第29話 嵐の予感
壁一面に古い台本や、設定資料が所狭しと並べられた本棚の並ぶ演劇部の部室では、長机を挟んで、峯岸と腕組みをした田﨑が向かい合っていた。
「何の用かと思えば」
峯岸は軽く肩をすくめた。
「なんとか、手伝うてもらわれへんかと思うてな」
田﨑はすぐには答えず、指先を、とんとんと軽く鳴らす。
「正直、大塚国際美術館のシスティーナホールは魅力的だ」
「それに、あの学祭の演目の拡大版となれば、人員が必要なのも分かる」
峯岸が、わずかに身を乗り出す。
「せやったら――」
だが田﨑は、その先を制するように静かに言った。
「だが、分かるだろう?」
「こっちは文化部連合会に所属している正式な部活だ」
「お前は、そういうしがらみが嫌で出ていったんだからな」
峯岸は苦笑する。
「まあ正直、シェイクスピアやミュージカルばっかりいうんは、性に合わへんからな」
田﨑の口元が、ほんのわずかに緩むが、すぐに表情を戻す。
「俺の一存では決められん」
「せやな、やっぱり瀬良さんの意向も聞かんとな」
「直接当たってみるか?」
そう返されて、峯岸は首を振る。
「いや、それは筋がちゃうやろ」
「妙なところで律儀だな」
峯岸は、ふっと息を漏らした。
「お願いする立場やで、筋は通したいんや」
「……分かった、ちょっと待ってろ」
田﨑がポケットからスマホを取り出し、電話をかけると、すぐに繋がった。
「瀬良さん、お疲れ様です」
「少しお話がありますので、部室まで来ていただけますか?」
「……分かりました」
「お願いします」
通話を切ると、田﨑は顔を上げた。
「十分ほどで来るそうだ」
峯岸が、軽く肩を回しながら息を吐く。
「相変わらず、フットワーク軽い人やな」
田﨑は椅子に深く腰をかけ直した。
「あの人が部長になってから、大分変わったよ」「考え方が柔軟なんだ」
「良くも悪くもな」
峯岸が、口の端を上げる。
「見た目のインパクトは、半端ないけどな」
田﨑もわずかに苦笑した。
「まあ……少なくとも、“部活の部長”って感じじゃないな」
「だが、その分――」
「面白いことにはすぐに喰らいつく」
「六友祭のステージ変更とかな」
「……振り回されてばかりだよ」
そうしているうちに部室の扉が、軽やかに開いた。
現れたのは、一人の女性。
強めのアイラインに、鮮やかなリップ。
髪は巻かれ、洋服の着崩しも隙がない。
全開のギャルメイクだ。
その人物こそが、演劇部部長・瀬良姫良理だった。
「やっほー、雅音っち! 話ってなに〜?」
ひらひらと手を振りながら部室に入ってくる。
そして視線が、峯岸で止まった。
「てか海斗っち? お久じゃーん!」
峯岸は、すっと姿勢を正す。
「ご無沙汰しております」
瀬良は一瞬きょとんとしたあと、すぐに吹き出した。
「うっわ相変わらず堅すぎっしょ〜」
「カタイのは……」
そこで、田﨑がわざとらしく咳払いを入れる。
「下品ですよ」
瀬良は口元を押さえて、わざとらしく肩をすくめた。
「ぴえん、怒られたぁ〜」
しかし、二人の間にある空気を読み取ると、すぐに真顔に変わる。
「で?」
「海斗っちが来るってことは、ただの雑談じゃないよね?」
峯岸は、息を整えてから口を開いた。
「実は……」
大塚国際美術館のシスティーナホール。
四国国際芸術祭。
そして『PLANET LAND』拡大版公演。
必要な人員、舞台規模、演出意図――
峯岸は、誠実に内容を詳細に話した。
話を聞き終えた瀬良は、目を輝かせる。
「なるほど〜」
「いいな〜、それ」
「きらりもそっち入れてもらいたいんだけど〜」
田﨑がすかさず口を挟む。
「瀬良さん、心の声が漏れてますよ」
瀬良は手を合わせて笑った。
「ごっめ〜ん、てか海斗っち?」
峯岸を見て、声のトーンを下げる。
「これ、ウチらが出られるって本気で思ってる?」
峯岸は、真っ直ぐに頷いた。
「正直、公認部活が非公認サークル主体の活動に参加するんは、ハードル高いと思うてます」
「分かってんじゃん」
「せやけど、あの荘厳な空間でやるんなら、それに見合うスケールのものを出したいんです」
「声をかけてくれた、芸術祭の実行委員会の方や、見に来てくれるお客さんに、自分らができる最高のもんを見せたい」
