3・重陽
胃潰瘍で退院してからというもの、俺は前にも増して、仕事を舞台中心にしていた。
薄暗い客席から、それでも視線だけは十分に浴びる世界。
とか、言って。
実はステージからは、驚くほど観客の顔は判別できる。
あの子はいた。
『クリス』と署名されたアンケートに毎度びっしりと書き込まれる意見。
裏面まで、舞台のストーリーから仕掛け、果ては音響に至るまでの感想を書き綴る。
そこには批判は無く、かといって褒め千切るだけでもなく、どこまでも中立を保ち、それでいてお遊びで仕掛けた小道具の意味を見破ってくる。
あの子だ……とは思うが、客として観に来ていても、楽屋見舞いには訪れない。
お袋の所でバイトは続けてるのだから、知人面してもいいだろうに、全く水くさい。
……そうだ。
『満員御礼。お好きな出演キャストの撮り下ろしフォトポストカードを特製フォトスタンドでお手元に!ご購入者先着十名様に本日終演後握手会開催!』
釣り針を垂らしてやろう。
共演者どもには申し訳ないが、たまにはファンサでもしてくれたまえ。
ほら、釣れた。
そっーと、背後から近づいて…
「よう、久しぶり」
「どわっ!だから耳元はやめてくださいって!」
背後からの懐かしいやり取り。
含み笑いで、全くもう、自分だけ楽しんで。
この人、ホントにこれ好きだな。
「可哀想だから買ってあげましたよ」
思い切りすまして言ってやる。
ふんだ。
「一昔前ならあいつらにも負けてなかったんだけどな」
と、言いながらもちっとも悔しそうじゃない。なんで?
一昔前って、お店にあった写真の頃のことかしら?
ご実家にまで、ファンが押し寄せて来てたんですものね。
──むっ。……て。え?あれ?おや?
パシって自分の頬叩いたら、勢雄さんがキョトンとしてる。
相変わらず可愛いかよ。
に、しても、
「何でまた、こんな自虐的な企画を……」
って、悪態をつくあたしに、
「どっかの恥ずかしがり屋さんに気を遣ったつもりなんだが?こうでもすれば、哀れな年寄りにお慈悲をくれる優しいお嬢ちゃんが現れると思ってな」
って、祥華さんと同じ笑みが溢れる。
やっぱ、親子だなー。素敵。
あれ?
「あたしに会いたかったの?」
気になることは聞いておく。
これ大事。
「毎回、アンケートにびっしりと答えてくれてるだろ?スタッフ・キャスト一同からの御礼だ」
ち、勢雄さんだけ、じゃないのか。
ま、そうだよね。これだけの人を動かすんだもん。あたしだけのはずはない。
自意識過剰でした。
勢雄さんは、あたしの頭に手を伸ばしたけど、触れずに引っ込めた。
……なんで?
「折角キレイにしてるのに、弄ろうとしてすまなかった」
我ながら、下手な言い訳。
ほら、彼女は不服そうに睨み付けてる。
俺は出した手の引っ込みも付かず、そっと彼女の頭に乗せた。
途端、ふわっと笑みが溢れる。
これで、良かったのか。
「あ、あの。あたし、初めては勢雄さんって決めてたんです!」
いきなりの爆弾発言。
分かって言ってるのか?
「あ、いや、えっと……そうじゃなくて…二十歳になったんです!だから、お酒!お酒飲みに連れてって下さい!」
そう言うことね、
そう言うことにしといてやるよ。
「……あ、あーね。もう、そんな勘違いさせるようなこと言うもんじゃねーぞ?」
頭……ぽん……ぽん……。
……
「勘違い…するの?」
ぽん、ぽん。
「世の中の男が、だよ。おっさんだから間違いにならないんだぞ?」
俺だから、据え膳に手を出さないんだぞ?
とか。
何様だよ、俺。
「家でいいか?」
と、彼女に言うといつもの飄々とした表情から一転して、真っ赤になってる。
あー…しくったか…
「あ…」
何かを言い掛けた、彼女を遮って、
「お袋の店。あそこ、夜はバーなんだよ。知ってるだろ?」
彼女は、安心したような、がっかりしたような顔を見せたので、
「お袋、嫌いか?」
と聞いたら、ぶんぶんと頭を振った。
─────
勢雄さんが着替えて出てくるのを、楽屋口で待たせて貰った。
キャストさんに『君がクリスさんだって?今度飲もうよ』なんて誘われたけど、ぬうって現れた勢雄さんに一蹴されてた。
「ん?あっちが良かったか?」
と、大荷物を抱えた勢雄さんに言われて、
「勢雄さんがいるならどこでもいいです」
って、言ったら鼻で笑われてしまった。
おかしなこと言ったかな?
そこからはタクシーで、祥華さんのお店に。
うおっ!二人っきりの密室!
あ、運転手さんいるか。
「……くっ。大人になったかと思ったが、相変わらずな」
って、言うから
「そりゃ、勢雄さんには追っ付けませんよ」
って、返した。
……そんな、突っ伏して笑うほど、変なこと言ったかな?
運転手さんからも、こらえきれない笑いが届くんですけど?
お店に着いて中に入ると、バー仕様の祥華さん…!色香が凄いですっ!
