file.1:永久存在論と境界的周知の関係について 前編
警視庁本部庁舎内、一人の青年がくたびれた初老の男の後ろを歩いていた。
「お前さんはこれから、“0”に配属されることになるが」
「0?」
「そ。公安部特務課っちゅう……まあ、変な奴らがいてな。正直仕事でも関わりたくねえよ。お前さんも災難だな。適性検査に引っかかっちまったせいでよ」
「はぁ」
青年は、警察学校を優秀な成績で卒業した。通常であれば警察署地域課への配置が予定されていたが、在校中および卒業時の適性検査結果により、公安部特務課への特例配属が決定された。もっとも、本人は適性検査についてほとんど理解していない。全員参加の検査だと聞かされ、言われるままに受けただけだった。その結果、こうして特務課まで案内されている。詳しい話はついてから説明される、初老の男──玖賀大佶は適当にそう言うだけだった。
「……じゃ、幸運を祈る」
その場所に着いたらしく玖賀は青年に振り返って言うと、片手を軽く上げて「じゃあな」と言う風に歩き去って行った。憧れていた警察の人間にしてはかなり雑だな、とその背中を見ながら思った。短く息を吐き、軽くスーツを直すと、扉をノックした。
建物の隅に追いやられた、薄暗い廊下の先の部屋。「特務課」の看板は後からつけられたような雑な造りで、どうして自分がこんな場所に配属になったのか全く理解できなかった。
ノックをしてから少し経つが、物音ひとつしない。勝手に入ってもいいのだろうか。訝しく思うも、ドアノブを回した。がちゃりと扉が開かれる。古い扉のようでぎぃ、と嫌な音が響いた。
「すみません」
一声かけるも中は薄暗い。本当にこの場所なのだろうか、何が起こっているのだろうか。 ──もしかすると、今この時、自分は試されているのではないだろうか、と思い至った。それを確信したのは、扉の影から出てきた女性に飛びかかられた為だった。背後を取られてしまった。首を絞めて落とそうとしてくる。女性に乱暴をするわけにはいかないが、相手が害を為す敵であれば容赦はするべきではない。直ぐさま腕を振り解き、床に組み伏した。その刹那、別方向から何者かが走って向かってくる気配がした。足を狙うのがいいか、しかしそれは簡単に避けることができてしまう。瞬時に両手を床につき、後方転回の要領で足で相手の脚と腹を蹴り、距離を取った。これで二人。あとは何が来るだろう、と体勢を整えて身構える。すると足元に違和感があった。下を見るとどうやら煙が立ち込めている。しまった、一度部屋を出るか……その考えを見透かされているように、先ほど組み伏した女性が扉を閉め、寄りかかっていた。まずい、包囲されたか。後方を一瞬振り返ってしまったのはまずかったかと前方を向いた。ライターを手にした男が立っていた。煙草に火をつけたのだろう、悠々と煙を吐いている。足元の煙の出所は、彼ではない。ならばどこから? 一瞬の思考の停止、それは命の危機を意味する。次の瞬間には床に倒れ、どこから現れたのか大きな犬に食われかけていた。大きな口を開けて咬み殺そうとしてくる犬の上顎と下顎を掴んで阻止する。空気を掴むような感覚だが、確かに目の前の犬は存在している。
何がどうなっている。
「はいはい、そこまでー」
間の抜けた声と拍手の音で、部屋に明かりがつき、犬の姿が消えた。
呆気にとられている間に煙草の煙を吐きながら男が近づいてくる。
「俺は篝榾嗣郎。特務課の課長だ、よろしくな新人」
男──篝は床に座り込んだままの青年に手を差し出した。ああ、なんだ、もう終わったのか。そう思い、その手を取った。すると勢いのまま横に転がされた。何が起きたのか思考が追いつかずに天井を見上げたまま硬直してしまった。
「はは、おいおい。簡単に信用すんなよ、新人。それでも警官か? 言っておくが、ここは他の普通の部署とは違う。死と直面したりするのは他の部署でもあることだが、ここはもっと、常識が通用しないぜ」
