。
 私はなんとか由奈に干し草と水をあげる。私の状態がいつもと違うのが分かるのか、由奈はいつもよりもくっついてくる。危なく倒されそうになるが、由奈なりに心配してくれているのかもしれない。
 とはいえ、この体調で長く屋外にいるわけにはいかず、早々に寝室に入った。食事はとらない。この体調で横になったりしたらいつ寝てしまうか分からないからだ。
 布団にくるまり、暖房をつけるがまだ薄ら寒い。今後のことを考えると、断熱材を入れるなどの工夫も必要そうだ。
 とりあえず明日まで待って、回復しないようならタクシーで病院へ向かうしかないだろう。
 静かすぎるのが辛く、スマートフォンでYouTubeを見る。自宅のスマートテレビでYouTubeを見る時に私のアカウントを使用していたので、由奈のお気に入りの番組ばかりが登録されている。
 そんな番組のうち一つ開いてみる。由奈と同じくらいの年の女の子がいる家族系ユーチューバーの番組だ。未視聴の動画が積み上がっている。今度、由奈に見せてみようなどと思っているうちに眠ってしまった。

 翌朝、だいぶ体調が回復していたので鼻水をすすりながら在宅勤務をした。しかし、夕方くらいになるとまた悪寒がぶり返してきた。無理をしたのがまずかったのかもしれない。
 とりあえず由奈の食事だけ片付けてしまおうと思ったのだが、由奈は干し草に口をつけようとしない。心なしか熱もあるように感じる。
 由奈が牛化して牛の一般的な疾患についても少し勉強していたが、いわゆる「牛風邪」と呼ばれているもののように思えた。
 あわてて辰野から紹介されていた獣医に電話をする。明日は土曜日だが、朝一番で往診に来てくれることになった。
 牛小屋は既に冷たい風が入らないようにシートをはっていたが、わらをさらに厚くし、私のコートを被せて、ぬるま湯を作って飲ませてやった。
 人間の風邪同様、牛風邪も重症化すると肺炎などに進行することがあるらしい。鴇田さんのお父さんも寒さで牛風邪をこじらせて死んだのではないかと不安を膨らませた私は寝室に引き上げたが、気になって1時間ごとに様子を見に来た。
 明け方近くになるともう部屋に戻るのも面倒で、着込んでそのまま牛小屋の壁にもたれかかって仮眠した。
 由奈が幼稚園に入ったばかりの頃、園で友達から風邪をもらって発熱することがよくあった。いつも由奈と一緒に寝ていた私は至近距離で咳を浴び、だいたい由奈が発熱した2日後には私も体調を崩していた。

 翌朝8時前に獣医が来て、診察の上、注射をしてくれた。獣医に言わせればよくある軽い風邪で全く心配はいらないとのことだった。
 獣医は「それよりもあんたひどい顔してるよ。牛よりもあんたの方がよほど心配だよ。ちゃんと休まなくちゃダメだよ」と言い残して帰っていった。
 確かに7月あたりから移住へ向けて全力で動き回ってきた気がする。だが、ワンオペである以上、休むこともできない。
 結局、私も由奈も数日で体調は回復した。私は現状でできる対策として常備薬を整備し、往診してくれる医者も見つけた。由奈の牛小屋には吊り下げ式のヒーターを設置した。

 病み上がりで迎えたクリスマスにはあえて大きなツリーを新調した。この家なら飾るスペースも保管しておくスペースもいくらでもある。
 私の背よりも少し高い180センチのツリーを土間の玄関に一番近いところに飾り引き戸を開けて由奈にも見せた。最初、由奈は昨日までは無かった大きな物体が突然現れたことに驚いて、遠くから見ているだけだったが、数日すると見慣れて匂いを確かめていた。
 プレゼントには可愛らしい天使のオブジェがついたウィンドチャイムを購入し、牛小屋に取り付けた。冬の風に揺られて心地の良い音がした。

