第二話 再会
朝、言語監査庁の自席に着いてすぐ、私はIDを入力する。
生体認証のサインが一瞬光り、自分の名前が表示される。
【水沢 琴:言語監査士Ⅲ類 登録番号 0000104】
画面に通知が表示される。
夜のうちに自動巡回が拾った案件がいくつか、私の担当として割り振られていた。
優先対応案件の一番目を見て、少し首を傾げた。
故人ツインの本人性指数一・〇二。
許容範囲内、というより、整いすぎている。一・〇〇を超えるのは、生前ログの分布に対してツインの応答が過剰に整合している場合に出る数値だ。多くの場合、それは「特定の時期の本人」がツインの中で安定して再現されている、ということを意味する。
応答ログ生成経路のグラフィックを確認する。赤味は、どこにもない。経路は均一に太く、摩耗の予兆もない。
普通ならこちらに回ってこない案件だ。一般調律士のレベルでも、調整の必要はない、と判断されるはず。
申し立ての詳細を開く。
調律希望者は西垣信吾、六十三歳。職業欄に「株式会社創衣工房 代表取締役会長」とある。故人ツインは藤村明。享年六十二。三ヶ月ほど前、突然死で亡くなったとある。
──藤村のツインは、私の記憶している藤村ではない、ように思います。
申し立ての文面は、慎重に書かれていた。「違う」と断定する手前で、止めている。「ように思います」が、何度か書き直された跡があった。
具体例として書かれていたのは、対話の一部だった。西垣さんが「あの頃、お前の工場と仕事をしておけばよかった」と話しかけたところ、ツインの藤村は「そうだな。あの頃は、若かった」と返したのだという。
──藤村は、こんな、無難な相槌を打つ男ではなかった。
そう書かれていた。
「昨日の奥沢さんの件、さすがでした」
橘さんがコーヒーを淹れて戻ってきて、私の隣で軽く会釈した。
「はい。楽勝でした」
「いつもありがとうございます。今日のはどうですか」
「一・〇二」
橘さんは少し眉を上げた。
「珍しいですね、こちらに上がってくる数値としては」
「ただ、申し立ての内容が。まあ、典型的なものではあるんだけど……」
「ふむ……」
橘さんは画面を覗き込んで、少しのあいだ黙った。
「お任せします」
橘さんは自分の席に戻っていく。彼にとって、整いすぎた案件は判断しにくい領域だ。
何も摩耗していないツインに対しては、調律ではない、別の種類の判断になる。
申し立ての文面をもう一度眺めていると、葉子さんが私の席の後ろを通りかかった。
「西垣さんのお申し立てね」
彼女はもう中身を見ていたらしい。
「葉子さん、これ、どう思いますか」
「『ように思います』を、何度も書き直してる」
「わかりますか」
「ええ。それと、最後の一文が、申し立てにしては……」
私はもう一度、申し立ての末尾を見る。
──藤村のツインに、もう一度会って、話したかったのです。
たしかに、申し立てとしては奇妙な末尾。異議ではなく、私的な感情のような一文。
「……会いに行った方がいいかもしれない」
葉子さんが呟いた。
「西垣さんに、ですか」
「そう。ログだけでは、たぶん」
それ以上、彼女は言わなかった。自分の対話ブースに戻っていった。
生前ログを開く。
藤村明、享年六十二。学生時代の友人だった西垣信吾と二人で、三十年ほど前に株式会社創衣工房を立ち上げた。新興のアパレルとして注目を集めた時期があり、当時の業界誌や経済誌の記事がいくつか残っている。
ただ、記事に登場するのは西垣さんの方が多い。社外向けのインタビューや対談、メディアの露出は、ほぼ西垣さんが担当していた。藤村さんの名前は共同創業者として記載されているが、本人の発言として残っているログは少ない。社内会議の録音、技術メモ、現場の縫製職人とのやり取り──表に出ない種類の言葉が、藤村さんの三十代のログの中身だ。
そして四十代に入る頃、藤村さんは会社を離れている。実家の縫製工場──主に産業資材の縫製を請け負う、表に出ない種類の町工場──を、亡くなった父親から継ぐためだった。
それ以降、藤村さんのログは町工場の経営者として残されたものに切り替わる。職人言葉、地元の方言の混じる会話、地域の組合との打ち合わせ、家族との日常。発話量としてもこちらの二十年分の方が圧倒的に厚い。
藤村さんが亡くなったあと、工場は妻が継いだ。一人娘が補佐として入社しているとも、ログに付随する情報として残っている。
