第31話 正義は勝つ
とあるアパートの一室では、蛍光灯の光の下、散らかった床につけっぱなしのテレビ。
昼だと言うのに、カーテンは閉じられたままだった。
そこはスキーサークルの三人の溜まり場。
一人はテレビゲーム、一人は寝転んで漫画を読み、もう一人はスマホをいじっている。
「いや〜こんなに上手くいくとはね」
スマホを見ていた男が、にやついた。
画面には、例の動画とその反応が、流れ続けている。
「脳筋バカは単純でたすかるわ」
漫画を読んでいた男が、ページをめくりながら笑う。
「あとは、多辺か、まああいつ一人なら俺らで囲めば楽勝っしょ」
ゲームの男は、画面から目も離さずに言った。
「けど、そろそろ潮時かな?」
「内定も出たことだし、あんまり派手にすんのもな」
スマホの男が、少しだけ真面目な顔になるが、その声音は他人事のようでもあった。
「いい思いしてがっぽり稼げたし、正直やめたくねえなあ」
「続きは社会人になってから、てことで」
「いっそのこと、これで起業しね?」
「ウケる」
三人の下卑た笑い声が、部屋に広がった。
スマホの男が、ふと画面を切り替えると、そこに映ったのは杏奈の写真だった。
「あ〜やっぱかわいいな」
指先で、画面を拡大すると、無防備な表情が、光に浮かび上がる。
「この、純真無垢な感じ、たまんねえな」
漫画を読んでいた男が、ちらりと覗き込み、口元を歪めた。
「しかも、動画20万回の劇作家、プレミア付きで需要爆上がりじゃね?」
別の画面を開くと、そこには、整然と並んだリスト。
名前、年齢、特徴、そして、金額。
さらに新規投稿画面を開き、文字を打ち込む。
『近日入荷予定、先行予約受付開始』
『前金をご入金の方限定』
『ウブで無垢、動画再生20万回の激カワJDのこの娘がなんと…..』
手際よく杏奈の画像を添付して、そのままアップした。
「きたきた、ご予約殺到中ですよ」
「最後にたっぷり儲けてやんよ」
画面の数字が、次々と更新されていく。
「そんじゃ、杏奈ちゃん」
「美味しく頂いちゃいますか」
コントローラーから手を離した男は、虚空を見上げるといやらしく目尻を下げた。
「楽しみすぎなんですけど」
三人の視線が、ゆっくりと交わり、同時に、手を上げて、ぱん、と軽い音を鳴らした。
大学の目抜き通りは、授業の時間も人の流れは絶えない。
ざわめきの中に、杏奈は、まっすぐ前を見て歩いていた。
その視線の先には、またスキーサークルの二人の男。
杏奈は、無言でスマホを取り出し、一瞬だけ画面を確認すると、そのまま胸ポケットにしまい込んだ。
その距離がつまると、杏奈は足を止めた。
「またあなた達ですか?」
「上級生なのに、毎日学校に来てるんですか?」
冷たい声で杏奈が告げると、男の一人が肩をすくめる。
「やだなあ」
「君に会いたいからに決まってるじゃん」
男達の言葉は軽い調子だが、その目は笑っていない。
「河瀬くんを陥れてまで、何を考えているんですか?」
男たちは、余裕に満ちた表情でにやにやと薄ら笑いを続けていた。
「やだな〜俺らなんもしてないよ」
「他に撮ってたやつがいたんでしょ」
あくまでもとぼけた口調だ、もはや自分たちの勝利を確信した態度で、男二人がジリジリと距離を詰めてくる。
「けどまあ、あんまり断り続けたら、不思議なことに多辺や他のやつら、もちろん、君も同じようになっちゃうかもよ」
その言葉に杏奈の手が握りこまれ、奥歯を噛み締めた。
鋭い視線を逸らさないまま、はっきりと言葉に出した。
「……お話、聞きます」
その一言に男たちの口元が、ゆっくりと歪んだ。
杏奈と二人の男は並んで歩き始める。
離れた場所から、杏奈たちを見つけた広原が、口元を震わせながら追いかけようと踏み出すと、その肩を掴まれた。
振り返ると、そこには瀬良と田﨑の姿があった。
瀬良は、笑顔で首を横に振る。
田﨑も同じく広原に笑顔で頷くと、鋭い目つきに変わり、瀬良と共に杏奈と男たちの方に歩み出した。
やがて杏奈たちは、人目が少なく、喧騒が遠い、木々に囲まれた緑地地区にたどり着いた。
杏奈は、二人を見据えたまま口を開く。
「本当の目的はなんなんですか?」
「一緒にお酒飲むだけで、こんなに付き纏いませんよね?」
男たちは、にやつきを抑えられない。
「わかっちゃったか〜」
「実は俺たちさ、君ともっと仲良くなりたいんだよね」
