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Win〜彗星は南から

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117,786 字

地方競馬ファンタジー家族ドラマ

"南国の風が運ぶ、魂の継承と家族の絆。彗星は、希望を乗せて南から来る。"

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第12話 やきす

 広美は、独り言のように話しはじめた。
 東京での今までの生活。
 上崎との出会いと、彼に抱いていた感情。
 そして、彼の本性。
 恵美や弁護士とのやりとりと、今回の帰高が彼女にとって、確実に上崎との接触を遮断する目的であったことを……

「そう言うことが……あったがよ……」

 話の内容の重さに、仁美と信吾は唖然とするだけである。
 二人の生きて来た時間には、触れた事のない出来事だ。
 受け止めきれないのは、当然だろう。

 「やっと、けりがついて、ひと段落したき」

(……なんちゅうことや)

 ヘールボップを通して、広美の話を聞いていた万次郎の落胆は凄まじい。

(あの日の広美の言葉……)

 明美の葬儀後、酒と共に浴びせられた罵声。

『あんたのせいやきね』

(わしがまだ、普通の父親でおれたら……)
(そんな思いはさせんかった……)
(そんな仕事させて、そんな男にゃ会わんかった……)

 広美を見ると、必死に涙を堪えている。

(……広美!)

 ヘールボップがその顔を、広美の頬に伸ばして触れた。

「え?」

 驚く広美が向くと、今度は鼻面がその頬を撫で付け、それを見た仁美がクスリと笑った。

「ボップ、いっつもで、私が泣きよったら慰めてくれるが」

「顔……撫でちゃっても良い?」

 信吾を見ると、彼は穏やかな笑顔で頷く。

「今日は、特別ですよ」

 その信吾の笑顔を見て、驚く仁美。
 幼い日に、自分に向けられていた、慈愛に満ちた父の笑顔そのものだった。
 広美は、恐る恐るヘールボップの鼻筋を撫でると、それを押し付けるように広美の顔に近よせる。
 彼女は、その顔を抱きしめると、ボロボロと涙をこぼし、声を上げて泣き始めた。

(すまん……すまんかった)
(わしの……大事な、大事な)
(……広美!)

 ヘールボップが、ぶるるるると、鼻を鳴らす。

 深層心理では、コメットハンターがただ無言でその光景を眺めていた。

(……周りの人らのおかげやね)
(あの子は、頑固で、なんでも一人でやろうとするき)

「広美ちゃんは、万次郎さんにそっくりですよ」

 コメットハンターの言葉に、明美はふっと息をついて返すだけだった。

 ひとしきり泣き続けた広美は涙を拭うと、二人を向いて、笑顔を作る。
 ヘールボップの鼻筋を一度撫で、手を離した。

「信吾くん?」

 いきなり声をかけられて、びくつく信吾。 

「どう思うた?今の話を聞いて」

「……なんか、よう分かりません」
「けんど、俺はそんなに器用にできんし、やっぱりモテんでかまんです」
「あれ?何を言いゆうがやろ?はは」

 無理やり捻り出した的を得ない反応に、広美も苦笑するしかない。

「まあ、あんたは器用になる必要ないで」

 しかし、今度は信吾の顔が曇る。
 目元も鋭くなって行った。

「けど、俺は許せんです、その男」
「絶対に、許せんです」

 広美には意外に映った。
 いつも自分に突っかかってくる男が、自分の話を聞いて、怒りを露わにしてくれる。

 都会で孤独に覆われていた広美の心が、じんわりと、暖かくなっていった。

「お姉ちゃん?これからどうするが?」

 一瞬黙る。
 考えていた言葉があるものの、切り出せない。

 仁美はただ心配そうに、見守るだけだ。

「ひとまず……東京に帰る……」
「弁護士さんと、向こうの奥さんとの話もあるし……まだ、やりたいことも、あるき」
「やっぱり、記事を書く仕事、したいき」

 そして、意を決して仁美と目を合わす。

「一緒に来てくれん?」

「ええ!?」

(なんやと!?)

