第一章
制服もクリーニングから戻ってきて、ゴールデン・ウィークも何事もなく開けた今日このごろ。
生徒会執行部員は生徒会室へ移動して、生徒会業務を今日も始める。
体育祭委員の招集は来週からだから、それまでに資料をまとめておかなければ。
学園だよりに目を通し、生徒会長の印を押しながら次に新聞部の新聞に目を通す。
体育祭、どうしようかな。出られるのかな。走ってる最中に身体もげたりしないかな。保護者や大学生も見に来るのに、いきなり身体がもげたらとんだスプラッタホラーだよ。
「生田」
旭は副会長に声を掛けた。
「何、旭会長」
「今回、会長権限で生徒会長はレクリエーションにしか参加しないことにするわ」
「え、何でまた。サボりたいとか?」
「ちょっと事故の後遺症がまだね」
「そうなのか? 大丈夫か?」
「普通に暮らしてる分には問題ないんだけどねえ」
「そうか︙︙そうだな。そうした方が良いな。運営本部に詰めてろよ」
「当日はそうするよ」
これで体育祭はゾンビバレせずに乗り切れそうだ。
新聞に目を通し終わって印を押した。
「目を通さないといけないのってこれだけ?」
書記の秋田くんに尋ねる。秋田くんは基本的に内部生で占められる生徒会執行員の内、外部生のなかから役員入りした唯一の猛者である。
「今日のところはこれだけですね」
「よし、じゃあ今日はこれから体育祭の仕事の振り分けをする」
三角コーンはいくつ必要か、ポールはいくつ必要か。競技責任者はどこに何人配置するか。昨年度の資料をそのまんま引き出してくる。昨年度のそれを決めて書いたのは旭である。
「ほぼ完璧じゃないですか」
「去年と競技は変わってないから、あとは人数を変えるだけでこのまま使えると思うんだけど、どう?」
副会長と書記に尋ねると、
「先生に一応確認通して大丈夫だったらこのまま使いましょう」
と書記から返ってきた。
これが上手なサボり方である。
「よし、来週の水曜にしようか。体育祭実行委員を集めるので各々間違って帰らないようにしてね」
「はーい」
制服のブレザーが暑く思えてくる季節がやってきた。ゾンビの旭には関係ないが。衣替えは六月なので、熱中症対策の布告をしなければ。ブレザーを脱いで指定カーディガンで過ごそうかな。旭はまだ大丈夫だが生徒の中にはちらほらカーディガンで過ごしている者も見られた。
実は旭がブレザーの下に纏っている指定カーディガンは卒業するときに静夜さんから剥ぎ取ったものである。思い出にくださいと土下座する勢いで頼み込んだのだ。そしたら意外とあっさりくれたので、肩透かしを食らったような気分になったのを覚えている。
初めて身につけたとき、そのだぼっとした着心地に悶えた自分が記憶に新しい。体格差にときめいた。今でも意識すると顔が赤くなる気がするので(ゾンビの顔色は知らないが)、なるべく意識しないようにしている。
来る水曜十五時四十分、第一会議室には体育祭実行委員が勢揃いした。
体育担当教員たちの横に並んだ旭が立ち上がる。
「では、揃われたようなので。皆さん、お疲れさまです。生徒会長の三峰旭です。体育祭実行委員長、日下部唯さん、起立して自己紹介をお願いします」
旭に名指しされて、議長席に座っていた男子生徒が立ち上がる。
「どうも、ご紹介に預かりました三年二組の日下部です。この度体育祭実行委員長を拝命しました。皆さんで力を合わせて怪我のない体育祭を目指しましょう。よろしくお願いします」
「必要な資料は手元に用意しておきましたので、この後の仕切りは実行委員長にお任せします。よろしくお願いします」
「はい。じゃあまず書記を二名決めます。誰か――」
委員長による司会が滞りなく進んでいるのを見て、次回以降は立ち会いの必要が無いなと判断する。
「あ、会長」
頭の中で明日以降の生徒会業務に思いを馳せながら議事を見守っていた旭だったが、名前を呼ばれてふっと意識をこちらへ戻す。
「はい、なんですか?」
「会長はレクリエーションの借り人競争にしか参加しないんでしたよね?」
「その予定ですよ」
「じゃあ、会長自身も借り人役になってくれませんか?」
「ええー、いいのかなそんなことして」
「お願いします」
「んー、わかりました。でも全力疾走はできないからね」
どこかもげたら困るし。
「それで大丈夫です。ハンデになるので」
木村研の扉を開くと、静夜さんは居たが今日は教授が不在のようだった。院生はちらほらと居た。いつもの席につく。
「三峰、今日はいつもより遅いな」
山口さんに指摘される。壁にかかったアナログ時計の針は二十時を指していた。
「体育祭が近いですからね」
「実行委員の方にも顔を出しているんですか?」
静夜さんに問われる。
「立ち上げの今日だけですよ。今年の委員長はしっかりしていたのでわたしが見ていなくても大丈夫そうです」
去年は委員長のやる気がなかったので旭と静夜がサポートに回っていたのだった。
「そうですか、それは良かった」
「去年は大変でしたものね」
「三峰さんの負担が減るのは良いことです」
なんのご褒美を貰っているんだろう今わたしは?
