第11話 忍び寄る脅威
「高知で活躍する若者を紹介する『Youngボニートこうち』のコーナーです」
「本日ご紹介する『Youngボニート』は、南海競馬でご活躍されている、沖浜仁美騎手にお越し頂きました」
「沖浜騎手、よろしくお願いします」
「よ……よろしく、お願い、します」
この日、仁美は地元テレビ局に来ている。
情報番組のゲストとして、緊張の面持ちで受け答えをしていた。
「新人で初めて出走した重賞競走で、初制覇、今のお気持ち、お聞きしても良いですか?」
「あ……はい、あの、勝てたのは、ヘールボップのおかげで、その……」
その様子を、厩舎の調教師室で、男性陣。
洋平、信吾、瀧越がテレビ越しに見守っていた。
「……ど緊張やねゃ、無理もないか、まだ19歳の女の子やし、レースとは違わあねゃ」
どこか冷や冷やした表情の洋平。
瀧越が、鼻でため息。
「逆に、この初々しさとレースの時のギャップで、益々人気が出そうやねゃ」
信吾は口を結んで拳を握り、言葉を発せられなかった。
「それでは、ヘールボップの次のレース、教えていただけますか?」
「あ、はい、まだ、はっきりとは、わかりませんが……」
「たぶん、三週間後の、中央との交流重賞」
「南海ペガサスカップになると、思います」
「期待してます」
「本日のゲストは、南海競馬の沖浜仁美騎手でした」
「あ……ありがとうございます」
スタジオの袖で、見守っていた広美。
周りのスタッフに合わせて拍手する。
席を立った仁美はアナウンサーに一礼して、広美の元に近寄って来た。
「……緊張した〜、何しゃべったか覚えてないちや」
「お疲れさん、よう喋れよったよ」
「これで予定も終わり、朝から市長さん、知事さん、テレビ局、大変やったね」
広美から渡された水筒に、口をつけた仁美は、大きな息を吐き、ゆっくりと肩を回した。
「けど、お姉ちゃんがおってくれてよかった」
「こんなに予定を調整できる人、おらんも」
「洋平さんに雇うてもろうて、マネージャーになろうかな?」
「今は、無職やし」
その姉の笑顔が、仁美には違和感を感じさせる。
先日再会した時と比べて、肩の荷が降りたように、心の底から現れている笑顔。
どこか懐かしさを覚えた。
「どうしたが?」
「いや……なんとなく、お母ちゃん、思い出して……」
妹の言葉に、広美の心が安らぐ、また口元を緩ませて、無言でテレビ局を後にした。
帰りの道中。
広美の運転、助手席の仁美は、微かな寝息をたてていた。
「無理もないよねえ」
「市長に知事にテレビ出演」
「まだ19歳やもんね」
トレーニングセンターの駐車場に着くと、そこは複数の投光機に照らされて、賑やかな雰囲気だった。
「おう!帰って来た来た!」
洋平がこちらに手を振っている。
下車した二人の元に、幼い瀧越の息子の駿也、小学生の洋平の息子、洋介と晴人が駆け寄って来た。
「お姉ちゃんらあ早よう、早う」
二人は子供たちに手を引かれる。
奥では真っ二つに開かれたドラム缶や、U字溝が置かれて、その中で、炭が赤く熱をたたえていた。
「主役が来んと始めれんき」
「今夜は仁美ちゃんとボップの祝勝会や」
子供たちに導かれた二人。
洋平の妻、麗子と瀧越の妻、美月が席を薦めてコップを渡す。
洋平が、コップを片手に音頭を取った。
「ほいたら、あらためて」
「仁美ちゃん、ボップ、おめでとう!」
「広美ちゃんも、お帰りなさい!」
「乾杯!」
賑やかな夜が始まる。
馬房のヘールボップ、である万次郎の耳に、その様子が聞こえて来た。
(……馬の聴力とは、すごいもんやねゃ)
(こういうところは洋平やねゃ)
(うまいこと、厩舎を回しゆう)
(ますます、わしの出る幕はのうなるかもねゃ)
その時だった、賑やかな声から離れた場所より、広美の声が聞こえた。
「明日……ですか?明日、決着を?」
「私は……同席は?……はい、わかりました」
「くれぐれも、奥様にお詫びを……はい、はい」
次第にその声が、詰まったようになっていく。
最後の言葉は、完全に涙声だった。
「……はい、本当に、私が浅はかでした」
「……先生、よろしく、お願いします」
不審な言葉に、万次郎の不安が膨らむ、一体娘に何が起こっているのか?
