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新皇帝陛下の蛮族平定の御親征において第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが合流予定時刻を過ぎ未着の議

お話を聞かせて

177,721 字

古代ローマ風政治軍記、権謀術数渦巻く帝国年代記

"小人はただ、生き延びたい。帝国の巨大な歯車の中で、己が魂を賭けて。"

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第三話 倒れ伏すスフィンクス 三

 医師は結論から言った。アフリカヌスは病死だ、と。
 その言葉は形ある物質のように室内を領し、人々に身動きする余裕を奪ったかのようだった。居並んだ属州の面々の体は硬直し、顔から生気は失せ、寝台のアフリカヌスよりよほど死人のように見える。
 俺は息苦しさを覚え、首を撫でた。
「ふむ」誰も声を上げようとしないので俺が口火を切る「それは間違いないのですか」
 俺は声音に何の感情も乗せないように意識する。同情や労り、あるいは喜びや安堵も俺のような立ち位置の者には不必要だ。俺は人格ある存在としてではなく、一種の機械として思われるべきだった。俺より遥かに高位にある者たちに、人間として恨まれたくはない。
「はい、ほぼ確実です」
医官総監は手巾で額の汗をぬぐいながら答えた。彼の顔には生気がある、一仕事を終えたという充実感が彼に正気を支えているのではないか。
「毒物及び魔術的な要素の残留は認められませんでした、言うまでもなく外傷もない。胃や食道などの臓器の壁面に見られる出血は伝染性のアフリカ熱病の典型的症状を示しています」
 俺は本土から連れてきた医官を瞥見した。俺の視線を受けて彼は固い表情で頷いた。どうやら異論はないようだ。
「しかし」俺は疑問を挟む「アフリカ熱病は感染から一カ月ほどかけて体調を崩し死に至る病だと聞く。それに適切な治療を受ければ罹患者の半数は生存を望める病だとも。アフリカヌス様に適切な治療が施されたという話は聞いていませんが」
 属州医官総監は鉛を飲み込んだかのように黙り込んだ。
 代わりに第三軍団副団長が口を開く。
「おそらく、だいぶ前から体調を崩されていたのだろう。だが、アフリカヌス軍団長はそれを表に出さなかった。我々が軍団長の不調に気づいたとき、彼はすでに寝所で気を失い、遺言も残せる状況ではなかった」巌のような顔立ちの副軍団長が捨てられた犬のように見えた「我々の観察眼のなさを責めるのならば、好きにしろ。反論しようとは思わない」
 俺は何も言わなかった。
 実際のところ、アフリカヌスが病を隠していたというのは納得できる話だ。帝国軍人、それも高位であれば高位であるほど、彼らは自分の不調を隠そうとする。上官の状態は部下の士気に直結するという実際的な理由の他に、病気など自然治癒してやるという自負、なにより簡単には泣き言を言わないという軍人的痩せ我慢がその源だ。滑稽な話だがそれで手遅れになった帝国軍人は大勢いる。今後も減りはしても完全に無くなることはないだろう。
 アフリカヌスも己を恃みにし、病勢の把握を誤ったのであろうか。
 だとしたらアフリカヌスは愚か者だ、思ったより大した人物ではなかったのかもしれない。
 ドルッシラがふと面を上げた。俺は内心を読まれたのではないかと、それがありえないことであると知りながら、焦りを感じた。
「医官総監様、貴方は、ほぼ病死、と言いました。それは確実に病死、と断言しているわけではないと換言できますね?」
「はいかいいえで答えるならば、はい、そのとおりです」医師総監は寡婦をいたわるように口調で応じた「しかし、ドルッシラ様。この不確実性は積極的に他の死因が疑われるということではなく、現代医療の限界だとお考え下さい。現在の検死技術では、死因を断定することはできません。ご承知おきの程を」
「例えば」ドルッシラは医師総監の言葉を受け流す「他にはどのような死因が考えられますか」
