第14話 彗星の封印
廃校を改装した集落活動センター。
その校庭で行われている宴の盛り上がりは、止まることを知らない。
そこに、上機嫌な声が轟いた。
「やあ!みんなやってるかね!」
その場の空気が、急に引き締まる。
全員が、にこやかに笑う一人の老人に目が向いた。
幸弘は駆け寄ると、一礼をして、席に案内する。
「久保崎さん、お忙しいのに、ありがとうございます」
穏やかな口調で返す久保崎。
「いやいや、田澤くんのうまい料理がただで食べられるんなら来るよ」
「とは言え、バーベキューですから」
「ははっ、細かいことは、気にするな」
久保崎はそう言って朗らかに笑い、そのまま席に腰を下ろした。
すると、すでにこの輪の中にいたかのような自然さで、その場の空気に溶け込んでいく。
久保崎の名前が出た瞬間、学生たちの間に小さなどよめきが走った。
最初に反応したのは峯岸だった。
「久保崎慎二監督って言ったら」
宮坂が目を丸くする。
「ロワイヤルクラスで、国際映画賞を獲得したあの?」
聡志は久保崎と幸弘を、交互に見て不思議そうに呟いた。
「なんでそんな人がここに?」
久保崎は、学生たちをぐるりと見回した。
「君たちが、六星大学演劇サークル、プラネットランドの諸君かい?」
「久保崎慎二です、よろしくね」
突然の挨拶に皆、おもむろに立ち上がり、慌てて背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします!」
久保崎はくすりと笑う。
「若いっていいねえ、元気が漲っている」
「あ、君と君、いい芝居だったよ」
「動画で見させてもらった」
聡志と峯岸はいきなり声をかけられて、一瞬きょとんとするが、それから慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます! 恐縮いたします! おれ、いや、僕、ロワイヤルクラス何度も見ました!」
横で杏奈が、ぽつりと小さく呟いた。
「……凄い、聡志くんが、礼儀正しい」
峯岸もすぐに、深々とお辞儀をする。
「私も!本当にお目にかかれて光栄です!」
久保崎は楽しそうに頷きながら、さらに周りへ目を向ける。
「衣装もいいね」
「小道具も舞台装置も、よく出来てる」
思いがけない言葉に、ユズとミナが顔を見合わせる。
宮坂も、思わず眼鏡を押し上げた。
胸の奥が一瞬熱くなるのを感じた三人。
世界的な映画監督が、自分たちの仕事を見てくれていた、その事実だけで胸が詰まる。
久保崎は少しだけ間を置いて、ゆっくりと続けた。
「そして、あの台本」
「素晴らしい世界観だった」
「私のような古い人間には、到底思いつかないよ」
その言葉に、視線が自然と杏奈へ集まった。
すると、幸弘が少し照れくさそうに肩をすくめる。
「あれは、何を隠そう私の自慢の娘の、渾身の一作なんですよ」
「田澤……杏奈です」
久保崎は穏やかに頷いた。
「そうか、田澤くんの……血は争えないねえ」
久保崎は、ふっと懐かしそうな顔になった。
「実は、田澤くんをなんとしても澄水座の劇作家に招き入れたかったんだ」
「君に触発されたおかげで、彼もまた筆を取ってくれたよ」
「本当に、お誘いいただいてありがたかったですよ」
由美加が現れて、グラスに入ったワインを久保崎に差し出した。
「いつもの、お気に入りのワインです」
「お、ありがとう、おかみさん」
「ちゃんと用意して頂いて」
幸弘の隣に、腰を下ろす由美加。
「上の子が進学して、心境の変化があったのか」
「最近いろいろ書き始めたみたいで」
「投稿交流アプリのノー……」
慌てて幸弘が遮る。
「……それは、やめましょう!奥様」
由美加が白い歯を見せると、杏奈が両親を不思議そうに見比べた。
久保崎は、グラスのワインを一口含み、ゆっくりと味わいながら、口を開く。
「私はこの久羽乃の生まれでね」
「七十になった時だから……六年前か」
「もう仕事もリタイアして、こっちに帰って来たんだ」
少し肩をすくめる。