ツインの本人性指数一・〇二には、この二十年の藤村さんが色濃く反映されている。生前ログの大半がこの時期のもので、ツインの応答もこの時期の言葉遣いと価値観が反映され、安定している。
問題は、おそらく西垣さんが記憶しているのがその前の藤村さんなのだろう、ということだ。
ヘッドセットを着けて、藤村さんのツインを呼び出す。
「藤村さん」
わずかな間。
「はい」
声は低めで、少し方言の訛りがある。地元の言葉と標準語の間にある、落ち着いた口調。
「お仕事のこと、最近お考えになりますか」
「仕事ですか。まあ、いつものことですね。納期の話とか、職人の手配とか」
私は、もう少し別の方向から問いを置いてみる。
「お若い頃、別のお仕事もされていましたよね」
「ええ、そうですね。アパレルの会社をやっていた時期がありましてね」
「ありましてね」と過去形で、どこか他人事のような口調で語られる。
「西垣さんという方とご一緒だったとか」
「西垣ね。ええ、学生の頃からの縁で」
「学生の頃からの縁」。これは、ツインの応答として整っている。生前の藤村さんが西垣さんについて話した際の語彙の中央値からの応答として、自然だ。
ただ、西垣さんが申し立てに添えた具体例──「あの頃、お前の工場と仕事をしておけばよかった」に対して、「そうだな。あの頃は、若かった」と返した応答──を私はもう一度思い出していた。
『あの頃は、若かった』
私は初め、藤村さんがその時代をすでに過去のものとして整理し、距離を置いた語り方をしているのだと思った。これは三十代の藤村さんが、隣にいる西垣さんに対して使う言葉ではない。
ただ、どこか後悔が滲んでいる──西垣さんとは別の種類の。
ツインの応答は、生前の藤村さんが「町工場の藤村社長」として、過去の起業時代を振り返るときの言葉遣いを、忠実に再現している。本人性指数一・〇二は、その意味では正しい。
ただ、西垣さんはそれを「藤村ではない」と感じた。
ヘッドセットを外して、私は葉子さんの言葉を思い出していた。データだけでは、たぶん──何も見えない。
調整候補を呼び出してみても、ツールは何も提示してこない。経路の摩耗がない案件には、調整の起点がない。本人性指数一・〇台。手続き上は何も問題がない。
私は橘さんに短く声をかけ、外出することを伝えた。
西垣さんの会社に午後いちばんに伺って、話す約束を取り付けられたからだ。
創衣工房の本社は都心から少し外れた場所の、リノベーションされた古い倉庫のような建物だった。受付で名乗ると、若い社員が応接室まで案内してくれた。
応接室の壁には、いくつかの写真とトロフィーが飾られていた。創業期のものらしい、二人の若い男が並んで写っている写真。一人は西垣さんだとわかった。もう一人が藤村さんだろう。三十代の二人は、いまの私と同じくらいか、少し若いくらいに見えた。
しばらくして、西垣さんが入ってきた。痩せ型で、少し背中が丸くなっている。グレーのスーツに、シンプルな眼鏡。落ち着いた声で挨拶をして、私の向かいに座った。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、わざわざお越しいただいて」
西垣さんはコーヒーを一口飲んで、少し黙った。
「申し立てを書くのが、難しかったんです」
やがて、彼はそう言った。
「『違う』とだけ書けば良いようなものですが、それでは正確ではないように思いまして」
「『ように思います』と、書かれていましたね」
「ええ。あれが、いま私が言える、精一杯の言葉でした」
私は頷いた。西垣さんは続けた。
「藤村が、私を公開範囲に残してくれていたんです。藤村の奥さんに確認したら、生前にそう設定していたと。意図はわからないと言われましたが、少し意外でした」
「そうですか」
「二十年、話していなかったので。年賀状はやり取りしていましたが、それだけでしたから」
西垣さんは、応接室の壁の写真をちらりと見た。三十代の二人が並んでいる写真を。
「私はいま、この会社を引き継いでいるところでして。あ、まだ正式に発表はしていないので、ここだけの話にしておいてほしいのですが。創業期からの社員ではないのですが、長く支えてくれた人間です。引き継ぎの過程で、藤村と会社を立ち上げた頃のある決断について、思うことが出てきました」
西垣さんはそこで一度、言葉を切った。
「それを、藤村と話したかったんです。誰と話してもよさそうなものですが、藤村でないと、たぶん意味がない種類の話で」