「それこそ、お肌とお肌のお付き合いとか……」
「君も、本当は好きなんじゃないの?」
杏奈は、表情を変えず即答する。
「そんな経験、ありません」
その一言に、男たちはより一層色めきたつ。
「まじ?」
「さらにプレミア、キターーー!」
弾けるような歓喜の声が上がった。
「プレミア?」
一瞬、男たちが視線を合わせた。
「……あ」
「バカ!」
「プレミアってなんですか?」
問いは静かだったが、核心に近づく。
男の一人が、肩をすくめた。
「……しょうがないか」
「俺たちさ、声かけた子達と仲良くして、その動画を会員のお客様方に買って頂いてんの」
大変な内容なのに、事の重大さをまるで理解していない。
ただのアルバイトの話でもするようだった。
「君、かわいくて無垢でウブそうだし」
「有名人だし、かなりプレミアついてるから」
「しかも……ねえ」
その言葉に、杏奈が一瞬顔を伏せる。
「そう!その反応」
「か、わ、い、い〜」
「なんだったら、儲けた分まわすから、どう?かなり稼げるよ」
顔を上げた杏奈が、ふっと明るい笑顔になった。
「なんだ、それならそうと早く言って下さいよ」
「私〜、お金、大好きなんです」
男の目が、思っていた反応と違ったのか、わずかに見開かれる。
さらに杏奈は、少しだけ頬を赤らめる。
「それに……まったく興味がないことはないし」
男達が、思わず声を漏らす。
「きたこれ」
「じゃあ、早速行っちゃお!」
二人が同時に、杏奈の背へ手を回したその瞬間、空気が替わった。
「その手……離しんさい」
低く、はっきりとした声が発せられた瞬間には、もう動いていた。
杏奈の身体が、すっと沈む。
男達の視線が下がるや否や、体が回転して足を払われ、バランスを崩した男が、そのまま尻餅をついた。
そして、起き上がりざまに、すかさずもう一人の腕が取られて、後ろ手に固定した。
「ちょ、やめ、痛え、痛えって!」
地面に倒れた男が、慌てて体勢を立て直した。
「……てめえ」
もう一人を押さえ込んでいる杏奈に、向き直った瞬間だった。
「よお」
「……ひっ」
伸びて来た手に髪の毛を掴まれ、引き寄せられる。
鼻の先が触れそうな距離の視界の先に、見開かれ、血走った田﨑の目があった。
「……随分と、舐めた真似しよってからに」
「あぁん!」
その気迫に、男は縮み上がって声が出ない。
「なんや?か弱い女の子にしか、強う出れんのか?」
「……そんな根性で、他人の人生を、狂わせたっちゅうんかい!」
田﨑の姿に呆然としていると、杏奈の手の力が緩んだ。
しかし、聡志と峯岸が男を引き取り、もがく間も与えず、地面へ押さえつける。
聡志が珍しく怒りを露わにした。
「何が俺たちを同じ目に遭わせるだよ」
「お前ら、もう人間じゃねえだろ」
「ま、うちに目をつけたのが運の尽きだな」
峯岸も腕を絞り上げた。
「うちのプリンセスに、なんちゅうことをぬかしとんねん」
「身の程を知れ、ボケナスが」
田﨑が、男の髪を鷲づかみにし、血走った目のまま巻き舌で凄む。
「このダボ共が、お前ら覚悟……できとんのやろな? あぁ、ごら」
男達の喉が、ひっと鳴る。
「芝居で俺らに挑むなんざ、百年早いんじゃボケが」
震える拳を振り上げようとすると、明るい声と軽い足音が割り込んだ。
「はいは〜い、そこまでよ、雅音っち」
「あんたが手を出したら、話がややこしくなるっしょ?」
瀬良が、ガムテープを伸ばしながらあらわれて、手際よく男たちの手首をまとめ、足首も容赦なく縛り上げていく。
地面に押さえつけられた男が、笑いだした。
「はは、お前ら、こんなことして」
「また編集して拡散してやんよ」
息を荒げながら吐き出された言葉には、もう余裕はない、目一杯の強がりであることはわかる。
「お前らまとめて終わりだよ」
そのとき、ユズの声が、後ろから飛んだ。
「心配ご無用」
振り向けば、ユズとミナ。
その横には、久島と安積。
そして四人に囲まれるようにして、撮影係の男が現れる。
その顔は、青ざめて引きつり、情けない声を上げた。
「下手……打っちゃった」
久島が静かに前に出て、淡々と口を開く。
怒鳴りもしないその一言が、かえって重く沈んだ。
「好き放題やりやがって……」
「……まとめて、終わりなのはお前らだよ」
久島が視線を向けた先から、宮坂がスマホを掲げて現れる。
