第三章 『バターチキンカレー』
深夜1時、毎週金曜日は
この牛丼チェーン店に荷物を搬入する。
2トントラックを店の裏手に着ける。
繁華街のこの辺りは金曜日ともなると
すっかり泥酔したサラリーマンたちが
よく徘徊している。
心の中で舌打ちしながら、裏から厨房へ声をかける。
「すんませーん!YK物流です。」
帽子をかぶり制服を着た6人ほどのスタッフが
小さな厨房で黙々と働いている。
その奥で無表情のまま牛丼を作っていた1人が
こちらに気づき顔を向ける。
俺を認識した瞬間、彼は頬を緩ませ
鍋をかき混ぜる手を止め
「チョットマッテネ〜」
と若干訛った日本語で返事をした。
「お兄さん来たんだ!今日は早いね。
仕事慣れたんじゃない?」
ゴミを出しながら、『カマラ』と書いた名札を付けた
小さな女の子が話しかけてきた。
彼女は初めてこの店に来た時に、
最初から気さくに話しかけてくれた女の子だ。
「そうなんだよ。だいぶ慣れてきてね」
ダンボール箱をトラックから数個降ろしたところで、
さっき奥にいた男性スタッフがペンと紙を持ちなが
らこちらにやって来た。
慣れた手つきでダンボール箱を数える。
聞き慣れない言葉だが、
指でダンボール箱を一つ一つ指しているところを見ると、
数を確認しているのだろう。
「オッケー」と小さくつぶやき、
受け取りにサインをしてくれる。
『グエン』
大きく書かれたカタカナ三文字。
「お兄さん今日も抹茶シェイクいっとく?」
デカデカと枠いっぱいにカタカナを書き終えた
グエンはこちらを伺うように聞いてきた。
「え〜、いつもありがとう。
じゃ、抹茶シェイクとカルビ丼にしようかな。」
カマラがそれを聞いて、俺にかけより背伸びした。
思わず腰を屈め、耳を彼女に近づける。
「じゃ、肉多め、つゆだくにしますね」
温かい空気が耳元に広がる。
胸のあたりがキンッとなる。
左手を胸に当てながら一呼吸置き、
伝票をフロントガラスのファイルに挟む。
財布を持って車から降りると
グエンが袋を下げてこちらへやってきた。
1000円支払い袋を受け取る。
ずっしりと重い。
「いつもありがとう」
と声をかけると、グエンは目を細めて頭を下げた。
「お兄さんもありがと」
片手をひらっと上げて、厨房に入っていく。
しばらくすると向こうからパタパタとカマラが走ってきた。
「お兄さん、お釣り!」
レシートとお釣りを大事そうに両手で持ち、
それを俺が両手で受ける。
『二人の初めての共同作業』
そんな言葉がふと浮かんだ。
レシートと一緒に返された小銭には
500円玉と100円玉が見えた。
「お釣り多くない?」
カマラはこちらを見上げて
「抹茶シェイクはサービスね」
と茶目っ気たっぷりに言った。
鼓動が速くなる。
「ありがとう」
さっきまで見れていた彼女の目を見れない。
目を逸らしながら礼を言うと
カマラはごそごそとポケットから携帯を出した。
「お兄さん、LINEありますか〜」
携帯の明かりが仄かにカマラの顔を照らす。
くりっとした大きな目を長いまつげが覆っている。
俺は若干の居心地の悪さを感じながら、
カマラを見つめた。
「……お兄さん?」
「あっ、LINEだよね。あるよ」
「ちょっと、お友達になっていただけませんか?」
上目遣いにこちらを見つめる。
生唾を飲み込みながら、
俺は「いいよ」と返事をした。
2人で友達登録をした後、
カマラは「ありがとね!」と言い残すと、
慌てて厨房に引っ込んだ。
彼女の小さな背中を見送って、
俺は再びトラックを走らせた。
知らないうちに鼻歌を歌っていた。
これって誰の歌だったかな?
10日後にそのLINEは突然来た。
「今度一緒にネパール料理を食べに行きませんか」
軽く咳払いをし背筋を伸ばす。
一旦画面を閉じて、暫くしてまた見る。
数回繰り返しているうちに、手が空いたので返信する。
「いいね。ネパール料理食べたことないから楽しみ。いつにする?」
前のめりだろうか?
