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新皇帝陛下の蛮族平定の御親征において第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが合流予定時刻を過ぎ未着の議

お話を聞かせて

177,721 字

古代ローマ風政治軍記、権謀術数渦巻く帝国年代記

"小人はただ、生き延びたい。帝国の巨大な歯車の中で、己が魂を賭けて。"

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第七話 鎌首を擡げるアンフィスバエナ 一

 俺たち調査団はアフリカ属州庁舎の一室を貸与された。貴人を遇する部屋ではないが事務処理にあたって必要なものは整っている。奥の椅子に座りながら机に組んだ手を置き、俺は立ち並んだ部下たちに告げた。
「先にも説明した通り、本再調査はアフリカヌス様の死因が病死ではなく殺害であるという前提のもとに行う。もっとも、殺害方法に関しては調査しても容易には分からぬだろう。よって方法に先行して動機を持つもの、もしくは機会があった者をまずは選定してほしい」
 そこまで言って俺はアプレイウスを見る。彼は冷静そのもの見えた。
「無論、私はこの手の調査に関する専門家ではない、私が示すのは指針のみだ。実際の指揮は警察局のアプレイウス大尉に一任する」
「はっ、お任せください」
 アプレイウスの態度は優秀な職能人が持つ静かな自信が漲っているようだった、それにどこか嬉しそうに見える。先日の調査の際に彼は自身の有能さを誇示する場面に恵まれなかった、再び機会を得たことを彼は喜んでいるのかもしれない。
「それと重々承知してほしいのだが」俺はアプレイウスや彼が連れてきた警察官を見回した「本調査は参謀本部クラウディウス総長の命令により行われる。ドルッシラ様をはじめ属州副総督に一方的に命令を下させる法的根拠はない。また、各軍団長にも十分に敬意を払い禍根が生じないように取り計らえ、以上だ」
 今回の調査は、実際は皇帝の直接の依頼ではあったが、形式としては参謀本部の命令となっている。皇帝の命令となれば内外に動揺を生むのは明らか、痛くない腹を探られてもつまらぬ。もっとも本当の皇帝の腹を探って何も出てこないかは知れたものではないが。
 アプレイウスは部下に下知して、室外に追い出した、自分は室内に残る。部屋には俺とアプレイウス、ジャオジュン、コルシュだけとなった。
「中佐、繰り返しになりますが、すでに犯人が用意されている……というわけではないですね」
 アプレイウスは道中で聞いてきたことを再確認した。結構なことだ、これぐらいの慎重さはむしろ望ましい。
「繰り返しになるが、少なくとも俺はそう聞いている。意味は分かるな?」
 アプレイウスは俺の瞳ののぞき込む、自分を騙そうとしているのではないか、それを確かめようというのか。
 安心しろよ、アプレイウス。もし立場を分けるなら俺は騙す側じゃなくて騙される側だ。まあ、なんの気休めにもならないだろうが。
「中佐はどうされるのですか」
「貴官の報告を待つ。素人が現場に出張ってもいいことはない。ただしあらゆる判断は俺が行う、お前の任務はあくまで材料集めだ、そこは間違えるな。俺から伝えたいことがあればジャオジュン中尉を遣わす」
 アプレイウスは薄く笑った。嘲りを感じるのは俺の錯覚か?
「コルシュ上等兵ではなくですか? 中尉は護衛として常に中佐の傍にいたほうがいいのでは?」
「貴官の言わんとすることは分かったが、俺の判断は変わらない。理由はいくつかあるが貴官に説明するのは面倒だ。もういいぞ、行け」
 顎で扉を指すとアプレイウスは不敵な笑みを浮かべ敬礼して去って行った。
 ジャオジュンを伝令として使うのはそれなりに理由がある。一つは、少なくともアフリカ属州の庁舎にいる限り護衛が必要な事態に陥らないのではと予想しているからだ、それに、万が一、ここで第三軍団の面々襲撃されたのならば、ジャオジュン一人が傍にいてもどうにもなるまいと考えているのもある。
