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墓夢

6,583 字

哲学ファンタジー、静謐な会話劇

"死者の夢を守る墓守と、生者の未練を抱える酔華。夜の墓地で交わされる、生と死、夢と現実の境界を揺るがす静かな対話。"

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第二章

墓地の奥へ進むほど、墓石の間隔は広くなっていた。死が解明されるより前の時代、人は墓を持たなかった。
土へ還す者もいれば、そのまま放置する者もいる。死者に安息を与えるという概念そのものが存在しなかった。
その結果を人々は後になって知ることになる。
幽霊。
夢の途中で現世へ引き戻された者たち。
墓守という職業は、その後始末から始まった。
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腐食
新しい墓は入口付近へ。古い墓は山側へ。
その配置だけはどこの墓地でも変わらない。ランタンの灯が石碑を掠める。
文字が削れた墓。半ば土へ沈んだ墓。傾いたまま放置された墓。
人に忘れられた時間そのものが積み重なっていた。
「少し小腹が空いた。近くの店主に作ってもらうか」
「近くと言っても、もう入園口からかなり遠いですよ」
「腹の虫が収まらないなぁ。御供物でも頂いてしまおうか」
悶々とした感情に魅まれた酔華は周囲の墓石を物色し始める。
「あなたも死体を食うのですか。あんなマッチポンプしたく有りません。」
「そんな事しないってば。てか聞き捨てられない愚行が聞こえたな」

墓守が顔色ひとつ変えずに放った言葉。酔華はその奇怪さに軽快な足を止めた。
「昔は多かったんですよ、若くして亡くなった女性の体を持ち帰る輩が」
「なにそれ、私知らないんだけど。」
「知らなくて無理はない、というか必要ありません。あんなこと」
「美人は死んでも大変なんだねぇ。」酔華は眉を顰める。
「感想がそれですか。」
「だって気持ち悪いじゃないか。」
「生きてる時に口説けばいいのに。」
「そういう理屈で動く人間なら墓荒らしなんてしませんよ。」

酔華は食欲が引いてしまったのか、さらに山の方へと進める足を早める。
ランタンの灯油も満タンの目盛からかなり離れ、この小さな旅も静かに終わりを見せ始めていた。
「この私が死人に惹かれるなら、人間の愛が崩れてしまうよ」
「僕としても倫理道徳を捨てても、自らに従う姿は見れた物ではありませんね」

酔華は何か思う物があるのか、大きく広い肩をすくめた。
「愛なのか、恋なのか。私にはどちらも明らかに別物に見えるよ」
「自己愛ですか、過剰摂取は体に毒ですよ。」
「それ私に言ってる?まぁ愛は万病の薬になりうるのだよ」
「安心ですね。墓守の私が死んでもあなたは私に愛してくれる。」
なんとなく強張っていた墓守の顔が一瞬緩んだ。
「あんたもあいつらの仲間入りする気か?私はそんなつもりないよ」
「少し出遅れましたか、寂しい物ですね。」
「寂しいのなら、これの次に愛してあげよう。」
「どうも。」
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ゆりかご
詰まるような静寂にしばらく二人は無言で歩いていた。足元の砂利が小さく鳴る。
彼らの進んで行く遠くの墓標が月明かりに白く浮かんでいた。
「ねぇ。」「なんです。」
「こんな所に毎日毎日ここに来て飽きないの?」

墓守は少しだけ首を傾げる。
「こういう事が仕事ですから。」
「こういう仕事なら飽きないの?私なら三日も足らずに飽きるね」
「いや、とっくのとうに飽きていますよ。なんならあなたよりも早く」
「君も仕事に飽きるんだ。」酔華が思わず振り返る。

「ええ。飽きますよこんな事」ランタンが静かに揺れた。
「掃除もします、見回りもします、書類も認めます。
ここは本当に公務員ですよ。そしてこのどれもが一切なしに面倒です。」
「君にもそういう感情あったんだね。なんだか可愛いささえ感じるな。」
「あなたも試験をすればいい、おそらくですが受験資格はまだあります。」
目の前にいるのは、自分より頭一つ小さな少年だ。その肩書きだけが妙に大きい。
国家機関。墓守。そんな言葉が、この幼さに収まっていることが少しだけ可笑しかった。

