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新皇帝陛下の蛮族平定の御親征において第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが合流予定時刻を過ぎ未着の議

お話を聞かせて

177,721 字

古代ローマ風政治軍記、権謀術数渦巻く帝国年代記

"小人はただ、生き延びたい。帝国の巨大な歯車の中で、己が魂を賭けて。"

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第18話 頭を持ち上げるカトブレパス 四

 東方から曙光が指すころ首都ルームに帰り着いた。都市が夜の眠りから目覚めようとする時間帯だったが、常に稼働状態にある参謀本部を訪れるのに時刻が早いも遅いもない。
 俺は左右にジャオジュンとアプレイウスを配し、路地の物陰を警戒しながら、参謀本部の庁舎にたどり着く。この時ほど門前で翻る双頭の猟犬の黒い大旆を頼もしく思ったことはなかった。
 疲れ果てている馬を門衛に預ける。庁舎へ入り一直線に受付へ向かい、元帥への面会を申し込もうとした、まさにその時だった。
「ハヤシ中佐」
 背後から低く呼び止められる。反射的に腰のハマルティアに手を伸ばしかけ、柄を掴む寸前で意志の力で留める。振り返った俺の視界に入ったのは、アルビウスの従卒、ドルスス曹長だった。
「曹長、久しぶりだな。こんなところで会うとは思わなかった」
 近寄ってくるドルススに警戒の視線を送る。こいつがアルビウスを通してアグリッピナと繋がっている恐れだって否定はできないのだ。流石にこの庁舎で俺を殺すような無謀を仕掛けるとは思わないが、気を許すことはできない。
「アルビウス大将と共に一時的にルームに帰還しました」
「ふむ、近いうちに御挨拶に伺うと伝えてくれ」
「申し訳ありません、近いうちでは困るのです」ドルススは一歩間合いを詰め、俺の耳元に口を寄せた。「ハヤシ中佐、アルビウス大将が話があると」
 俺は少し黙ってから答える。
「分かった、参謀本部での俺の要件が済み次第向かう」
「いえ、中佐。火急の件ですので、こちらを優先いただけないでしょうか」
 俺の命以上に最優先の案件などこの地上に存在しない、そう叫びたくなるのを堪えてドルススを観察する。その顔には緊張が漲っていた。
「中佐の今後にも影響する件だそうです」
 俺は迷ったがアルビウスを優先することにした。アグリッピナはまだ襲撃が成功したかどうか判断がついてないだろう。更なる襲撃が企画されるとしても、それは先の話のはずだ。