 そして、こちらがもっと大きい理由だが、コルシュをこんな政治の舞台に巻き込みたくなかった。なにも考えずに俺の傍に侍っていればいい。
 だが、そのような俺の甘い考えは許されなかった。
 執務室の扉が叩かれる。
「どなたですか?」
 コルシュが扉の向こうに声をかける。
「ドルッシラです。カリグラもいます」
 弾かれた様に立ち上がり入り口に駆け寄ると、自分の手で扉を開けた。
 以前より若干表情を柔らかくした二人が、扉の前に立っていた。
 二人を招き入れ、長椅子を勧める。特に躊躇う素振りは見せず、彼らは腰を下ろした。
「この度は調査へのご協力ありがとうございます、ドルッシラ様、カリグラ様、属員が何かご迷惑をおかけしたでしょうか」
 ドルッシラは少し口ごもった後、話し出した。
「何も迷惑は被ってはいません、あくまで今のところはですが」ドルッシラは遠慮がちに俺の目を見た「今日、中佐を訪れたのは、先日の非礼を詫びるためです。今になって考えると皇帝陛下の勅命で訪れた方に対しいささか礼を欠いていたような気もします」
「どうかそのようなことは言わないでください。アフリカヌス様が亡くなられてすぐのことでしたから平静を保てなかったのは当然です。小官を慮っていただく必要はございません」
 彼女の真意を測りかねながら、当たり障りのない返事をした。
 隣のカリグラは先ほどからちらちらと俺の背後の視線を向けている。
「そうおっしゃるのでしたら、ハヤシ中佐、貴方には謝罪ではなく感謝の言葉を送ります。万事良く取り計らってくれました、ありがとう。しかし」俺に瞳をのぞき込んでくる「公的に死因が確定した後に、再調査というのはなぜなのでしょう」
「ご疑念はごもっともです。ドルッシラ様」俺は頷いて少し身を乗り出す「実のところ、今回の再調査が何のためのものなのか、私も上から伝えられていないのです」
「そうなのですか?」
「はい、大神ヘリオガバルスに誓って」
 俺は真剣な表情になるよう心掛けた。権威はあっても権力のない神になどいくらでも偽りの誓いができる。
「そうですか、では貴方は問い詰めても仕方がありませんね。まさか自白魔術を掛けるわけにもいきませんし」
 ドルッシラはようやく笑ったが、その笑みには色々な要素が含まれていると感じた。
「ところでコルシュ上等兵、こちらへ」
 彼女は俺の背後のコルシュに声をかけた。
「はいなんでしょう、ドルッシラ様」
 コルシュは気負うことなく皇族の二人の前に立った。
「先日は見苦しいところを見せました、でも貴方のおかげで心の重荷が少し軽くなりました、ありがとう」
「お役に立ったなら嬉しいです」
 コルシュとドルッシラは笑みを交わした。それからドルッシラは俺に向き直る。
「よろしければ、アフリカにいる間コルシュ上等兵をお借りしてもよろしいですか、彼といれば私もカリグラもふさいだ心が晴れるような気がするのですが」
「それは」俺は言葉に詰まった「お止めになったほうがいいかと、この者は貴人に対する礼に欠けるところがあります。ご不興を買うような真似をするかもしれません」
 意外なことにドルッシラは声を上げて笑った。
「それがいいのです、四六時中傅かれては息が詰まります」
 俺はコルシュを見た、彼は少し困った様子でこちらを伺っている。
 本音を言えばコルシュを引き渡すのは嫌だ。何か口を滑らせるかもしれないという実際的な理由もあるが、それ以上に、コルシュの情愛が他人に注がれるのが嫌だ。
 しかし、この状況で格上の相手にそんなことを言えるわけがない。俺はコルシュを睨みつけた。
「ドルッシラ様のご指名だ、お相手を務めろ。だが、自分の立場を忘れるなよ、お二人に礼儀を尽くせ。先日のような振る舞いはもってのほかだ」
「分かりました、ハヤシ中佐。ドルッシラ様、カリグラ様よろしくお願いいたします」
 コルシュが二人に敬礼を送ると、カリグラが立ち上がった。
「俺のことは、先日と同じく気安くカリグラと呼んで欲しい。母上にも許しはもらっている。じゃあ行こうか」
 三人の去り行く背中を目で追いながら、俺の口は自然と動いていた。
「お待ちください、ドルッシラ様」
「なんでしょう、ハヤシ中佐」
 ドルッシラが振り向く。
