第三譚「雲間の手」
「主、布団から出て来てくれるかな?」
「どうでしょうか。 ……でも、姿が見えずとも話が出来れば、それで」
審神者部屋までの廊下を二振りは歩いていく。
その途中で今剣が歩いてくるのが見えた。
「あ! おふたりとも、あるじさまにあいにいかれるんですか?」
「そうだよ。今、主は部屋にいるの?」
「はい! あ、でも、ちょっとげんきがなさそうでした」
雲次の問いに答えるも、今剣は肩を竦めた。
「何かあったのでしょうか?」
「さっき会った時もちゃんとは分からなかったけど、元気がある様には見えなかったし」
「あるじさまは、きっとこんらんされているだけなんです。だから、ちゃんとぼくたちから声をかけてさしあげれば、きっとだいじょうぶなんです」
「頼もしいな、君は」
雲次がそう言って今剣の頭を軽く撫でた。小さな刀剣は照れたように笑い、「あるじさまによろしくおねがいします!」と言い、手を振って去っていった。残された二振りはしばし顔を見合わせ、そっと頷き合う。
「行こうか」
「はい」
静かに歩き出した足音が、廊下に響く。
先程来た時よりも、廊下はなぜか静かに感じられた。見えて来た審神者部屋の襖は開いており、中からは物音と話し声が聞こえて来る。一つは歌仙の声、もう一つは聞き慣れない、少し高めの声だった。
少しだけ、心の奥がざわめいた。あの声が、この本丸を治める者のものだという現実に、僅かな違和感が残った。
部屋の敷居の前で立ち止まると、歌仙がこちらに気付く。
「おや、来たんだね」
変わらぬ調子で声をかけながらも、どこか困惑したような表情をしていた。その背後には、小柄な影が歌仙の影にすっぽりと収まっていた。
「主と話ができるかなと思って来てみたんだけど、いないのかな?」
雲次は気づいていないふりをして、明るい声色で尋ねた。部屋を見渡せば、布団は雑に放置され、画材も散らばっている。けれど歌仙の周囲だけは、いくらか整理されているように空間が開いていた。
「ほら、主」
歌仙は、自分の右腕にしがみついて離れようとしない主に声をかけた。だが主は小さく首を横に振るばかりで、それどころか身体は微かに震えているように見えた。
——案内を受けている最中に聞いた、主の印象像の通りだった。とはいえ、肝心なのは「どう接するか」だ。一歩でも踏み誤れば、この場で更に彼女を傷つけてしまうかもしれない。慎重に、丁寧に、行動しなければならない。
そう考えているうちに、雲次が先に部屋へ入って行き、主から少し離れたところでしゃがみ込んだ。
「改めて、初めまして主。他の人たちから、色々話は聞いているよ。無理に顔を合わせようとしなくていいし、今はまだ……って思うなら、それでも構わない。でも、少なくとも僕や雲生は、主の声をちゃんと聞きたい。主の言葉で、何を考えていて、何を感じているのかを知りたいんだ。それを知れたら、きっと、もっと良い気がするから」
優しく、ただ真っ直ぐに、曇天の隙間から陽が差し込む様に言葉を紡いだ。
その隣で、雲生はほんのわずかに息を吐き、迷いを押し込めるように一歩、前へ出た。考えすぎていたのかもしれない。ただ感じたことや思ったことを、素直に伝えればいいとそう思えた。
「……私は、あなたがどんな人なのかを、ちゃんと知りたいと思っています。この部屋にある画材や花壇の花、皆があなたの話をするときの表情……どれも、あなたが大切にしてるものなのだと感じました。なので、……少しずつで構いません。顔を見せてくれなくてもいい。ただ、あなたの“言葉”で、私たちに伝えてくれたら嬉しいです」
歌仙は二振りを交互に一瞥した後、背後に視線をやった。主は声を押し殺しながら、ただ静かに涙を流していた。漏れ出す嗚咽は、苦しげで、痛ましくもあった。それでも、その奥から微かに「ありがとう」という、掠れた声が聞こえた。
「ここでは声を押し殺す必要はないよ、主。ほら、背中をさすってあげる」
