第19話 頭を持ち上げるカトブレパス 五
俺が今回の調査で知り得たことを包み隠さず報告すると、クラウディウスは椅子の背もたれに体重を預け、荒く鼻息を飛ばした。
「内乱か」ファビウスは肩をすくめた。どこか芝居がかった仕草だった。「大事になったものだ」
「ふぁ、ふぁ、ファビウスよ。な、な、何をすればいいのか分かっているだろうな?」
クラウディウスの語調に動揺は一切なかった。それどころか迫る事態を馬鹿にしているような響きさえある。
「はい、元帥。直ちに無名軍団を招集し、事前に策定した通り帝国防衛計画を発動いたします。準備に滞りはありません」
二人はすでに自分らが取るべき方針を定めているらしい。しかし、なぜかそれを頼もしいとは思えなかった。二人は俺をまるきり無視している。
「無名軍団とはなんなのでしょう」
俺が問うとファビウスは何も言わずクラウディウスに目をやった。元帥が頷いてから、ようやく口を開く。
「無名軍団とは退役将校と予備役からなる即応軍団だ。対象者には呼集があった場合、即座に集結するよう事前に命令してある。ルーム半島内にはこれが三個軍団存在する。既存軍団は内乱鎮圧の機動軍とし、無名軍団は半島の防衛に当たらせる。無名軍団の存在は参謀本部の一部将校しか知らない機密情報、反乱軍はこちらの戦力を見誤っているわけだ」
「なるほど、では帝国防衛計画とは?」
ファビウスは薄く笑って何も答えない。代わりにクラウディウスが身を乗り出し、こちらに唾を飛ばす。
「わ、わ、我々が内乱勃発について何の対策もしていなかったと思うか中佐? き、き、貴様が一年前に明らかにしたように帝国にはアフリカヌスの即位を企てる者がいることが分かっていた。な、な、ならばそれへの防衛計画を立てるのは当然だろうが」
俺は黙り込んだ。俺がまさか、と衝撃を受けた内乱の勃発は、彼ら参謀本部の高級将校にとっては十分予期された事態だったわけだ。
「だ、だ、だがアフリカヌスが死んだ今となって反乱を起こすという判断は確かにこちらとしても予想外だったがな」
そう言ってクラウディウスは笑みの形に頬の肉を持ち上げた。妖しげな、意味ありげな笑みだった。
「対策はできているということですか?」
ファビウスは難しい顔をした。
「ポンペイウスが傍観に回る事態は想定していなかった。海軍が動かないのは痛い。それならば敵にも一分か二分ぐらい勝ちの目がある。まあ、それでもまず負けないとは思うがね」
「では、帝国への損害は最小限に抑えられるわけですね」
「最小限と言っても軽微な損害ではないぞ。帝国軍の配置転換が必要だ、極東属州は捨てることになるだろう」
「……なんですって!?」
ファビウスの返答に俺は弾かれたように立ち上がった。全身から血の気が引く音を確かに聞いた。
「そんなに驚くことかね中佐」ファビウスは当たり前のように言った。「反乱軍につく軍団は多ければ二十、少なくとも十を下回ることはないと予想されている。相手側に疑惑を抱かせない範囲でアフリカヌス派を人事異動で重職から外したのだが、それでも相手はこの規模なのだ。内乱終結後の帝国に遠い極東にまで軍を回せる余裕はない」
「もっとアフリカヌス派の力を削げなかったのですか!?」
「やりすぎるとそれが反乱の契機となりかねなかったのでね」
ファビウスが椅子を指し示すが、俺は座りなおす気になれない。俺の還るべき場所が無限の距離に遠ざかっていく……。
「まあ、貴官の立場は分かるよ、ハヤシ中佐。貴官の帝国内での立身出世や活計はヤマト属州の支援があってこそだ。帝国が極東属州を捨てれば君は必然それらと断ち切られることとなる。君だけではなく、ヤマトやハンの出身者には打撃だろう。だが」ファビウスはこちらを冷たい目で睨んだ。「帝国の安全保障と比べれば、実に些細な問題だ。無論、ある程度は君たちの事情を配慮するつもりではあるがね」
俺は他の答えがないか必死に頭を巡らせるが何も思いつかない。それでも縋るように問うた。
「皇帝陛下は全てご納得しているのですか」
ファビウスは一瞬黙った後、ゆっくりと首を振る。
「いや、参謀本部は全ての計画を陛下に明らかにしていたわけではない。陛下のお立場は不安定、機密情報の全貌を明かすべきではないと考えた。誤解してほしくないが、これは不忠ではない。帝国の安全保障に不可欠な処置だった。勿論、事ここに当たり陛下には我々の計画を説明申し上げる所存だ」
「であるならば、陛下が極東属州を捨てるという判断に同意しないということもあり得るのではありませんか」
俺の言葉にクラウディウスは肥満した肉体を震わせて笑った。
「ね、ね、ネロ青年に参謀本部の決定に異を唱える力はない。す、す、少なくとも今はまだな。そ、そ。それに実際問題としても他に取り得る手段などなかろうが。そ、そ、それとも陛下の忠臣ハヤシ作戦参謀中佐殿には何か妙案がございますでしょうか?」
クラウディウスは俺を嬲るかのようににたにたと笑った。口の端から涎がこぼれて、卓に滴り落ちた。
俺は黙り込んだ。クラウディウスの言うとおりだ。ネロが参謀本部に自分の意見を通せるとは思えないし、現状を打開しえるのはこの計画しかない。
だが、それはヤマトへの帰還という俺の唯一の望みが潰えることを意味する。