 実のところ、彼女に言いたいことなど何もなかった。ただコルシュを奪われたという苦痛が、何かそれ相応の報いを得たいという思いが、俺に口を開かせていた。
 だが、そんなことを口に出すわけにはいかない。呼び止めた以上、何かそれらしい言葉を吐かなければ。俺は何を言うか迷い、そして自分でも意外な言葉を零していた。
「ナジェ・エンヴィル中佐をご存じですか」
 なぜいまエンヴィルのことを話題に出したのか、我がことながら不思議な思いだったが、それは口に出してみると、確かに聞かなければならいことのように響いた。事実、ドルッシラの瞳孔が小さくなるのを俺は見た。
「はい、エンヴィル中佐とは面識があります」
 ドルッシラは明らかにこちらを警戒している。
「そうですか、小官は一時期中佐の指揮下にありました。短い付き合いでしたが大変に有能な方で勉強させてもらったのです。アフリカでの中佐の様子はいかがでしたか」
「貴方がエンヴィル中佐の指揮下にいたのは知っています。アフリカヌス様が言っていましたから」
「……なんですって?」
 予想だにしない答えに俺は戸惑った。
「アフリカでエンヴィル中佐、そのころは少佐でしたが、彼女はアフリカヌス様によく仕えてくれました。彼女が戦死した知らせを受け、アフリカヌス様は当時の状況を調べたのです。一度、アフリカヌス様は私の前で貴方の名前を呟きました。どうやらこのハヤシ少佐と言う軍人は優秀らしいと」ドルッシラは流し目をくれると軽く微笑んだ「では失礼」今度こそ彼女たちは去って行った。
 コルシュを連れ去られることへの逆襲でもあったはずなのに衝撃を受けたのは、俺の方だった。
 エンヴィル。もしかして彼女はアフリカヌスの派閥において特別な役割を果たしていたのではないか、少なくともアフリカ属州から異動してからもアフリカヌスは彼女に関心を持っていたようだ。
 あの軍議の夜、本当の裏切り者はアルビウスだと俺は考えていた。しかし、あるいは、彼女に施されたのは偽証の魔術ではなく、本当に自白魔術で彼女は真実を述べていたのか。そんな疑いがにわかに萌す。
 結局、ドルッシラはエンヴィルのアフリカでの様子は語らなかった。取るに足らぬことだと話さなかったのか、それとも何か隠したのか。
 俺は振り返った。
「ジャオジュン中尉。アプレイウスにかつてアフリカにいたナジェ・エンヴィルと言う佐官についても調査を行うように伝達しろ」
「はっ」
 ジャオジュンが部屋から出て行くのを見届けて、俺は金属水筒を取り出しぬるいが濃い珈琲を一口飲んだ。
 ナジェ・エンヴィル。付き合った期間はごく短いが、その短期間に俺の魂を屈服させた女。彼女はアフリカでもその有能ぶりを発揮していただろう、それは分かる。だが、今回のアフリカヌスの死に何か関係してくるだろうか。
 俺は自分の霊感は信じないが直観は信じる。直観とは神秘的な才能ではない、経験に基づく一瞬で結論に至る高速の思考だ。
 その直感が言う。ナジェ・エンヴィル、彼女が本件に関連している可能性はある。もしかするとアフリカヌスと相当深い仲だったのかもしれない。しかしそれは男女間の恋愛関係というのではなかろう、エンヴィルを語るドルッシラに嫉妬の色はなかった。
 今までの印象として、ドルッシラは正常な感性を持った女性のように見る。それこそエンヴィルやあるいはアグリッピナとは違う。上手くやれば何か情報を引き出さるかもしれない。コルシュが彼らの懐に飛び込めば、思わぬ収穫を得られそうだ、しかし……。
 俺はコルシュの笑顔を思い浮かべた。そしてその笑顔が他者に向けられているところを想像する。気が重い。
 自身を除けば俺が愛するのはコルシュだけだ。その他の人間とはあくまで利害により繋がっているに過ぎない。だが、コルシュの愛はどうやら俺一人に対象を限定しているわけではないらしい。コルシュの分け隔てのない愛情は間違いなく彼の美点だ。しかしそれが俺の心を悩ます。彼は俺に向けるのと同じ笑顔を、平気で他人にも向けるのではないだろうか。
 俺は苦笑を浮かべた。お前は一体何に悩んでいるのだ、ハヤシ・ヒデノリ。まずは任務に集中しろ。懐中時計を確かめる。時刻は10時。半日も費やせば、アプレイウスたちはなにがしかの情報を掴んでくるだろう。それを待とうではないか。