「いえそんな――」
「眠れていないのでしょう」
ぴしり、とわたしの笑顔が固まった。
「――なぜわかったんですか」
「想像がつきます。おそらく自律神経がおかしくなっているのでしょう。なぜなら、こんな暑い日にブレザーを着ていても涼しい顔をしているからです」
今日の日中は三十度を超えていた。木村研の研究室の院生も静夜さんも皆半袖か七分丈の薄手の服を着ている。
しかし旭はカーディガンの上にブレザーを着込んだまま一日を過ごしていた。それが特につらいとも暑いとも感じなかった。
「やだなあ、静夜さん」
気がつかないでくださいよ。
眠れない夜は父の書斎で小説を読むか、自室で勉強をするかして過ごしていた。
しかし、一月。一月、眠れない日々を過ごしただけで人間はこうも狂いそうになるのか、と思っていたところだった。平衡感覚はおかしくなり、なるべく壁に沿って歩くようにしている。階段は手すりが必須だ。三年の教室が一階で良かった。生徒会室は三階にあるのでちょっと危険だった。
家族や他の学生には見せないようにしていたが、旭の精神は限界を迎えようとしていた。
予習も復習もずっと冴えた頭でやりつづけている。ゾンビになる前は眠らなくて済むようになったらいいのになーだなんて考えたこともあったが、そんなのは健常者の戯言だった。
「でも、大丈夫ですよ。やることならたくさんあるので」
「時折だったら、僕に電話をかけても良いですよ。時折だったら」
「えっ!? 本当ですか!?」
耳を疑った。
「次の日の授業が一限からじゃなければ、少しお話に付き合います。時折だったら」
「お願いします! ありがとうございます!」
「時折だったら」
「めちゃくちゃ押しますね時折を。二週間に一度くらいならいいですか?」
「まあそのくらいの頻度なら僕でも耐えられるかな……」
静夜さんは人と会話するのが好きな割に会話をしたがらないので、これはとんでもない特権を得てしまった。
これは目標に一歩近づいたな。
というか既にわたしは静夜さんの一番側に居る他人なのではないだろうか。
「静夜さん、静夜さん」
「なんですか」
「静夜さんにとってわたしってなんですか?」
「目をかけている後輩です」
「ありがとうございます」
なんて素敵なポジションだ。それはおそらく静夜にとっては最上級のクラスだろう。目標を達成してしまった。あとはこのポジションを保持していかなければ。
「今日はもう帰りましょう。眠れないなら課題は夜にやればよろしい」
「そうですね、そうします」
そうして今日も静夜さんはわたしを家に送り届けてから帰っていった。
あー好き。
夜の退屈を紛らわすために、わたしはウユニ塩湖の絵柄のパズルを始めた。父がわたしのことを心配しているのがひしひしと伝わってきていて、でも死ぬことだけはないから大丈夫! とそれだけしか言えないのがもどかしかった。
静夜さんに電話でもしてみようか、と思い立ったのはウユニ塩湖のパズルが半分ほど埋まった頃だった。
退屈は間違いなく紛れるだろうが、静夜さんの睡眠や勉強の邪魔をしたらどうしよう。
ワンコールだけかけてみようか。
緊張で震える手で連絡先を開いて――そして結局かけられずに終わった。連絡帳に月岡静夜の名前があるだけで満足してしまった。
そして体育祭当日。
体育祭実行本部までスポーツドリンクを差し入れついでに応援に来てくれた静夜さんに、わたしはひとつ提案をすることにした。
「何らかの競技で一位を取ったらわたしとお茶しに行きませんか」
「そうですね、良いですよ」
「言いましたね!? 聞きましたからね!?」
「地獄の果てまで行くわけじゃなし」
「わたしにとっては天国の入口です」
百メートル走、クラス対抗リレー、騎馬戦など競技が順調に終わっていく。
皆が昼食休憩を取っている間、わたしは借り人競争のために無駄に身体をぐっぐっと伸縮させていた。
一人だけスタート地点でスタンバイ状態。
だってこれに勝てば先輩と出かけられるんだよ? 本気出すしかないじゃん。
「会長、スタンバイが早すぎます」
「大丈夫、フライングはしないから」
「そういう問題ではなく」
「絶対一位取ってやっかんな、会長の意地見てろよ生徒共」
「キャラ変わってますけど」
そうこうしている内にわらわらと他の選手たちが集まってきた。
「会長気合入ってんね」
「そりゃね」
「また前会長絡み?」
「まあね!」
『体育祭、午後の部が始まります。レクリエーション参加の選手は指定の位置に移動してください』
「それじゃあスタート位置についてくださーい」
競技責任者に指示されて旭は四番レーンについた。
「よーい――」
パン、と空砲が鳴ると共に旭は飛び出した。借り人の情報が書かれている紙が置かれている長机に到達し、その中の一枚をひっつかむ。
【昨年度一番お世話になった人】
こんなの一人しかいねえ!