歌仙は自分の右腕から離れない主の背中に左腕を回し、優しく背中をさする。暫くそうしていると、泣き止み落ち着いたのか、主は少し顔を上げた。しかし、歌仙の背後にいる雲次と目が合った様ですぐにまた俯いた。
「あれ、主?」と困惑する歌仙を尻目に、雲次は少し驚いていた。
「雲次、どうしましたか?」
「あ、いや……ほら、もう行こう。あんまり長くいても迷惑だしね」
じゃあね、と言って雲次はそそくさと部屋を出て行った。雲生は自分も部屋を出るか、と踵を返すと、微かに主の声を聞き取った。
「やばい、うそじゃん、どうしよう」と焦った声、また歌仙の腕にしがみついて錯乱している様にも見える。
「主、どうしましたか?」
心配になり、歌仙の横に移動してしゃがみ込み、様子を伺っていると、主はまた少しだけ顔を上げた。
「ぅあっ」と驚いた声を出したかと思うとまた歌仙の腕にしがみついた。よく見ると耳まで赤くなっていた。
「おやおや」
歌仙は心配よりも呆れた様子で、「もう大丈夫そうだ」と笑った。
「しかし、顔が赤い様ですが」
「いつものことさ。今日はとりあえず、そっとしておこう」
あまり納得はいっていないが、自分よりも長い付き合いである歌仙の言うことを信じた方が良さそうだ。雲生は心配に思いつつも、立ち上がり、部屋を出て行った。
「ほら主、そろそろ離しておくれよ」
「うう、だって、目が合っちゃった、やばい、どうしよう」
「大丈夫さ。ほら、ほーら。離して」
「うう……」
「今日の歓迎会は庭でやるのかな……そうなれば、少しは気が楽になるんじゃないか? 主の好きな場所だし、提案してこよう。だから、もういいかい?」
「うん……」
御影は渋々と言う風にそっと手を離した。
「よし、じゃあまた後で」
そう言って歌仙は部屋を後にした。
*
雲次は先に、他の刀剣男士たちの元へ向かった。だが自分は、少し思考を整理したかったため、人気のない廊下で立ち止まっていた。そっと目を瞑ると、先程の主の姿が、声が、頭の中で反芻された。小さな子供のように体を縮こませて震え、泣いていた。けれどちゃんと、歌仙や雲次、そして自分の言葉を、彼女は聞いていた。微かにではあったが、「ありがとう」と、確かに口にしてくれた。その言葉を思い返すたび、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。“戦い”を知らない主。けれど、それでもあの場で、あの言葉を絞り出してくれた。あれは、間違いなく“声”だった。逃げたのではない。彼女は、自分たちの言葉に、応えようとしてくれた。
――私も、応えなければいけませんね。
ふわりと、青い風が廊下を抜けていった。初夏の匂いが漂い、庭の方から活気ある声が聞こえてくる。
皆のために、主のために。しっかりしなければ。そう思い立ち、ようやく歩き出した。
庭へ向かうと、歓迎会の準備は着々と進んでいて、遠征に出ている部隊を除けば本丸にいる刀剣男士たちが勢揃いしていた。
「あっ! 雲生さん、きたんですね!」
今剣が雲生に気づくと、軽快な足取りで走り寄ってきた。
「何か、お手伝いすることは……」
「雲生さんと雲次さんのかんげいかいですよ? なにもするひつようはありません!」
自分も何かしなければと問いかけたが、今剣はにこにこと笑ってそう答えた。その言葉に、嬉しさと同時に、どこか落ち着かない気持ちも湧き上がる。
「そうだぞ!」
立食用の机を運んでいた岩融が笑いながら言った。
「雲次もそわそわしていたが、今は“他の者たちの邪魔にならないように”って、散歩に出ていたぞ!」
「そうでしたか……しかし、何もしないというのも、少し落ち着かなくて」
「なあに、自分は新人で主役! 任せる事もたまには良いだろう!」
「そうですよ!」
また豪快に笑いながら机を運び、今剣は岩融に便乗して真似して笑って作業に戻って行った。
どうしたものかと周囲を見渡していると、「あれ、やっぱり手持ち無沙汰になった?」と雲次が声をかけて来た。