「そしたら町長に捕まってさ」
「住民有志による町おこしの為の、劇団を作って欲しいとね」
久保崎は、遠くを見るような目になる。
「ゆっくり余生を楽しむ、はずだったんだけど」
「まあ、ずっと離れていた故郷の為だからね」
夜風がふわりと流れる中、学生たちは、その話の続きを待つように、静かに久保崎を見ている。
「そしたら、一年後に高梨君がやって来た」
「研究生とは言え、本物の中に身を置いていた彼のおかげで、この劇団も軌道に乗ったというわけさ」
そして久保崎は、少しだけ顔をしかめた。
「ただ、台本がね」
「こればかりは、私にも限界がある」
「そんな時、いずみ亭に女房と食事に行った時に再会したんだ」
杏奈が小さく首を傾げる。
「再会?」
久保崎の表情が、すっと真顔になる。
「二十数年前……」
「強烈な作品を生み出し、自分で封印した男とね」
杏奈の目がわずかに揺れる。
「封印……ですか?」
「……あっ、ごめん田澤くん、娘さんには、まずかったかな?」
久保崎の視線が、ゆっくりと幸弘へ向いた。
「いやいや、もうずいぶん昔のことですから」
「今となっては、若気の至り以外何物でもない」
照れくさそうに鼻を鳴らして、頭をかく幸弘。
久保崎は念を押すように言う。
「いいのかね?」
「隠すことでは無いですし、妻にも話してますから」
その言葉に、聡志が周囲を見回しながら、おそるおそる口を開く。
「あの、俺たちは?席外した方がいいっすよね」
幸弘は首を横に振る。
「大丈夫だよ、もう遠い昔話なんだ」
「ただまあ……君にはちょっと、複雑な話になるかもしれない」
「……え?」
すると、お互いの顔を見合わせた他のメンバーが、すっと立ち上がる。
峯岸が
「ずっと食べてばっかりやし、ちょっと焼くの手伝うてくるわ」
宮坂とミナが
「ゆうま、ウチらも行こうか」
「焼いてもらって、ばっかりだし、交代してこようよ」
「そうだね、もうお腹もいっぱいだし」
ユズが雄吾の手を引いて
「雄吾さん、ウチもっと、とうもろこし食べたいです」
「美味しい焼き方教えてください」
「わかったよ、たくさんあるから、ガンガン焼こう」
それぞれが、焼き台に向かって行った。
「え……?じゃあ俺も行くよ」
慌てる聡志を、幸弘が制した。
「君には、話しておきたい、すまんがいてくれないか?」
聡志が幸弘の隣にいる由美加を見ると、穏やかな表情で頷く。
「一九九九年、脚本家を志望していた私は、一つの物語を生み出したんだ」
「タイトルは――『彗星群』」
杏奈は、ハッとして顔を上げた。
入学式の夜に衝撃を受けた物語、自分を演劇の作家へ導いた作品の名前が、生みの親である父の口から発せられる。
「本業の傍ら、寝る間を惜しんで作り上げた脚本は……私の希望の星、のはずだった」
幸弘は遠い目をしながら、夜空を眺めた。
久保崎が、少し懐かしそうに頷く。
「そして、その全日本映画協会脚本賞の審査員を務めたのが私だ」
聡志と杏奈の視線が、久保崎を向いた。
久保崎はグラスを振り、波打つワインを眺めながら続ける。
「一次審査の時、同じ久羽乃にルーツを持つ人だと知ってね」
「中身を見ると驚いたよ」
「情景描写、感触や香り、演者の体温や呼吸まで……」
「短いト書きと、セリフのみで、世界を構築していた」
杏奈と聡志は、思わず顔を見合わせる。
「満場一致で、千二百三十六作品の中から、三十作に最初に通過したよ」
久保崎は、ゆっくりと幸弘を見た。
その視線に、幸弘は少し照れたように笑う。
「あれは、嬉しかったですよ」
久保崎は、ひとつひとつ思い出すように、ゆっくりと言葉を継いだ。
「そして、その三十作品の審査結果が出るまでには、一年の時間を要した」
「配給会社、後援企業、各芸能事務所や劇団との出演交渉」
「水面下で動くことが山ほどあるからね」
久保崎の話に、杏奈と聡志は身動き一つせずに聞き入っていると、健作が肩を振りながら現れる。
「ふーっ!焼いた焼いた!」
「ゆき兄、何の話をしよるんじゃ?」
「……あの話よ」
