・1/sorto≠fatale:宿運は呪縛ではない
……あれ?
あたし、つい今しがたまで、旦那を問い詰めてなかったっけ?
浮気した旦那を、問い詰めてたら、
「俺が好きだったの?」
とか、言い出しやがって。
頭がくらくらしたまでは、目の前に旦那いたよね?
名ばかりの高校球児で、三年間ベンチを温め続けて、漸く肌の色が黒から茶色に落ち着いてきた、くそ旦那。
――でも。
ここは、あたしの飾り気の無い機能優先マンションとは違った、歩くことすら気を遣いそうなクラシカルでアンティークな家具が並んでいる。
ロココ?バロック?ゴシック?
よくわからん。
そして。
なんと言っても目の前には。
どこぞの焦げ旦那と比べるのも烏滸がましい、透けるような真っ白な肌をした、銀髪の貴公子然とした美青年。
アクセサリーをじゃらじゃらとしていて、昔のV系を彷彿とするんだけど。
けど、似合ってればよし。
月下のセレナーデをBGMにスクロールアクションゲームが始まりそうな、吸血鬼とか悪魔を連想させる異人さん。
ゆったりとカウチに寝そべって、邪魔になりそうな長い足を床へ流し、涅槃像のように手枕で頭を支えている。
猫足家具なんて、家具売場か、映画でしか見たことないわ。
なんとかいう絵画みたいだな。
なんかは知らんけど。
「あー出来たねえ。主の招待が雑で、出口がおかしいんだよね。
ねえ?君は、だあれ?」
その白い吸血鬼は、ゾンビをも魅了出来そうな微笑みを浮かべ、その見た目にそぐわぬフランクな物言いで話しかけてきた。
「えっと……」
声を出して、異様な高さに気付いた。
あたしの声帯を通った声だよね?
あれ?手、ちっさい。
胸、つるぺったん。
胸?
そりゃ、たわわとは言いがたいけど……
てか、あたしすっぽんぽんじゃんっ!
「うわっ!!」
今の今まで晒していて、今更だけど腕で胸を隠して、小さくなる。
女の子座りで、太股をぎゅっと閉じる。
なにか話す前に、まず着るものが欲しい。
白い吸血鬼は、寝そべったまんま、クスクスと笑っていて、空いた方の手で、空中をくるくると混ぜるように指を回し始めた。
かき混ぜた空から、光の帯がくるくると生まれる。
……ほぉ。
きらきらと光っていて、虹を操ってるみたい。
きれいだな。
がちゃと、背後で音がして、メイド服を着た狐が現れた。
美人な狐さんだな。
狐さんは布を持っていて、ばさっと広げると、あたしの体にかけてくれた。
シルクかな?すべすべした手触りの布。
服が欲しいけど、無理なのかしら?
君たちは、立派な服装だけども?
でも、ま。
招かざる客なんだろうし、今は致し方ない。
「ありがとう」
と、狐さんに言うと小さく頷いた。
か、可愛い。
で。
動転して気付いてなかったけど、あたし絨毯に直座りしてるんだよね。
いかにも上等そうな、毛足の長い絨毯。
お尻を直に付けて……
拭き残しがあるとは思わないけど、万が一でも悪いよね?
狐さんに渡された布は、今のあたしには大きいことだし、お尻の下にも敷かせてもらいましょう。
汚れても、絨毯より布の方が洗いやすいよね?
あたしの一連の様子を眺めていた、白い吸血鬼さんは、ぷっと声を上げた。
「見ず知らずの場所に来て、気にするところがそこ?随分と善良なんだね」
「善良かどうかは分かりませんが、初対面で全裸とか、お目汚しすみません」
「それは君のせいじゃないでしょう?主が雑なだけだから、君は巻き込まれただけだよ」
「巻き込まれ?ここはどこなんです?」
吸血鬼さんは、んー、と考えてる。
そして、吸血鬼さんはすっと目を細めた。
怒らせた?と一瞬怯んだけど、彼はぶつぶつと口の中で何かを唱えている。
お経……な、わけないか。
呪文?なのかな。
旦那との言い争いで、異世界って言い過ぎたかな?
夢の中でも異世界モノに毒されてるわ。
と。
あたしが座っている絨毯が、光る。
虹色のプリズム。
――なんてね。
プリズムってなんだよ。
いよいよもって、アニメかゲームだ。
もしや、これが本物の魔法陣ってやつか!
絨毯には、光が円を幾重も描き、記号のような文字のような模様が浮かぶ。
そこから立ち上る、光の筋。
あー、これは。
あたしが雪舟等楊よろしく、涙で描いたものとは格が違う。
しかも、足だし。
光はあたしを取り囲むと、立てと言わんばかりに体を押した。
この光、触れるんだ?
