プロローグ
さんわの すずめと てんしの わっか
ふゆの ゆうがた。
ふるい えきの のきしたに、
すずめが さんわ あつまって いました。
おおきい すずめと、
まんなかの すずめと、
ちいさい すずめ。
さむいので、ぴったり くっついて います。
そのとき、
「ことん。」
うえから、まるい ひかる ものが おちて きました。
「なんだろう、これ。」
「まあるいね。ぴかぴか して いるよ。」
すずめたちは、くびを かしげました。
おおきい すずめが いいました。
「わかった。これは てんしの わっかだ。
てんしが おとして いったんだ。」
「わあ、てんしの わっか!」
「あたまに のせて みたいなあ。」
でも、わっかは すずめたちより おおきくて おもくて、
どんなに がんばっても のりません。
「うーん。」
「よいしょ。」
「だめだあ。」
そこで、おおきい すずめが いいました。
「ひとりで かぶるのは やめよう。
みんなで わっかの なかに はいろう。」
おおきい すずめは ひだりに、
ちいさい すずめは みぎに、
まんなかの すずめは まんなかに。
さんわ そろって、わっかの なかに ならびました。
わっかは ぽうっと ひかって、
すずめたちを ぐるりと やさしく てらします。
「あったかいね。」
「うん、あったかいね。」
さんわは ぴったり くっついて、
ぐっすり ねむりました。
つぎの あさ。
えきの おじさんが やって きて、
わっかを ひろって いって しまいました。
「てんしの わっか、いっちゃった……。」
すずめたちは しょんぼり しました。
でも、ちいさい すずめが
ふと おもいだして いいました。
「ゆうべは、さんわで わっかの なかに いたね。
あったかかったね。」
「そうだね。」
「ほんとうだね。」
さんわは ちゅんちゅん わらいました。
あさの ひかりの なかで、
すずめたちは まあるく ならんで、
ぴったり くっついて いました。
それが、てんしの わっかみたいに、
あったかかったのです。
おしまい
第1羽
初心者怪盗スパローズアイ
何にでも初めてはある。大リーガーだって初めてバットを振った時はそれほど上手くなかったはずだ。いや、才能がある人は最初から驚くほど上手いのだろうか。分からない。でも、最初は下手で当たり前。練習すればいい。
不思議なのはスキーのジャンプだ。最初の1回目で墜落して死んでしまう人はいないのか。そうならないようにたくさん練習してから実際のジャンプにチャレンジするのだろうけど、いくら練習したからといってあんな大きなジャンプ台から宙に飛んでいくのは怖いだろうに。
問題なのは、私がやろうとしている「初めて」がバットを振るよりスキーのジャンプに近いタイプの「初めて」であるということだ。
私は黒いレオタードに着替える。長い髪をなびかせたいところだが邪魔になりそうなのできちんと結ぶ。今夜、やるしかない。もう予告状は出してしまった。
「スズメ、準備はいい?」
ヒバねえねも着替えて部屋から出てきた。息子のハヤブサ君の寝かしつけが済んだようだ。年齢差があるとはいえ胸の膨らみにだいぶ差がある。私もヒバねえねの歳になったらああなるだろうか。
「ねむいー」と言いながらツグミも出てきた。ちょうどいいサイズのレオタードがなかったのでスクール水着だ。さすがに名前と学級は消してある。
26歳のヒバリ(バツイチ)、18歳の私、スズメ、10歳のツグミ(小学生)。歳の離れた三姉妹。怪盗スパローズアイ、今夜が初仕事だ。
ビルからビルへ華麗に飛び移りたい。だが、現実的には不可能だ。ロングコートを羽織ってそっと夜の街に出る。冬の夜中にレオタード姿で彷徨いていると職質されるからだ。車があればいいのだが誰も免許を持っていない。持っていたとしても車を買うお金がない。
目的地までGoogleマップによると徒歩で87分。ルートは頭の中に叩き込んである。県道に出たらほぼ直進だ。「寒いね」「ほんと寒いね」。声をかけて温め合う。高校の時の国語便覧にこんな俳句が載っていた気がする。