 ドルススの案内でアルビウスの屋敷に案内され、俺だけが彼女の私室に通される。広いが飾り気のない殺風景な部屋で、部屋の主の趣味のなさ、あるいは殺伐とした心の内を現しているようだった。
「ハヤシヒデノリ作戦参謀中佐です。失礼いたします」
 敬礼を送る俺に、アルビウスは煙草の煙を吐きながら気だるげに掌をひらめかせた。
「そこにかけてくれ、中佐」俺が卓を挟んで対面に座ると、煙管を差し出してくる。「喫煙者を前に自分だけが煙草を吸うのも座りが悪くてね。お前も一服やってくれ」
「ありがとうございます」
 銀の吸い口を咥え、深々と紫煙を肺へ流し込む。心身とも疲れていたせいか軽い眩暈を覚えたが、しみじみと旨かった。強張っていた身体がほぐれていくのを感じる。
 しばらくの間俺達は黙り込み、硝子瓶の中で水泡が破裂する音だけが遮室内に響いていた。
 アルビウスはいつも通り退廃的な雰囲気をまとっていたが、何かに迷っているように見える。しかし決意を決めた様子で息を長く吐き出すと、灰色の煙を天井へ逃がしながら口火を切った。
「実はね、中佐。お前を呼んだのは情報提供するためなんだ」
「情報提供ですか……」
 糞、またか。胸中で毒づく。昨日の情報提供は俺を誘い込むための罠だった。今度もそうではないと限らない。しかし聞かないことで不利益を被る恐れもある。俺は拝聴の姿勢を取った。
「お聞きします」
「うん。第三軍団の副団長はカリグラの皇帝擁立を題目に反乱を起こすつもりだ。彼は各地のアフリカヌス派に蜂起のための檄文を送っている。先日、私にもその密書が届いた」
 俺は唖然として、煙管を手から取り落とした。落下した煙管が卓の天板に当たり、戛然と瞬時の響きを起こす。
 内乱……内乱だと?
昨年回避したはずの事態が再浮上し、俺の眼前に姿を現す。それも以前より具体的に、肌をひりつかせる緊迫感を持って。
冷たい汗が背中にどっと噴き出す、胃が締め付けられる気がする。
「す、すみませんアルビウス大将。自分の中でその情報を咀嚼する時間をください」
 アルビウスは頷く。
 俺は頭の中で情報を整理し、アルビウスから何を聞き出すか考えた。まずは。
「アフリカヌス派に送った檄文が閣下に届いたということは……」
「そうだ。私はアフリカヌス派だ」皮肉気に唇を曲げる。「いやだった、というべきかな」
「であるならば、一年前のゲルマニアの夜、やはり閣下が黒幕だったのですね」ねばつく唾を飲み込んで続ける。「蛮族に内通し、三つの軍団を全滅に導いて、皇帝権威を失墜させる。アフリカヌス様の即位のために」
「その通り。お前のおかげで計画の最後になって失敗したがね。正直言えば恨んでいるよ。あの企みが成功していれば、今頃アフリカヌス様はアフリカで死ぬこともなく、生きて皇帝として君臨されていたかもしれない」
「……エンヴィル中佐は無実だった、貴女の陰謀に巻き込まれて殺された哀れな犠牲者に過ぎない」
「それでは正解は半分だ」アルビウスはつまらなげに呟く。「彼女もアフリカヌス派だったからね」
「なんですって!?」
 俺は椅子を蹴って立ち上がった。見下ろすアルビウスの表情に変わりはない。
「ただし、彼女は穏健なアフリカヌス派だった。暴力的な手段を伴わず、時間をかけて平和裏に帝位の交換を計る。それに対して私は急進的なアフリカヌス派。可能な限り早急にアフリカヌス様に帝冠を捧げようと思っていた」
 言葉に窮して立ち竦む。俺は一年前の軍議の夜をネロ派とアフリカヌス派の暗闘と解釈していた。だが、違った。あれはアフリカヌス派同士の路線闘争だったのか!
 ようやく、俺はエンヴィルの真の姿を垣間見た気がした。
「では、三つの軍団を壊滅させるのにかこつけ邪魔なエンヴィル中佐を始末したのですね」
 アルビウスは頷く。
「アフリカヌス派の会合において私たち急進派が積極策を提言しても、彼女はあの調子で我々の主張に冷や水を浴びせた、そのせいでアフリカヌス派は意見の一致を見なかった」
溜息を吐く。「彼女が死んで、アフリカヌス派の意見は内乱を起こすという究極の選択に合意しつつあった。本当にあと少しだったんだ。アフリカヌス様が亡くなられてとても残念だよ……」
「しかし、閣下。アフリカヌス様にそのような野心があったのですか? 小官が調べた限り、アフリカヌス様は現皇帝に忠誠を誓っていたようですが」
「忠誠とはその人の言いなりになることではない、それは佞臣の所作だ。私はネロのような若輩者ではなくアフリカヌス様こそ皇帝に相応しいと考えた。極端な物言いになるが、そこにアフリカヌス様の意向は関係しない。私はアフリカヌス様の意思に反してでも彼を皇帝するつもりだった」