確かめようのないもどかしさを、抱えることしか出来なかった。
星空の下、賑やかな宴の声を聞きながら。
翌日、東京の剣持法律事務所では、会議室に恵美と徳和夫婦の姿があった。
恵美は無表情、徳和は罰が悪そうに深く腰を下ろす。
そこに入室する高部。
椅子を立って一礼する二人。
「本日はお忙しい中、ご足労頂きありがとうございます」
高部の名刺を受け取り、徳和が口を開く。
「沖浜は来ないんですか?」
「元はといえば、あいつが相談だなんだって誘って来たのに」
「当事者がいなきゃ、話にならんでしょうよ」
「広美ちゃんは、来ないわよ、先生」
恵美の言葉を合図に、机の上に証拠の束。
バーでの会話が再生された。
みるみる血の気の引いていく徳和。
レコーダーの再生を止めた高部が一言。
「本日の趣旨は、沖浜広美さんへの慰謝料請求ではありません」
深く息を吸い込み、続ける。
「上崎恵美さんの申し出による、徳和さん」
「あなた方ご夫婦の、離婚協議、並びに奥様からの慰謝料、養育費の請求のお話になります」
わなわなと震えながら、徳和は机を叩く。
「ふざけんじゃねえぞ!再構築っつうから、こっちはちゃんと喋って、広美を切ったんじゃねえか」
「嘘ばっかり、をね」
対照的に、恵美は冷静だった。
「証拠があれだけと思ってたの?私は"正直"にって言ったよね」
「でもまあ、再構築は、可能性を示唆しただけ、もう決まってたことよ」
「嵌めやがったのか?」
高部が重々しい声を落とす。
「嵌める……何を馬鹿なことを……」
「あなた、自分がしたこと、わかってるんですか?」
また、眼鏡を上げる高部。
「あなたは、二人の人生を、弄んだのですよ」
「自覚はないんですか?責任転嫁も甚だしい」
「なんだと……?この野郎」
机の上で拳を握りしめて睨むが、高部は涼しい顔のまま続ける。
「奥様への離婚慰謝料は三百万円」
「玲音くんと、歌音ちゃんへの養育費」
「それぞれに月五万円」
「成人するまでと考えると、合わせて」
「千八百万円」
「こちらを請求いたします」
徳和の顔は蒼白だ、声もなんとか絞り出す。
「そんな金、どこにあるんだよ……」
「車とマンション、売ればいいじゃない、私は子供たちと実家に帰るから」
「でもあのマンション、頭金出したのうちの親か……この場合、どうなるんだろ?」
恵美は荷物をまとめ始めた。
そこに、高部が一声。
「財産の話は次に回しましょう」
「徳和さん、不服があるなら、あなたも弁護士を雇った上で、減額交渉してください」
「こちらは引くつもりは毛頭ございません」
「調停、裁判も辞さない構えでおります」
徳和は頭を抱えて、机に突っ伏した。
退室する恵美と高部、すると入れ替わるように剣持が入室する。
「当法律事務所所長の剣持要です」
「ここからは、私が、沖浜広美氏の代理人として……」
顔を起こした徳和の喉が鳴る。
「結婚詐欺行為による貞操権の侵害、また、性風俗店への斡旋、不当な金銭の要求、これは強要罪、恐喝罪にあたります」
「さらに、社内の同僚に沖浜氏の名誉を著しく損なわせる、噂話の吹聴」
「これは、真偽に関わらず名誉毀損になります」
徳和の体が小刻みに震え始める。
もう、剣持に対して反論する気力はない。
「沖浜氏は、示談金として一千万円を請求するものとします、応じるなら、職場には口外しないとおっしゃってます」
「応じなければ、提訴する心づもりであると、ご理解いただきたい」
「なんの事だか、さっぱりわかりませんね」
すると剣持は、鼻で笑う。
封筒から、広美からのスクリーンショットの写し、さらに社内で徳和から解雇通告を受けた時の録音が再生された。
奇声を発して、自分の髪の毛を掻きむしる徳和。
「なんだよそれ!脅迫じゃねえかよ!」
「そう思うなら、あなたも訴えれば良い」
「受けて立ちますよ」
剣持の眉間に皺が刻まれる。
瞳は徳和を逃さない。
「あなたは、もはや犯罪者なんですよ」
「お忘れなきよう……」
徳和は、椅子に崩れ落ち、呆然とすることしかできなかった。
「そうなんですね、先生、本当にありがとうございました」
「恵美さんにも……その、くれぐれも宜しくお伝えください……」
「……はい、はい、失礼します」
宿舎の部屋で、電話を切る広美。