 仁美と万次郎が驚きの声を上げる。

「あんたは、あんたの道を見つけたつもりでおるだけ」
「お父ちゃんの夢を引き継ぐ、それが自分の道と思いこんじゅうだけ!」

 仁美の両肩を掴んで、目を合わせた。

「広い世界を知って、自分で自分の道を作るが」
「ショーウィンドウのディスプレイも、挑戦したらえいやいか!」

「……嫌や」

「仁美?」

 今度は、仁美が広美を睨みつけた。

「勝手なこと言いな」
「私が騎手ながは、自分の意思やき……」

 力のこもった言葉に、広美は黙るしかなかった。

「私は、お父ちゃんの現役の頃を知らんき」
「やきね、なりたかったが、騎手に」
「馬の背中の上で、お父ちゃんが見よった景色を、見たかったが!」

 感極まったのか、溢れて来た涙を拭う。

「なんちゃあ知らんくせに!」
「わかった顔して、決めつけんとって!」
「私は『騎手』沖浜仁美なが!」

 仁美は荒々しく吐き捨てて、その場を駆け出して行った。
 万次郎は、黙って見守るしかできない。
 広美が独り言のように呟く。

「……やっぱり、フラれたか、あの子も、大人になったがやね、ちゃんと、自分の言葉で……」

 信吾に向き直る。

「私がおらんと、何もできんかったがで」
「姉として、誇らしいわ」

 すると、信吾は険しい表情のままだった。
 広美の表情が、真顔に戻る。

「……嘘を、つくなや」

「なに?」

「自分に……」

 その言葉が、広美の胸を突き刺す。
 怒りでもない、どこか憤りのこもった信吾の言葉が続く。

「あんた、寂しいがやろう?」
「仁美ちゃんと、一緒に居りたいがやないが?」
「なのに、カッコつけて強がって……」
「そうやって、自分に嘘をつくがはやめや!」

 もう、広美は自分の気持ちを、堪えることが出来なかった。
 昂る感情が言葉を返す。

「なんで……あんたなが?」

 首を傾げる信吾。

「……なんで?なんで?」
「……あんたが……わかるが?」
「仁美に……わからんことが!!」

 その言葉を残して、そのまま厩舎を後にした。

(若者よ、よく言ってくれた)

 万次郎が信吾を見つめると、彼は腰砕けにへたり込むと、両手を地面に付けて、ドンドンと土間を叩き始める。

(おいおい、どうした?若者よ)

 その場に響く長いため息。 
 馬房の馬たちを見渡す。

「クラーク、スポイル、スミレ、シンタロー、ほんで……」

 最後にヘールボップに目を合わせた。

「ボップ」
「今の、いかんぞねゃ、俺」
「絶対言いすぎぞねゃあ」
「嫌われたら……どうしょう〜!!」

 そのまま頭を抱えて、額を土間の地面に擦り付ける信吾だった。

(ありゃりゃ、若者よ、そんなことの繰り返しが人生だ)
(それに、広美は、わしに似ちゅう)
(存外、ハートを掴んだかもしれんぞ)

