第12話 やきす
広美は、独り言のように話しはじめた。
東京での今までの生活。
上崎との出会いと、彼に抱いていた感情。
そして、彼の本性。
恵美や弁護士とのやりとりと、今回の帰高が彼女にとって、確実に上崎との接触を遮断する目的であったことを……
「そう言うことが……あったがよ……」
話の内容の重さに、仁美と信吾は唖然とするだけである。
二人の生きて来た時間には、触れた事のない出来事だ。
受け止めきれないのは、当然だろう。
「やっと、けりがついて、ひと段落したき」
(……なんちゅうことや)
ヘールボップを通して、広美の話を聞いていた万次郎の落胆は凄まじい。
(あの日の広美の言葉……)
明美の葬儀後、酒と共に浴びせられた罵声。
『あんたのせいやきね』
(わしがまだ、普通の父親でおれたら……)
(そんな思いはさせんかった……)
(そんな仕事させて、そんな男にゃ会わんかった……)
広美を見ると、必死に涙を堪えている。
(……広美!)
ヘールボップがその顔を、広美の頬に伸ばして触れた。
「え?」
驚く広美が向くと、今度は鼻面がその頬を撫で付け、それを見た仁美がクスリと笑った。
「ボップ、いっつもで、私が泣きよったら慰めてくれるが」
「顔……撫でちゃっても良い?」
信吾を見ると、彼は穏やかな笑顔で頷く。
「今日は、特別ですよ」
その信吾の笑顔を見て、驚く仁美。
幼い日に、自分に向けられていた、慈愛に満ちた父の笑顔そのものだった。
広美は、恐る恐るヘールボップの鼻筋を撫でると、それを押し付けるように広美の顔に近よせる。
彼女は、その顔を抱きしめると、ボロボロと涙をこぼし、声を上げて泣き始めた。
(すまん……すまんかった)
(わしの……大事な、大事な)
(……広美!)
ヘールボップが、ぶるるるると、鼻を鳴らす。
深層心理では、コメットハンターがただ無言でその光景を眺めていた。
(……周りの人らのおかげやね)
(あの子は、頑固で、なんでも一人でやろうとするき)
「広美ちゃんは、万次郎さんにそっくりですよ」
コメットハンターの言葉に、明美はふっと息をついて返すだけだった。
ひとしきり泣き続けた広美は涙を拭うと、二人を向いて、笑顔を作る。
ヘールボップの鼻筋を一度撫で、手を離した。
「信吾くん?」
いきなり声をかけられて、びくつく信吾。
「どう思うた?今の話を聞いて」
「……なんか、よう分かりません」
「けんど、俺はそんなに器用にできんし、やっぱりモテんでかまんです」
「あれ?何を言いゆうがやろ?はは」
無理やり捻り出した的を得ない反応に、広美も苦笑するしかない。
「まあ、あんたは器用になる必要ないで」
しかし、今度は信吾の顔が曇る。
目元も鋭くなって行った。
「けど、俺は許せんです、その男」
「絶対に、許せんです」
広美には意外に映った。
いつも自分に突っかかってくる男が、自分の話を聞いて、怒りを露わにしてくれる。
都会で孤独に覆われていた広美の心が、じんわりと、暖かくなっていった。
「お姉ちゃん?これからどうするが?」
一瞬黙る。
考えていた言葉があるものの、切り出せない。
仁美はただ心配そうに、見守るだけだ。
「ひとまず……東京に帰る……」
「弁護士さんと、向こうの奥さんとの話もあるし……まだ、やりたいことも、あるき」
「やっぱり、記事を書く仕事、したいき」
そして、意を決して仁美と目を合わす。
「一緒に来てくれん?」
「ええ!?」
(なんやと!?)