「あと今、ライブ配信中だからね」
「あんた達が言ったこと……」
眼鏡の裏の目が、輝きを放った。
「……やって来たこと、全部、バレちゃったね」
その一言に、男たちの顔色が変わると、杏奈も胸元からスマホを取り出す。
「こっちの録音もバッチリです」
三人が青ざめ、さっきまでの薄笑いが、一瞬で消えた。
瀬良が、ゆっくりとしゃがみ込み、男たちの目線の高さに合わせてにこり、と笑う。
「刑法二百二十二条、脅迫罪」
「二百二十三条、強要罪」
「……他にも、あれこれエトセトラ」
「河瀬くんの件は二百三十条、名誉毀損罪」
「拡散の仕方によっては二百三十一条、侮辱罪も追加」
一息で言い切ると、男たちの呼吸が、目に見えて乱れ始める。
瀬良が、肩をすくめた。
「他にも色々、罪状のデパートだね」
その言葉に、温厚な雰囲気に戻った田﨑が顔を上げる。
「瀬良さん、表現が古いですよ」
「ぴえん」
次の瞬間、瀬良の目から笑いが消え、冷徹で一切の情けを排除した色に変わる。
「あんたたち、動画撮って会員に売ってるなら」
「もう刑法だけじゃ済まないからね」
「特別法まで飛ぶから」
「……一回生、未成年もいたんだろ?」
男達は往生際悪く首を振るが、瀬良の追求は止まらない。
「しかもその動画の売上、ちゃんと収入だからね」
「犯罪で稼いだ金でも、課税は逃げられないよ」
男たちは、完全に言葉を失っていた。
瀬良が、ゆっくりと立ち上がり、見下ろす。
「……一生苦しめ、犯罪者ども」
安積がスマホを仕舞いながら、杏奈に笑顔を向けた。
「通報完了、田澤さん、ありがとう」
「怖かったよね」
そのまま杏奈を抱き寄せ、細く震えている体を、やさしくさする。
杏奈はやっと、肩の力を抜いた。
「怖かったです、でも、みなさんがいたから」
落ち着かせながら出す言葉が、ゆっくりと緊張をほどいていく。
峯岸が、感心したように笑う。
「杏奈ちゃん凄い身のこなしやったな」
杏奈は、少しだけ照れたように視線を外す。
「うちのお父さん、高校の頃、空手でインターハイ行ったんです、後でプロになった人に瞬殺されたらしいんですけど」
聡志が、思わず声を上げた。
「……マスター、本物じゃん」
「だから私も、小さい時に習ってたんですよ」
その言葉に、久島が肩をすくめるようにして笑う。
「こりゃあ、河瀬も怖い彼女持っちゃったな」
「違いますから!」
即座に言い返した杏奈を見て、聡志が胸を撫で下ろした。
さらに、久島に向かって安積の声が飛ぶ。
「了! デリカシー」
「……失礼、しました」
安積と久島の息のあったやり取りに、張り詰めていた空気がほどけたが、それも一瞬だった。
サイレンの音が、重なって近づいてくる。
そして、それが校門の前で一斉に止まったのがわかった。
拘束されながら、男たちが暴れ始める。
「……やだ、いやだ、いやだ!」
「俺……内定決まってんだよ?」
「人生設計めちゃくちゃじゃん」
「お前らのせいだ!」
「人の人生めちゃくちゃにしやがって!」
田﨑の眉間に皺が寄り、目つきが変わったところを瀬良が制した。
「……最後まで、自分らの非を認めないんだね」
「俺たち、なんも悪くねえじゃん!」
「こんなの青春の一ページだよ……」
「そうだよ、みんな……たのし……」
そこまで言うと、瀬良が差し出したスマホの画面に口を閉ざす。
そこに映るのは、広原への脅迫メッセージの数々だった。
「忘れんじゃないよ」
「……人の人生狂わしたのは、てめえらだ」
「河瀬君だって、誤解が解けなきゃ一生てめえらの貼ったレッテルのままだったんだよ?」
「いい加減……事の重さを理解しな」
その時、緑地地区に、複数の警察官がゆっくりと近づいてくる。
数人の大学職員や、野次馬の学生達も多数引き連れていた。
「通報を受けてきました」
「お疲れ様です」
瀬良が頭を下げると、大学職員達が狼狽えた顔で拘束された男たちを見た。
宮坂がすかさず動画を、杏奈が録音を準備した。
「やめてくれ!……やめてください」
男達の身勝手な訴えを無視して、確認する警察官達。
「ご協力、ありがとうございます」
三人は、そのまま連行され始めた。
「はい! 皆さん道開けて、開けてください!」
連行される三人を先導する警察官が、野次馬の学生達に声を張り上げた。
野次馬たちの反応は様々だ。
スマホを構える者。
