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Win〜彗星は南から

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117,786 字

地方競馬ファンタジー家族ドラマ

"南国の風が運ぶ、魂の継承と家族の絆。彗星は、希望を乗せて南から来る。"

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第10話 彗星vs邪神

 南海競馬場の厩舎の並ぶトレーニングセンターでは、同競馬場の大レース、潮嵐賞を真近に控え、張り詰めた空気になっていた。

 宗森厩舎では、落ち着いた芦毛の競走馬が、悠然とした佇まいで飼い葉桶に頭を突っ込んでいた。

 それを、瀧越と宗森調教師が、目を細めて眺めている。

「瀧越、どうな?なかなか順調に仕上っちゅうろう?」

「さすがですね、当日が楽しみですよ」

 腕組みをしてその馬、クトゥルフをじっと眺める瀧越。

(お前やったら、勝てるはずや、もうレースの下書きはできちゅう)
(お前はそれを、完璧に絵にできる馬やきねゃ)

 武政厩舎では、信吾と仁美が馬房の片付けをしていた。
 二人とも、黙々と作業しながら、どこか心ここに在らずな状態だった。

「なんか、広美さんが来んねえ」

「気になるがですか?」

 仁美の返しに、信吾は焦って瞬きを早めた。

「い、いやいや、そうやのうて、あの人おらんかったら、なんか、調子狂うなって……」

(若者よ、素直になるんだ)

 ヘールボップに宿る万次郎が、じっと信吾を眺めている。
 仁美は不思議そうに言った。

「いつも喧嘩しゆうだけやないですか?」

「ま、まあ、そりゃあ、俺も厩舎を守らんといかんし」

 きょとんとする仁美を見て、さらに呆れる万次郎。

(娘よ、お前もなかなか鈍いねゃあ)

 するとそこに洋平が、顔を出す。

「仁美ちゃん、レースの前に打ち合わせしたいことがあるき、来てくれるか?」

「わかりました、ほいたら信吾さん」

「うん、あとは任いてくれ」

 手を上げて、仁美を見送ると、大きな溜め息をこぼした。

「……彼氏、おるろうねゃあ、東京やもんねゃあ」

 ヘールボップに向き直る。

「どう思う?」

(そりゃあ、おるろう、あの器量や)
(あの美しい明美の生き写しやないか)

 その自分の言葉に、目を曇らせる万次郎。

(明美、会いたいねゃあ)
(完全に向こうに行ったら……なんかねゃあ)