由美加が言うと、健作がまたニヤリと笑う。
「あれか……わし、小学生やったのになあ、こっちに帰って来るたびデレデレして話されたわ」
また慌てる幸弘。
「健作くん?妻の前でやめてくれるかな?」
今度は由美加が、スマホを取り出して呟く。
「……ううん、愛してもらいんさい」
「ゆみかんさん?なんねそれ」
「健ちゃん、あとで教えてあげるけえ」
「平成トレンディ……」
「……二人とも、もうええけえ!」
すると、久保崎が一つ咳払いをした。
「……続きを、話して良いかい?」
「もちろんです、お願いします」
健作はバツが悪そうに肩をすくめ、由美加は苦笑して舌を出す。
久保崎はまた、ぽつりぽつりと話を続ける。
「最後の三作品に選ばれた時、私は直接田澤君に連絡したんだ」
「そしたら、なんと彼は辞退を申し出てきたんだよ」
杏奈が思わず声を上げる。
「辞退? なんで?」
幸弘は少し困ったように笑って、肩をすくめた。
「じいちゃんが悪うなって、調理師の勉強を始めたばかりじゃってな」
「もう、その道に進むことを諦めたんじゃ」
久保崎は首を横に振る。
「そう言われた私は、納得がいかなくてね」
「だってそうだろう?」
「西暦二千年、今ほどじゃないがインターネットも普及し始めていた」
「文筆業なら電子メールでやり取りもできる」
「何より、映画化を断る理由がどこにある?」
「この一作だけでも、世に出すことはできたんだよ?」
また、杏奈と聡志は顔を見合わせた。
久保崎は、またワインに口をつけて、グラスをテーブルに置く。
「彼に直接、会いに行ったんだ」
回想 西暦2001年
まだ若かった幸弘は、固い表情のまま久保崎に向かい合っていた。
机の上には、応募作の複写と、冷めかけたコーヒーが置かれている。
久保崎は、静かな怒気を押し殺すように口を開いた。
「辞退とはどういうことだね?」
幸弘はまっすぐには視線を合わせられず、少しだけ目を伏せていた。
「君の『彗星群』は、映画になる」
「私がメガホンを取って、あの世界を創りたいんだ!」
熱のこもった声だった。一人の表現者として、その脚本に心を揺さぶられたのだと分かる声だった。
それでも幸弘は、ゆっくりと首を横に振る。
「申し訳ありません」
「今の私には、あの作品は呪いになってしまいました」
「映画となって後世に残ることは、今の私には、本意ではありません」
「呪い、だと?」
久保崎の声が低くなる。
幸弘は一度だけ深く息を吸った。
「あの物語の言葉は、ただのセリフではありません」
「私が、もっとも伝えたい相手に伝えたい言葉を紡いだものです」
そこまで言って、少しだけ苦く笑う。
「しかし、その言葉が、私のエゴであり、重荷でしかなかった」
久保崎はしばらく黙っていたが、やがて探るように問うた。
「恋人かい?」
「はい」
「帰郷することで、私から身を引いた相手です」「ただ、向こうも憎からず思ってくれていたらしく」
久保崎は、椅子の背にもたれながら、吐き捨てるように言った。
「何を青臭いことを」
「君はまだ若いんだ、そんなことの繰り返しが人生なんだよ」
その言葉は突き放しているようでいて、年長者なりの励ましでもあった。
だが、幸弘には届かない。
「理解はしているつもりです」
「しかし、映画となって後世に残ることが、彼女と、私の一生の後悔が消えないことになります」
久保崎は身を乗り出した。
「そんなことはない!いつか思い出が昇華して、懐かしく暖かいものに変わる時が来る!」
「……未来を見るんだよ」
その言葉に、幸弘はかすかに目を伏せた。
「おっしゃることは分かります」
「それでも……今の私は、その未来を恐怖でしか見られないんです」
その一言で、部屋の空気が変わった。
久保崎はしばらく幸弘を見つめていた。
若さゆえの激情ではない。
本気でこの脚本を世に出したくないと思っている。
そのことだけは伝わった、だからこそ、なおさら腹が立つ。
「わかった。君の考えはわかった」
「残念だよ」