 医師総監は不安げに第三軍の副団長を瞥見した。俺はそこにこの場に並んだ人間たちの力関係を見た。属州総督代理よりも副軍団長、つまり、アフリカヌスの軍事的片腕が、残った者たちの中で最大の影響力を持つようだ。無論、ドルッシラを除いてだが。
 副軍団長は医師総監にかすかに頷いた。ドルッシラの気が済むまで付き合ってやれ、と言っているのだろう。
「他の死因としては、そうですね、アフリカ南部に伝わる未知の毒物や呪術、そういった恐れはあるかもしれない。アフリカヌス様はマリ王国などの南部諸勢力の宿敵でしたからね。しかし、よくお考えいただきたいのですがドルッシラ様。そんな未知の毒物や呪術でしか説明できないという時点でアフリカヌス様の死因はほぼ確定しているようなものですよ。聡明な貴方ならお分かりいただけるでしょう」
 ドルッシラは総監の言葉を聞いて黙っていたが、しばらくして、そうですね、と呟いて亡き夫の顔に視線を向けた。その眼差しに宿る感情は複雑だった。愛するものを失った悲嘆、自分を残して逝ってしまった者への恨み、これからどうしたものかという途方に暮れた感じ。俺は何か見てはいけないものを見た気がして、その姿から視線を逸らす。それから属州法務長官に声をかけた。
「すでに属州警察を使って一通りの調査を行っていますね。アフリカヌス様の死に何者かが関与している疑いはありますか」
「いや、調査の結果、特別に疑いのある人物は確認されなかった」法務長官は難しい顔で顎髭をひねる。「今この時期にアフリカヌス様を殺害する動機を持つ者も見当たらない、少なくともルームの中には」
「アプレイウス大尉、念のため調査を担当した警察官から報告を受けて問題がないかを確認しろ。だが、まあ、しかし」俺は力を込めて言う「アフリカヌス様の死は病死と結論付けていいでしょう。誰のせいでもなく伝染性の病が原因です。あるいはアフリカヌス様が有能だった故に冥府の神オルクスが早く手元に置きたがったためかもしれない」居並ぶ面々を見回す「異論がある方はいらっしゃいますか?」
 反論はなかった。
 俺は心からの安堵を覚える。これで俺の役目は終わりだ。軍議の夜のような綱渡りをする必要はない……。
 俺はこの結論をさらに強固にするために一つの提案をすることにした。
「第三軍団の軍医、アフリカヌス様の健康管理をしていた者の責任は大きいですね」
 彼らは何も言わない、驚いた様子もない。この場にいる高官たちは有能なものばかり、俺が何を言っているか一瞬で悟ったようだ。むしろ俺の提案を予期していたのかもしれない。
「先にも言ったように」副団長は静かに言う「アフリカヌス様は自身の病状を隠していた。良い患者ではなかったかもしれない」
 言葉だけで見れば軍医をかばっているようだが、その語調に熱心さはない。一種の義務として形式的に軍医を弁護しているだけなのは明らかだった。
「その点は確かに考慮に値しますが、それでも患者の不調を見抜くのが軍医の職責なのではないでしょうか。それこそアフリカヌス様が病気を隠すような方であることは、担当の軍医として把握しておくべきだ」
副団長はもったいぶって黙った後言う。
「貴官の言を認める。担当軍医を裁判にかける」
「それがよろしいかと」
 俺は頷いた。事情を配慮したとしても皇族の死の責任は重い、政治的生贄とも言い切れないだろう。
 これで万事うまくいったというべきか。
「アフリカヌス様のご遺体はどうなさるのでしょう」
 ドルッシラが訪ねてくる。
「おそらく、首都にお移りいただき公葬を行うことになるかと思います」
 俺が答えるとドルッシラの鋭い視線が刺さった。
「私の夫はアフリカの地を愛しておりました。この地で葬儀を執り行うわけにはいかないのですか」
「申し訳ありません。小官が先に述べたのはただの予測であります。実際の処置に関しては、宮廷長官をはじめとする皇帝府とご相談いただきたく」
 実際、俺の権限はアフリカヌスの死因に係る調査に限定されている。葬儀云々など管轄外だ。
 ドルッシラはしばらく黙っていたが、静かに呟いた。
「貴方は能吏かもしれませんが、私が好きになれない部類の人間です」
「……恐悦至極」
 俺は深々と頭を下げた。