「……あと、多辺や他のメンバーの希望もあります」
瀬良が目を細める。
「……希望って?」
「はい、うちの田澤も、今回かなり力を入れて台本を書いてます」
「彼女の作る世界観を表現するには、お二人の力が必要不可欠なんです」
「何より、田澤の書く世界におる、姐さんが見たいんですよ」
「どうか、この通りです」
その言葉に、瀬良は息を飲み、しばらく峯岸を見つめていた。
やがて隣の田﨑へ顔を向ける。
「ねえ、雅音っち」
「なんですか?」
「これ引き受けたらさ、きらりもあの舞台、出られるってことだよね?」
「PLANET LANDに」
田﨑は口元をわずかに上げた。
「その瀬良さんが見たいって、言われてるじゃないですか」
「かなり魅力的でしょう?」
瀬良は両手を机について、ぐっと前のめりになる。
「ヤバくない? いや、ヤバいっしょ」
「どうします?」
瀬良は一瞬だけ考えるそぶりを見せ、それからぱんと手を打った。
「部活としてじゃなくて、個人の自由参加って形でうちの子らに声かける」
「これでよくない?」
「悪くないですね」
二人の顔を交互に見比べた峯岸は、拍子抜けしたように口を開ける。
「……そんな……えらいあっさり」
瀬良はにっと笑って峯岸を見た。
「しがらみってのはさ、元の根っこは案外シンプルなもんなんだよ」
「ウチらみたいに、エンターテイメントの団体は、面白いものを作るためにあるわけだし」
「何より、学生生活短いんだからさ、その時にしかできないならやった方が得っしょ?」
「はい、決まり〜!てことで」
「海斗っち、よろしくね」
峯岸は深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「さすが姐さん、理解してもらって嬉しいです」
「じゃあ雅音っち、みんなにメッセージ回しといて」
「お安いご用です」
「んで、海斗っち、台本できたら回してね」
「分かりました。……あと、姐さん」
「なに?」
峯岸が瀬良を見て、少しだけ苦笑する。
「今のマイブーム、それですか? 前は隣町のマダムやったのに」
瀬良はすっと背筋を伸ばし、急に気取った仕草をしてみせた。
「おほほ、これも役作りの一環ですのよ」
指先を頬に当て、わざとらしく首を傾げる。
「ギャルのジュリエット、面白くなくて?」
峯岸は吹き出しそうになるのを堪えながら言った。
「ようそれで、こっちの部活やってこれましたな」
次の瞬間、瀬良は机をばんと叩いた。
「じゃかしぃわ、おどれ!鼻の穴からストロー突っ込んで……(以下自粛)」
部室に一瞬、沈黙が落ちる。
すると、瀬良は涙目になり、人差し指を口元に当てた。
「怖かった〜(泣)」
田﨑がぼそっと呟いた。
「……こけるところか?」
峯岸も小さく頷く。
「せやな」
瀬良は肩を落として唇を尖らせた。
「言う前にやりなよ」
「ぴえん」
瀬良が、ふいに思い出したように声をかけた。
「そうだ!あとさ、海斗っち」
「なんですか?」
瀬良は、また真顔になった。
鋭い視線に、空気が重くなる。
「あんたんとこのプリンセス、ちゃんと気ぃつけたげてね」
「……プリンセス?」
峯岸が首を傾げると、瀬良は肩をすくめた。
「あの、かわいい作家ちゃん、プリンセスアンナ」
「スキーの奴らに目ぇつけられてるよ」
田﨑が小さく舌打ちした。
瀬良は指先で机を軽く叩く。
「おたくの“三人娘”」
「かなり、こてんぱんにやったらしいじゃん」
「恨まれてても、おかしくないよ?」
峯岸は、視線を落としたまま呟く。
「多辺も……言うてました」
瀬良は短く息を吐く。
「あいつら、シャレになんないことやってるからね」
歯軋りをして、口元を震わせている田﨑の隣で、瀬良が峯岸から目を離さない。
「ただ酒飲ませるだけじゃない」
「飲ませて、イタズラする」
「犯罪者達だよ」
田﨑が、低い声で続ける。
「……ゴミカスや、あんなもんのさばらせて……」
「瀬良さん、やっぱり俺に任せてくれませんか?」
「昔の仲間集めて……」
瀬良が両手を叩く。
「はい、そこまで」
「物騒なことは無しね」
「いま追い詰める準備中だから」
峯岸が顔を上げる。
「……追い詰めるって?」