 溜め息を連発して、肩を落とす信吾を横目に、馬房の開かれた扉の外に視線を移した。

 一方、東京の剣持事務所の会議室に、高部と恵美、広美が集まっていた。

 テーブルにボイスレコーダー、恵美と広美は並んで座り、恵美が広美の手を握っている。

 吹き込まれた上崎の言葉が続く度に、広美の涙がテーブルに落ちて行く。
 恵美がそっと肩に手を添えると、顔を覆ってしなだれかかって行く広美。

 高部は眉を顰めて、こめかみを揉みしだく仕草をしていた。

 最後の言葉が落ちると、広美は声を上げて恵美に縋りついた。

「……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」

 背中をさすってやる恵美。
 張り詰めていたものが、解けたのだろう。
 広美の慟哭は止まらなかった。

「奥様、私はもう、手加減はしませんからね」

 高部は震える声だった、手元のボールペンをぎっと握り込んでいる。
 恵美は険しい表情で、力強く頷き返す。

 広美が落ち着くのに合わせたように、ドアがノックされ、二人の人物が入室してきた。

 一人は銀髪で品の良い男性。
 もう一人は、あのバーで上崎に声をかけた、探偵の藤村だった。

 二人は、広美の前に腰を下ろす。
 銀髪の男性が、名刺を差し出した。

「当事務所の所長、剣持要です」
「上崎徳和氏への訴訟の件、私が担当します」

 藤村が引き取ると、立ち上がり、体を直角に折り曲げる。

「沖浜さん、この度は、あなたのプライベートを尾行して、調査したこと、本当に申し訳ありませんでした」
「証拠収集を担当した、探偵の藤村清志です」

 藤村は着席すると、すかさずカバンから茶封筒を取り出した。

「今回奥様からの依頼で収集した、証拠の全ての複製です、写真はちゃんとネガで焼き増ししております」
「こちらを、無償で提供いたします」

「この証拠は、私が精査して保管いたします」

 剣持は、その封筒を預かる。

「向こうも裁判までは望まないでしょう」
「畳み掛けて……一気にケリをつけましょう」

 自分の事なのに、淡々と進んで行く事実に理解が追いつかない。
 藤村を見て口を開くのがやっとだった。

「無償って、どうして……」

「まずは、冒頭に申し上げたように、あなたのプライバシーに乗り込んだことへの贖罪と」

 険しい表情から、ふっと優しい笑顔に変わる。

「……恩返しです」

「恩返し?」

「私が勝手に感じているのですが、あなたのお父様には、恩があるんです」

 広美は眉間に皺を寄せて、次の言葉を待った。

「今から22年前、私は21歳の苦学生でした」
「そんな時、目先の金に目が眩んで、十万円で借金の保証人になったら、まんまと高跳びされましてね」
「1200万円を押し付けられたんです」

 広美の喉が鳴った。

「親にも言えないし……大学を辞めた同然で朝晩働いても利息分にもなりゃあしない」
「もう、この世からおさらばしようと決意しました」
「その時はダービーだ、どうせ死ぬなら最後に目一杯、足掻いてやろうってね」

 自嘲気味に笑うと、遠くを見つめるような目線になる。

「入ったばかりの給料13万を握って、府中に行きました」
「2着3着は、私の誕生日、一着をどうしようかと、パドックを見ていると、目があったんです」

 今度は広美の目を見据えた。

「あなたのお父様と」
「なんだか、"俺に任せとけ"と言ってくれた気がして」
「私は迷わず、手持ちを全額注ぎ込みました」
「頭を、11番人気のコメットハンターにして」
「だから、私は今もここにいられるんです」

 広美はまた、目から涙がこぼれて、恵美に肩を抱かれる。
 恵美と藤村が目を合わせると、どこか通じ合っている様子で頷き合った。

「と、いうわけで、恩返しですよ」
「あなたのお父様は、少なくとも一人の若者の生命を、救っているんです」

(……お父ちゃん)

 広美はまたテーブルに突っ伏して泣き崩れた。
 その場の誰も、黙って見守っている。
 壁時計の時間を刻む音だけが、慟哭に混ざって響いていたのだった。

 南海競馬場には、あふれんばかりの観客が詰めかけ、メインのレースの訪れを待ち侘びている。
 煌々と照らす照明が、闇夜の中に、コースの全景を浮かび上がらせていた。

 ネット動画の予想チャンネルでは、アナウンサーの矢野吉彦氏が、他の出演者たちにレースの展望を解説していた。

「このレースはなんと言っても、西日本の最強馬、クトゥルフと、かつての中央のGⅠホース、ヘールボップの対戦ですね」

「ヘールボップ、物凄い脚を見せてますよね」  

 出演者と、矢野氏のやりとりが、リモート状態の中でリラックスした状態で続く。

「まあ、今までは下のクラスが相手でしたから」
「重賞クラスは初めてなので、まだ完全復活か?と言われると、判断はつきませんが、近い状態であることは間違いないです」

「私、あのレース生で見たんですよぉ、勝てなくなってて、悲しかったんですけど、また強いヘールボップが見たいですぅ」

「矢野さんはどう見ますか?」

「はい、まず二頭の脚質、クトゥルフは勝負根性の塊みたいな馬ですから、先行して競り合いになったらかなり有利ですね」
「一方ヘールボップは、爆発的な末脚の持ち主です、ただ、道中差をつけられると、直線短いから、クトゥルフの先行力からしたら、届かない可能性があります」
「ポテンシャルは、ヘールボップが上じゃないかと思いますが、クトゥルフは百戦錬磨の瀧越騎手。」
「ヘールボップは、新人の沖浜騎手、この差がどうでるか、ですね」