「あら、お持ち帰り?母さん、どっか行こうか?」
「…バカ言ってないで。ほら、座れ。何飲みたいんだ?」
と、カウンターから手招きしてくる。
「あ、はいっ」
と、勢雄さんの隣に座った。
「任せて貰っていいのかしら?」
て、祥華さん、シェーカーにホイホイって液体を入れて、氷とカルピス。シャカシャカって、小気味よく振って、グラスに移してしょわしょわの液体注いで、
「どうぞ、プレリュードフィズでございます」
って。ほぉ…キレイな色。ん?勢雄さん何で笑ってるの?祥華さんとアイコンタクトでなんか話してる。
OKって、祥華さんに合図までして。
むぅ……。
「カクテル言葉は『真意が知りたい』でございます」
と、聞いて勢雄さんがむせた。
どうしたんだろう?
勢雄さん、慌ててる?
そっと口を付けて…甘くて、でも甘いだけじゃなくて……あれ?おかしいな?とろとろとしてきちゃった。
……おや?
何で、朝?
あれ?
畳に敷かれたお布団。
家じゃない。
あれ、あれ?
「おーい、起きてるかー?入るぞー」
襖の向こうで、物音がした気がするから、急いで水を用意して、声を掛ける。
「え?あ!勢雄さん?ちょ…ちょ…あ、はい、どうぞ」
……ホントに入って大丈夫か?
案の定、中に入ると布団にくるまってちょこんと座った彼女がいた。
「着替えてからでいいのに」
「お待たせできませんから!」
って、それがなんとも彼女らしくて、俺は壁に掛けた彼女の服を渡す。
「飲んでから、着替えろ」
枕元に水を置いて、部屋を出ようとしたら、腕を掴まれよろけて尻餅をついた。
「おい……おっさんにこんな仕打ちをすると、危険なんですけど?」
極めて冷静を装って、彼女を見ると、俺の手を掴んで俯いて震えている。
また何か、想像の果てに出掛けているのかな?
「申し訳ございませんでした!」
彼女は土下座をかましてくる。
なんだ?
「この節は、大変ご迷惑をお掛けいたしましたっ!」
……なんだかな。
彼女らしくて愛らしいんだが、
「Tシャツで、土下座するとあちこちからいろいろ覗けるぞ?俺の着せたからでかいし」
目のやり場に困るんだよ。
彼女は自分の姿を見ると慌てて布団にくるまった。
──なぜ頭から被る?
布団の隙間から目だけを覗かせて、
「お粗末なものをお見せして、重ね重ね申し訳ないですぅ…」
こんな姿見せられたら、笑うしかないだろ?
「着替えはお袋がしたから。安心しろ。で、親御さんには連絡しといたから」
ふえ?え?祥華さん?で、親とな?
「親って…お母さん?何で?」
「ん?入院してたとき連絡先交換したぞ?知らなかったのか?」
「知りませんっ!ったく、お母さんたらいつの間に……あ、ありがとうございますっ」
「だから、土下座はよせって」
言われて、はたと気付く。
「……あたし…勢雄さんの色恋の範疇じゃないってことですね…」
っ?何を言ってるのかな?あたし。
飛び出した言葉の莫迦。
でも、一度出した言葉は消えることはない。
昨日からもう、あたしは猿になりたい…
──なのに勢雄さんは、そんなあたしを見て柔らかく微笑んでる。
そして、いつもみたいに、ポンポンって頭を叩いて。
ぽん……ぽん……ぽんっ……
「……んで……」
「ん?って、おいっ!」
あたしは衝動的に布団の上に勢雄さんを押し倒して、馬乗りになってお腹を跨いでいた。
「何で、握手会なんて…あたしは、ファンでいたかったのに…なんで、なんで…」
勢雄さんの頬に雫が落ちる。
あたしの、涙。
勢雄さんの手が伸びて、あたしの頬に触れる。
「あー…それは、謝る。すまん。久しぶりにおまえさんと話したかったんだ。申し訳ない」
「へっ…?」
「…ぐぉ!」
素直に謝られて腰が抜けたあたしは、勢雄さんのお腹の上に体重を落としてしまった。
「勘弁してくれよ…こちとら五十のおっさんなんだぜ」
軽口で隠す、本性。
悪ぃな、こんなおっさんのために涙なんて流させて。
──ふうっ……
「おまえさんが、二十年早く生まれてきてくれてたらな」
「それなら、勢雄さんが二十年遅く生まれてきてくれてもよかったんじゃないですか?」
打てば響くリズム。
合わさる呼吸。
けど、目が合って、それから。
「「でもそれじゃ絶対会ってない」」
そう言って、どちらともなく笑い出す。
「そろそろ下りて貰えませんかね」
と言うと、コイツ唇を合わせてきやがった。
「ダメですか?」
「やんねーよ」
芝居がかった声を出して、牽制する。
自制かも知れない。
「ですよねー」
そう言って、彼女は俺の胸に頭を落とす。
小さな、頭を撫でるように触れて……
……くっ!
っ、コイツは……!
くそっ!俺の腹筋、頑張れ!
気合いをいれて起き上がる。
おっ!成功!
「へっ…?」
素頓狂な声を上げる彼女を、正面から抱き締める。
なあ……。言いたかった言葉を一つ飲み込む。
これは、ダメだ。
代わりに、
「大切なだけじゃ、ダメか?」
彼女の肩に頭を埋め、耳元で言葉を吐く。
理不尽な問い掛け。
逃げだ。
「……仕方……ないな……」
彼女は絞り出すように、言って俺の腕にしがみついた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。