「次から目的地近くのトイレで着替えればよくない?」
私は閃いて言う。
「というか着替える必要なくない?」
ツグミが返す。確かに、と私は納得しかける。
「でもねぇ、ユニクロのカットソーとかくすみピンクのニットで盗みに入るのも気分が出ないわよ」
ヒバねえねも言い返す。そうだ。やはりらしさは必要だ。それに。
「ま、みんなでお揃いの服を着るなんてなかなかないじゃん」
ヒバねえねもツグミも頷く。犬を連れたおじさんが怪訝そうな顔をして通り過ぎていった。
私が小さい頃。ヨーロッパのある国のプリンセスが結婚した。童話のプリンセスにまけないくらい綺麗な人だった。私はテレビに釘付けになった。荘厳な教会で行われた結婚式。彼女が身に付けていたのが王家に伝わるティアラ「天使の輪」だった。
「ヒバねえね、新聞とか見た?」
ツグミが聞く。
「見たけど載ってなかったわねぇ」
2日前に送った予告状。きちんと書留で送ったし、博物館の公式インスタグラムアカウントにもPDF版を送った。
「見てもらえなかったのかな」
バカにされているようで少し悔しい。
「やっぱりAIで作ったのがいけなかったのかなー」
私はぼやく。AIがものの数秒で作ってくれた招待状はパッと見、カッコいいのだがどこか没個性にも感じられた。
「でも私たちの中にデザインとかできる人いないしねぇ」とヒバねえね。「下手でも手作りの方が良かったのかしら」
プリンセスになりきるようなおもちゃが欲しかった。だけど、小さいなりにうちにはそんなお金がないことも分かっていた。ヒバねえねに手伝ってもらって、段ボールを切り抜いて、折り紙の金と銀を貼って「天使の輪」を作った。あの頃はまだ生きていたママも喜んでくれた。
「あ、ヒバねえね。あした学校で雑巾要る」
ツグミが突然言い出す。
「えぇ。なんでもっと早く言わないのよ」
私は少し笑った。「ヒバねえね、こういう時だけ言い方がママそっくりになるよね」
あの頃はプリンセスにはなれなくても楽しかったと思う。
「あした学校行くときにコンビニ寄って買っていけば?」と私は提案する。
「えー。売ってなかったら?」
「その時はもう諦めるの」
無いものは無いのだ。諦めるしかない。
「雑巾を持って行かなかったら掃除しなくてすむんじゃないかしら」
ヒバねえねの言葉に「いや、絶対そうはならないでしょー」とツグミが口を尖らせる。
県道の青い案内標識に「市立博物館」の文字が見えた。
あの天使の輪を身に着けていたプリンセスは結婚から数年後、交通事故で死んでしまった。
私は車が嫌いだ。憧れのプリンセスもパパもママも、みんな交通事故で奪われた。免許を取ろうとも思えない。誰かの大切な人を殺してしまう気がする。
そのプリンセスの国の長くて難しい名前の街と私の住んでいる市は姉妹都市だ。友好50周年を記念して、今、天使の輪が市立博物館に来ている。
「スズメ、仕事はどう?」
ヒバねえねに聞かれて、私は肩をすくめる。「バイトと変わらない。レジ打ってるだけ」
高校を卒業して9ヶ月あまり。ドラッグストアでレジを打っていただけだ。虚数もサ行変格活用も私の人生には不要だった。
「ヒバねえねは?」と聞き返そうとして止める。ヒバねえねは昼はスーパーで働き、夜は駅に近いスナックでホステスをしている。近所のおじさん相手にお酌する程度なんだろうが、やはり聞きにくい。
県道は深夜だというのにたくさんの車が通っている。トラックも多い。みんな働いている。
ヒバねえねもいつも帰ってくるのは夜の12時ごろ。仕事終わりにツグミを学童から回収して、8時ごろにハヤブサ君を寝かしつけるのは私の担当だ。ヒバねえねが帰ってくる時間にはツグミはもちろん、私も寝てしまっていることが多い。
「ねー、最近、レジってほぼほぼ自動じゃね。大丈夫?」
ツグミの声で我に返る。
「大丈夫って、仕事がなくならないかってこと?」
「そう。だってレジに人いないじゃん」
少し考える。そう言われたらそうだ。首にされたら大変だが、あまり実感が湧かない。
