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○○がない

奥井晴弥

30,923 字

企業成長物語、群像劇、ヒューマンドラマ

"言葉にできない「らしさ」を求めて、中小企業が辿り着いた答えとは。"

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第二話 主語がない

キックオフミーティングに向かうのは、いつも憂鬱だ。
私の仕事──中小企業の経営相談は、社長の声を聞くところから始まる。

ムライ化工の村井社長と初めて会ったのは、地銀主催の経営相談会だった。ムライ化工は彼の父親である先代社長・現会長が創業した、従業員四十名ほどの生活雑貨メーカーで、その会社の会議室で私は今日、「パーパス策定プロジェクト」のキックオフミーティングのファシリテーションを担当する。

中小企業とはいえ、何十人もの社員を雇用して事業を続けられている時点で、どの会社にも必ず何らかの「持続的な勝ちパターン」がある。
だが、事業環境は多かれ少なかれ変化する。数十人規模の社長の悩みはたいてい、その勝ちパターンをより長持ちさせるためのものか、あるいは持続が難しいと判断したうえでの新しい勝ちパターンの模索か、どちらかだ。

ほとんどの社長は、真面目で、勉強熱心だ。何十人もの生活を背負う責任感もある。そして多くの場合、自分の悩みに対する「答え」の輪郭を、すでに持っている。村井社長も、その例に漏れなかった。
話して「答え」が出るまで、時間はかからなかった。
それが「パーパスの策定」だった。

──ただ困るのは。
ほとんど必ずと言って良いほど、社長の「答え」のその輪郭は、現場の従業員の感覚と一致していない、ということだ。
だから、キックオフミーティングに向かうのは、憂鬱だ。

初めて話したとき、村井社長は「いや、自分としては不本意なんですけど」と切り出した。「うちも、そろそろちゃんとしたものを掲げないと。社員も、そういうのを求めてる気がして。背中で語って引っ張る、そういう時代じゃないと思うんです」と言った。
社員が求めている。時代が求めている。
そう言う社長ほど、本当は、自分がいちばんそれを欲しがっている。
それでも「僕が欲しいんです」とは、決して言わない。

私が売るのは、その「欲しがっている人」を「欲しがっているように見せない」技術、言ってみれば「主語を消す技術」だ。
社長の答えを、社長のものに見えないように、現場へ配り直す。「社長が決めた」ではなく、「みんなで決めた」。同じ結論でも、後者になるように持っていく。
そのためのいつもの台詞。「大事なのは、私が答えを持ってこないことです。答えは、もう御社の中にあります」これは半分、本当だ。みんなで掘り出したものなら、みんなのものになる。
──もっとも、「みんなのもの」が「誰のものでもない」とほとんど同じ言葉であることには、私はもう長いこと、触れないことにしている。

主語はなくて良い。全員の顔が見える組織なら、尚更だ。

初めて訪れたムライ化工の受付の脇には、自社製品が並べられていた。米びつ、引き出しの仕切り、ケチャップの蓋。どれも地味だが、よく考えられている。説明書きは短く、それでいて、考えた人間の体温のようなものが残っていた。
この会社がどういう会社であろうとしてきたのかを、商品が雄弁に語っている。そう感じた。

会議室には各部署から中堅が四人、集められていた。
私はこういう部屋を何百回と見てきた。
ホワイトボードの前に立ち、「パーパス策定プロジェクト会議」と書いた。
四人の社員の怪訝な目線が、背中に刺さるのを感じる。
私はそれを振り払うように、完璧な声のトーンを調整して、切り出す。

「初めまして。フレーバーフィールド経営研究所の香田と申します。今回、村井社長からのご相談を受け、このムライ化工さんの、一段の飛躍のお手伝いをさせていただくことになりました」

私がプロジェクトの概要を説明し、四人の自己紹介が終わったところで、管理の坂上さんが開口一番「前例がないので」と心配を口にした。
前例がないという言葉を、私はどこの会社でも聞く。この人は、反対しているのではない。会社の金の流れ、人の給与、その他膨大な名前のない仕事を、長年、ルールに沿って、時にはルールを作って、守ってきた人だ。ただ、ルールの置き場所を探しているだけだ。