体育祭本部の方を見るも、その姿は既に消えていた。
「静夜さああんどこですかー!!」
叫びながら保護者席を走り回る。
「ちょっと三峰さん、目立つからやめてください」
いた!
わたしは静夜さんの手首を掴んでレーンに飛び出した。
「ゴールまで行きますよ!」
「えっと、お題はなんだったんですか」
「昨年度一番お世話になった人です!」
「ああ、なるほど……」
先輩は引っ張られるままにペースを合わせて走ってくれた。息切れなどは無かったがあと少しでゴールというところで左膝がもげた。
「嘘だろ!」
「現実ですよ。他の人にバレないうちに早くくっつけてください」
幸いにして長い方のジャージだったのであまり目立ちはしなかった。ジャージをまくって膝を接着して、屈伸して動作確認をして大丈夫そうだったので再び走り出す。
差し出された手に手を乗せて、あれ、さっきまでわたしもしかして自然と先輩と手を繋いでいた? と自覚してかあっと顔に血が上る。ゾンビなので顔色は変わらないが。
結果は二位だった。
「ああああああ、悔っやしいい、この身体がゾンビじゃなければ一位だったのにぃい」
ぐずぐずと地面に崩れ落ちる。
「一位、取れなかった……」
落ち込んでいる旭を見かねたのか、先輩はぼそっと呟いた。
「三峰さんは頑張って走っていたのでお茶にでも行きますか」
「え……」
「嫌ならいいですけど」
「嫌なわけないじゃないですか」
好きが口からまろびでそうになっただけだ。
「じゃあ、詳しいことはまた今度」
二位の席から静夜さんが立ち去る。
「よかったね会長」
旭の静夜に対する好意は少しでも接したことのある人間であればわかってしまうようなものだったので、隣の一位席に座っていた図書委員長がこそっとそう言った。
「良かったよ……本当に……レクリエーション出てよかった」
夜の退屈を紛らわすために、わたしはウユニ塩湖の絵柄のパズルを始めた。父がわたしのことを心配しているのがひしひしと伝わってきていて、でも死ぬことだけはないから大丈夫! とそれだけしか言えないのがもどかしかった。
静夜さんに電話でもしてみようか、と思い立ったのはウユニ塩湖のパズルが半分ほど埋まった頃だった。
退屈は間違いなく紛れるだろうが、静夜さんの睡眠や勉強の邪魔をしたらどうしよう。
ワンコールだけかけてみようか。
緊張で震える手で連絡先を開いて――そして結局かけられずに終わった。連絡帳に月岡静夜の名前があるだけで満足してしまった。
そして体育祭当日。
体育祭実行本部までスポーツドリンクを差し入れついでに応援に来てくれた静夜さんに、わたしはひとつ提案をすることにした。
「何らかの競技で一位を取ったらわたしとお茶しに行きませんか」
「そうですね、良いですよ」
「言いましたね!? 聞きましたからね!?」
「地獄の果てまで行くわけじゃなし」
「わたしにとっては天国の入口です」
百メートル走、クラス対抗リレー、騎馬戦など競技が順調に終わっていく。
皆が昼食休憩を取っている間、わたしは借り人競争のために無駄に身体をぐっぐっと伸縮させていた。
一人だけスタート地点でスタンバイ状態。
だってこれに勝てば先輩と出かけられるんだよ? 本気出すしかないじゃん。
「会長、スタンバイが早すぎます」
「大丈夫、フライングはしないから」
「そういう問題ではなく」
「絶対一位取ってやっかんな、会長の意地見てろよ生徒共」
「キャラ変わってますけど」
そうこうしている内にわらわらと他の選手たちが集まってきた。
「会長気合入ってんね」
「そりゃね」
「また前会長絡み?」
「まあね!」
『体育祭、午後の部が始まります。レクリエーション参加の選手は指定の位置に移動してください』
「それじゃあスタート位置についてくださーい」
競技責任者に指示されて旭は四番レーンについた。
「よーい――」
パン、と空砲が鳴ると共に旭は飛び出した。借り人の情報が書かれている紙が置かれている長机に到達し、その中の一枚をひっつかむ。
【昨年度一番お世話になった人】
こんなの一人しかいねえ!