火照りも乱れた服も、寒い夜風で十分に纏まってしまった。
店に入る前に彼女が大きく見上げていた季節の月は、すでに地平線に届こうとしていた。
「そろそろ今日の仕事はもう終わりかな。もう少しで二日酔いが来そうだ。」
「そうですね、起き上がるお寝坊さんもいなさそうですし、」
「ここの方々は優秀だねぇ。」
「そうでしょうかね。なんならこれが普通です。」
「少なくとも、君にここを追い返されるような悪い客はいないや。」
「それで十分です。誰も起きないなら、それで。」墓守は少しだけ歩みを緩めた。
「とても仕事熱心なことで。」酔華は欠伸を一つ噛み殺した。
「全く、夢の続きを見るのも大変なんだね。」
「おそらく生きるのも同じですよ。」
「違いない。」
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墓守が足を止めた。酔華もそれに倣う。
そこにあった墓石は特別大きくもなければ、特別古い訳でもない。
ただ。供花も。供物も。線香立ても。誰かが訪れた痕跡も。何もなかった。
「なんだか寂しい墓だね。」酔華が呟く
「そうでしょうか」彼が墓標を見上げる
「私にはわからないが、何か違うの?」
「分かりません、少なくとも本人は気にしていないと思います。」
「随分と言い切るね。何か理由でも?」
「起きていたら問題ですから。それが理由です。」
「確かにそれは大問題だ」

「でもさぁ。」酔華は墓石へ近付く。
削れた表面へ指先を這わせた。名前は読めない。
何歳だったのかも分からない。男か女かさえ分からない。
「誰も彼も来なくなるのは嫌じゃないの?」
墓守は少しだけ考える。ランタンの火が揺れた。
「生きている人なら、、、おそらくは。」
「もし死んでいたら?」
「それは知りません。」
「便利な理屈だなぁ。」
「理屈ではありません。」
「確認する方法がないだけです。」
「……なるほどね。」

しばらく沈黙が落ちる。酔華は再び墓石を見る。名前を失った墓。
誰かの記憶から零れ落ちた墓。それでも残っている。不思議なものだ。
「私なら忘れられるのは嫌だね」墓守が視線を向ける。
「そうですか。あなたでもそんな事思うんですね」
「……一人くらいは、顔を見せてくれたら嬉しいけどね。」少し考える。
「酒持って。供えて欲しいね」それから付け足した。
「寸の間に目的が変わってますよ。」
「私にとっては一番重要な供物だ。」酔華は満足そうに頷く。
「あなたの場合はそうでしょうね。」墓守は呆れたように息を吐いた。
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酔華は手をひらひら振る。もう何度目かも分からない返答だった。
墓守も言い返さない。言った所で意味がないと理解しているのだろう。

彼らの間に少しだけ沈黙が落ちる。遠くで草が揺れた。鳥の鳴き声が一つ。
夜と朝の境界が近付いている。
「ねぇ。」酔華が不意に口を開く。
「なんです。」
墓守は答えない。そのまま続きを待っている。
「本当に会いたい人がいても、墓は開けないの?」
ランタンの火が揺れた。墓守は少しだけ考える。ほんの数秒。
だが彼にしては長かった。
「開けません。」
「即答じゃないんだ。少し意外だったな」
「考えただけです。私には少し難しかった様です」
「ふぅん。」
酔華は空を見上げる。薄くなり始めた夜空。
星はもう半分ほど消えていた。
「優しいね。本当に君は」
「普通ですよ。」
「そうかな。」
「普通。」

酒瓶を軽く揺らした。中身はもうほとんど残っていない。
内部の側面を這う美酒の一滴を求めながら、酔華は呟いた。
「こいつが夢見てるなら、私だって隣で夢見てもいいじゃないかって思うけど。」
「……その発想はありませんでした。」墓守はランタンへ目を落とした。
「でしょ?」酔華は笑う。
墓守は目を瞬いた。そして少しだけ困った顔をする。
「職務規定にもありません。」
酔華は堪えきれず吹き出した。
「なんだそれ。本当言ってるのかな。」
「事実です。もう一度言いましょうか?」
「そういう所だよ。」
「何がですか。」
「何でもない。」
酔華は立ち上がる。階段を上る。店の扉へ手を掛ける。

「じゃあ、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
扉が閉まる。墓守は一人だけ残された。
両腕を伸ばしながら帰路へ向かう酔華を見送り、
ランタンの火を見下ろす。その向こうには墓地がある。
名を失った墓。忘れられた墓。それでも静かに夢を見続ける人々。
墓守は踵を返した。東の空は未だ暗い。夜明けまでもう少しだけ時間がある。
地中の彼らは今も夢を見続ける。生きている間に見損ねた、たった一度きりの夢を。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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