転がった青年の顔を覗き込んで笑う篝はその場に座り込み、青年を突きながら話した。
「本当、可愛い坊ちゃんね」
どこからかふらっと現れたおよそ警察官がする格好ではない、肌の露出の面積が多い服を着た女が、青年を見て笑った。
「J、新しいバディだ。可愛がってやれよ」
「言われなくても♡」
ようやく気がついた。玖賀が嫌がっていた理由、隅に追いやられた部屋、まるで倉庫を少し片付けた程度の雑然としていて所々古びている部屋は、きっと外部や別の部署の人間が関わりたくないどころか、存在すら認識していないのかもしれない。現に、青年はここに来てようやく特務課の存在を知った。わざわざ新人いびりにも似た試験を行う理由も、何となく想像がついた。それだけ、ここで扱う任務は危険なのだろう。Jと呼ばれた女が警察の人間のように全く見えないところと、篝の言った「常識が通用しない」という言葉からたまに耳にする秘密組織と言う言葉が今は何故かしっくりときた。
Jは青年に手を差し伸べた。篝はというと面倒くさそうに歩き去っていった。
肩まで伸びた髪にはメッシュが入り、よく手入れされているのが分かる。その服装はパーティー帰りのような派手なもので、ジャケットを羽織っているが日常生活で見かけるようなものでもないだろう。背が高い上にヒールを履いているせいで、青年をわずかに見上げる程度の高さになっている。華奢なようでしっかり筋肉がついているところを見ると、仕事はしっかりしているのだろう。じゃらじゃらとつけた耳元や顔に着けられたピアスを見て、青年は立ち上がりつつも少し仰け反った。それを面白がったJはほくそ笑み、どんどん顔を近づけた。
「好い男ね。私はジェーン・ドゥ、ジェーンでもJでも好きに呼んで?♡」
甘ったるい声色で、胸に手を当てて言った。青年は一瞬呆気に取られたが距離を取ると、敬礼しながら言う。
「自分は本日付でこちらに配属されました。間雲昊青と申します。よろしくお願いします」
動じることなく言う間雲に呆けつつ、すぐに不貞腐れた。
「全く。つまんない。他の男は最初くらいは動じるのに」
「あまり見せるものでも、見るものでもないかと」
「ふん。ま、良いわ。雲ちゃんよろしくね♡」
「は、はぁ」
「さっきの動き方、悪くはなかったが、まだまだだな」
背後からそんな声が飛んできた。じっと腕を組んで睨みつけてくる威圧的な女性だと思ったが、間雲を観察していたのだろう。
「あら、秋ちゃんが認めるなんて珍しいね」
「秋ちゃんと呼ぶなと何度言えばわかる!」
秋ちゃんと呼ばれたその女性は怒りながら机の方へ向かっていった。
「あの子は加賀見秋香。もともと刑事捜査一課にいたのよ」
「えっ、そうなんですか?」
背中まで伸びる癖のある髪に、びしっと着こなしたパンツスタイルのスーツ、スーツ越しにわかる鍛えられた体は先ほど首を絞めてきたのが彼女だと言うことは容易に理解できた。
「ねえ、ほたちゃん。せっかくだから自己紹介し合うのはどうかしら」
「必要か?」
「必要でしょ。“家族”になるんだから」
篝は依然として面倒くさそうに煙草を吸っていた。もう一人、加賀見の近くで煙草を吸っている男がいた。
「ああもう! 窓を開けてから吸え! こっちの臓器がやられるだろうが!」
一度着席した加賀見はすぐに立ち上がって窓を全開にした。
「寒いって」
「うるせえ、ならお前ごと水かけるぞ」
「こわ」
課長だと言っていたが、その課長である篝に食ってかかることが出来る加賀見は何者なのだろうと思った。
「じゃあ次は花ちゃんね」
Jに指名された男は煙草を吸いながらきっ、と睨んだ。
「俺は! 女じゃねえんだ、その呼び名やめろと何度言えばわかる」
先ほど見たような光景だった。
「二人とも似てるよね。私の呼び方が嫌いみたい」
「お前のことも嫌いだよ」
「あっそ」
