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Win〜彗星は南から

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117,786 字

地方競馬ファンタジー家族ドラマ

"南国の風が運ぶ、魂の継承と家族の絆。彗星は、希望を乗せて南から来る。"

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第14話 竹裕

 その日の信吾は、朝からとにかく上機嫌だった。

「ああ!空は青い!山は緑に萌えて、空気はうまい!生きちゅうって、素晴らしい〜!」

 鼻歌を歌いながら、厩舎内の作業をテキパキとこなす。

(……うまく、行ったようだな、若者よ)

 半ば呆れながら、ヘールボップ、すなわち万次郎が信吾を眺めている。

「……今日、帰って来るって言うし、昼前から迎えに行って、その足で面接に連れて行って……」

 締まりのない顔で、ヘールボップの飼い葉桶を取り換える。

「……ほんで、ほんで、そっから……」
「……海ぼうず♡」

(それは、まだ早い) 

 飼い葉桶に置いた信吾の手に、軽く噛み付くヘールボップ。
 肩が跳ね上がった。

「あいた!……ボップ〜」

 視線の先には、じっとこちらを見つめる競走馬のつぶらな瞳があった。
 バツが悪そうに、掌を撫でながら、視線を外す信吾。

「ごめん、早う食いたいよねぁ」

(若者よ、物事には筋と順序があってだな)

「……それに」

 また、白い歯を見せてニカっと笑う。

「さすがに……まだ早いか!あは、あはは」

(いかん、今は無敵やねゃあ)

 そこに、洋平が姿を現した。

「信吾、広美ちゃん、飛行機何時や?」

「二番の便やき、十一時半ですね」

 洋平が腕時計に目をやり、さらにもう一度信吾に視線を移す。

「困ったねゃあ、同じ便か……」

「誰とです?」

 信吾が不安そうに問うと、洋平が顔を曇らせた。

「ボップの、北林オーナーや、ペガサスカップに合わせて高知入りするらしい」
「ほんで、ボップの様子を見たいそうで」
「その、足が……ねゃ」

 信吾は、顔をしかめて肩を落とした。
 広美と合流して、その後の予定がすべて崩れ落ちてしまったからだ。

「すまん、こればっかりは頼む」
「空港で顔が見れるやろ?広美ちゃんの市内までのタクシー代は、俺が立て替えるき」

 洋平が両手を合わせて頭を下げると、信吾も納得せざるを得なかった。
 そこに仁美が通りかかる。

「信吾さん、そんな大事なこと、ちゃんとやらんといかんです」
「むしろ公私の区別、お姉ちゃんうるさいですよ」

「……わかりました」

 さっきまでの機嫌の良さが、音が聞こえそうなほど萎んで行く。

(仁美、洋平、お前らは、知っちょったがか)

 飼い葉桶の中の林檎を齧りながら、落胆する信吾をじっと見つめた。

(若者よ、せいぜい尻に敷かれるがいい)

 臼歯ですり潰した林檎と、人参をゆっくりと飲み込む。

(……広美を、選んでくれてありがとうねゃあ)
(……信吾)
(わしにも、息子が出来たわけか)

 深層心理では、コメットハンターがそんな様子をじっと眺めていた。
 明美の声が届く。

(息子って……ちょっと気が早うない?)

「明美さんは、気に入らないんですか?」

(これ以上ない相手やね)

「だったらいいじゃないですか」

 今度は、色鮮やかに甦った息子の記憶の数々を見上げた。

「そろそろ、良いんじゃないですか?」
「明美さんが直接接触しても、万次郎さんと」

(……それは、もうちょっと待とうか)

 羽田空港では、搭乗ロビーで座る広美が、信吾からのメッセージを確認している。

【……と、いう事で、ゴメン】
【埋め合わせはするき、本当にゴメン】

 文面だけでも、信吾の必死さが伝わり、ただただ表情がにやけてしまう。

「もうずっとそっちで、暮らすがやに」
「これ、既読スルーしたら、焦るろうね」

 その時、広美に声がかかる。

「……あの、あなたもしかして」

 振り返ると、そこにいた人物に、息が詰まりそうになるほど驚いた。

「沖浜……広美さん?万次郎騎手の娘さんの」

「……た、竹……裕さん?」

 思わず、目を見開いて立ち上がった。

「……は、はい!沖浜、広美です!」

「やっぱり!いや〜立派になったね、明美さんにそっくりだ」

 すると、仕立ての良いスーツに身を纏った紳士が竹に声をかける。

「竹さん、そちらの方、お知り合いですか?」

「知り合いも何も、同期の沖浜万次郎君の娘さんですよ」
「広美ちゃん、こちら、ヘールボップの北林オーナーだよ」
「ペガサスカップに向けて、一緒に高知入りすることにしたんだ」