体育祭本部の方を見るも、その姿は既に消えていた。
「静夜さああんどこですかー!!」
叫びながら保護者席を走り回る。
「ちょっと三峰さん、目立つからやめてください」
いた!
わたしは静夜さんの手首を掴んでレーンに飛び出した。
「ゴールまで行きますよ!」
「えっと、お題はなんだったんですか」
「昨年度一番お世話になった人です!」
「ああ、なるほど……」
先輩は引っ張られるままにペースを合わせて走ってくれた。息切れなどは無かったがあと少しでゴールというところで左膝がもげた。
「嘘だろ!」
「現実ですよ。他の人にバレないうちに早くくっつけてください」
幸いにして長い方のジャージだったのであまり目立ちはしなかった。ジャージをまくって膝を接着して、屈伸して動作確認をして大丈夫そうだったので再び走り出す。
差し出された手に手を乗せて、あれ、さっきまでわたしもしかして自然と先輩と手を繋いでいた? と自覚してかあっと顔に血が上る。ゾンビなので顔色は変わらないが。
結果は二位だった。
「ああああああ、悔っやしいい、この身体がゾンビじゃなければ一位だったのにぃい」
ぐずぐずと地面に崩れ落ちる。
「一位、取れなかった……」
落ち込んでいる旭を見かねたのか、先輩はぼそっと呟いた。
「三峰さんは頑張って走っていたのでお茶にでも行きますか」
「え……」
「嫌ならいいですけど」
「嫌なわけないじゃないですか」
好きが口からまろびでそうになっただけだ。
「じゃあ、詳しいことはまた今度」
二位の席から静夜さんが立ち去る。
「よかったね会長」
旭の静夜に対する好意は少しでも接したことのある人間であればわかってしまうようなものだったので、隣の一位席に座っていた図書委員長がこそっとそう言った。
「良かったよ……本当に……レクリエーション出てよかった」
さて体育祭の代休の日、普段はしていないメイクをばっちり決めて家を出ると、家の門の前には既に静夜が立っていた。
「お待たせしました」
「いえ。それより、今日は顔がいつもと違いますね」
「メイクが似合ってますねって言ってたら完璧でしたよ」
「残念ながら僕は不完全なので」
「まあ完璧な人間なんていませんしね。求めるのも間違ってました」
しばらく歩いて駅前まで着くと、静夜が口を開いた。
「ところで三峰さん、黒い服を着ていると蜂に狙われますよ」
今日の旭の服装は黒のワンピースであった。
「でも静夜さん、ここは町中ですし蜂は居ないんじゃないでしょうか?」
「分かりませんよ。ほら、あそこにいる人間の群れ」
静夜は楽しそうにタピオカ屋に並んでいる大学生くらいの女性の群れを指差した。指差すのはどうかと思った。
「あれらが、蜂の擬態化した姿かもしれない」
「なるほど、気をつけます」
「だからあなたがゾンビでも化け物でも僕はそんなに気にしませんよ」
息が詰まった。
ねえこの人どれだけわたしを好きにさせれば気が済むの?
「喫茶店の前に本屋に寄ってもいいですか?」
静夜の言葉に旭はもちろんと答えた。
その後、大きめの書店に移動して、静夜のおすすめの本を紹介してもらうことになった。先輩は一冊の文庫本を手に取り、これは面白いですよと教えてくれた。しかし高校生のお小遣いでギリギリ生きているわたしにとってはちょっと手持ちが足りなかったので、ISBNコードだけ写真を撮って棚に戻そうとした。
「何をしているんですか?」
静夜に問われて答えた。
「ああ、ちょっと今手持ちがなかったので今度買おうと思って写真を」
「なんだ、じゃあ買ってあげます」
「え?」
静夜はわたしの手からひょいっと文庫本を取り上げた。
何が起こった?