 万次郎の記憶の扉が開く。
 明美と一緒に、夜景を望む展望レストランに来ている。

「今日は、忙しいにすまんかったね」
「わざわざ高知から来てくれて」

 しかし、明美は窓から見える夜景に釘付けだ。

「……まんじさん?ここ、大丈夫なが?」
「支払いとか……なんか、心配で落ちつかん」

「あのねえ、俺も一応GⅠジョッキーながで」
「そんな心配いらんき」

 明美はまだ胸を押さえている。

「高知じゃあ、こんなお店、知らんき」

 グラスを鳴らす二人、明美の緊張も解けて会話も弾みだす。

「ところで明美さん、仕事は順調?」

「はい、至って順調です」
「最近は、いろいろ任されて、お給料も上がって、やりがいしかないき」

 すると、万次郎は明美から、視線を落としてため息をついた。

「そうか……ほいたら、辞めれんね」
「うん、応援するき、頑張って」

 今度は、明美が悪戯っぽく笑った。

「嘘やろ?まんじさん」

「ええ?」

 顔を上げると、明美がじっと万次郎の顔を見据えていた。

「自分に、嘘、ついちゅうろう?」
「本当は、他に言いたいこと、あるがでしょう?」

 観念した万次郎は、頭をかきながら、ポケットから小さな宝石箱を差し出して開いた。

「明美さんには、敵わんねゃあ」
「不安定な仕事で、苦労をかけるけんど」
「宜しくお願いします」

 明美は、万次郎の顔を見つめたまま、答えた。

「……はい、これからあなたを支えていきます」
「一生を……かけて」

 鼻を鳴らした万次郎は、ゆっくりと思い出を閉じた。
 目の前には、土間にうずくまって身悶える信吾が、いつまでも、同じ姿勢のままで。

 その夜、宿舎の部屋で、広美はカウンターテーブルに踞る。
 ビールや、ワンカップの空き瓶、空き缶が並び、顔を起こしてまた口をつけた。

「なんながで……あいつ、なんながで……」
「モテんのに……」
「……ほんまに嫌なやつ、嫌なやつ」
「もうーーー!」

 頭を両手で、ぽかぽかと叩きながら、立ち上がり、ベッドへ倒れ込むと枕を力強く握りしめた。

「……信吾くん」

 ぽつりと言葉を落とし、そのまま眠りにつくのだった。

 翌日、仁美は遠林病院の、万次郎の入院している病室にあった。
 機器の発する音が、規則正しく鳴り響く。
 万次郎は目を開かない。
 呼吸の音だけが、微かに聞こえるだけだった。

 その時、ドアがノックされ、広美が姿を見せる。
 昨日のこともあり、仁美の胸が軽く締め付けられた。

「お父ちゃん、顔色良いみたいやね」

 明るい声で話しかける広美だが、仁美は無言で頷くだけだ。

「……昨日は、ごめん」
「せっかく、頑張りゆうのに、いらんこと言うて」

「……べつに、かまん」

 そっけない仁美。
 広美は苦笑いで、その隣に腰を下ろす。

「お姉ちゃんね、実は寂しいが」
「東京で、一人でおって……」 

 そっと、仁美の手を取る。

「高知より人、いっぱいおるけど、みんな知らん人」
「大勢の人の中に一人でおると、余計孤独になるがよ」
「誰も知らん、誰も見てくれん、誰も話してくれん」
「本当に、ひとりぼっちで……」

 仁美が顔を向けると、広美が一点を見つめて呟く。

「啖呵を切って出て来た手前、簡単に帰れんかった、意地があったき」
「けど、寂しゅうて……変ながに、つけ込まれて、必死になって」
「一人に、戻りとうのうて、とにかく必死やった」

 声は震えている。
 仁美はそっと、広美の手にもう一つの手を添える。

「……あんたが活躍して、どんどん遠くにいくがが怖かった」
「お姉ちゃん、怖かったがよ」
「けんど、あんたはもう、ちゃんと自分の足で立って」
「自分の未来を見つけちゅう」
「お父ちゃんの言いなりじゃない、あんた自身の思いで……」