 広美がまたしても、胸を弾ませる。
 深々と頭を下げた。

「……ご挨拶が遅くなりました!沖浜広美です」

 北林は、にこやかに手を上げて広美を落ち着かせる。

「あなたが、武政さんから話は聞いてますよ」
「例の件、ナインには復職しなかったんですか?」

 竹が眉間に皺を寄せるのがわかった。
 しかし、広美はまた、慌てて言葉を返す。

「打診は来ましたが、良い機会だから帰郷することにしました」
「父の看病もしたかったので」

 竹が、瞳を曇らせて切り出す。

「まんじくん……まだ?」

「はい、目が覚めません」

 北林が、視線を落としてため息をついた。

「コメットハンター以来、亡き親父はあなたのお父様に全幅の信頼を寄せていました」
「それで私も、ヘールボップをお願いしたんですが……」

 北林は顔を上げて広美に視線を合わせた。

「武政さんも、仁美騎手も、ヘールボップを立派に立ち直らせてくれました」
「お父様は、競走馬だけじゃない」
「人も立派に育てられていますよ」

 父への賞賛を聞いて、誇らしい気持ちになる自分。
 ほんの少し前までは、考えられなかった。
 藤村が、北林が、
 そして、日本中、誰も知らない者はいないであろう、竹裕が。
 そんな、自分の人生で関わりのなかった人々の人生に、父が影響を与えている。
 その事実が、広美の傷ついた心を包み込んで行くのだった。

 高知空港到着ロビーでは、信吾が立つ。
 北林の写真を片手に、到着客たちの顔と見合わせていた。
 すると、一瞬その場が沸く。

「……うそ、やろ?」

 竹裕、そして広美。
 そこに写真と同じ顔、北林の姿があった。

「……竹、裕、騎手」
「なんで?調整ルーム入りは明日やないがか?」 

 しかし、我に帰って、慌てて北林に駆け寄る。

「お疲れ様です!武政厩舎の厩務員、松崎信吾です!オーナーのお迎えにまいりました!」

「ありがとうございます」
「松崎さん、元気が良くて気持ちがいいねえ」

 北林から荷物を預かると、今度は竹が信吾に声をかけた。

「じゃあ、あなたがヘールボップの世話を?」

「へ……へい、やのうて……はぃい!」
「お、沖浜騎手と一緒に、お世話、して……させてもろうて、頂いてます」

 竹の肩越しに見える広美と目が合った。
 広美は、意地の悪そうな顔で笑っている。
 やがて、手を振ってタクシー乗り場へ歩いて行った。

「それでは、オーナー」
「車まで、ご案内します」

 信吾が駐車場に促すと、北林が竹を見た。

「竹さんもどうです?かつての相棒との再会ですよ」

「ご一緒しても、良いですか?」

「是非」

 信吾の緊張はピークに達した。
 空港からの道中、彼の握るハンドルは、いつもの何倍も、手汗で湿り切っていたのだった。

 トレーニングセンターの駐車場。
 そこには、洋平と仁美の姿があった。
 信吾の運転する車が到着すると、後部座席が開き、二人が固まる。

「お久しぶりです、武政君、開業のお祝いもできず、申し訳なかったね」

 竹が洋平に近寄り手を差し出す。

「ご無沙汰してます、明日来られるとばかり思ってました」

 洋平はその手を握り返した。
 続いて北林も洋平と握手を交わす。
 竹が今度は仁美に向き直った。

「前に会ったのは、赤ちゃんの時だったのに……」
「広美ちゃんも君も、ずいぶん立派になって……僕も歳を取るわけだ」

 仁美は、胸の高鳴りを抑えることができない。
 騎手を志してから、常に目標として、憧れ続ける存在が、目の前にいて、自分に声をかけてくれている。
 仁美は、言葉を返そうとしても何も思い浮かばない。
 直立して頭を下げるだけだった。

「どうしたの?いつものレースの時はもっと、堂々としてるじゃない?」
「潮嵐賞、いい乗り方してたよ」
「彼の持ち味を、しっかり出せていた」

 差し出した手を、両手で握り返すと、やっとか細く返答した。

「ぁ……ぁりがとぉござぃます」

 顔が紅潮して、上げられない。
 竹も北林も、仁美の様子に目を細めて笑っていた。

 トレーニングセンターの通りを歩く、さすがに現場では、竹の姿は目を引く。
 顔見知りの調教師やベテラン騎手と、短い言葉を交わしながら進むと、竹が足を止めた。
 視線の先は、プレハブの喫煙ルーム。

「まだ、やめられないのかい?」

 中にいたのは、瀧越だった、不機嫌に振り返ると、息が止まるように驚き、慌てて電子タバコの本体から引き抜き、灰皿に放り投げた。

「あはは、調整ルーム入りは明日ですよね?」
「今日は?どのようなご用事で?」

「せっかく高知に来るから、親友のお見舞いにね」

 はっ、とした顔をする瀧越が、喫煙ルームから飛び出して、竹の前に立ち、一礼する。

「師匠にお気遣い、ありがとうございます」

「君も、ますます腕に磨きがかかってるね」
「中央勢、去年は君にやられたけど、今年はそうはいかないからね」

「……受けて立ちます、とまあ、今は言わいてください」
「レースまでは、チャンピオンなんで」

 鼻を鳴らして、肩に手を置く竹。

「楽しみにしてるよ」
「また、中央のレースにもおいでよ」

 やがて一行は、厩舎にたどり着いた。
 竹が、ヘールボップの前に立ち、笑顔を向ける。

(……裕さん)