へー。
……エロい触手みたい。
促されるまま立ち上がると、体に纏っていた布を剥ぎ取られた。
またしても裸体を晒してるぜ、と思ったけど、今度は虹のカーテンが吸血鬼さんの視界を遮ってくれてるみたい。
細かいお心遣い、イタミイリマス。
幾筋もの細い光が、布を体にあてて、さわさわと動いてる。
裁縫道具もないのに、ドレーピングしているみたい。
オーダーメイドのフィッティングかな?
オーダーはしていないけど。
頭を動かして見えてる範囲は、サモトラケのニケみたい。
たっぷりとしたドレープが誂われ、あたしの中に僅かにある女の子心をくすぐる。
針も糸も使われてないのに服を纏う様は、
虹色の光の中にいるせいか、魔女っ子の変身シーンを彷彿とさせるけど、あれだ。
シーラーでビニールが閉じていく、あんな感じ。
これが、魔法ってやつか?
すごいな、おい。
完成したのか、光の触手は消え、虹のカーテンが鏡になって、全貌が拝めるようになった。
小学校低学年の時の、あたしだ。
へぇ。
マリリン・モンローみたいなワンピースになりましたな。
ぷぷっぴどぅ、だ。
憧れの肩出しワンピ。
虹の鏡に、前後左右を映して見る。
動く度に、ふわっと膨れ上がるスカートの軽さに、思わず大きく、ターンしてみたら……浮いたスカートの裾から、肌に風を感じる。
下着は作られなかったんですねっ!
スカートを押さえてその場に座り込んでしまった。
踊ってる間に、カーテンも鏡もなくなっていて、
吸血鬼さんが苦しそうにカウチに突っ伏して笑っておられる姿が拝見できる。
もぞもぞと、お尻の下にスカートを敷いて……吸血鬼さん、笑い過ぎです。
あ。
「ありがとうございます」
服のお礼のつもりだったけど、吸血鬼さんは笑うのを止めて、なんだったら大きく目を見開いてる。
なんだ?
「服、ありがとうございます?」
語尾が上がっちゃって、疑問形になっちゃった。
「あ、ああ。ついぞ謝辞など耳にしたことがなくってね。申し訳ない」
と、言いつつ謝ってますがな、吸血鬼さん。
照れてるのだろうか?
手枕は顔を隠すことに使われている。
――ぱちん。
と、唐突に軽快な音が響く。
ピトス――フラメンコダンサーの、指を鳴らす音。
途端、部屋の空気が、重く湿り気を帯びる。
――?げほっ。
空気が、まるで溺れた時みたいに口の中に入り、咳き込む。
それはほんの一瞬で、すぐに楽になる。
……くん……ペパーミント……?……より、薄荷かな?
甘さがない。
辺りに、薄く香っている。
涼しげでいいね。
――おや?
なんだか、吸血鬼さんがあからさまな仏頂面になってる。
どおしたぁ!情緒不安定か?
触らぬ神にたたりなし。
吸血鬼さんから一旦目線を離す。
ぱちんと音のした方を見ると、さっきの狐さん。
こうして見ると、ちっさいのに体のメリハリがハンパない。
ぼんっきゅっぼんっ、なのもそうだけど。
しっぽ!三尾ある!!
ふわふわ!触りてぇ。
?なぜ、後ずさる?
で。
隣には狐さんの倍はありそうな、やたらとガタイの良い、白山羊さん。
しかも、きちっと正装してる!
なんなの?紳士なの?
それにしても、山羊の目って、なんでこう怖いんだろ。
なにより、でかいし。
なんせ、でかいし。
なのに……終始口がもぐもぐしてて、見た目と違ってかわいいぞ?
表情は変わんないけど。
――と、ぱんっ!て、後ろからクラップ音。
なんだね、ホントにフラメンコでも始まるのかしら?
あたし、ファルーカ好きなのよね。
音の主は吸血鬼さん。
不機嫌モード続行中で、目が笑ってないんですけど?
でも、あたしの視線に気が付くと、吸血鬼さんの表情が、ふっ、と緩んだ気がする。
気がするだけ。
吸血鬼さんが、カウチに座り直して、手招きしてくる。
それにしても。
きれいな手だなあ。
男の人にしては細いけど、しっかりと節があって、長い指。
それに布の重さで落ちた袖口から覗く、肘までのラインっ!
完璧だわ、あたし的に。
……そういや、旦那の、投げたボールから指の離れる瞬間の、
ぴって反る中指と人差し指、そこから流れる手首のライン。
肘の角度に見惚れたんだっけ。
今、思えば運の付きだ。
ベンチ野郎のくせに。
――嫌なことを思い出した。
手招きするのに、手のひらが上、って事は英語圏の方なんだろうか。
なら、こうも流暢な日本語は何だろう?
聞いたら教えてくれるかな?
てか、これ現実なのか?