 第8話鎌首を擡げるアンフィスバエナ ニ

深更、灯にけむる油の匂いを嗅ぎながら、アプレイウスがよこした属員の報告を受ける。
「一通りの調査は終了しました。現在、調査結果をまとめているところです。三十分後、  アプレイウス大尉が報告にあがります」
 今日一日、アプレイウスからの連絡を担当していた警察局の下士官は二十歳になるかならないかといった年齢の線の細い女だった。俺は鷹揚に頷く。
「了解した。よろしく頼む」
 彼女は敬礼すると去って行った。
 警察局、帝国軍本体、あるいは官僚組織、その他ルーム帝国の至る所で男とほぼ同数の女が働いている。彼女らはシルフィウムというギリシア原産の植物から精製された薬物と実用性のみを追求する帝国技術局が開発した生理操作魔術によって月経を停止させ、男たちと何ら変わることなく仕事に従事していた。
 俺は懐から懐中時計を取り出す。時刻は二十三時を少し過ぎたところだった。コルシュは戻っていない、今夜はドルッシラたちの屋敷で過ごすと連絡があった。傍らにコルシュがいないと何か落ち着かない。彼が俺のシルフィウムだった。
「中尉」俺は振り返らず背後のジャオジュンに声をかけた「君も座ったらどうだ。襲撃の危険性は恐らくない」
「お気遣いいただきありがとうございます。しかし、立っていた方があらゆる事態に即応可能です、このままの姿勢で待機いたします」
「実のところ、貴官に気を使ったわけではない」俺は机をこつこつと叩きながら言う「大した面識もない特殊工作員にずっと背後に立たれるのは気が張って仕方がない。中央の長椅子に腰を掛け給え。命令だ」
「はっ」
 ジャオジュンは部屋を回り込んで中央の長椅子まで寄ると、座面に尻を半分だけ降ろして座った、背もたれに体重を預けることはない。不測の事態にいつでも対応できるようにというわけだ。
「ある高位の将軍が言っていたのだが」俺は世間話の口調で語りかけた「我が帝国の国力の源は能力主義とそれに伴う人材の流動性なのだそうだ、いま来た女性警官もアプレイウスが選抜した人材、優秀なのだろう。いずれは尉官、更なる有能さを発揮できればあるいは佐官になれる。まあ中途で警察局を辞めて家庭的な幸せを求めるかもしれんが」
 ジャオジュンは何も言わない。
「貴官が一分の隙も無く軍人たらんとするのは、能力を示して出世するためか? しかしその調子では休まるときがなかろうよ」
「いえ、違います中佐」ジャオジュンの声はいつもより硬かった「小官の忠誠は純目的です。偉大な帝国に己の全てを捧げることこそ小官の望み。いかなる返報も望みません」
「ふん、付き合いの浅い俺に本音を明らかにしろ、とは言わんがな。しかし帝国本流から疎外されている属州人同士、もう少し気を許してほしいものだ」
 俺はルーム帝国内におけるヤマトとハンの扱いの差を知りながら、あえてジャオジュンの気に障るような言動を取った。だが当然のように彼女は何も言わない。こちらとしても彼女が反応を示すことは期待してはいなかった。
 俺が何気なく手元の視線を下ろした瞬間、静かな声が俺の耳底に響いた。
「中佐は参謀総長をはじめ皇帝陛下にも認められていらっしゃいます」ジャオジュンがこちらをじっと見つめていた。語調に何かを期待しているかのような色がある「これからも栄達の道を邁進なさるのは疑いようもありません」
「それはどうかな」俺は彼女の真意を測り損ねながら答える「ヤマト属州の骨折りと数多の運に恵まれ30歳を前に中佐になったが、この先の昇進は容易ではなかろうよ」
「特に中佐には、小官の能力を知ってもらいたい。そう考えております」
 ジャオジュンの声には不思議な熱心さがあった。
「どうしてだ?」
「中佐は極東属州出身者の希望の星であります」
 彼女は答えになっているか微妙な返答をする。
「それはある意味で正しく、ある意味で否定できる。……意味は分かるな?」
 ジャオジュンは何も言わず頷いた。
 俺の立身出世は確かにヤマトのみならず極東の地位向上につながるだろう。だがそれは必ずしも極東出身者の道を広げることにはならない。帝国上層部は属州出身の有力者の数を強力に統制している。俺が望外の昇進を遂げるなら、その分、ヤマトやハンの人材は道を閉ざされるだろう。面白いことに、そうなった場合、彼らの恨みはルーム上層部では俺に向くのだ。ルームの統治機構はよくできている。
 ジャオジュンはそういった未来を見越して、自身の出世ではなく、俺に媚を売ってお零れにあずかる方向に舵を切ったのだろうか。
 俺は改めてジャオジュンを見た。繊細なたおやかな美しいかんばせ、ハンの皇族のきらびやかな伝統衣装でも着ていればさぞ様になっただろう。しかし、いま彼女はルームの軍服を着て特殊工作員として任務に従事している。残酷な物言いかもしれないが、これはこれで残酷な美が宿っている。
 軽く頭を振る。自分がジャオジュンを持て余しているのを自覚された。ただの一部下として扱うにはヤマトとハンの歴史的関係がどうしても邪魔をする。
 まったく、部下に飲まれてどうするのだ、馬鹿め。
 俺は自分を叱り、益もない会話を打ち切った。俺が黙るとジャオジュンも元の寡黙な工作員に戻った。……戻ったように見えた。