 年が明けた1月半ばの日曜日、山守神社で由奈の七五三祈祷を行った。私の他に、鴇田さん、辰野さん、そして妻が来てくれた。
 この七五三祈祷をするにあたって私は久しぶりに妻に電話を掛けた。彼女が由奈の牛化のこと、転居のことをどこまで知っているか分からなかったが、いつまでも何も知らせないというわけにはいかない。何よりも由奈の健やかな成長を一緒に願ってほしかった。
 そして今日、妻は都内から電車を乗り継いで七五三に来てくれたのだ。
 私は駅まで車で妻を迎えに行った。ぎこちなく「久しぶり」と挨拶した妻は離婚直前よりもずっと生き生きして見えて、出会ったばかりのころを彷彿とさせた。
 妻は車内で私を責めることも、移住を労うこともなく離婚した後の私と由奈の話を静かに聞いていた。
 一度、家に戻りそこから由奈を連れて神社まで歩く。真冬とはいえよく晴れていたため陽の光が心地よい。
 いつもは20分の道のりが倍の40分ほどかかり、山守宮司との約束の時間に少し遅れてしまったが、それ以外は滞りなく祈祷が行われた。
 祈祷は拝殿ではなく境内で行われ、怖がらせてしまわないように太鼓も省略された。そういえば3歳の七五三祈祷のときも由奈は太鼓の大きな音で泣いてしまったなと思い出した。
 祈祷が終わると授与品として由奈の名前が入った祈祷札と文房具セットが渡され、山守宮司、鴇田さん、辰野さんから「おめでとう」の言葉をかけてもらった。
 最後に記念撮影をして解散となる。そこで初めて妻はおっかなびっくり由奈を撫でた。由奈は耳をぴくんと動かした他は、大人しく撫でられていた。
 「ねぇ。今更なんだと思うかもしれないけど、もし由奈のことで何か手伝えることがあったら言ってね。今はお金も多少は余裕あるし、こっちで買って送ってほしいものとか」
 妻らしい言葉だと私は思う。でも、そうじゃない。
 「だったら年に1度だけでも、短い時間でもいいから由奈に会いに来てくれると助かるな」
 確かに由奈と妻はうまくいっていなかった。でも由奈は妻を、母親を嫌っていたのではなかった。妻もまたそうだったのだろう。
 私の言葉に妻はハッとしたような表情で頷いた。彼女はもう一度、由奈を愛おしそうに撫でて、「近いうちにまた来るね。その時にいっぱい遊びましょう」

X X X

 5時まで英会話教室で勉強をして、友達とおしゃべりをして家に帰る。5時半。
 まだパパが帰ってくるまで少し時間がある。自分で鍵を開けて家に入る。ママはいない。去年、いなくなってしまった。あれから一度も会っていない。話していない。
 部屋にランドセルを置いて、居間の電気をつける。さっきまで友達と賑やかにしていたので、家の中の静けさと窓の外に漂う夕暮れの気配に急に寂しくなる。
 何日か前に七歳になった。でも今でも私は友達よりも寂しがりなんだと思う。
 テレビをつける。何年か前に日曜朝に放映されていた魔法少女もののアニメの再放送をやっている。
 寂しいときにいつも思い出す記憶がある。たぶん3歳ぐらいの時だと思う。
 夜中に目が覚めてしまった私は隣にいるはずのパパがいないことに気が付いて、恐る恐る部屋を出て階段を下りる。居間の明かりがついていてパパとママが難しい顔で話をしている。なんとなく見つかってはいけないような気がしたが、足音ですぐに気づかれてしまった。
 2人は困惑した様子で、私はどうしていいか分からずにパパに抱きついた。パパは私を抱き上げて寝かしつけてくれた。
 そのまま私は夢現でパパとママの話を聞いていた。内容は理解できなかったけど、2人がケンカしていることだけは分かった。たまらなく怖くてパパにぎゅっといつもより強く抱きついていた。
 ママは私に疲れていて、パパは私に疲れたママに疲れている。私はそう思う。
 パパのスマホで私が生まれる前の写真を見せてもらったことがある。パパとママはいつも仲良く、楽しそうに笑っていた。
 魔法少女のアニメを見ているとお腹が鳴った。今日の給食にゴーヤなんかが出て食べられなかったせいだ。パパが帰るまでまだ時間がある。当然、子どもの私が取れるような場所に食べ物は置かれていないが、私はパパの秘密の隠し場所を知っている。
 パパの部屋の棚からスナック菓子を持ってきて封を開ける。魔法少女は子どもたちの悩みを解決するために変身するところだった。
 私のところにも魔法少女が来てくれたらいいなと思う。いや、自分が魔法少女だったらもっといい。
 でも私は当然変身できない。なれるのは…牛くらいだ。今から1年牛になったらパパとママはまた仲良くなれるだろうか。そうなら1年くらい牛になってもいい。
 そんなことを考えているうちに私はまどろんできてしまった…。