 医官総監がアフリカヌスの腹を閉じ終えるのを見届けた俺たちは無言で遺体安置所の扉を開いた。その瞬間、大泣きに泣く二人の少年の嗚咽が耳を突く。
 カリグラとコルシュがかき抱き合って、お互いの肩に顎を置き大声で泣いている。
 眼前の光景に俺たちは唖然とした。
「カリグラ。何をしているのです!」
 我に返ったドルッシラが叱責の叫びをあげた。俺もおずおずとコルシュに声をかける。
「コ、コルシュ……何をやっている……」
 コルシュがこちらを向く。その顔は涙でぬれていた。
「ヒデノリ、カリグラが可哀そうだよ。お父さんが死んじゃったのに、泣いちゃダメって言われたんだよ」
 コルシュの声は枯れていたがいたって穏やかな語調だった。皇族という身分がかけ離れた相手と抱擁しあっていたという事実は彼の心を乱すものではないらしい。
 しかし、俺は違う。このような事態を前に平静ではいられない。そしておそらく彼女も。
 ドルッシラは悲鳴のような声を上げた。
「ルームの皇族は人前で泣くなど許されません」
「も、申し訳ありません、母上」
 カリグラは何度も腕で目をぬぐうが、涙は止まらなかった。
 コルシュがドルッシラとカリグラの間に立ちふさがった。俺は予想だにしていなかった展開に反応が遅れた。すぐコルシュを下がらせるべきだったが、俺が口を開く前にコルシュはドルッシラに語り掛けた。
「泣きたいときに泣かないのは不自然です。そんな態度を取るとむしろいつまでも気が晴れないと思います。ドルッシラ様もアフリカヌス様が亡くなられてから、一切涙を流していないとカリグラから聞きました。そんなのおかしいですよ。泣きたいなら泣いていいです。誰も責めません」
「こ、この……」
ドルッシラは眦を怒らし腕を振り上げた。
一瞬ドルッシラとコルシュの間に割って入ろうかと思ったが、やめておいた。敬意を払うべき相手が自分の意見を主張しているのだ、むやみに介入するべきではない。無論、俺が尊敬している相手はドルッシラではない。 
しかし、ドルッシラは手を振り下ろさなかった。
 その姿勢のまま、はらはらと涙を流した、くずおれる。彼女は地面に手をつき叫ぶ。
「サヴィア、なぜ私を置いて行った」
 カリグラの泣いている姿とコルシュの言葉が彼女の強固な鎧にひびを入れたのか。
 それを合図に左右からも嗚咽の声が聞こえてきた。驚いて視線をやると属州の面々が涙を流している。彼らは俺の視線などないかのようにこぶしを握り締め痛切に泣きぬれていた。
 俺は気まずさを感じ、他の人間を見た。ジャオジュンはいつも通りの鉄面皮を保っている。心の中で一つ舌打ちし、アプレイウスに視線を巡らせた。彼は酷薄な薄笑いを浮かべ、この光景を見ていた。その表情はジャオジュンの様子より俺に嫌悪感を抱かせた。
 俺はアプレイウスを鋭く睨みつけた。その視線に気づいて、彼はさっと薄笑いをひっこめたが、悪びれた様子はなかった。
 俺は一人頭上を仰いだ。最後に詰めを誤ったか? それともこれでいいのか。ルーム人の心の機微に精通している自信はない。何にせよ任務は終わったのだ、早く首都に帰りたい……。
 俺は彼らが落ち着くまで立ち尽くしていた。

── 第13章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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