送信を取り消そうか迷っているうちに、
向こうから返信が来た。
「今週の土曜日はどうですか?」
携帯を持つ手に力がはいる。
今度こそ、本物だ。
土曜日の19時に店で待ち合わせるとこにした。
場所は牛丼店の近くだった。
その週は時間が経つのが本当に遅かった。
カレンダーに×をつけて毎日を過ごす。
兄弟に何の日がしつこく聞かれたが、
「野暮用」でやり過ごした。
18時50分に店に着いた。
カマラの名前を告げると、
大きなテーブル席に案内された。
2人で座るにはあまりにも大きなテーブルだ。
どこに座ろうかな。
俺がここに座れば、彼女はどこに座るだろう。
まさか、テーブルの端と端ということはないと思うが。
隣に座るように促すのはどうだ?
でも隣なら彼女の顔が見えない。
埒が明かないので、とりあえず
トイレに一番近い席に座ってみた。
店内は哀愁を帯びた声の
ミュージックビデオが流れ、
スパイシーな香りが充満していた。
店内にはカレーを食べている日本人の男性が1人、
欧米系のカップルが1組。
奥でネパール人と思われる女性が3人で食事をしていた。
けたたましいぐらいの彼女らの笑い声を聞きながら、
携帯をいじってカマラを待った。
気がつくと、19時を15分ほど回っていた。
目の前にはいつの間にか、
外国人が一人座っている。
彼もネパール人だろうか。
相席スタイルか……などと思っているうちに、
一人、また一人と外国人が
俺の座る大きなテーブルに集まりだした。
「ここは、抹茶シェイクないよね〜」
聞き馴染みのある鼻にかかった声が聞こえてきた。
グエンだ。
グエンは俺の隣に座った。
???
俺の中で認めたくない一つの仮説が
次々と組み立てられていく。
「遅れちゃった〜!お兄さん来てた?」
息を切らしてカマラが店に入ってきて、
そのまま俺の目の前に腰掛けた。
「注文した?まだ?」
矢継ぎ早に質問しながら
ネパール語と日本語を器用に混ぜて話し出した。
「お兄さん、鶏肉好き?羊食べる?」
カマラが、大きなメニューを広げて聞いてきた。
「僕は、カマラちゃんが好き」
と、言いたいのを飲み込んで
「鶏肉かな?」と答えた。
その後は何をどんな風に食べたのか覚えていない。
手で食べろと言われて手で食べてみたり、
外国語を口真似しろと言われて
口真似てしてみたり、
とりあえず色々やった。
その度にバイト仲間の留学生達は手を叩き喜んだ。
店員がレシートを持ってやってきた。
ここは俺が払うんだろうと思い、
財布に手をかけた。
さっき手で食べたからまだ指が油っぽい。
「ありがとございました。」
財布の中をのぞいていると、
店員がトレーに札を入れて去って行った。
俺は思わずカマラを見た。
「だめだよ、いくら?」
カマラは、笑いながら
「大丈夫、今日は私が誘いました。
だから大丈夫です。
お兄さんの分は彼が払います」
と言い、最初に来た男の肩を叩いた。
「バターチキンカレー美味しかったですか?」
男が微笑みながら聞いてきた。
さっきのミュージックビデオに出てきていた
俳優張りの顔立ちだ。
「うん……すごく美味しかった。」
するとカマラは隣の男と目を合わせ微笑んだ。
「今日はお楽しみのネパールカレー食べられて良かったね。」
カマラはそう言うと、男の手を引いた。
男は俺に軽く会釈し、カマラと手を繋いで店を出た。
俺は二人の握り合った手を見送った。
集まりは遅いのに、解散は蜘蛛の子を散らすようだった。
留学生達は次の予定があるのか、それぞれの場所へ散って行った。
まるで夜の景色に溶け込んで行くように。
ドンッ……
酔っぱらいの中年男性とぶつかった。
俺は心の中で舌打ちした。
ズズッと鼻水をすする。
何気なしに鼻に手をやると
バターチキンカレーの匂いがした。
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