田﨑は苦く笑った。
「こっちの話だ、べらべら話すことでもない」
「うちでも、俺と瀬良さんしか知らない話だ」
「雅音っち、それ以上はダメだよ」
「海斗っち、察しがいいから分かっちゃうから」
峯岸の顔が青ざめていく。
「狙われとるんですか……? 杏奈ちゃんが?」
瀬良は頷く。
「この前、囲まれて腕つかまれてたらしいじゃん」
「王子様とナイト君が助けたらしいけど」
峯岸の眉が寄る。
「……王子様と、ナイト君?」
瀬良は、指を二本立てた。
「多辺くんと、弓道部のスーパールーキー」
「河瀬君だよ」
峯岸は小さく息を呑んだ。
「……危ないところやったんですね」
田﨑が大きく息を吐く。
「こっちも解決すべきことはある」
「しかし、舞台の方は全力で手伝わせてもらうよ、よろしくな」
瀬良も片手を差し出した。
「きらりを、あの世界に誘ってくれてありがとう」
峯岸がその手をしっかりと握り返すと、瀬良の口角が上がる。
「覚悟しときなよ」
「やるからには、PLANET LAND」
「ウチらの色に染めっかんね」
「……望むところです」
峯岸は真剣な顔で、口元を引き締めた。
学食の入口。
杏奈は壁の時計を見上げて呟く。
「河瀬君、遅いなあ」
「お昼食べよって言うたのに」
「昼休みも雑用って、体育会系は大変じゃなあ」
そう呟いた、そのときだった。
背後から、聞き覚えのある声が近寄る。
「やあ、また会ったね」
「これって運命じゃね?」
振り向くと、そこにはあのスキーサークルの男たちが二人。
口は笑っているのに、目は笑っていない。
杏奈の表情がすっと強張る。
「なんなんですか?」
「もう、関わらないでください」
男の一人が肩をすくめる。
「つれないこと言わないでさ」
「俺らと遊んでよ」
杏奈は一歩引いた。
「やめてください、大声出しますよ」
だが男たちはひるまない。
「いいじゃん、俺ら車あるし、ドライブ行こうよ」
「神戸がいい? それとも六甲?」
杏奈はきっぱりと言い返す。
「もう関わらないでください」
「そんな暇ないんです」
その言葉に、空気が変わった。
男の一人の顔から笑みが消える。
「……なんだと、てめえ」
「いいから来いっつってんだよ」
次の瞬間、二人が同時に杏奈の腕を掴んだ。
「っ――」
強く引かれて、身体がぐらつく。
そのときだった。
「おい!」
鋭い声が飛んだ。
二人が、はっとして振り向くと、視線の先に河瀬が立っていた。
肩で息をしながら、まっすぐこちらを見据えている。
その目は、弓道場で的を射抜くときよりもずっと鋭かった。
「あんたら……ええ加減にせんかいや」
「何遍も付き纏いよって……」
「しばき回したろうかい?ああ!」
その瞬間、二人の男がまるで、示し合わせたようにその場に両手をついた。
「すいません! すいません!」
「勘弁してください!」
突然の土下座。
あまりにも急な展開に、河瀬も杏奈も動きを止めた。
「……は?」
河瀬の顔が、怒りから戸惑いに変わる。
杏奈も、目を見開いて驚いた。
男たちは額を床にこすりつけるようにしながら、震えた声を上げる。
さらに二人が同時に腰ポケットから、財布を取り出して差し出してきた。
「そうだ! これで……」
「これでいいんですよね……!」
「払います!」
「払いますから!」
二人の大声に、周りを人だかりが囲む。
河瀬は周囲を見渡すと、杏奈の方を見て、短く告げた。
「田澤さん、行こう」
「うん」
二人がその場を離れたら、囲んでいた者たちもはけていく。
床に額をつけていた男たちは、誰もいなくなった所ですっと顔を上げた。
そこへ、もう一人の男が現れる。
片手にはスマホがあった。
「撮れたか?」
土下座していた一人が口元を歪める。
「バッチリ」
スマホを持った男が、画面を確認しながら薄く笑う。
「伊達に動画で稼いでねえからな」
「あとは神編集で――」
もう一人が立ち上がり、服の埃を払う。
その目は、悪意に満ちていた。
「邪魔者には、とっとと消えてもらおうか」
そんな三人の姿を、柱の陰に隠れて、怯えながら見つめる広原の姿があった。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。