第二十三章
妹笑鬼涙 陽子と望篇二
祭の日のバスは混雑しており、既に臨時便が手配されていた。
陽子の乗るバス停は、始発から五個目で、
いつもは、学生数名しか乗っていない。
しかし、今日は九割程着席しており
陽子は母と離れて吊革に捕まった。席を見ると母親は座れていた。
そして、望が母親との直線上にいた。
望も気づいた。
視線が交差する。
二人とも軽く会釈した。
まだ何を話せばいいのか分からない。
「アッチぃ 」
望にも聞こえるように
望も返そうとした時、バスは停車した。
美怜が両親と妹と一緒に乗り込んできた。
望の表情が消えた。
美怜も望に気づいた。
二人の視線が、一瞬だけぶつかった。
美怜はすぐに目を逸らした。
望は窓の外を向いた。
同じバスに乗っている。
数歩しか離れていない。
それでも、二人の間には誰も通れないほど広い空間があるように見えた。
陽子は、望を見た。
陽子は後から
「美怜」
呼ばれた美怜が振り向いた。
望も陽子を見た。
陽子自身も、自分が声をかけたことに少し驚いた。
「祭り、行くんだ」
言ってから、他に言い方はなかったのかと思った。
美怜も戸惑ったようだった。
「うん」
美怜の妹が顔を出した。
「お祭りに行くの」
「知ってる」
美怜が言った。
「このバスに乗ってる人、たぶん、みんなそうだから」
「みんな?」
妹は車内を見回した。
「この人も?」
近くに立っている年配の男を指さす。
美怜が慌てて妹の手を下ろした。
「指ささない」
「どうして?」
「失礼だから」
妹は納得していない顔をした。
陽子は少し笑った。
妹が陽子を見る。
「何で笑ったの?」
「別に」
「別に、って何?」
「笑いたくなっただけ」
妹は少し考えてから、自分も笑った。
美怜も、ほんの少しだけ笑った。
陽子は望を見た。
望はまだ笑っていなかった。
でも、窓の外から陽子たちの方へ顔を戻していた。
そこまででよかった。
陽子は席へ戻った。
誰かを許したわけではない。
何かが解決したわけでもない。
ただ、誰もいないことにはしなかった。
バスは秋の田圃の間を走っていった。
祭り会場は人で溢れていた。屋台から祭の喧騒と
ソースの焦げる何故か美味しそうな匂いの焼きそば、林檎飴、ヒヨコ、射的、金魚すくい。
綿あめ、サイダー、おめん、太鼓の音。
誤解を恐れずに言えば、屋台は永遠に続くワンダーランド
である。
春の静かな神社とは別の場所みたいだった。
鳥居の前で母が言う。
「九時にはここね」
「うん」
陽子は頷いた。
母は父のいる方へ歩いていく。
陽子は少しだけ家族の背中を見ていた。
それから反対方向へ歩き出した。
一人だった。
でも別に珍しくない。
学校でもそうだ。
違うのは、今日は誰も自分を無視していないことだった。
人混みの中を歩く。
楽しそうな声が聞こえる。
友達同士。家族連れ。恋人らしい二人。
みんな誰かといる。
陽子だけが一人だった。
少し前なら、それだけで苦しくなっていた。
でも今日は違った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
その時。
人混みの向こうに望を見つけた。
向こうも気づく。
足を止める。
「家族は?」陽子が聞く。
「親、知り合い見つけて話こんでいる」
「うちも」
「さっき」
望が言った。
「何?」
「バスで、美怜に声かけたでしょう」
「うん」
「怖くなかった?」
陽子は少し考えた。
「怖いっていうより、嫌だった」
「何が?」
「また、同じ事が繰り返されるのが」
望は黙った。
「望に同じことをしろって言ってるんじゃないよ」
「分かってる」
「私も、美怜を許したわけじゃないし」
「うん」
「ただ、声かけただけ」
「それができないんだよ、私は」
陽子には返す言葉がなかった。
望と美怜の間に何があったのか、そのすべてを知っているわけではない
少し沈黙。
屋台の呼び込みだけが聞こえる。
「一緒に回る?」
陽子が言った。
望は少し驚いていた。
「いいの?」「別に」
少し笑う。
望も少し笑った。
最初に射的へ行った。
「やる?」陽子の問いかけに