仁美と万次郎が驚きの声を上げる。
「あんたは、あんたの道を見つけたつもりでおるだけ」
「お父ちゃんの夢を引き継ぐ、それが自分の道と思いこんじゅうだけ!」
仁美の両肩を掴んで、目を合わせた。
「広い世界を知って、自分で自分の道を作るが」
「ショーウィンドウのディスプレイも、挑戦したらえいやいか!」
「……嫌や」
「仁美?」
今度は、仁美が広美を睨みつけた。
「勝手なこと言いな」
「私が騎手ながは、自分の意思やき……」
力のこもった言葉に、広美は黙るしかなかった。
「私は、お父ちゃんの現役の頃を知らんき」
「やきね、なりたかったが、騎手に」
「馬の背中の上で、お父ちゃんが見よった景色を、見たかったが!」
感極まったのか、溢れて来た涙を拭う。
「なんちゃあ知らんくせに!」
「わかった顔して、決めつけんとって!」
「私は『騎手』沖浜仁美なが!」
仁美は荒々しく吐き捨てて、その場を駆け出して行った。
万次郎は、黙って見守るしかできない。
広美が独り言のように呟く。
「……やっぱり、フラれたか、あの子も、大人になったがやね、ちゃんと、自分の言葉で……」
信吾に向き直る。
「私がおらんと、何もできんかったがで」
「姉として、誇らしいわ」
すると、信吾は険しい表情のままだった。
広美の表情が、真顔に戻る。
「……嘘を、つくなや」
「なに?」
「自分に……」
その言葉が、広美の胸を突き刺す。
怒りでもない、どこか憤りのこもった信吾の言葉が続く。
「あんた、寂しいがやろう?」
「仁美ちゃんと、一緒に居りたいがやないが?」
「なのに、カッコつけて強がって……」
「そうやって、自分に嘘をつくがはやめや!」
もう、広美は自分の気持ちを、堪えることが出来なかった。
昂る感情が言葉を返す。
「なんで……あんたなが?」
首を傾げる信吾。
「……なんで?なんで?」
「……あんたが……わかるが?」
「仁美に……わからんことが!!」
その言葉を残して、そのまま厩舎を後にした。
(若者よ、よく言ってくれた)
万次郎が信吾を見つめると、彼は腰砕けにへたり込むと、両手を地面に付けて、ドンドンと土間を叩き始める。
(おいおい、どうした?若者よ)
その場に響く長いため息。
馬房の馬たちを見渡す。
「クラーク、スポイル、スミレ、シンタロー、ほんで……」
最後にヘールボップに目を合わせた。
「ボップ」
「今の、いかんぞねゃ、俺」
「絶対言いすぎぞねゃあ」
「嫌われたら……どうしょう〜!!」
そのまま頭を抱えて、額を土間の地面に擦り付ける信吾だった。
(ありゃりゃ、若者よ、そんなことの繰り返しが人生だ)
(それに、広美は、わしに似ちゅう)
(存外、ハートを掴んだかもしれんぞ)
万次郎の記憶の扉が開く。
明美と一緒に、夜景を望む展望レストランに来ている。
「今日は、忙しいにすまんかったね」
「わざわざ高知から来てくれて」
しかし、明美は窓から見える夜景に釘付けだ。
「……まんじさん?ここ、大丈夫なが?」
「支払いとか……なんか、心配で落ちつかん」
「あのねえ、俺も一応GⅠジョッキーながで」
「そんな心配いらんき」
明美はまだ胸を押さえている。
「高知じゃあ、こんなお店、知らんき」
グラスを鳴らす二人、明美の緊張も解けて会話も弾みだす。
「ところで明美さん、仕事は順調?」
「はい、至って順調です」
「最近は、いろいろ任されて、お給料も上がって、やりがいしかないき」
すると、万次郎は明美から、視線を落としてため息をついた。
「そうか……ほいたら、辞めれんね」
「うん、応援するき、頑張って」
今度は、明美が悪戯っぽく笑った。