最後はもう、言葉を詰まらせて涙をこぼすだけだった。
翌朝、武政厩舎に世を揺るがすような一報が入る。
「ペガサスカップに……テンペルタットルがくるやと?」
専門誌の、該当ページを見た洋平の目が大きく見開かれている。
置かれた雑誌を拾い、覗き込む瀧越。
その笑顔は、どこか引き攣っていた。
「テンペルタットルって、去年クトゥルフが勝ったき、本腰を入れてきたんかねゃあ」
仁美は黙って口を結ぶ。
テンペルタットル
手綱を握る竹騎手と共に、現時点で日本最強のダート馬と呼ばれる存在。
中央のダート GⅠを二勝。
地方との交流GⅠ競争を五勝。
秋からは本格的に、米国挑戦が決まっていた。
仁美にとっては、自身の技術向上のために、何度レース動画を見たかわからない。
どのレースに於いても、決まった型がない。
先行しても、豊かなスピードで押し切り。
追走した時は、猛然と差し切る。
巻き上がる砂埃の量や高さ、他の馬とは比べ物にならない。
そんな相手と、同じコースに立つこと自体。
彼女には信じられなかった。
「他の中央勢は、ダルタニアンと、イッヒリービニッヒ、アグリスパ、か」
「去年おったメンツやねゃ」
瀧越はそっと雑誌を置くと腕組み。
洋平は顔を覆って見上げる。
「なんぼ言うたち、こりゃ相手が強すぎる」
「大丈夫ですよ」
思わず仁美を見る二人。
仁美は終始笑顔だった。
「ボップは、誰が相手でも、自分のレースをしてくれます」
仁美は一礼をして退室する。
洋平と瀧越は思わず顔を見合わせた。
「……たまるか、言うようになったやか」
瀧越がこぼすと、すぐさま否定する洋平。
「……違う、ありゃあ相当緊張しちゅう」
「あの子は……そんな子や」
馬房では、ヘールボップと仁美が向かい合って立っていた。
「テンペルタットルやって……ペガサスカップに来るんやって」
(何しに?……て、レースか……)
(あれを送り込んでくるか、こりゃあたのしみやねゃ)
仁美の手が、そっとヘールボップの鼻面をなでた、彼女の顔がうつむく。
「怖い……あの馬に、騎手が竹さん……」
「そんな相手、どう戦うたらえいが?」
すると、ヘールボップの脳裏に、本人の声が響いた。
(裕さん?裕さんが来るの?)
機嫌良さげに鼻を鳴らす。
仁美の表情が、綻んでいった。
(テンペルタットルってやつに乗るの?)
(一緒に走るの?)
(……ボップ、お前……)
ヘールボップは上機嫌なままだ、仁美の袖口に顔を擦り付けて甘えている。
(見せてやるんだ)
(あの頃以上の僕になった姿を)
(……おお、よう言うた)
「ボップ、こそばいって」
顔をなすりつけるヘールボップの鬣が、仁美の顔を撫で付けていくと、笑いが止まらなくなった。
(僕はもう負けないよ)
(テンペルタットルにも)
(裕さんにも)
そこに、広美が現れた。
側には信吾もついてきている。
「あれ?お姉ちゃん、信吾さんも珍しい」
広美がしかめっ面になる。
「あんたと二人だけで話たいがやに、ずっとついてきて」
「もう記者やないがやに」
「それでも関係者やないことは、変わらん」
信吾は相変わらずぶっきらぼうだ。
仁美はまた吹き出した。
「もう、関係者で良いやいか」
「そうで、そんな付き纏いしよったら」
「モテんどころやないなるで」
肩で大きく息を吐く信吾、思わずヘールボップを見ると、自分から視線を外さない競走馬がいた。
(若者よ、素直になるんだ)
「じゃあ、あとは、ごゆっくりどうぞ」
「待ちや」
踵を返す信吾の背中に飛ぶ、広美の声。
「仁美、あらかたカタがついたき、話すね」
「東京で何があったか、なんで仕事やめたか、どうして長いこと高知におるか、聞いてほしいがよ」
「それやったら、ますます、俺おらんほうが良いでしょう?」
拗ねたように言う信吾に、呆れたように頭を抱える広美。
「本当に使わんで良い時には気を使う」
「やきモテんがで」
きっとした表情に変わり、信吾に目を向けて続ける。
「あんたにも、聞いてほしいがよ」
「なんで?」
心底不思議そうな信吾の顔。
広美はどこか一点を見つめた。
「さあ……」
「なんとなく」
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。