「結論から申し上げます。調査の結果、容疑者とまでも言えないまでも重要参考人として三名の人物を特定しました。ヒスパニア総督タルクィニウス・ポンペイウス・マグヌス、クラッスス閥の商人カエキリウス・メテッルス・プルケル、そして皇后アグリッピナ・カエサルです」
 アプレイウスの報告は俺に特別な感慨を齎さなかった。著しく現実味を欠いていたためだ。
 大物、これ以上ないほどの大物の名前が出てきたではないか、と他人事のように考える。
 俺は傍らに立つジャオジュンに目をやる。
「中尉、念のため聞くがこの部屋の防音は完璧だろうな?」
「はい、中佐。この部屋での会話が外部に漏れることはありません」
「よろしい。大尉、続けろ」
 アプレイウスは流石に真剣な面持ちをしていた。若干、顔色が悪い。それは彼が現実を受け止めていることを意味する。
「我々はまず動機を所有する者について調査しましたが、現況で差し迫ってアフリカヌス様を亡き者にしなければならない事情を持つ者は見つかりませんでした。不敬な物言いになりますが、皇帝派にしてもアフリカヌス様にあえて今死んでもらう動機はありません。無論、それを迷彩にし将来の禍根を絶ったという可能性はありますが、どのみち動機の有無から犯人に至ることは難しいと判断しました」アプレイウスは喉を軽くさすって続けた「我々が次に着目したのは機会です。アフリカヌス様に毒物や魔術を仕掛ける機会があった者、その方向から調査を始めました。アフリカヌス様は基本的に誰かと面会する際には、軍団副団長と従卒を伴っていたようです。この際注目するべきは副軍団長ではなく従卒です、彼は皇族の傍に置かれていることからも分かるように特別な護衛の技能を有する熟練兵でした。彼の目を盗んでアフリカヌス様に危害を加えるのは不可能に近い、し、しかし、……し、失礼します」
 アプレイウスはこちらに一礼すると金属水筒を取り出し、喉を鳴らしながら中に含まれていた飲み物を飲み干す。緊張は喉を干上がらせる。俺は彼を咎めなかった。
「失礼しました、アフリカヌス様が亡くなられる直近二か月で、あえて副団長も従卒も交えず、アフリカヌス様が一対一で対応した人物が三人いました、それが先に挙げた人物たちです。アフリカヌス様に何かを仕掛ける機会があった者たちとも換言できます。また、彼らがどのような目的でアフリカヌス様に面会をしたのか、アフリカヌス様は周囲の人間に漏らしていません。場合によっては、アフリカヌス様殺害に動機を持つ者はいないという前提も覆るでしょう」
 そこでアプレイウスは言葉を区切った。
「ふむ」
 俺は顎に手を当て考える、さて、まずは何を聞くべきか。そう頭をひねらずとも最初に聞かなければならないことがすぐに思い当たる。
「その調査は難航したか、難易度の高い調査か?」
「それなりに。しかし標準的な能力を有する属州警察であれば、十分把握できる範疇です」アプレイウスの顔に彼らしい不敵な笑みが復活する「中佐の質問の意図は理解できます。先のアフリカ訪問の際に、属州警察がこの事実をこちらに話さなかったのは、単純にこの事実を突き止められていなかったためだろうか、ということですね? いいえ、中佐。おそらく彼らは故意にこのことを話さなかったのです。理由は」
「待て」
 俺はアプレイウスに掌を突き付けた。
「そこから先を考えるのは私の仕事だ。職域を弁えてもらおう」
「失礼しました」
 深々と頭を下げるアプレイウスを横目にしながら考える。
 彼らが故意にこの事実を告げなかったとしたら、その理由はいくつか考えられる。例えば容疑者あるいは重要参考人があまりにも大物のためこれを明らかにするのは帝国に大きな混乱を招きかねないと考え、帝国秩序を優先し主人の死の真相追及を諦めた。