もう一度肩をすくめる。レジの技術がどうなるかなんて私がどうこうできる話じゃない。「首になってから考えよう」
ツグミは少し黙ってから「私の時はどうかなー。どんな仕事すればいいんだろ」
「ツグミはまだ8年後でしょう? 分からないわよ」
ヒバねえねの言葉にツグミは「5年かもよ。高校行く必要なくね」と返す。
ヒバねえねは少し悲しそうな顔をする。ヒバねえねの気持ちは分かる。でもツグミの気持ちも分かる。虚数もサ行変格活用も必要なかったのだ。
「ほら、でも高校行きながら怪盗のお仕事もできるし」
「いやー、職業欄に書ける仕事がいいわー」
「スズメは将来どんな仕事をしたいの?」
パパに何度も聞かれた記憶がある。なんと答えただろうか。覚えているのは「フライトアテンダント」。パパは「それならスズメじゃなくてツルにすれば良かった」と笑っていた。
それから、ヒバねえねと一緒にアクセサリー屋をやろうと約束したりもした。ツグミが生まれる前、生まれてくるのが女の子だったら仲間に入れてあげて、男の子だったら自分で仕事探せと言おうと2人で決めていた。
ツグミは将来の夢を聞かれたことがあるのだろうか。
市立博物館に着いた。天使の輪の写真が入ったのぼりが夜の風にはためいている。怪盗が盗みに入る時はだいたい大きな満月が輝いているものだがあいにくの曇り空だ。警官隊もいないし、サーチライトを当てられることもない。
正門はしっかりと閉められている。高い壁と門は全てを拒絶するような冷たさを放っている。あぁ、まただと思った。私が入りたいところはだいたいこうなっている。
私たちは裏門に回った。横にスライドさせるタイプの門は少し開いていて、(ヒバねえねは胸がつかえたけど)敷地内に入ることはできた。だけど、もちろん建物内への扉は固く閉ざされている。
そこに清掃員のものだろうモップと汚れた水の入ったバケツ、雑巾があった。私は雑巾を手に取った。スパローズアイの最初の獲物だった。
ここに来るまでと同じ時間、まだ三人で話しながら帰れると思うと少し温かい気持ちになった。
第2羽
ドーナッツ奇譚
小さな丸いテーブルを囲んで3人の女性が座っている。
すごい雨ね。ゲリラ豪雨? 線状降水帯? ほんと地球はどうなっちゃうのかしらね。
まさかドーナッツ屋さんから帰れなくなっちゃうとはね。このお店、「エンゼル・リング」、私、好きでよく来てるのよ。お2人は? 常連さん? なんだ。たまたまか。
まぁそうよね。この店、特別美味しくも安くもないし。え、じゃあなんでよく来るのかって? ドーナッツ屋って匂いがいいじゃない。香ばしい揚げたてのドーナッツとコーヒーの香り。幸せな気分になれるわ。
ああ、私は「きぐち」と言います。ううん。ツリーの「き」じゃなくてイエローの「き」。黄色い口と書いて黄口。雛鳥とか若輩者のことを指す「こうこう」とおんなじ字よ。
好きなものは…ドーナッツ。許せないものは…穴の開いていないドーナッツ。あるでしょう? ミスタードーナツとかにも。普通の菓子パンみたいにクリームとかが入ってるやつ。あれはパンね。ドーナッツを名乗る資格はないわ。穴が開いていてこそのドーナッツでしょ。そう思わない?
まぁあの形が愛嬌があるというのもそうだけど、何より向こうと繋がっているから。向こうって。そりゃ、穴の向こうの世界よ。
穴の向こうの世界とこっちの世界はよく似ているけど少し違う。鏡写しの世界ね。互いに影響し合ってもいるの。ドーナッツの穴を通じて善いものもそうでないものも行き来している。
なんでこんな話をしているのか分かる? 私とあなたってよく似ているでしょう? そう。私は穴の向こうの世界のあなたなの。あなたはこの世界をもう十分楽しんだでしょう? ねぇ、そろそろ交換しよう?
いや、黄口さん。洒落になんないっす。怖いですよ。でも、私と黄口さん、そんなに似てますかね? ほくろの位置も違うし。ていうか、私まだ19なんですよ。黄口さん、結構オトナですよね? え、細かいことは気にするな?