「嘘やろ?まんじさん」
「ええ?」
顔を上げると、明美がじっと万次郎の顔を見据えていた。
「自分に、嘘、ついちゅうろう?」
「本当は、他に言いたいこと、あるがでしょう?」
観念した万次郎は、頭をかきながら、ポケットから小さな宝石箱を差し出して開いた。
「明美さんには、敵わんねゃあ」
「不安定な仕事で、苦労をかけるけんど」
「宜しくお願いします」
明美は、万次郎の顔を見つめたまま、答えた。
「……はい、これからあなたを支えていきます」
「一生を……かけて」
鼻を鳴らした万次郎は、ゆっくりと思い出を閉じた。
目の前には、土間にうずくまって身悶える信吾が、いつまでも、同じ姿勢のままで。
その夜、宿舎の部屋で、広美はカウンターテーブルに踞る。
ビールや、ワンカップの空き瓶、空き缶が並び、顔を起こしてまた口をつけた。
「なんながで……あいつ、なんながで……」
「モテんのに……」
「……ほんまに嫌なやつ、嫌なやつ」
「もうーーー!」
頭を両手で、ぽかぽかと叩きながら、立ち上がり、ベッドへ倒れ込むと枕を力強く握りしめた。
「……信吾くん」
ぽつりと言葉を落とし、そのまま眠りにつくのだった。
翌日、仁美は遠林病院の、万次郎の入院している病室にあった。
機器の発する音が、規則正しく鳴り響く。
万次郎は目を開かない。
呼吸の音だけが、微かに聞こえるだけだった。
その時、ドアがノックされ、広美が姿を見せる。
昨日のこともあり、仁美の胸が軽く締め付けられた。
「お父ちゃん、顔色良いみたいやね」
明るい声で話しかける広美だが、仁美は無言で頷くだけだ。
「……昨日は、ごめん」
「せっかく、頑張りゆうのに、いらんこと言うて」
「……べつに、かまん」
そっけない仁美。
広美は苦笑いで、その隣に腰を下ろす。
「お姉ちゃんね、実は寂しいが」
「東京で、一人でおって……」
そっと、仁美の手を取る。
「高知より人、いっぱいおるけど、みんな知らん人」
「大勢の人の中に一人でおると、余計孤独になるがよ」
「誰も知らん、誰も見てくれん、誰も話してくれん」
「本当に、ひとりぼっちで……」
仁美が顔を向けると、広美が一点を見つめて呟く。
「啖呵を切って出て来た手前、簡単に帰れんかった、意地があったき」
「けど、寂しゅうて……変ながに、つけ込まれて、必死になって」
「一人に、戻りとうのうて、とにかく必死やった」
声は震えている。
仁美はそっと、広美の手にもう一つの手を添える。
「……あんたが活躍して、どんどん遠くにいくがが怖かった」
「お姉ちゃん、怖かったがよ」
「けんど、あんたはもう、ちゃんと自分の足で立って」
「自分の未来を見つけちゅう」
「お父ちゃんの言いなりじゃない、あんた自身の思いで……」
姉妹は両手を握り合って、目を合わせた。
「ずっと、応援するき」
「沖浜仁美騎手を、走って走って、走り抜いていく姿を……ずっと、応援するきね」
笑顔で力強く頷く仁美。
「うん……ありがとう、お姉ちゃん」
今度は、二人は万次郎の左右に立ち、それぞれが、彼の両手を握る。
「いつまで寝ゆうが?お父ちゃん」
「また、家族みんなで笑おうや」
「お母ちゃんも、見てくれゆうき」
二人はそっと、眠り続ける万次郎の胸に、両側から顔をうずめた。
その後、トレーニングセンターに戻り。
洋平に挨拶をする広美。
「いろいろお世話になりました」
すると、洋平がそっと一冊のファイルを差し出した。
「調教師室の片付けをしよったら、出て来た」
広美はそっと受け取り、開く。
その中身は、広美の書いた記事を切り貼りして集めたものだった。