「辞退の理由が、そんな身勝手なくだらんものだったなんて!」
「申し訳ありません」
幸弘は頭を下げた。
謝罪の言葉は口にしても、意思を曲げるつもりはないらしい。
その態度が、久保崎を苛立たせる。
「しかし、映画は作らせてもらうよ!」
「待って下さい」
「応募要項にあったはずだ」
「投稿した時点で、著作権は主催者に委譲されると」
ぎゅっと唇を噛む幸弘。
最後に、久保崎は少し哀れみを込めたような目で、締めた。
「つまらん意地を張るな……」
現在の夜の校庭に戻る。
久保崎は、少し苦い顔で続けた。
「その後、彼はその応募要項を逆手に取ったんだ」
「応募作品は未発表のものに限る、という条文をね……」
続きは幸弘が、淡々と引き受ける。
「私は、当時流行していたインターネットの無料掲示板を開設して、そこに『彗星群』の全文を掲載したんだ」
「未発表作品ではなくするためだけに」
健作が腕組みをして、ため息をついた。
「何べん聞いても……惜しいことしたのう」
「……あの時は、何より正しい選択じゃ、思うとったんよ」
久保崎は、遠い日を思い出すように目を細めた。
「あの時の君の電話の声、忘れられないよ」
「裁判でも、なんでもします、と」
「それから彼とはそれっきりだったが、ご縁というのはあるね」
幸弘も、どこか苦笑するように頷いた。
「そうですね。さらに強烈なご縁もありますが」
その言い方に、杏奈がわずかに眉を寄せる。
聡志も、何かを察したように幸弘を見る。
幸弘は、ゆっくりと聡志へ視線を向けた。
「その女性の名は、多辺志織さん」
一瞬、聡志の表情が止まる。
幸弘は、はっきりと言った。
「君の、お母さんだ」
杏奈の全身から、すっと血の気が引いていった。
(ほうじゃったの?)
『志織おかあさんて、呼んでね』
(じゃから、あんなこと言うたの?)
『志織、おかあさん』
(じゃから、あんなに泣きそうじゃったの……!)
そこまで繋がった瞬間、胸の奥で何かがひっくり返った。
けれど、その次に浮かんだのは、別の顔。
杏奈は反射的に由美加を見た。
母は、何も言わずそこにいる。
その姿を見た瞬間、杏奈の中に、こらえきれない感情があふれ出した。
「勝手すぎます、聡志くんのお母さん」
聡志が、驚いた顔を向けた。
「杏奈?」
間髪入れず幸弘が口を挟む。
「いやちょっと、呼び捨ては……」
「すいません、杏奈ちゃん?」
それでも杏奈は止まれなかった。
「昔、好きだった人の娘に、おかあさんて呼ばせるなんて!」
幸弘が目を見開く。
「杏奈? 多辺さんに会うたんか?」
「うちのお母さんは、お母さんだけじゃ!」
「うちのお母さんは、田澤由美加だけじゃ!」
「志織さんは、自分勝手すぎじゃ!」
言い切ると同時に、杏奈はその場を駆け出した。
幸弘は、駆け出していった杏奈の背を見送ったまま、しばらく動かなかった。
やがて、隣にいる由美加へ目を向ける。
由美加は何も言わず、ただゆっくりと頷いた。
健作は、頭の後ろで手を組んで、軽く視線を落とす。
幸弘は深いため息をつき、妙に居住まいを正した。
聡志に向かって、国会指名のような口調で言った。
「多辺聡志くん」
「は、はい!」
「追いかけて」
「君に任す」
聡志は目を瞬かせた。
「で、でも」
「杏奈は、メッセージでも電話でも、サークルのことはまず君から入る」
「まるで今日の聡志くん情報だ」
聡志の耳が少し赤くなる。
「だから、娘を頼む……今日だけな」
聡志は、意を決して力強く答えた。
「分かりました!」
勢いよく立ち上がった、瞬間。
「待ちたまえ!」
幸弘の鋭い声に、聡志がびくっと止まる。
「な、なんでしょう?」
「ハグまでは許す」
「しかし、ちゅーしたら」
「ぶち……しばき回したるけえの」
聡志の喉がごくりと鳴ると、久保崎が思わず吹き出す。
「今の時代はパワハラだよ、それ」
けれど、すぐに目を細めた。
「でも――若いって、いいねえ」
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。