あー、私は雛子っていいます。名前の方向性は似てますね、確かに。
ていうかびっくりですよ。たまたま雨宿りで居合わせた人に、「ドーナッツにまつわる怪談をしよう」って言われたの。私史上に残る無茶振りですよ。普通そんなのないですって。
ふふ。でもね。これがあるんです。
怪談っていうか、私が見た夢の話なんですけど、人間ドーナッツの刑です。
夢の中で私、悪いことしちゃって捕まるんですよ。まぁカレシの浮気相手を…しちゃったみたいな感じで。夢の中の話ですよ。リアルではやってないですから。
で、この人間ドーナッツの刑というのはですね、3人がそれぞれ、こう他の人の足を掴んで輪を作って、その状態で煮立った油の中に突き落とされるという刑です。
地獄っぽい感じのところに人間ドーナッツの刑にされる人が集められてて、そこに鬼的な奴が来るんですよ。ジャージ着てオニツカタイガーの靴履いてるんですけど。
それで刑に処される3人ずつのグループをその鬼が決めていくんですよ。私と一緒になったのは毎朝大学へ行くバスで見かける名前も知らないおじさんと中学生の時に憧れてた先輩なんです。
で、いよいよ処刑ということになってお互いの足を掴まないといけないんですけど、あいにくその日私スカートで、足掴まれると見えちゃうんですよ。しかも、かなりイケてないやつなんですよね。憧れの先輩に見られるか、知らないおじさんに見られるか。どっちだーーってところで目が覚めました。
え、なんで笑ってるんです? 怖くないですか?
ははは…。だって。面白すぎですよ、雛子さん。途中まで怖かったのに。あー、もう。お腹痛いです。
でも実は私、ちょっとびっくりしてます。私の名前は「ことり」。目白が丘小学校の4年生です。名前の漢字は楽器の琴に理科の理ですけど、「ことり」ですから。なんか仲間って感じがします。
じゃあ、ドーナッツの怖い話をします。
昔、あるところに貧しいお母さんと娘さんがいました。その夜も食べるものはドーナッツ1つしかありません。お母さんは「半分こしよう。私は真ん中の穴を食べるから、お前は周りを食べなさい」と言います。
娘は「真ん中は何もないよ」と言ったけど、お母さんは「そんなことはないよ。お前は子どもだからまだ見えないだけでちゃんとあるよ」と言いました。
それで娘はドーナッツの周りを、お母さんはドーナッツの真ん中の穴を食べました。
次の日の朝、娘が起きるとお母さんはいなくなっていました。
ふと気が付くと雨が上がっていた。
黄口は窓の外を確認すると少し残っていたコーヒーを飲み干して、「ありがとう。2人のお陰で楽しかったわ」と微笑んだ。少し陰のある蠱惑的な笑みだった。
「2人の分、私が払うって言いたいところだけど先払いだもんね。残念」。黄口はカバンを肩にかけ、高級そうな香水の香りを振りまいて去っていった。
3つある椅子のうち1つが空席になった。
「じゃあ私も行くね」と雛子も立ち上がる。スカートではなく細いジーンズ姿だった。「あの夢見てからスカート敬遠気味なのよ。笑ってたけどことりちゃんも私の気持ちが分かる時が来るから」。
雛子はテーブルの上に出しっぱなしになっていたスマホをカバンにしまうと「ことりちゃん、その辺で見かけたら声かけてね」と微笑んで軽やかに店を出ていった。
3つある椅子のうち2つが空席になった。ことりだけが残された。
テーブルの上にはドーナッツが1つ。持ち上げて穴を覗く。向こう側に誰もいない席が見えた。黄口も、雛子もいない。お母さんもいない。
ことりはそのドーナッツを食べる。食べてから、ドーナッツの穴があった空間をパクっと噛んでみる。そして少し笑う。
楽しかった。また会えるといいなと思いながら、ことりは誰もいない家に帰っていった。
第3羽
ヘイミンギドラの死
あ、と思った。
身体が無重力感に包まれる。―落ちる。背中から階段の下へ落ちていく。星のない夜空が見える。こんなフラフラな状態で重い買い物袋なんか抱えて歩道橋を渡ろうと思ったのがバカだったんだ。スローモーション。ぶつかった瞬間、痛いだろうな、嫌だなと思ったけど、いつまでも衝撃は訪れなかった。
こうして私はヘイミンギドラの右の首になった。
向こうに美味しそうな果物がなっている木を見つけた。そちらへ向かおうとするが身体が逆方向に引っ張られる。(おい、カラス。なにしてるんだよ。あっちに鹿みたいなのがいるだろうが)。左の首のオナガの意識が聞こえる。こいつはいつも勝手だ。