営業の田所さんは、他社事例の説明の最中に鳴った、携帯の表示を一瞬、真剣な目で見ると「すんません」と廊下へ消えた。会社の売上はこの会議室ではなく、彼が出ていった廊下の先から生じる。

製造の黒木さん。一言も喋らず、時計ばかり見ていた。この会社の製造部門は、製造だけでなく受注出荷の物流業務を兼ねている。いや、むしろそちらがメインだと聞いた。彼はたぶん、午後の出荷のことを考えている。この会社が何かを世に届けるには、彼の仕事が必要だ。沈黙は思考の空白ではなく、現場への注意だろう。

そして企画の佐藤さん。議事録を取りながら、私の手のうちを半分見抜いているような、そういう表情をしている。彼がいちばん厄介かもしれない。だが、そういう人ほど頼りになるのも事実だ。

そのあと、パーパス策定の着想になればと、村井社長が会社の沿革をひとしきり語った。初めて聞く話もあった。おそらく、誇張や願望も混じっている。
私は「いいですね、すごくオーセンティックです」と言った。オーセンティックがどういう意味か、その場の誰も聞き返さなかった。聞き返せない言葉を置いておくのも、私の仕事のうちだ。意味を確かめられない言葉を、人は雰囲気で受け取る。今は「何か良いことを社長が言った」という雰囲気を、受け取ってくれているはずだ。

私はホワイトボードに空欄と矢印を並べた。半年かけて、ここに一文を入れましょう、と、矢印の先の空欄を指差した。矢印の先の空欄は、希望に見える。

会議の終わりに、私は宿題を出した。次回までに「うちらしさ」を表す言葉を三つ、各自で考えてくる。「みんなで作った」という事実を、作るためだ。出てくる言葉が本心かどうかは、実はあまり関係がない。一度手を触れたものを、人は否定しにくい。

帰り際、案内されて倉庫の二階を見せてもらった。現会長である、先代社長が創ってきた商品がガラス棚に並んでいた。輪ゴムを一本ずつ取り出せる箱。そこに「初の自社開発商品」という小さな名札がついていた。これを創った人がいる。物には、主語がある。
訪れる先の会社で、こういう、主語のある物の前に立つたびに私は少しだけ、職業を間違えたような気持ちになる。だがその気持ちには、長くは立ち止まらないことにしている。

二代目は、会社も、商品も、社員も引き継ぐことができる。だが、先代が言葉にしない、言葉にできない、あるいは二代目が気づけない「なぜ」は引き継げない。村井社長が「答え」としてパーパスをほしがるのは、つまり、父から引き継げていない「なぜ」を、自分の言葉で見つけたい、ということなのだと思う。

会長は、会議には来なかった。来る必要がないのか、村井社長が無意識に遠ざけているのか。これから半年かけて掘り出す言葉は、本当にこの会社を一段、飛躍させるのか。

帰りの電車で、次の会社の資料を開いた。一枚目に、私がどの会社にも置いていく問いが刷ってある。「貴社は、何のために存在しますか」。私はこの問いを、何百という会社に置いてきた。そのたびに、答えはもう皆さんの中にあります、と言ってきた。

窓に、この仕事を始めたころより少し老けた、自分の顔が映っていた。私は、他人の会社のずれには、毎度すぐ気づく。それが商売だ。けれど、この問いを自分に向けたことは、一度もない。私の中の、その「中」が、どこにあるのか。

村井社長は四十人以上の生活を、背負っている。
その父親は四十年の間、会社の勝ちパターンそのものだった。
私が食わせているのは……自分と、その家族だけだ。

電車は、次の似たような会社の、似たような社長のもとへ、私を運んでいく。

答えはもう、御社の中にある。
私は、そう信じている。

── 第2章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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