 彼らがこんな殊勝な考え方をしたのであればこれに越したことはない。だが、アフリカ属州上層部、つまりアフリカヌス派の紐帯は固い。帝国秩序よりアフリカヌスへの忠誠を優先するのではないかと思えた。
 他に考えられる理由としては、そうではないと望むが、彼らが独自に復讐を試みているためにこちらに情報を流さなかった、というものだ。そうなれば面倒臭いことになる、アフリカヌス派対ヒスパニア及びルーム海軍、あるいはルーム財政界、あるいは皇室、どの組み合わせでも帝国は大打撃を受けるだろう。
 最後に考えられるのは、アフリカ属州上層部と容疑者たちが手を組んでアフリカヌスを殺害したという例だ。寡婦や遺児達にとっては最悪の真相だろうが、俺個人としては歓迎する真相だ。それならば隠蔽に協力してやってもいい。
 そこまで考えて、俺はアプレイウスにもう一つ調査を依頼していたことを思い出す。
「大尉、エンヴィル中佐の件についてはどうか」
「はい、中佐。調査の難易度を言うのならこちらの方がよほど手ごわかったです。アフリカ属州の面々は、エンヴィル中佐のことになると口を固くしました」
 アプレイウスは懐から手帳を取り出す。
「ナジェ・エンヴィル中佐、アフリカにいたときは少佐ですが、相当有能だったらしく配属してしばらくするとアフリカヌス様の側近の一人になっています。言うなれば副軍団長と従卒の間に位置する存在と彼女は目されていたようです。アフリカ経営でも彼女の進言が度々取り入れられています。正直、驚きました。一介の少佐としては過分な待遇です」
「彼女の優秀さは私も知っている、そういうこともあるだろうさ。続けろ」
 アプレイウスは姿勢を正した。
「申し訳ありませんが、一日の調査では大したことは掴めませんでした。アフリカヌス様の私室に度々招かれていたことから彼女が愛人であったことを疑う証言もありましたが真偽は定かではありません。他に加えるべき事項としては、中佐はアフリカ勤務中に腹心の従卒を伝染病で亡くしております。その兵士は歴戦の兵士でありエンヴィル中佐にとって相当な痛手だったようです」
「貴官の印象でいい。アフリカヌスの愛人説はどれくらい信憑性がある」
「そうですね、相当信頼されていたことは事実です。しかし愛人であったかは分かりません。彼らがただの上司と部下の関係に過ぎなかったという証言も多い。もっとも有能な彼らであれば関係を隠すことは容易でしたでしょうね」
「エンヴィルがアフリカヌスの死に関連している可能性は?」
「それは全く発見されませんでした。しかし、アフリカ上層部の口の堅さは気になります」
「分かった。御苦労。下がっていい」ジャオジュンを見る「貴官も少し席を外してくれ、少し一人で考える」

 俺は一人になった執務室で、しばらくじっとしていた。だが、勢いよく立ち上がり、部屋の中央に向かうと長椅子に体を投げ出す。それから胸元を大きく開ける。アプレイウスとの会話の途中から息苦しくてたまらなかった。現実が追い付いてきたのだ。
「ポンペイウス、クラッスス閥、アグリッピナ、か」
 まずは皇帝に連絡を取らなければ。それで、捜査の打ち切りが指示されたのならそれでいい。しかし皇帝はきっと……。
「おかしいな、小人輩の俺がなぜこんなことに関わっている? いや、いざとなったら首を切りやすいからか……笑えるな」
 俺は扉を見る。その扉が開いて、アフリカヌス様を殺したのは私です、すべて白状します、と一兵士が姿を現してくれないか。そんなつまらないことを思っていた。

── 第17章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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