『まあ、読めるようにはなったが、目の付け所がまだ甘い』
どの記事の脇にも、一筆メモされている。
「なんで……偉そうに」
広美の胸に込み上げる感情が、目頭を熱くして、その声を震わせていた。
「ところで、空港までの足は?」
「タクシー呼びます」
そこに、信吾と仁美が、馬たちへの給餌を終えて戻って来た。
ほくそ笑む洋平。
「おい、信吾」
「お前、いま暇か?」
「え?メシが終わったら、スポイルを……」
洋平は、辿々しく答える信吾の肩を、ぎゅっと掴む。
「……暇やろう?暇やねゃあ」
「ちゅうことで、信吾に送らすわ」
「空港まで」
「ちょちょちょちょ、何を言うがですか?」
慌てる信吾の姿に、今度は広美が吹き出した。
「何?嫌なが?」
「……そんなことは、ないけんど……」
「ほいたら、お願いします」
そして、目を合わせる姉妹。
どちらともなく笑顔で頷きあう。
もうそれだけで、充分だった。
輝く海面の太平洋を望み、二人を乗せた車は走る。
広美は窓を空けて、潮風を吸い込むように顔に浴びていた。
長い髪の毛が風に流されて、信吾の耳をくすぐる。
彼の胸は高鳴って、ちらちらと様子を伺ってしまう。
「……あの、昨日は、すみませんでした」
「何が?」
「いや……ほら、ちょっと言い過ぎて」
すると、広美は微笑んだ。
「謝ることやないで」
「全部本当のことやんか」
信吾の顔に安堵の色が浮かぶ。
「あんた、えい人やったがやね」
「これからも、妹のこと、頼むきね」
「あ、いや……はい」
やがて、空港の駐車場に車は停車。
キャリーケースをトランクから出すと、広美は信吾に向き直り、スマホを向ける。
「電話、するき教えて」
すると、胸ポケットを押さえて青ざめた。
「……忘れて、来ました」
もう、苦笑いするしかない。
呆れたような息が落ちた。
「それやからあんたは」
「……モテんがですね」
二人は、顔を合わせて笑い出し、手を振って別れる。
空港のロビーに向かう、小さくなる広美の背中。
自動ドアの向こうに吸い込まれるまで、信吾は見送って、運転席へ。
エンジンを回し、サイドブレーキを下ろしたが、また引いた。
バックミラーに映る自分と目を合わせて、大きく息を吐くと、エンジンを切り、運転席から飛び出して行った。
二階の出発ロビーに駆け上がり、広美を探す。
すると、丁度保安検査場に入っていく瞬間だった。
ゲートをくぐり、手荷物を受け取る広美。
出発ロビーに出ると、ガラス壁の向こうに信吾の姿を見つけて、固まってしまった。
こちらと向こう、どちらも声は遮断されている。
両方を繋ぐ電話機は使用中だ。
すると、意を決した信吾が、大きく息を吐きかけて、曇ったガラスに文字を書き出した。
広美の胸が、ほんわりと温かくなる。
嬉しさが込み上げ、自然に綻ぶ顔。
紅潮する頬。
真剣な顔で、息を切らせて見つめる信吾の顔が、またおかしかった。
「字……こっち側は、反転するがで?」
「だから、モテんがで……けど、それでえい」
広美は両手を胸元に上げる。
「私にだけ」
「モテたらえいき」
「信吾くん……」
「なんで……」
「"やきす"って」
胸元の両手が、小さく丸を描いた。
すると、一部始終を見守っていたであろう、他の乗客たちから拍手が、ガラスに隔てられた二人に送られた。
広美は思わず顔を覆う。
信吾は、頭をかきながら、四方に会釈を繰り返していた。
ガラス壁の吐きかけた息にかかれた文字。
「すきや」
やがて、息の曇りと共に消えてゆく。
ゆっくりと
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。