 レースの開始を見守る洋平が、どこか浮かない顔の広美を見つけて近寄って行った。

「広美ちゃん、今日は記者席やないがかえ?」

「洋平さん、私、もう記者やないがです」

 バツの悪そうに、視線を落として呟く広美。

「……何が、あった?」

「今は……まだ、言えません」
「……事情があって」

 洋平が広美の両肩を掴むと、かつての競馬ナインの同僚が、記者席に向かいながら広美に侮蔑の表情を向けた。
 すれ違いざまに吐き捨てる。

「チーフだけじゃなく、今度は調教師か?」
「どんだけ男好きなんだよ」

 洋平が思わずその記者の肩を掴む。

「おい……そらあ、どういうことや?あぁん?」

 記者は慌てて目を泳がせた。

「この子は、俺らにとっちゃあ家族同然ながぞ、その口、引き裂いちゃろか?」

 慌てて間に入る広美。

「洋平さん!良いがです、良いがですよ」

「広美ちゃん……」

 思わず手を離すと、広美は記者に向き直った。

「あなたも、早く行きなよ」
「レース、始まっちゃうよ」

 記者がその場を去ると、今度はメッセージの着信音が連続してなり続ける。

「洋平さん、私、一般客ですからこれ以上入れんき……」

 深く一礼をしてその場を離れた。
 洋平は、その背中を無言で見送るだけだった。

 歩きながら、スマホを取り出すと、上崎からのメッセージの山。

【てめえ、今日風呂屋の面接つったろうが】
【なんで行かねえんだよ】
【なめてんのか?】
【引越しまでしやがって】
【既読ついてんだから返事くらいしろ】

 すかさずスクリーンショットを取る。
 その顔は笑っているものの、目からは涙があふれていた。

「……こんな馬鹿やったがや、この人」
「自分の首を絞めゆうとも知らんと……」

 そのまま電源を切り、鞄に仕舞った。

 いよいよレースが間近に迫った。
 スターターの合図に、ファンファーレが鳴り響く。
 場内アナウンスが、レースへの興奮を高めるかのように、流れ始めた。

『いよいよ、本日のメインレース、第十一競走、第24回、潮嵐賞です』
『人気はやはりこの2頭』
『六枠七番ヘールボップ3.8倍』
『七枠九番クトゥルフ4.3倍』
『人気を分け合っています、他の各馬は単勝人気が、二桁です』

 深く息を吐き、ゴーグルを下ろす仁美。
 その二つ横のゲートで、様子を伺いながら、薄笑いを浮かべる瀧越。

 深層心理では、コメットハンターと万次郎が、様子を見守っていた。

「今日も、騎乗しないのですか?」

「おう、それはなんの意味もないことや」
「あいつらがやらんと……」

「おっしゃる通りですね……」

 意識の中の人馬は、ゆっくりと目を合わせた。

 ゲートが開く。
 揃ったスタート、その時……

 パシィ!

 いきなり鞭が入り、クトゥルフが物凄い勢いで飛び出した。

「さあ、ついてこい!仁美ちゃん、ポップ!」
「喰らい付け、俺の……」

 口角をにんまりと上げる。

「釣り針に!」

 すかさずヘールボップも追いついて来た、すると、クトゥルフが若干外に持ち出し、その内側にヘールボップが収まる。

「かかった!」

 今度は、クトゥルフが外から身を寄せて、ヘールボップを最内の埒沿いへと押し込んだ。 

 ネット画面では、矢野氏が呟くようにこぼした。

「あ〜、内へ入っちゃったか……」

「何か悪いんですかぁ?」

「もう十一レースでしょう?最内は荒れ放題なんですよ」

「て、ことは、道中かなり消耗しますね」

「このまま直線の叩き合いになると」
「完全にクトゥルフのレースになります」

 万次郎とコメットハンターも、展開を見守っている。

「やっぱり乗ろうか?」

「意思が弱すぎますよ」

 苦笑いの万次郎。
 並ぶ瀧越の横顔を覗き込む。

「わが弟子ながら」
「なんとも、意地の悪いやつや」

 その時、心理の記憶に、新たな景色が浮かぶ。
 並走する芦毛馬が、自身を突き離した瞬間、外に持ちだして、スパートする映像。

「あれは……」
「息子が、息子が自分で、レースを組み立てている」

 万次郎がコメットハンターに目を向けた。

「お前、これ……」

「はい、あの時の」

「ダービーの……」

 三コーナーを回った瞬間、瀧越が掌で鞭を回転させて持ち替えた。

「さあ、叩き合いや」

 鞭が入り、クトゥルフが加速していく。

「競り落といちゃらあ、ボップ!」

 クトゥルフの足運びが苛烈になり、その一歩一歩が砂埃をあげて、矢のようなスピードに乗り始めた。

「……ボップ」

(はい、仁美さん)

(僕はもう)

(……"たっすい"じゃない!)