X X X

最終章

 春が訪れた。
 あれから妻は勤務先に近いアパートから少し郊外に引っ越し、駐車場を借りて中古車を買った。電車の接続が不便なここに来やすくするためだ。
 「ずっとペーパードライバーだったけど、自分で運転するのって楽しいね」と妻は言う。「由奈のおかげで新しい世界を知れたよ」
 妻は月に一度ほど顔を出して、由奈と遊んでいく。ぬいぐるみやボール、果ては犬や猫用のおもちゃを毎回持ってきてどれが一番楽しんでもらえるか研究している。
 離婚する前、私はあくまで自分がフルタイムで働いて家計を支え、妻が家のことをするという大枠を崩さないで家庭を回そうとしていた。今思えば妻に由奈とのもっと適切な距離を作ってあげることの方が大切で、そのために転職でもなんでもすれば良かったのかもしれない。
 妻とは由奈のことだけでなく、最近の生活のことなんかも気軽に話すようになった。久しぶりに妻の自然な笑顔を見た。よりを戻そうなんて気持ちは全くないが、なんだか今の方がよほど「家族」のように思える。

 学校が春休みになると愛莉ちゃん一家が遊びに来てくれた。
 愛莉ちゃんは由奈との再会を喜ぶのと同じぐらい、この古い家に興味をもったようで由奈と連れだって二人で何周も探検していた。
 愛莉ちゃんは「絶対にまた遊びに来る」と言って帰って行ったが、これからどんどん自分の世界が増えていき、勉強やら部活やら忙しくなるだろう。
 これが最後の訪問でも一向に構わないから、願わくば心の片隅に由奈のことを覚えていて、たまに思い出してあげてほしい。
 
 そして由奈には新しい友達ができた。
 冬頃から敷地内に顔を出すようになっていたサバトラの猫。飼うつもりはないから餌は与えないようにしていたのだが、いつの間にかすっかり居着いてしまった。
 最近は由奈の背中に乗って昼寝をしていたりする。もう立派な友達だ。
 
 4月、由奈は8歳になった。有給休暇を取るといっていた妻は結局重要な会議と重なって来ることはできなかったがビデオコールで話し、次の週末に来ることを約束してくれた。
 愛莉ちゃんからはビデオレターが送られてきた。公園で撮影したビデオレターには、公園仲間の浩介君や七海ちゃんも出てきてみんなでハッピーバースデーの歌を歌ってくれた。
 素敵な誕生日だった。

 その数日後。由奈が牛になってちょうど1年となる日。私は朝起きるといつものように顔を洗い、歯を磨いて、水を一杯飲む。玄関を出る。5月。気持ちいい朝の空気を吸い込みながら庭に回る。牛小屋の方から泣き声が聞こえる。また新しい1日が始まる。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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