俺は力を失って、椅子に腰を下ろした。天井を仰ぐ。これから先、いつか破滅するその時まで権力者たちに使い潰されるのが俺の運命なのだろうか。絶望とも諦念とも判断のつかない思いが頭一杯に広がる。
だが、運命が俺に用意した道は、さらに過酷なものだった。
「は、は、話は以上だ去れ」
クラウディウスが立ち上がろうとしたので、俺はもう一つの喫緊の問題を彼に思い出させようと口を開く。
「小官がアグリッピナ太后に命を狙われた件については、如何に対処するべきでしょうか」
クラウディウスはこちらを見ることなく答える。
「そ、そ、その件に関して参謀本部は容喙しない」
「……は?」
俺は間抜けな声で聞き返した。
「わ、わ、我々の知ったことではないと言った」
俺は底なしの穴に落とされた気分になった。比喩ではなく視界が暗くなる。
「おっしゃる意味が……理解できませんが」
「き、き、貴様一人のためにアグリッピナと対峙することはできん。ど、ど、独力で対処するがいい」
「お、お待ちください!」俺はクラウディウスの前に回り込んで跪いた。「小官如きではアグリッピナに対抗できません。何卒クラウディウス元帥のお力添えを賜りたく」
クラウディウスはこちらを傲然と見下して言った。
「あ、あ、アグリッピナと参謀本部の関係は緊張を孕んだものだ。て、て、帝国が揺れているいま無用な争いを起こすわけにはいかぬ」
俺は必死に言い募る。
「しかし参謀本部所属である小官の暗殺を試みたというのは元帥の権威に対する挑戦とは言えないでしょうか!? ここで座視すればアグリッピナを増長させることになろうかと! 元帥からアグリッピナに掣肘を加えることこそが肝要です! アグリッピナが何を狙っているか明らかにする必要もあります!」
「か、か、彼女の真意がどこにあるかは知らんが佐官一人の命ぐらいくれてやる。ひ、ひ、一つ貸しだ。そ、そ、それに」クラウディウスの瞳には黒い焔が燃えていた。「ぐ、ぐ、軍人は死ぬのも仕事の内だぞ中佐」
手足から力が抜けていくのを感じた。俺は切り捨てられたのだ……。いつかこういう目に合うのではないかと思っていたが存外に早かった。だから、だから俺はヤマトへの帰還を望んだのに。
ファビウスが寄ってきて俺の萎えた腕を取って立ち上がらせる。彼は顔中に満面の笑みを広げていた。
「そう、落ち込むことはないぞ、中佐。元帥は君が独自に対処することは許可されたのだ。一年前のゲルマニアの夜よろしく君の智謀で事態を打開したまえよ」出入口の扉を指し示す。「実に有意義な報告だった、誠にご苦労。追って命令があるまで自宅で待機するがいい」
俺は彼に背中を押されるように部屋から追い出された。
参謀本部の玄関広間まで戻ると、三人が待っていた。
「ご首尾はいかがでしたか?」
アプレイウスが問うてくる。
「おおよそ考えられる限り最悪の展開を迎えた。あくまで俺個人の視点ではだが」
三人は黙り込んだ。俺は真ん中のコルシュを見つめる。その眼差しには俺に対する心配とそれに相反する信頼が宿っていた。この視線を前にして、俺は安易に絶望するような真似が許されていない。
俺はしわぶきを一つして、気持ちを切り替えた。
さて、整理しよう。俺の身に差し迫る問題は二つ、アグリッピナからの殺意、そして内乱勃発に伴う帝国のヤマト撤収だ。どちらがより重要な問題か? 決まっている。俺はまず自分の生命を確保しなければならない。ヤマト云々など俺の命がなくして論じる価値もない。アグリッピナへの対応が最優先だ。
しかし、どうする。アグリッピナは参謀本部すら対決するのを躊躇う相手だ。俺の知己で彼女の手から俺を守ってくれるような人間はいない。ヤマトニクス様だって実力がまるで足りていない。彼女と交渉するにもその目的が分からない以上、安易に接触を持つ気にはなれない、今度彼女の部屋に招かれれば、それが俺の最期かもしれない。彼女に伯仲する力を持つのは、ポンペイウス、クラッススか。どちらも俺のために動くわけがない。アグリッピナを凌ぐ力を持つ誰かがいれば、そいつに跪いて助力を乞うのだが、そんな奴はどこにもいない。
……いや、本当にそうか?
俺の頭にいくつかの言葉が浮かぶ。調査報告、真実、致死作用、アフリカヌス。
頭に中で不忠極まりない破れかぶれの一案が形を成した。
俺は誰にも聞こえないぐらいの声量で呟く。
「こいつは窮余の一策だが……しかしこれに賭ける他ないか」
彼を相手にこの案を押し通せる自信はない。だが、やるしかない。
口の端に微かな笑みが浮かんだ。
「しかしこれではまるきり謀臣だな!」
「ヒデノリ……?」
コルシュが不安そうにこちらを見上げたので、人目もはばからず両の手で彼の髪の毛をかき回した。
「なになに!?」
驚く声を上げるコルシュから手を放して、ジャオジュンとアプレイウスに告げた。
「皇宮に向かう。ついてこい」
肩で風を切って歩く俺の後を三人が慌てて後を追ってくる。
どうせ何もしなければ呆気なく殺されるのだ。最後の可能性に賭けるのが前向きな姿勢というやつだろう。
歩きながらなぜかエンヴィルのことが頭に浮かんだ。
丁度いい。アンタに無能と罵られた俺がどういう結末をたどるか、冥府から眺めていてくれ。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。