全く気にしていない様子のJに溜め息をつきながら、花ちゃんと呼ばれた男は嫌々ながらも自己紹介した。
「金古瑞花。これでも警部補だからな」
所謂女顔と言われる部類の顔つきで、スーツを着ているがネクタイを緩めて着用している辺りを見ると、きっちりとしたタイプではないのだろう。だが間雲からすればそれくらいの認識でしかないが、この場の面々には弄られているらしいのが理解出来なかった。
「あ、そうそう。バディなんだけどね」とJが補足をする。「秋ちゃんはほたちゃんと、花ちゃんはそこのマスクのひなちゃんとバディなの。ほら、ひなちゃんも自己紹介して?」
呼び方を訂正されたはずが変わっていないところを見ると変える気はないらしい。ひなちゃんと呼ばれた黒いマスクをつけた表情が読みづらい男はひっ、と怯えて一拍置いたあと話した。
「あっ……うぅ……えっと、い、出水、陽向です……はぃ……」
消え入りそうな声で小さく言った。
きっちりとスーツを着ているにもかかわらず、髪はぼさっとしていて、長い前髪をマスクのせいでかなり顔が隠れている。贔屓目で見たとしてもあまり警察官には見えない。
「ひなちゃんね、普段こんな感じだけど」
そう説明しようとしたJに被せるように「やめてください!」と出水が叫んだ。大声を出したことがないのだろう、裏返った声をしていた。
「あっ、えっと、すみません」
「ふふ。まあ、直に分かると思うわ」
間雲を含めた計六人。この六人が特務課の全員だった。
篝は自身の机の淵に座り、煙草を吹かしながら「終わったか?」と言った。
「なあに? お仕事の話?」
「ああ。そうだ、ちょうど任務が来た」
その言葉を聞いた瞬間、空気が変わったような気がした。スイッチが切り替わったような冷たい空気が漂った。
「昊青、都市伝説って知ってるか?」
不意に質問を投げかけられ、一瞬硬直したがすぐに気を取り直し、「いえ、あまり詳しくはありませんが、人並み程度には知っているかと」と答えた。
「そうか。ま、そうだわな。その都市伝説に関するもの……都市伝説といっても色々ある。最近はネットによって広まった適当な創作が多いが、それを信じ込み、実際に被害に遭ったと報告があったりする」
「作り話なのにですか?」
「ああそうだ。きさらぎ駅がかなり有名だな。妖怪の類いや怖い話などに出てくるものは、あながち全てが嘘ではない。この特務課に舞い込んでくる任務というものは、そういった類いで被害に遭ったという事件・事故の調査が主だ。調査をする過程で生存者がいれば良し、全員死んでればそれはそれで回収できるなら回収する、なければ調査をして、元凶を突き止め、可能な限り他に犠牲者が出ないようにする」
突飛すぎる。
ネットの掲示板やSNSで出回る都市伝説や噂話、怖い話などはほとんどが本物の体をした創作だろう。それを調査? 被害者が実際にいるというのか?
「ちょっと、待ってください」
「どうした?」
「い、いえ、その……実際にあるというのですか? そんなことが」
「だから俺たちがいる。こんなのを公にできねえだろ、だからお前も今の今まで知らなかった。紛れもない事実だ。まあもちろん口だけでは信じられないだろうさ。だが言ったろう、ここは他の普通の部署とは違う。死と直面したりするのは他の部署でもあることだが、ここはもっと、常識が通用しないぜってな」
「実際に見た方が早いわよ。ね、ほたちゃん。次のその任務、この子に行かせたら?」
Jは軽い調子で言った。
「そうだな。それがいい、だがお前も同行するんだからな」
「そうね。死ななければいいわね」
そう言って間雲に微笑みかけた。
「……説明、していただけますか。その、任務について」
ここまで来れば、やるしかない。間雲は意を決して篝を見据えた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。