「どこへ行っていたんですか?」
「花壇にね。ほら、主が好きらしいからさ」
そう言って見せて来た花は、橙色の菊の様な花だった。
「可愛らしい花ですね。ですが、案内を受けていた時には見かけませんでしたが」
「あの時は見えてなかったみたい。反対側に咲いていたよ」
「……私も、何か主に贈り物でも」
「まあでも、来てくれるかは分からないしね」
雲次は手の中の花をくるりと回し見た。
「あ、これ雲生から渡してあげれば?」
「え? 私がですか? しかし、雲次が摘んだ物ですし」
「口ではどうとでも言えるでしょ。はい」
これ以上何を言っても無意味だろう、と雲次から花を受け取った。
*
今夜は雲生と雲次の歓迎会がある。昼間も今剣から誘いがあったが、ずっと答えに迷っていた。そして先程の歌仙や雲生と雲次の言葉、自分に向けられる言葉がこんなに温かくて優しいのだ。長く本丸で審神者として生活していたはずなのに、どこかで忘れていたのか。当たり前の様に自分を必要として、当たり前の様に優しく声をかけ見守ってくれて、時に逃げてしまう自分のことも決して見逃さずにただ気持ちを尊重してくれる。あの二人もそうだった。
まだ呼吸が浅くなるし、手も震えてしまう。
けれど、ちゃんと気持ちに応えてやらなければならない。そう思った。
だんだんと時間が差し迫っている。審神者が時間通りにいないだなんて変ではないだろうか、とはいえ普段の夕食も部屋で食べる事が多いから言えたことではないか。
「……行ってみるか」
ぼそりと誰に言うでもなくつぶやいてゆっくりと立ち上がった。
とは言え、いきなり庭に堂々と出ていくのは無理だ。怖い。それに先程もまともに雲生たちのことを見る事が出来なかった。
少し顔を上げたとき、一瞬だけ雲生の顔が目に入った。雲次とも目が合ったような気はしたが、それよりも――雲生の顔を、思いがけず間近で見てしまったのだ。一瞬でもあの透き通った肌や瞳が目に焼き付き、頭から離れなくなっている。少しでも思い出すと顔や耳が熱くなる感覚に襲われた。訳が分からない。ちゃんと見れていないのに。
それなのに、「きれいだったな」とぼそりと口から言葉が出た。
呼吸を整えよう。ここはもっと羽を伸ばせる場所なはず、これ以上歌仙や今剣たちに迷惑をかけていられない。
「おや、主。これから向かうのかい?」
灯りもつけずに薄暗い廊下の中で青江が突然声をかけて来た。全く予想していなかった為か身体が硬直していた。
「あー、すまないね。驚かせるつもりはなかったんだ。僕もこれから向かおうと思ってね、共に行くかい?」
長い前髪で片目が隠れていて表情が読み取りづらいが、それでもこちらににこりと微笑んでいる様に見え、青江は御影に手を差し出した。
「えっと、先、行ってていいよ」
「そうかい? 分かったよ」
青江はあっさりと肩をすくめて、そのまま庭の方へと歩いて行った。
鶴丸の様に驚かせるのが好きな性格ではないと思っているが、それでもたまにこうして暗闇からいきなり現れるのは心臓に悪いのでやめてもらいたい。あとで歌仙から注意してもらおうか、などと考えながら心を落ち着かせた。
皆がいるだろう庭先から見えづらい位置と角度から様子を見よう、そこからゆっくり近づいて行こう。よし、と廊下を進み、縁側へ出ると、「あっ、主〜!」と明るい声が聞こえて来た。何故ばれた。
庭先から鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎がやってきた。鯰尾は手を振り、「ほら、早くおいでよ!」と駆け寄ってくる。
「主殿、主役は揃っているが、まだ不完全だ」
「そうそう、主がいないとつまんないよー。ほら行くよ!」
「えっ、ちょっと」
返事をする間も与えられず、鯰尾に手を引かれるまま縁側から庭へ降りた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。