(裕……)

 ヘールボップと万次郎。
 両者それぞれが、声を漏らした。
 竹の手が、ヘールボップの鼻面を優しく撫でる。

「元気そうだ……肉付きも良いね」
「太ももも、張ってるね」

 北林もため息を漏らした。

「武政先生、良い仕上がりじゃないですか」
「これならペガサスカップも、楽しみだ」

 すると、竹が苦笑した。

「オーナー、一応ライバルの騎手がいるんですから」

(……そうなんだよね、裕さんは、テンペルタットルと……)

 今度は、仁美に視線を向けた。

「……まんじくんと僕は、ある約束をしてたんだ」

「……約束、ですか?」

 笑顔が消えて真顔になる竹。

「16年前、彼と僕は激しいリーディング争いをしていてね」
「奢りで、ゴルフ」
「他愛もない約束だよ、だけど、あの年の年末……彼は、あの事故で、もうターフには帰って来れなくなった」

「そう……だったんですね」

 今度は、仁美に近づき、視線を合わせる。

「宙ぶらりんになったけど、潮嵐賞を見て思った」
「君の乗り方は、彼にそっくりだ」
「だから、勝手なんだけど、約束の決着をつけさせてもらうよ」

 今度はヘールボップを見据えた。

「君と、ヘールボップと」

(裕さん、僕は、負けないよ!)

(……)

 闘志を燃やすヘールボップとは対照的に、万次郎は言葉が出せない。
 何かを思い詰めた様子だ。
 仁美はというと。
 その目に決意が籠った。
 竹をその力の宿る目で見返す。

「……わかりました、ベストを尽くします」

 万次郎の病室には、広美がいた。
 目覚めない万次郎の、酸素マスクの内側が、曇っては消えるのを眺めていると、扉がノックされる。
 現れたのは竹だった、慌てて立ちあがろうとするが、それを制す。

「……まんじくん」

 静かに手を取ると、その温もりに安堵して広美に視線を戻す。

「仕事の面接だったんだってね、どうだった?」

「はい、地元のタウン誌で、履歴書を送った時点で決めて頂いていたそうです」
「ナインで記事も書いてたし、丁度ペガサスカップの特集を組んでたらしくて」
「早速仕事をさせてもらってきました」

「それは良かった、なんだったら、あとでインタビュー受けるよ」

 広美の顔色が変わり、二の句が出ない。

「……不足かな?」 

 思い切り首を振る。

「とんでもない!本当に良いんですか?」

「大丈夫だよ、僕、喋るの好きだから」

「本当に……恐縮です」

 竹が、万次郎の傍に腰を下ろした。

「ナインでは、大変だったみたいだね」

「はい、でも、疑いも晴れたし、こうやって、父の側に居られるようになったので」
「逆に良かったです」

「彼は、栗東でも一番の家庭人だったね」
「調整ルームで、明美さんと君と、仁美ちゃんの写真を眺めてはため息ついていたよ」
「電話一本できなかったからね」

 広美が吹き出す。

「覚えてます、友達はみんな、土日は家族と出かけるのに、なんでうちは父親がいないんだろうって」

 竹は返事をせずに、頷いた。
 はっと、我に返った広美が顔を上げる。

「竹さん、先ほどのインタビューの件、編集長に報告してきます」
「ついでに飲み物買ってきますね」
「コーヒーで良かったですか?」

 気にしないで、という竹の言葉が届いたのかわからないほど、慌てて広美が退室した。
 残された、竹が、万次郎に語りかける。

「良い子たちに育ったね」

 また、動かない手を取った。

「……君は、どれほど苦労しなきゃいけないんだい?」
「足が動かなくなって、明美さんを失って、今度は、子供たちの活躍が見られない」
「……僕だったら、耐えられないよ」

 その目は赤く充血していた。
 万次郎の手をそっと置く。

「……でも、勝負となると別だ」
「今日、仁美ちゃんと話してきたよ」
「ペガサスカップで、あの時の約束を果たさせてもらうと……」

 椅子に腰掛けたまま、背筋を伸ばした。

「ヘールボップも……」
「……仁美ちゃんも」

 窓の外は日が落ちて、満月が顔を覗かせていた。

「……叩き潰すからね」

 そして、馬房でくつろぐヘールボップ。
 その中で万次郎は、コメットハンターに声をかけていた。

(……ハンター、わしの言いたいこと、わかるか?)

(ええ、わかりますとも)

(あいつが、あの約束にあんなにこだわっちょったとはねゃ)

(お付き合いしますよ)

(すまん仁美、ペガサスカップは……)

(わしが乗る!)

── 第15章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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