「なぜ、そこまでアフリカヌス様を皇帝にしたかったのですか?」
「それは私が能力主義者だからだ」
「能力主義者……カト大将と同じくですか」
 その言葉にアルビウスは笑い声をあげた。分かりやすい哄笑だった。
「あの老人が能力主義者だって? 笑わせてくれるね。あれは事勿れ主義者だよ。ネロを皇帝と認めていたのだから。真の能力主義者ならアフリカヌス様以外の皇帝は戴けないはずだ」アルビウスは一転、険しい顔つきになった。「なるほど、ネロ氏はお優しくて、詩を愛する好人物なんだろうね。でも世界帝国を背負う資質はない。ルームは四方に強大な敵を抱えている。無能な善人を頂点に戴いていられるほど、私たちの帝国には余裕がない、でも」アルビウスは溜息を吐いた。「カリグラよりはマシだ。カリグラにはなんの実績もない」
「だから、大将はアフリカヌス派から離れると?」
「そういうことだね。もっとも第三軍の副団長だって、カリグラが皇帝に相応しいと思っているわけではないだろう。彼はアフリカヌスの仇を取りたいのさ。檄文にはアフリカヌスはネロに殺されたに違いないと書いていた。ネロを廃し、アフリカヌスの息子を帝位に就ける。それが彼の復讐戦なんだろう」
 俺は少し考えてから答えた。
「アフリカヌス様に強い求心力があったことは理解します。しかし、カリグラ様擁立という目的にどれだけの人間がついてくるでしょうか。大将と同じくアフリカヌス派から離れるものは少なくないのでは?」
「私もそう思う。積極的にネロに付かなくても模様眺めに回るアフリカヌス派も多いだろう。それでも内乱派はいくらか勝ち目がある」
「その根拠は?」
「ポンペイウス総督の内乱不介入を取り付けた。海軍とヒスパニア軍団はこれから起こる戦いを傍観する」
「……アルビウス大将の話は小官を驚かせるばかりです。ポンペイウス総督は皇帝に忠誠を誓っているものと思っていましたが」
「あのご老人は確かに帝国秩序に忠誠を誓っている。ただ、血筋が確かならば誰が皇帝でも構わないらしい」
「内乱終了後に処罰されるのは恐れていないのでしょうか……いや、どちらが勝者となってもルームを二分する戦争の後にポンペイウスを処罰できるような力は残っていないとういうことですか。むしろ力を温存したポンペイウスは帝国内で存在感を増すかもしれない」
「戦略としては理解できる部類だろ?」
 あるいはポンペイウスはネロとカリグラのどちらかが劣勢になった際、共同統治権を条件に自分に助力を頼みこんでくる事態を望んでいるのかもしれない。そう考えるとこの内乱はあの老人が自分の望みを果たす最後の機会とも言える。
 しかし、ポンペイウスが傍観を決め込むのはネロにとっては痛恨の極みだ。特に海軍を使えないのが打撃となる。海軍があれば海上防衛は容易だったが、それが期待できないとなれば、アフリカの軍団が大船団で一気にルーム本土に上陸する恐れがある、
 兵権を取り上げようとすれば一騒動が起こるという理由で歴代の皇帝が大英雄を見過ごし続けた結果、そのツケをネロが支払う羽目になった。流石に同情に値した。ネロはどうやら運に恵まれない男のようだ。
 俺は顎に手を当て考える。話が大きすぎて逆に気分が落ち着いてきた。
「なぜ、この話を小官にしたのですか」
「お前は参謀本部の将校で元帥に目をかけられている。私が処分されないようにうまく働きかけてくれ。私は今後ネロ陛下の忠臣として振舞うつもりだ」
「かしこまりました。微力ながら閣下に不利益が生じないよう取り計らう所存です」
 実際、クラウディウスはアルビウスを処分する気はないだろう。むしろアルビウスの情報提供を評価するに違いない。彼はかつて、逆心を抱いていてもそれを表に出さなければそれでいい、とさえ言っていたのだ。
「他に何かありますか?」
「いや、もう私から言いたいことはない」
 俺は溜息を吐いた。
「これから帝国はどうなるのでしょう」
「さぁ……。私もお前も一年後生きていられるといいね」
「全くです」
 俺はアルビウスと別れ、今度こそ元帥に面会するために参謀本部の庁舎に向かった。帝国の最高知性が一切合切を解決してくれることを期待しながら……。

── 第27章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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