(まぁまぁ。じゃあ先に鹿を狙って、それから果物も食べよう)。真ん中の首のモズの意識だ。モズが言うなら仕方ない。タイミングを合わせて羽ばたいて、鹿に一気に距離を詰める。オナガが齧りつく。よく動物に生で齧りつけるよなと思う。
平凡な一人暮らしの会社員だった私は歩道橋の階段から落ちて、いわゆる転生をしたらしい。気が付いたらこの3つ首の竜の右の首になっていた。唐須という名字だったので今は仲間の首たちにカラスと呼ばれている。
左の首はオナガ。尾長という名字そのまま。パチスロと麻雀で食べていたらしい。真ん中の首はモズ。本名は萌夢(もゆ)という女子高生だったが、小さい頃からモズというあだ名で呼ばれていたそうだ。
オナガが鹿を平らげたのでさっきの果物を食べに行く。羽ばたく。羽毛が舞う。
私たちが宿った竜は体長20メートルほど。もっとも首と尻尾が長いので胴体は10メートルもない。背中と羽には羽毛が生えていて、羽も竜というより鳥っぽい。怪獣映画に出てくるキングギドラに少し似ているが迫力で大きく負けるので、私たちは自分の身体をヘイミンギドラと名付けた。
赤い大きな実の果物を頬張る。なかなか美味しい。(食べる?)と意識で話しかける。(いらねー)、(じゃあ1つちょうだい)。意識で返事が返ってくる。
お腹がいっぱいになると日向で昼寝する。口から光線を出す練習をしてみたこともあるが、妙に間の抜けた甲高い鳴き声しか出せなかった。
(ここ、どこなんだろうな)
オナガがぼやく。広い森と遠くに山が見える。木々は奇妙に歪んでいたり、紫の葉を付けたりしているものもあって、ここが見知らぬ世界であることが嫌でも分かる。
少し飛んでみると、遠くに人間の住む集落らしきものも見える。木造の家屋と畑らしいものがある。行ってみたいが、この姿で受け入れてもらえる気はしない。
(いつか、帰れるのかな?)とモズ。
(…あまり期待は)
と言いかけたところでオナガの首にどつかれた。
働かなくていい。森に食べ物は豊富にある。大したことはできないけど一応は竜なので動物たちも恐れて近付いてこない。
毎日遅くまで働いて誰もいないアパートに帰っていた日々より楽しいかもしれないと思う自分がいるのも事実だった。
ただ、それでも一つの身体を3人で分け合うというのは辛い。
「またゲームでもする?」と私が提案しても 「もうマジカルバナナはいいよー」とモズが嫌がる。
この身体には翼はあっても腕がない。遊ぶといってもできることは限られた。
「気晴らしに少し飛ばない?」とモズが言い出しても、「えー、ダルい」とオナガがやりたがらない。
これは分からないでもない。首の位置と身体の感覚というか動かす場所には対応関係があるように感じる。私は翼を含む右半身の方がコントロールしやすい。オナガも(左の方が動かしやすい)と言っていた。モズは(よく分からない)と言っていたけど、尻尾のコントロールが一番うまい。
ということで、飛ぶとなるともっぱら私とオナガが頑張ることになる。人間だったころになかった感覚だからかすごく疲れるのだ。
結局、喉が渇いたので川岸まで出てゴクゴクと水を飲んだ。生肉を食べても生水を飲んでも腹は壊さない。
その時、声が聞こえた。水につけた顔を上げると向こう岸に人間がいた。(やばっ、見つかった)(あの人、なんとか話せないかな)。どうすればいい。あたふたしているうちにその人は逃げていった。
日が暮れた。月は元いた世界と同じようにある。何もすることはない。適当な場所に寝転んで適当に喋って眠るだけ。街明かりがないので闇はとても深く、静かだ。
(カラスはどんな仕事してたの?)とオナガが問う。(どんなって単なる営業だよ。客先回って注文取ってきて、社内でも社外でもペコペコするだけだよ)。どうせバカにするんだろうと思っていたが、(すげーよな)と意外な反応が返ってきた。
(オレも会社勤めに挑戦したことはあるんだけど、上手くいかなかった。忍耐力がないんだろうな)
あながち冗談で言っているとも思えない雰囲気だった。
(モズちゃん、将来結婚するならオレじゃなくてカラスみたいなのにしときなよ)
(え、結婚って)
口の構造上、笑うことはできないがオナガが笑ったような気がした。
(オナガの方こそすごいじゃん。パチスロで食べてくってよっぽど勝負事に強いんじゃない?)
