第13番:同位体
空を汚染するそれは内部から徐々に躰を蝕んでいく。空の愛称を持つストロンチウムは月も星も無い闇夜の中、ただ孤独に崩壊を待っていた。
セレスタインと呼ばれるようになったきっかけは思い出せない。過去の記録に鉱石の名前や写真があった。そこにはストロンチウムの母胎となる鉱石の名前があったから、いつしかそう呼ばれるようになった。その名の本当の意味は一切知らない。空が何を指すのか、天青石の青とは何なのか、ストロンチウムも例外ではなく全く分からなかった。けれどその美しさだけは理解出来た。カルシウムは天青石は美しいが、それを形作るストロンチウムこそ美しいと言った。だから彼について行こうと思った。何よりも好きだった。
今はカルシウムを幻滅させてしまった。もう元には戻れないかもしれない。あいつのせいで──異種が来なければ、この世界は平和だったはずだ。何も知らなくとも良かった。愛称が無くともそれで良かった。異種と同じようになりたくないが、戦争でもなんでもしてやる気合いだった。けれどカルシウムは金の肩を持った。異種を受け入れると言った。
「ぼくの、カルクスなのに」
許せない、許せない、許せない、許せない。
すると檻の向こうから光が見えてきた。光はこちらに向かってゆっくり歩いてくる。金ではない、何だろう。そう思い、顔を上げた。
「水銀か?」
それは答えなかったが、光の奥で見える顔は酷く強ばっていた。この空間が恐ろしいのだろう。閉じ込められている自分よりも怖がるなら来なければ良かったのにとさえ思うが、金に言われたのだろうか。
「…………ここを出て、隠れたらいい」
暫しの沈黙の後、水銀はそう言った。何を言っているのかさっぱり解らなかった。
「は?」
「僕は、仲間を傷つけたくない。でも、ドクターが傷つけられたのは、僕も許せない」
「やればいい。きみが触れれば済む話じゃないか」
合金は水銀の特性だ。どんな金属であれ融合して体内に取り込んでしまう。そのせいで金も手が一部欠け、今は継ぎ接ぎになっている。欠けた本人は気にしていないようだが、水銀は気の毒だなと思う。この特性を使えば罰にもなるだろう。さっさとやればいい、そう思ったが水銀は首を横に振った。
「……違う。アマルガムは、完全に溶け込むわけではない。ただ合金するだけだ。他の金属が混ざりすぎれば、僕だって危ないんだ。だから、無闇には……」
ほかの金属の割合が増えれば、水銀が欠けたも同然ということか。水銀は既に何体も取り込んだことがあるだろう。それにそもそも本人にその気は無い。ならば彼は何が──
「僕はただ、皆と仲良くしたいんだ……だから、ドクターに謝って……」
「謝る? 確かにぼくは彼に酷いことをしたかもしれない。でも謝る義理はない。奴は敵だ」
「違う、記憶は無くても彼は彼自身だ。僕たち元素は同位体があるだろ……同じだよ、彼も彼らも」
性質の異なる同じ元素、同位体。水銀の同位体も他の元素の同位体も安定しているものもあれば不安定なものもある。危険なものもそうでないものも様々ある。しかしそれが異種と同じとはどういうことなのかストロンチウムには解らなかった。到底理解出来ない。異種は別物だから異種なのだ。同じならば同族ではないのか。
「訳が分からない……」
手枷が重く地面に浮く。力なく項垂れるストロンチウムに、水銀は言う。
「確かに本来の性質は皆違う。 ……でも、ニンゲンも同じだと思えばいい。 ……セリウムやランタンが言ってた、あれは色んな元素が集まって出来た物だって。勿論それだけでは無いかもしれない、けど、形だって」
「ならアイツらはぼくたちに何をした!?」
手を振り翳して怒りを露わにするストロンチウムに水銀は動じなかった。
過去の異種はアクチノイドを生み出し、自滅した。それ以前に、“海”も晶窟も穢した異種もいる。未だに氷となった残骸や結晶に侵食された異種はそこへ残ったままだ。だが彼らは既に罰を与えられている。自滅こそが答えだ。水銀はそう考えた。
怒りを持つのは正しいだろう。だが、未来を見るべきではないだろうか。過去ばかり見ては先へは進めないだろう。
僕も同じだ、嫌われたって影で皆の役に立てるなら良い。ストロンチウムを導けるのは僕だけだ、そう思った水銀は静かに呼吸を整えた。
「彼らは、自滅したんだ。前もその前も、弱いから……僕らよりも圧倒的に脆弱で、傲慢だった。でも、それがあるから今解ることもある。それが、歴史ってやつかもしれない。 ──僕は、彼らの罪は、もうとっくに罰を与えられ、浄化されたと思う。だから、」
ストロンチウムを説き伏せられるかもしれないと思った。だが、それは甘かった。
「今いる異種は、エリアMにいたのと違って拠点にいるんだ。ここで何かされたら……奴らと訳が違う!」