あたし、悉く受け入れてるけど。
こんな時は、古典的に頬をつねってみよう。
――痛い。
手招きしてた、吸血鬼さんの手が止まる。
「君は、マゾヒストなの?」
「そういうわけではないですけど、夢か現か、判断しかねたもので、痛かったら現実なんじゃないかと」
「……ぷっ。で、どうだった?」
「痛うございました」
腕を広げて待っている。
どうしろと?
ま、行くべきなんでしょうね。
「あなたはペドフィリアなんですか?」
さっきのお返しだ。
「僕に言わせれば、誰の相手をしてもペドフィリアになるねぇ」
「……?」
「まあ、おいで」
吸血鬼さんに近づくと、くるっと体を回され、バックハグで膝に乗せられた。
こつんと、後頭部に固いものが軽く当たる。
多分、吸血鬼さんの額。
頭蓋骨の中が、ぞわっとする。
「僕は吸血鬼とは違うかな」
あれ?あたし、口にしてないよね?
「してないねぇ」
あれ?あれ?後ろを向いて、吸血鬼さんの顔を見る。
涼しげな、きれいな顔。じゃねぇ。
「離れたら、読めないから」
……接触型精神感応みたいなものかしら。
でも、カウチと絨毯の距離でも読めてたよねぇ?
「君、全部顔に出てるから。無意識?」
よく言われます。
なら、実験。
実験なんていうと人聞き悪いけど、吸血鬼さんにはばれてそうだ。
「どぅゆーすぴーくじゃぱにーず?」
まず、英語で問いかけてみよう。
発音は怪しいけど。
「日本語?」
聞こえてる音の数と、唇の動きが違う。
吹き替えの洋画みたい。
英語……かはわかんないけど、あ、そうだ。
「『ごちそうさまです』りぴーとあふたーみー」
日本語にしかなかったはずの、単語。
「『ごちそう……さま?』」
長いな、おい。
じゃあ、次。
日本人の十八番はどうだ。
「『大丈夫』」
「『だい、じょう、ぶ』」
たどたどしい。
迷ってる?
じゃあ、次。
「『お・も・て・な・し』」
一時有名になった日本語。
手は、つい動くよね。
「『おもてなし』?」
……吸血鬼さん、手は真似なくていいよ。
でも、確信できた。
「やっぱりそうだ。口の動きが日本語じゃない。同時翻訳してるの?」
答えてくれそうもないけど、吸血鬼さんに訊ねる。
なんせ吸血鬼さんは、今やあたしの髪の毛を弄るのに一所懸命だ。
「ん。僕は僕の知ってる言葉で話してる。君もそうでしょう?」
確かに。
あたしは日本語ネイティブだし、多言語は挨拶くらいしかわからない。
「……原理はわかんないけど、便利だね」
世界中の人とお友だちになれそうだね。
「どうなってるか、知りたい?まず……」
翻訳機の説明だろうか?
メカニックになると、喋らせるだけになるのは悪いな。
「難しいならいいや」
「……適応力、すごいね」
くっくっと漏れる、笑い声を押さえないのは、呆れられてるのかなぁ。
「まあね。いろいろ目を瞑るのが社会人かと」
「社会……人、って生き物?」
生き物?!
……そうかもしれない。
社会の働きアリ。
あ、社会人の常識、名刺交換を、していないではないか。
いけない、いけない。
「あの、あたし……」
言いかけて、あたしの唇を、吸血鬼さんの細い指がふさぐ。
「アキラでいい?」
読まれてたのか。
「でも、なんで“アキラ”?」
「君の名前だけど、君の名前じゃなくて、だけど呼ばれれば君の事と認識できる、言葉」
ぴたきうむ、とはなんぞや?
「記号、ってこと」
もやっと、したことを対応して貰えるのは、なんだかAIと話してるようだけど、ま、便利だね。
やっぱり、読まれてるようで、あたしを抱き締めて、背中で笑ってる。
ん?待てよ?
名前を言えないって、真名で相手を支配できるとかなんとかの、ファンタジーの定番だよね?だったら、仮名つけなくても、君とかでいいんじゃ?
「君、も定着したら、名前と同じだからね」
なるほど。
なら、吸血鬼さんも定着したら、吸血鬼になるのか。
「ならないけど、そうだね。僕のことは今はヴィザーゴでいいよ」
聞いたことのない単語。
翻訳されてないってことは、日本語に無いのか、固有名詞だからか。
「で、ここはどこ?貴方はなに?」
あたしがそう言うと、吸血鬼さん改めヴィザーゴさんは、またあたしの頭に自分の額をつけた。
またしても、脳がぞわぞわする感覚。
ヴィザーゴさんは、口の中で小さく呪文を唱えている。
声が小さすぎて、聞き取れないのか翻訳は機能してない。
時間にしたら二十秒もないと思う。
あたしの頭から、額を離したヴィザーゴさんは言った。
「アキラの言葉でいうと、悪魔かな?」
ほぉ……悪魔か。
悪魔?!
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。