ひそひそと話す者。
ただ見つめるだけの者。
その様子を眺めながら、大学職員達が苦い顔で向き直る。
「君たち……学外でなんとかできんかったん?」
「……学内で警察沙汰の騒ぎ起こされたら、こまんねんけど」
その時、一人の女子学生が連行される列の前に立ちはだかった。
目を真っ赤に腫らし、涙でぐしゃぐしゃになった顔の広原だった。
「あは……あはは……」
「あはははは、ざまあみろ!ざまあーみろ!」
男達を指差して、狂ったように笑い始めた広原に、警察官が足を止めた。
「ざまあみろ!……あんたら……」
「……ざまあ……みろ」
その場に、両手をついて泣き喚き始める。
「……返してよ、時間を、戻してよ……」
「あんたらに……奪われた、何もかも……」
「返せよ……返してよ!」
異変を感じた警察官が目配せをすると、女性警官が広原に歩み寄り、そっと、背中に手を添える。
「お話、聞いても大丈夫?」
広原は涙で濡れた顔を上げて、小さく頷いた。
「……はい、聞いてください」
「署に来てもろてもええかな?」
目を伏せた広原は、震えながらゆっくりと、頷いた。
女性警官は、無理に立たせようとはせず、先に連行する列を行かせて、微笑んだ。
「大丈夫、ゆっくり、落ち着いてからな」
そのまま支えられるようにして立ち上がる。
その一部始終を見た大学職員達は、目を伏せて、それ以上言葉を返す事ができない。
その中にいる杏奈が、河瀬の潔白を訴えた時に対応した学生課の職員と目が合うと、職員が頭を下げた。
「君の言葉を、もっと真摯に受け止めて、対応するべきだった」
「本当に、申し訳ない」
連行されていく男たちの背中はもう見えない。
広原が一度だけ振り返り、杏奈たちを見た。
深々と頭を下げると、おぼつかない足取りを支えられながら歩き始めた。
一人の警察官が、杏奈達の元にやってくる。
「君らも、後で署に来てくれるかな?」
杏奈は、すぐに頷いた。
「はい、もちろんです」
その横で、瀬良が一歩前へ出た。
「私も同行して良いですか?こう見えて、法学部なんで」
「録画と録音も、証拠として提出します」
警官は、小さくうなずいた。
「ご協力、感謝します」
その場にいる全員が口元を引き締めた。
寮の河瀬の部屋の扉が、ノックの音もそこそこに、開かれた。
「入るぞ」
久島の声に、河瀬は慌てて顔を上げた。
目元は真っ赤で、頬は涙でぐしゃぐしゃだった。
久島は、その顔を見るなり、何も言わずに部屋の中へ入って、短く息をついた。
「良かったな、疑いは晴れた」
「明日、学長が直接謝罪したいと、道場に来られる」
「お前も練習復帰だ」
河瀬は詰まりながら言葉を出す。
「ありがとうございます」
久島は、その場に立ったまま話す。
「礼なら田澤さんに言ってやれ」
「しかし、凄え子だな、お前の彼女」
河瀬は、思わず顔を上げる。
「そんなんじゃ、ないですよ」
久島は、確かめるようにその顔を見る。
「ふむ、本当にそうなんだな」
その時、つけっぱなしのテレビ画面の中で、キャスターが淡々と原稿を読み始めた。
『先日放送した内容に、一部誤認がありました』
『ただ、報道内容は入念な取材に基づいたものであり、言論の自由、報道の自由の観点から、明確な謝罪は控えさせていただきます』
『当該学生の、今後のご活躍を応援させて頂きます』
何事もなかったかのように次の話題へ移ると、久島がぽつりと呟いた。
「なんだそりゃ?」
「……主将」
「なんだ?」
河瀬は膝の上で手を握り、ぽつりと漏らした。
「ネットの書き込み、なんか手のひら返しとって」
「人間て……怖いですね」
小さく吹き出す久島。
「バカだな、同じ人間が書いてるわけねえだろ」
「批判ばっかりの時に、擁護はしづらいもんさ」「だからさ、立派なもんだよ、青島は」
「あの中で擁護コメント出すんだからな」
河瀬の表情が、ゆっくりと緩む。
「そうですね、本当に」
「謹慎期間中の授業は全部出席になる」
「リーグ戦も問題なく出られるぞ」
「頼りにしてるからな」
河瀬は、背筋を伸ばした。
「押忍、頑張ります」
久島は、それ以上は何も言わなかった。
ただ一度だけ、頷く。
袖で涙を拭った河瀬の顔には、もう迷いは消えていた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。