 姉妹は両手を握り合って、目を合わせた。

「ずっと、応援するき」
「沖浜仁美騎手を、走って走って、走り抜いていく姿を……ずっと、応援するきね」

 笑顔で力強く頷く仁美。

「うん……ありがとう、お姉ちゃん」

 今度は、二人は万次郎の左右に立ち、それぞれが、彼の両手を握る。

「いつまで寝ゆうが?お父ちゃん」

「また、家族みんなで笑おうや」

「お母ちゃんも、見てくれゆうき」

 二人はそっと、眠り続ける万次郎の胸に、両側から顔をうずめた。

 その後、トレーニングセンターに戻り。
 洋平に挨拶をする広美。

「いろいろお世話になりました」

 すると、洋平がそっと一冊のファイルを差し出した。

「調教師室の片付けをしよったら、出て来た」

 広美はそっと受け取り、開く。
 その中身は、広美の書いた記事を切り貼りして集めたものだった。

『まあ、読めるようにはなったが、目の付け所がまだ甘い』

 どの記事の脇にも、一筆メモされている。

「なんで……偉そうに」

 広美の胸に込み上げる感情が、目頭を熱くして、その声を震わせていた。

「ところで、空港までの足は?」

「タクシー呼びます」

 そこに、信吾と仁美が、馬たちへの給餌を終えて戻って来た。
 ほくそ笑む洋平。

「おい、信吾」
「お前、いま暇か?」

「え?メシが終わったら、スポイルを……」

 洋平は、辿々しく答える信吾の肩を、ぎゅっと掴む。

「……暇やろう?暇やねゃあ」
「ちゅうことで、信吾に送らすわ」
「空港まで」

「ちょちょちょちょ、何を言うがですか?」

 慌てる信吾の姿に、今度は広美が吹き出した。

「何?嫌なが?」

「……そんなことは、ないけんど……」

「ほいたら、お願いします」

 そして、目を合わせる姉妹。
 どちらともなく笑顔で頷きあう。
 もうそれだけで、充分だった。

 輝く海面の太平洋を望み、二人を乗せた車は走る。
 広美は窓を空けて、潮風を吸い込むように顔に浴びていた。
 長い髪の毛が風に流されて、信吾の耳をくすぐる。
 彼の胸は高鳴って、ちらちらと様子を伺ってしまう。

「……あの、昨日は、すみませんでした」

「何が?」

「いや……ほら、ちょっと言い過ぎて」

 すると、広美は微笑んだ。

「謝ることやないで」
「全部本当のことやんか」

 信吾の顔に安堵の色が浮かぶ。

「あんた、えい人やったがやね」
「これからも、妹のこと、頼むきね」

「あ、いや……はい」

 やがて、空港の駐車場に車は停車。
 キャリーケースをトランクから出すと、広美は信吾に向き直り、スマホを向ける。

「電話、するき教えて」

 すると、胸ポケットを押さえて青ざめた。

「……忘れて、来ました」

 もう、苦笑いするしかない。
 呆れたような息が落ちた。

「それやからあんたは」

「……モテんがですね」

 二人は、顔を合わせて笑い出し、手を振って別れる。
 空港のロビーに向かう、小さくなる広美の背中。
 自動ドアの向こうに吸い込まれるまで、信吾は見送って、運転席へ。
 エンジンを回し、サイドブレーキを下ろしたが、また引いた。

 バックミラーに映る自分と目を合わせて、大きく息を吐くと、エンジンを切り、運転席から飛び出して行った。
 二階の出発ロビーに駆け上がり、広美を探す。
 すると、丁度保安検査場に入っていく瞬間だった。

 ゲートをくぐり、手荷物を受け取る広美。
 出発ロビーに出ると、ガラス壁の向こうに信吾の姿を見つけて、固まってしまった。
 こちらと向こう、どちらも声は遮断されている。
 両方を繋ぐ電話機は使用中だ。

 すると、意を決した信吾が、大きく息を吐きかけて、曇ったガラスに文字を書き出した。 

 広美の胸が、ほんわりと温かくなる。
 嬉しさが込み上げ、自然に綻ぶ顔。
 紅潮する頬。

 真剣な顔で、息を切らせて見つめる信吾の顔が、またおかしかった。

「字……こっち側は、反転するがで?」
「だから、モテんがで……けど、それでえい」

 広美は両手を胸元に上げる。

「私にだけ」
「モテたらえいき」
「信吾くん……」
「なんで……」
「"やきす"って」

 胸元の両手が、小さく丸を描いた。
 すると、一部始終を見守っていたであろう、他の乗客たちから拍手が、ガラスに隔てられた二人に送られた。
 広美は思わず顔を覆う。
 信吾は、頭をかきながら、四方に会釈を繰り返していた。

 ガラス壁の吐きかけた息にかかれた文字。

「すきや」

 やがて、息の曇りと共に消えてゆく。
 ゆっくりと

── 第13章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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