「やらない」望は即答した。
「なんで」
「絶対下手だから」
「私やる」陽子が言う
「もっと下手そう 」
「失礼」
陽子は百円玉で払った。
あっと言う間に
残り1発
望が吹き出した。
「下手クソ」
陽子は集中した。まるで景品のぷーさんと
見つめ合っているみたいに玉が
吸い込まれていった。
1m先のぬいぐるみに当たった、たったそれだけの事で
「よっしゃ、大当り」思わず大声が出た
次は望の番
やり終えた陽子は、ゆとりたっぷりの
表情
望も、あっという間に残り一発になった。
「さあ狙いは中心で、あわせよう。
端っこだと合いにくいよ」
「真ん中見てた?」
「見てた」
「本当?」
「本当」
「でもちゃんと見て」
かすりもせず
「ある意味すごい」
陽子が言う。
「何が」
「逆に才能ある」
「褒めてないだろ」
その時だった。
隣の射的屋台から泣き声が聞こえた。
「ほしいーー!」
女の子の声だった。
射的の景品を指さしている。
大きなぬいぐるみだった。
その隣には美怜がいた。
「無理だって」
「ほしいーー!」
「取れないよ」
「やだーー!」
周囲が少し振り向く。
美怜は慣れている様子だった。
怒らない。
ただ困った顔でしゃがみ込む。
「じゃあ綿あめ行こう」
「いらない!」すごい剣幕
「りんご飴は」
「いらない!」 まだ怒っている
「チョコバナナ」
「いらない!」 少し考えて。
「ピンクの綿あめ」
女の子が顔を上げた。
「おっきいやつ?」
「おっきいやつ」
しばらくして。
妹は顔より大きな綿あめを抱えていた。
「おいしい」
「良かったね」
さっきまで泣いていたのが嘘みたいだった。
陽子は思わず笑った。
望も笑っていた。
学校では見たことのない美怜だった。
その後も二人は祭りを歩いた。
型抜きは失敗。
輪投げも失敗。
金魚すくいは一匹も取れなかった。
気がつくと普通に話していた。
誰も無理をしていなかった。
花火が始まった。
川沿いの土手に座る。
ドン、と音が響く。
夜空に花が咲く。
赤。
青。
金色。
次々に生まれては消えていく。
陽子は空を見上げていた。
少し前まで。
望とこうして隣に座るなんて考えもしなかった。
隣を見る。
望は黙って花火を見ていた。
花火の光が横顔を照らしていた。
その顔は学校で見ていた顔とは少し違った。
花火が終わった。
二人は鳥居まで戻る。
母が手を振っていた。
「楽しめた?」
「うん」
自然に答えていた。
母は望を見る。
「あら、お友達?」
「まだ、これから」
陽子は即答した。
望も困った顔をする。
母は少し笑った。
「そう」
まったく信じていない顔だった。
望も父親と合流した。
父親が陽子を見る。
「友達か」
「まあ」
望は答えた。
陽子は少しだけ嬉しくなった。
帰りのバスはさらに混んでいた。
一本待って次のバスに乗った。
隣の席に座れた。
祭りの疲れで少し眠い。
窓の外にはまだ花火が見えている。
その時だった。
「あれ?」
声がした。
振り返る。
美怜だった。
隣には母親。
そして祭りの時見かけた妹
「あ、陽子と望じゃん」
少し驚いている。
望の肩が僅かに固くなった。
陽子も何と言えばいいか分からない。
「祭り来てたんだ」
「うん」
「そっか」
それだけだった。
「美怜、覚えてないんだね」
望が、ぽつりと言った。
「私が、何をしてたか」
陽子は何も言わなかった。
「私にとっては、あんなに重かったことが、美怜にとっては、何でもないことだったんだ」
「……そうかもね」
妹が窓の外を指差した。
「あっ!」
大きな声だった。
「お星さま!」
夜空では花火が咲いている。
「違うよ」
美怜が笑う。
「花火」
「花火のお星さま」
妹は満足そうに頷いた。
綿あめの袋を抱えたまま。
「きれい」
「うん」
美怜は妹の頭を撫でた。
陽子は何気なく美怜を見た。
その瞬間だった。
涙が流れていた。
陽子は前を向いた。
望も何も言わなかった。
二人とも見た。
でも聞かなかった。
バスは夜道を走り続けた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。