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残照の網を編む

夏久 遼吾

18,199 字

離島文学、青春群像劇

"残照の島で、絆と記憶を編み直す、静謐なる物語。"

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第三章 錆びた格納壕と甘蔗の島

 「潮結び」に使う麻縄を収めるため、集落
から山道を一つ越えた先にある深く切れ込んだ入り江へと運んだ。ガジュマルの巨大な気根がコンクリートを侵食し、険しい崖と原生林に囲まれたその場所は、不気味なほどの静寂に包まれていた。潮の匂いに混じって、腐葉土の饐えた匂いが鼻を突く。
 ジープの荷台から重い麻縄をほどき、崖の根元に点在する半円形の洞窟へと運ぶ。かつて特攻艇が潜んでいた格納壕の跡だった。
 この格納壕は軍の命令で掘られたものだった。島の主産業だったサトウキビ畑を奪われ、人々は鶴嘴一本で死の通り道を掘り続けたのだと、祖父の日記のどこかに書かれていた。
「ここは、いつ来ても気味の悪いところじゃや」
 健介が周囲を警戒するように見回しながら縄を引きずった。コンクリートの壁は湿気で黒ずみ、至る所からシダ植物が生い茂っている。天井からは地下水がぽつり、ぽつりと滴り落ち、暗闇の中で大きく反響していた。足元の泥は粘り気があり、歩くたびに靴が吸い込まれそうになる。
「ここに、あの小さなベニヤ板のボートが隠されていたのですね」
 格納壕の奥の闇を見つめる。舳先に二百五十キロの爆薬を積み、敵艦に向かって飛び出していく瞬間を待っていた若者たち。壁の一角には、風化しかけた文字がうっすらと刻まれていた。誰かの名前らしきものと、判読できない短い一文。それが誰の手によるものか、確かめる術はもう残っていない。
「おじいちゃんがね」
 里美が湿った壁に手を触れながら言った。
「ここで特攻隊の人たちに、サトウキビの汁ば絞って飲ませたって言いよった。明日死ぬかもしれん若い兵隊たちが、その甘い汁ば飲んで、子どもみたいに泣いたって。言葉なんて、何の役にも立たんかったって言っとった」
 声は湿った洞窟の壁に吸収され、重く響く。
「その人たち、帰ってきたん?」
 健介が小さく尋ねた。
「いいや、誰一人。名前も、生まれた場所も分からんまま」
 里美は湿った壁から手を離し、しばらく黙り込んだ。
「うちの母さんも、この島の生まれじゃったんよ」
 里美は、ぽつりと付け加える。
「うちが小さい頃、本土の人と島ば出て行った。今どこで何しよるか、うちも知らん。おじいちゃんは、それについては一言も語らんけどね」
 彼女の声には、恨みも悲しみも感じさせない、ただ乾いた事実だけがあった。
「わんはよ」
 健介が不意に膝を抱え込みながら呟いた。
「ここにおると、息が詰まりそうになる。学校も消えて、商店も消えて、あとはわんきゃ
が消えるのを、この格納壕がじっと待っとるだけじゃが。過去ばっかり見て、何になるわけ!」
 私は暗闇の中で震える健介の隣に歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。すぐには言葉が出てこなかった。
 健介は、はっとしたように息を呑み、頑なに背を向けたまま黙り込んだ。
「……ここを出て行っても、忘れないでほしい。ここは、あなたの帰る場所です」
 健介はゆっくりと顔を上げ、私を見つめた。その大きな瞳には、言葉にできない微かな動揺が揺れていた。
「何が、帰る場所よ!」
 健介は格納壕のコンクリートの壁を、力の限り掌で叩きつけた。鈍い音が冷気の中に響き、やがて闇に吸い込まれていった。
「一樹にいは、すぐそがん話ばっかりする。わんには、もう関係ねえが」
 そう吐き捨てた声と同時に、健介の肩は激しく震えていた。その怒りは、私にというより、この島へのどうしようもない思いに向けられているようだった。
「昔のこと教えてもろたんち、だから何よ。わんは、過去と一緒に沈みたくないが」
 すべてを投げ出すような、掠れた声だった。健介はそのまま壁に背を預け、ずるずると地面に崩れ落ちた。
 その健介の隣に、迷わず膝をついた。整った言葉も、祖父の教えも、この瞬間は何の役にも立たなかった。ただ黙って、同じ高さの泥の中に膝を沈めていた。しばらくして、抑えた声が漏れた。
「……私も、同じです」
 いつもと変わらぬ、丁寧な言葉遣いだった。ただ、その声は微かに揺れていた。
「この島をどう抱えて生きていけばいいのか……正直、私にも分かりません」
 それ以上は続けなかった。
 張り詰めた冷気の中で、健介はしばらく荒い息を吐いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。その瞳の奥の尖った光は消え、代わりに涙を堪えるような潤みが滲んでいる。私をじっと見つめ、ぽつり、ぽつりと、今度は胸の奥を吐き出すように言葉を漏らした。
「一樹にい……わんは、あんたのその喋り方が、ずっと嫌いだった。自分だけ綺麗な場所に逃げとるみたいでよ。でも……そんなに重いもんば、一人で背負っとったんじゃや」
 健介にだけは言われたくなかった。島を捨てることのできる人間に、私の生き方を憐れまれたくはなかった。喉元まで出かかった言葉を、そのまま飲み込んだ。
 健介は格納壕の泥を強く踏みしめ、力なく立ち上がる。その様子をすぐそばで見守っていた里美は無言のまま、縄を壕の奥の岩棚へと運び始めていた。健介もまた、何かに突き動かされるように落ちていた縄を拾い、そのあとに続いた。
 沈黙の中で、三人は麻縄を広げて作業を続けた。乾いた縄を岩棚に並べ、湿った縄を新しいものと取り替える。ランプの炎に照らされた三人の影が、洞窟の粗いコンクリート壁に長く伸び、時に重なり合っていた。外では、雨上がりの蝉が、空を引き裂くように再び激しく鳴き始めていた。
 作業を終えて壕を出るとき、健介が一度だけ振り返った。暗闇の奥を見つめるその横顔には、先ほどまでの苛立ちは完全に消え、代わりに何かをじっと嚙みしめるような静けさだけが浮かんでいた。

── 第3章 了 ──

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