私は黙って聞いていた。西垣さんは続けなかった。「ある決断」の中身は、語られなかった。
「それで、ツインに会いに行きました」
「お話は、できましたか」
「話は、できました」
「ですが、私が話したかった藤村ではなかったように思います」
「ように思います」が、また使われた。彼はその語尾を、慎重に選び続けている。
「藤村は、私が知っている藤村ではありませんでした。それは、当然と言えば、当然なんです。あいつは四十代で会社を出て、町工場を継いで、二十年そこで生きました。私はその二十年の藤村を知りません。あいつは町工場の社長として、職業人生の半分以上を生きた」
西垣さんは少し笑った。
「だから、私が会いたかった藤村にはもう会えない、ということなのでしょう。そういうことなら、これは技術の問題ではなく、私の問題です」
私は、申し立て文の末尾の一文を思い出していた。藤村のツインに、もう一度会って、話したかったのです。
「西垣さん」
「はい」
「申し立ての手続きとしては、本人性指数に異常が認められないため、調整の対象にはなりません。技術的なエラーも観測されていません」
「ええ、そうだろうと思っていました」
「ご了解いただけますか」
「了解します。お手数をおかけしました」
西垣さんは、本当に静かにそう言った。怒りも、抗議もなく、ただ手続きの結果を受け入れた。
私は庁舎に戻り、報告書を起票して橘さんに回した。
「西垣さんの件、手続き上の調整なし、で完了です」
「お疲れさまでした」
橘さんは画面を確認して、軽く頷いた。和泉さんは別の数値を見ていて、葉子さんは別の対話ブースに入っていた。普段通りの午後だった。
私は休憩室にコーヒーを取りに行った。コーヒーマシンの前に、佐久間さんが立っていた。
佐久間律生。一般調律案件管理課の課長で、言語監査庁の設立当時からこの仕事に関わっている人。物静かな人で、必要なことしか話さない。
彼の妻が私の学生時代の指導教官だった縁で入社した、故人デジタルツインサービスの会社。そこで彼は、技術部門の統括役員を務めていた。つまり、民間サービス時代の、私の元上司だ。
「西垣さんの件、片付いた?」
コーヒーマシンのボタンを押しながら、佐久間さんは私の方を見ずに言った。
「はい。本人性指数は異常がなかったので」
「そうか」
コーヒーが落ちる音が、しばらく続いた。
「佐久間さん。本人って、どの時点の本人なんですかね」
私は自分でも少し驚いた。聞くつもりではなかった。
佐久間さんは一瞬沈黙した後、コーヒーを取り上げて私の方を一度だけ見て言った。
「お前が決めたことだ」
それだけ言って、休憩室を出ていった。
私はマシンの前に立ち尽くして、自分のカップにコーヒーが溜まっていくのを見ていた。
民間時代の私は、クライアント──遺族の希望に合わせて、選んでいた。「お父さんのどの時期がいちばん好きでしたか」と聞いていた。「娘が小学生の頃かしら」と言われれば、その時期のログを参照係数の中央に置いてツインを構成した。「定年退職してからの、穏やかな頃」と言われれば、そちらに合わせた。
遺族が決めていた。私は決めていなかった。決める必要がなかった。
公的調律士になってからは、遺族の希望を聞いていない。いや、まったく聞かないことはない。だがそれ以上に、本人性指数という客観的な指標がある。それに従って、許容範囲内に収める。それが基本だ。
だが、いまの問いは違う。本人性指数が一・〇二の藤村さんは、どの時期の藤村さんだったのか。時期ごとのデータの厚みによって、自動的に「本人」は構成されている。制度が、データの分布に従って決めている。私は決めていない。だけど今日は決めないことを、決めた。
──家に帰って、台所で昨日の食器を洗った。
西垣さんの言葉を、もう一度思い出していた。「藤村でないと、たぶん意味がない種類の話で」。
藤村さんは、西垣さんを公開範囲に残していた。意図はわからない。西垣さん自身も、よくわかっていない。だが、残されていた。
それは、藤村さんの何かの意思だったのかもしれない。三十代の頃の藤村さんの、あるいは町工場の藤村さんの、あるいはそのどちらでもない、六十二年を生きた藤村さんの。
食器を洗いながら、私は、藤村さんの意思について考えた。
それを少しのあいだ考えて、考えるのをやめた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。