「せ、静夜さん、そんなことをしていただくわけには」
「あとは上の階に移動しましょうか」
「話を聞いてください静夜さん」
この本は読んだことがありますか? いいえありません。 じゃあ買いましょう。
そんなやりとりを五回ほど繰り返して結構な額の書籍を静夜は旭に買ってくれた。もう頭の中がぐるぐるになっていたわたしは「静夜さん、静夜さん、わたしはどうやってこの御恩をお返しすればよいのですか」と尋ねると、静夜はただ「お勉強してね」とだけ答えて颯爽と歩き出した。
その後は内装がお洒落な喫茶店に入り、お互いコーヒーを頼んだ。この頃の旭は進んでは飲み物しか口にできなくなっていた。家での朝食はなんとか堪えてトイレまで吐くのを耐えているが、そのうち我慢ができなくなってしまいそうだった。
「最近大学の方はどうですか? 勉強は楽しいですか」
「一年の授業はつまらないですね」
「なるほど」
「三峰さんの方はどうです? 新生徒会はうまく回っていますか」
「上々ですね。面子もだいたい中学と同じ――ああでも一人外部生が入ってきました。三年の秋田くんですね。たいへん優秀で、秋田くんは三年で入ってきたのに書記をやってますよ」
「なるほど」
「あ、静夜さん見てください」
旭は腕まくりをして縫った箇所を見せた。
「ちょっと歪ですけど縫えましたよ。後ろ側とか大変でしたけど」
「それは良かったです。ですが公衆の面前でゾンビ化したところを見せるのはやめましょうね」
「あっ、しまった。そうですね」
お互いコーヒーを飲み終わり、そろそろ帰るかというところ。名残惜しいけど口実が……あった。
「静夜さん、木村研にケーキを買って行きませんか?」
「いいですけどお金がないので木村教授と佐々原准教授のぶんだけになりますよ」
「わたしもお金出しますって」
「あなたはいいです」
「ええ……」
「黙って二人分のケーキを選んでください」
旭はベリーのタルトとショートケーキを選んだ。
静夜が会計を済ませ、二人で学校までの道をのんびり歩く。
「奢ってもらっちゃってありがとうございました」
「まあ、ご褒美でしたから」
「次はわたしが払いますね」
「いえ、結構です」
それは次が無いという意味なのか次も奢るという意味なのか。
聞けないまま、旭は先輩の横顔を盗み見た。
特に変わらないその横顔に笑顔が溢れた。
「何笑ってるんですか」
「いえ、何でも」
「失礼します」
「先生、ケーキ買ってきましたよ」
「お前らは休日まで一緒に居るんか」
木村教授の軽口に静夜は軽く返した。
「今日が特別ですよ」
「そうそう、特別なんです」
まあ旭の方はそれが毎週末になっても構わなかったが、それはお財布が許してくれないだろう。
「ケーキってなんのケーキ?」
山口さんがケーキに釣られて寄ってきた。
「あ、ごめんなさい。予算の関係で木村教授と佐々原准教授のぶんしかないんです」
「今日佐々原くん休みやで」
「あら、珍しい。じゃあケーキ一つ余りますね」
そこからは院生による仁義なきじゃんけん大会が行われ、優勝した山口さんがベリータルトを手に入れていた。
「俺馬鹿みたいにじゃんけん強いんだよね」
「先に言えよ︙︙」
「戦術的勝利だぜ」
「あーあ、わたしもダイエット中じゃなかったら食べたかったな」
「三峰、ダイエットなんかしとるんか」
「してますよー」
「そんなんせんでも︙︙いや、女子生徒のそういう事情に口出してろくな目にあったことないわ。なんでもない」
「賢明な判断ですね」
「伊達に教授やってないからな」
「あれ、ここ何の研究室でしたっけ?」
「哲学やで、お前らみんな忘れてると思うけど」
その言葉に院生やゼミ生たちが反論した。
「教授の研究いっつも手伝ってるの誰だと思ってるんですか!」
「木村研をたまり場にしてるのは月岡と三峰ぐらいですよ!」
「旗色が悪いのでそろそろ帰りましょうか三峰さん」
「そうですね静夜さん」
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。