ストロンチウムはどうしても理解したくないのか、混乱しているだけなのか、導師を認めたくなかった。違う、違うんだと呟きながら頭を抱えたストロンチウムを見下ろしながら、水銀はどうすればいいのか考えていた。
水銀は隠し持っていた通信機器をぐっと握り締めた。通信相手の金はただじっと聞いていたが、不意に溜息が聞こえた。
ストロンチウムはそれが聞こえたようで、誰? と顔を上げた。
〈水銀。さっさと罰を与えてやれ〉
「でも」
〈私にしたようにすればいいだろう〉
ずきりと胸が痛んだ。
お前は人を傷つけるのが容易いだろう、そう言われているような気がした。やりたくてやったわけではない。だがそれは言い訳にはならない。分かっていた。だからこそ誰とも関わらないようにしていた。
金は分かっていない。金こそ、周りが見えていない。自分主義な最高指導者、白金がこの場にいればまた違っていただろうが、今は彼こそが水銀にとっての重たい足枷となっている。指導者などではない、ただの身勝手な科学者そのものだ。
〈やれ、水銀〉
「……オーラム」先生と呼んでいた水銀はこの時ばかりはその呼び名を拒んだ。「僕は彼を助けたい。でも、彼自身はそれを拒んでいる。だから、カルシウムに頼みたいと思う」
〈馬鹿なことを言うな。これは命令だ〉
「僕はあなたを指導者と認めない」
水銀は言い放った。目の前で苦しんでいたストロンチウムもその言葉には顔を上げた。
〈……そうか。分かった、ならばMへ行くか? ストロンチウムと共に〉
金の声は僅かに震えていた。今まで言うことを素直に聞いていた水銀に反発され、怒りが込み上げているのか、震えと共に怒気が込められている。水銀は分かっていた。それでも大事な仲間を助けたい、その一心だった。
「……ドクターは、無力で、今はただ、この世界を知りたがってるだけの……いわばナトリウムのような状態なんだ。 ──ストロンチウム、過去の奴らは複数人でやっとあんなことが出来た。でも、彼はたった一人だ。僕らと同位体の関係よりも遥かに劣る。それでも、憎い? 崩壊させたいと思う?」
水銀は諭すようにストロンチウムに言った。
ストロンチウムは項垂れた。そして小さく、わかった、と言った。
手枷を嵌めた両手を差し出し、「罰だけは受ける。ちゃんと」と目を瞑った。
やはりどうしても傷つけなければならないのか、と水銀は深く溜息をついた。
ストロンチウムは覚悟していた。どうせ治すことは出来る。ならば金のように継ぎ接ぎにして目に見える形で残しておかなければいけない。カルシウムだってそうしている。
「やれ、やってくれ」
「…………分かった」
仕方が無いか、と決意した水銀は震える手を、ストロンチウムの指にそっと触れた。
*
セリウムは銀河棲生物からあらゆるデータをとった後、しつこくせがんできたナトリウムにウラノピスキスを渡した。
渡して貰ったナトリウムはアルカリ調査部隊の皆と広間で輪になって話していた。大きなウラノピスキスをぎゅっ、と抱きかかえたまま他のメンバーの顔色を伺う。
セシウムやカリウムは興味深そうに顔を近付けて見ているが、ルビジウムはリチウムに抱き着いて離れそうにない。かなり怯えている様子に、ナトリウムは理解出来なかった。
「ねーぇ、このこもおなまえつけよー」
首付近を締め付けられ苦しがるウラノピスキスを見ながら、抱きかかえている張本人であるナトリウムはそんなことを言った。リチウムに窘められ、持ち方を変える。
「なまえかぁ、なまえってなんだっけ?」とカリウムは首を傾げた。
それにセシウムは溜息をついて答えた。
「たとえばアナタならカリウム、たとえばボクならセシウム。それが名前です」
「そっか!」
「このこ、おなまえあるの?」とリチウムの後ろに隠れながらルビジウムは恐る恐る聞くが、ナトリウムは「しらなーい」と一蹴した。
「名前かぁ、なんか似たような名前がいいよね。ロジウム! みたいな」
「もっとかっけーなまえつけてやろーぜ!」
「んー、ナトチウム!」
「それはにすぎですよナトリウム」
「えー」
「じゃあ、他にいなさそうな名前……ユグニウム、とか?」
リチウムの提案に一同がうーんと唸る。
「ゆぐ、なんかかわいーね」とナトリウムは顔を見合せた。
「なにかいみがあるんですか?」とセシウムは聞くと、リチウムはうーんと唸ると、「確か“結合”って意味がある言葉があって、語感でつけてみたんだ」と答えた。
「結合……結合、ですか」
ユグニウムと命名されたウラノピスキスはナトリウムや他のメンバーを見回すと嬉しそうに笑った。
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