私は意図して話の方向を変える。
(…全然。実際はすっからかんのヒモ生活よ)
ヒモか。荒れた生活のようだが帰る家に女性がいるというのは羨ましかった。
(モズちゃんはどんな学生生活してたの?)
(うー、この流れなら言ってもいいかな)
逡巡しているモズを少し待つ。
(女子高生って言っても私、ヒキコモリだったんですよ。陰キャでクラスの仲間に入れないんです)
意外な答えだった。
(へぇ、そうは見えないな)と同意を求めてオナガの方を見るが、オナガは何も言わない。
(声じゃなくて、この意識みたいなので会話するのが向いているのかなとちょっと思ってます)
なんとなくそれで話が途切れた。眠くなってくる。人間でいたときより睡眠時間が長いように感じるのは竜の特性なのか。示し合わせたように3人、眠りに就いた。
(危ない!)
突然身体を引っ張られた。オナガだ。顔の目の前を矢が掠めていった。人間だ。先日とは違う。槍を持った者が3人、弓を持った者が2人、白い外套を纏った指揮官のような者が1人。
(なに、これ?)
(オレたちを殺しに来たんだ)
先日、川で姿を見られたせいだ。討伐隊が送られてきたのだ。オナガが咆哮をあげたが人間たちは怯まない。
嵐のように矢が飛んでくる。固い鱗が弾いてくれると期待したが普通に刺さった。
(痛い!)
モズが悲鳴を上げる。向こうは飛び道具だがこちらは噛みつくくらいしか攻撃手段がない。
(オナガ、飛んで逃げよう)
(おう)
タイミングを合わせて左右の翼を羽ばたかせる。
白い外套の男が片手を挙げた。「エンジェル・ヘイロー」。何かが光ったかと思ったら、急に苦しくなる。光の輪がモズの首に巻き付いている。
(うっ…苦しい)
ぎりぎりと光の輪が締まっていく。モズが首を振り回して暴れるが光の輪は外れない。食い込んでいく。血が滲み出る。私たちの血は赤いのかと変なことを思った。
(モズちゃん!)
真ん中の首が切断され、根元から地に落ちた。光の輪は小さくなって、消えた。
(てめぇ! よくもモズを)
オナガが怒り狂って叫ぶ。男が再び手を上げる。今度はオナガの首に光の輪が巻き付く。逃げるべきだ。だが、オナガが暴れてうまく飛べない。
少しずつ高度が上がる。逃げられる。と思った瞬間、オナガの首も切断されドーンと地上に落下していった。
私は…1人で逃げた。悔しくて情けなくて泣きたかったが、竜の身体では笑うことができないのと同様に泣くこともできなかった。
私は森の奥に身を隠した。
竜の生命力のおかげなのか、切断された傷口はすぐにふさがり失血死はしなさそうだった。だが、少し歩いただけで激しく息が切れ、常に空腹だった。おそらく首一本では酸素も栄養も十分に取れないのだ。
それに、今や私は一人ぼっちだった。モズもオナガもいない。身体は独り占めできたが嬉しくなかった。
私はみるみる衰弱していった。
私は森に静かに身体を横たえる。もうじき、モズとオナガを殺した奴らが来るだろう。最後の力でその肉を噛みちぎることを想像して、私は目を閉じた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。