 仁美の呟きに、ヘールボップが呼応した。

(……仁美)

 客席の広美が祈るように、胸の前で両手を握る。

 第四コーナーを回った瞬間、内側から近づく蹄音に、瀧越が反応する。

「さあ、かかってこいや!……んなっ?」

 右側を振り向くと、埒沿いの馬を見て瀧越は絶句した。

「ボップや……ない?」

 すると、左側の方から、襲いかかる脚音。

「おぉぉぉ!!」

 仁美が雄叫びを上げながら、ヘールボップと共に豪快に砂塵を巻き上げて、猛然と迫って来ていた。
 顔面に砂粒を浴びるも、ゴーグルの下の目の輝きはひとつも衰えていない。

 動画の矢野氏が語る。

「4コーナーで遠心力を使ってうまく外に持ち出しましたね、これで荒れていない馬場ですから」
「届く可能性は十分ありますよ」

 場内実況も声に力が籠る。

『さあ!外7番ヘールボップすごい脚、しかし内9番クトゥルフも粘ります、二頭横一線』

 クトゥルフがヘールボップの、馬体に寄せて並走する。
 鐙がぶつかりそうな距離。
 一進一退の攻防が続く。
 吠える瀧越。

「リーディングジョッキーを、なめんな!」

 どちらも交わせない、全くの横並び。

 首の上下運動を繰り返し、馬体を合わせたまま二頭はゴール前を駆け抜けた。
 ほぼ同着、掲示板の表示は灯らず、勝敗は写真判定へと持ち込まれた。
 二頭はゆっくりと減速し、やがて並んで、結果を待つ。

 滋賀県栗東町の、とある邸宅、その広いリビングのソファに腰を下ろす男性が、足を組み、口元を抑えながら、レース動画を観戦していた。

「う〜ん、これはどっちだろう?」
「それにしても」

 壁に並んでいる数多くの写真。
 その中に、ヘールボップに跨り、手を高々と上げる自身の姿を見つけて微笑む。

「あの頃に戻って来たじゃないヘールボップ、それに」

 今度は、若き男性と、万次郎、幼い広美、赤ん坊を抱く明美の姿の写真を見つける。
 そこに、男性の妻が、コーヒーを携えて現れた。

「レース、どうでした?裕さん」

「ヘールボップとクトゥルフ、写真判定だよ」

 すると、妻も同じ写真を眺めた。

「……あの赤ちゃんがねえ、僕も歳をとるわけだ」

「明美さんが元気だったら、喜んだでしょうね」

 その時、携帯が震えてすかさず電話に出る。

「はい、竹です」
「……わかりました、よろしくお願いします」

「どうしたの?」

「いや、テンペルタットルの次のレース」
「南海での交流重賞になったよ」

 竹が、まだ確定しない掲示板の画面を見つめた。

「今度は、敵同士だよ」
「ヘールボップ、仁美ちゃん」

 南海競馬は、沈黙に包まれていた。
 誰しもが掲示板に表示される、番号を見逃すまいと固唾を飲んで見守る。
 広美は両手を合わせて額につける。
 洋平は落ち着かず、カツカツと靴を鳴らす。
 信吾はダートの上で、両手両膝をついている。
 瀧越と仁美は、騎乗のまま無言で見つめる。

 そして……
 確定のランプが灯った!

『第十一レースの着順をお知らせします』

『一着……』

 一瞬の静寂が、どこまでも長い時間に感じる。

『七番』

『二着、九番……』

 その瞬間、客席から割れんばかりの歓声が上がった。

『やった、やりました』
『沖浜騎手、新人で重賞初騎乗、初勝利』
『これは、瀧越真光騎手が記録して実に十二年ぶりの快挙』
『奇しくも、その瀧越騎手を破っての記録達成です』

 広美はその場にうずくまり、洋平はへなへなと椅子に腰を下ろす。
 信吾は、雄叫びを上げながら両手を夜空にかかげて、そのまま背中から砂に倒れ込んだ。

 仁美はぼろぼろと涙をこぼして、ヘールボップの首をなでつけた。

「なあ、ハンター?」

「なんですか?」

「わしら……要るか?」

「私も、思っています」

 瀧越が、仁美に近づき、肩をぽんと叩く。

「ほら、どうしゆう?」

 仁美が顔を上げると、大歓声の客席を顎で指す。

「お客さん、待たいたらいかんろう?」

「……はい!」

 袖で涙を拭いた仁美は、そのままコースをかけだした。
 その背中に、瀧越が自嘲気味にほくそ笑みながら呟く。

「壁……あっさり破られてしもうた」
「どこまで走るやろうねゃあ、あの子」

 スタンド前を、手を掲げて走り去る仁美に、地方競馬では珍しく、

 「ヘールボップ」

 そして

 「仁美」

 二つのコールが混ざりあってこだまする。
 そして、南国の星空に、吸い込まれるように鳴り響き続けたのだった。

── 第11章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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