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PLANET LAND - 彗星から惑星へ -

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143,163 字

青春群像劇、成長物語

"彗星のように駆け抜けた日々を終え、彼女は仲間という重力の中で、自らの軌道を描き始める。"

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第3話 ローストビーフの詩

 学生会館の端に、大きな窓から、光差し込む、少しへこんだソファ席の一角があった。

「ここだよ」

 聡志に伴われた杏奈は、落ち着かない様子で、周囲をキョロキョロと見渡している。

「お、来たで」

 そこに、背の高い男が人懐っこい笑顔で、ソファから立ち上がり、近寄って来た。
 彼は、杏奈を一度見て、聡志に視線を戻す。

「その子、新入生?」

「うん、見学だよ」

 さらりと言う聡志。

 ショートカットの女子が杏奈をじっと見て、ふっと微笑んだ。

「歓迎するわ、まあ座って!」
「そんな緊張せんでええよ」

 杏奈は小さく会釈をして、ソファの端に腰を下ろす。
 緊張からなのか、背筋を伸ばした。

「ほな、軽く自己紹介しよか」

 背の高い男が手を挙げる。

「おれ、峯岸海斗」
「役者や、よろしゅうな」

 黒髪を後頭部で纏めた、凛とした女子が笑いながら。

「私は梁本美奈世(やなもとみなせ)、役者と衣装の担当だよ」
「ミナって呼んで、よろしくね」

「うちは、大橋柚乃、役者と小道具担当やねん」
「うちもユズって呼んでな」

 少し離れたテーブルで機材ケースをいじっていた眼鏡の男が顔を上げて。

「宮坂悠真、照明と音響とか、舞台装置全般だよ、よろしくね」

 最後に聡志が肩をすくめた。

「多辺聡志、役者」 
「改めてよろしくね」

 空気は軽く見えるようで、どことなく真剣さが混じっている。
 視線が、自然と杏奈に集まった。
 知らない輪の中心に立つ瞬間、胸の奥がひとつ鳴る。
 杏奈は小さく息を吸って、顔を上げた。

「田澤杏奈、一回生です」

 視線が杏奈に集まり、峯岸が笑って。

「田澤さん、得意なことある?」

 不意打ちみたいな問いに、杏奈は瞬きをする。

「得意なこと……」

 言葉が宙に浮く。
 小さいころから、答えはだいたい決まっていた。
 成績。順位。模試の判定。

 けれど、ここでそれを言うのは、なにか違う気がする。

「う〜ん……なんだろう?」
「勉強しかしてこなかったから」

 冗談でもなく、照れでもなく、本気で考え込んだ。
 峯岸は少し首をかしげる。

「じゃあ、好きなことは?」

 好きなこと。
 という言葉には、杏奈は自分でも驚くほど、素直な言葉が飛び出した。

「……詩を書くこと、です」

 杏奈は一瞬"しまった"という顔をする。
 今まで、他人にそれを告げて、良い反応がなかったからだ。

 しかし、この日は違った。
 パッと明るい顔になる峯岸。

「それ、ええやん」

 そのまま身を乗り出した。

「芝居ってな、感性いるねん。理屈だけやとおもろならへんし」

 ミナも腕を組みながら頷く。

 聡志は黙って杏奈を見ていた。
 どこか真剣な表情を浮かべながら。

 今までは、"詩を書く"と公言すると、「暗い」
「陶酔している」などの反応ばかり。
 いつしか、その事実を隠すようになっていた。

 しかし、峯岸をはじめとする全員が、杏奈を否定せず、真面目な反応を返してくれる。
 杏奈の胸が、熱を帯びて来るのがわかった。

「ほな、今度持ってきて見せてえや」

 冗談半分の軽い口調。
 しかし、杏奈は、真面目な口調で返した。

「……今じゃ、だめですか?」

 峯岸が目を丸くする。
 聡志は、何も言わない。

 杏奈は、はっきりと言葉を落とした。

「今、すぐ書きます」

 自分でも驚くくらい、声が揺れていない。

「そんなん出来んの?」  

「はい」

 峯岸が驚きの表情を浮かべると、杏奈は力強く頷く。

 杏奈はタブレットを取り出すと、薄いキーボードを開き、膝の上に置いた。

 画面が白く光る。

 けれど、すぐには指が動かない。

 ぼんやりとディスプレイを見つめる。
 その奥に、もうひとつの映像が重なりはじめた。

 ――小学生のころ。

 父の店のテーブル席。
 向かいに梨夏。
 足をぶらぶらさせて、なにかを大げさに話している。
 口だけが先に動いて、目がきらきらしていた。

 少し離れた厨房。
 父の背中。
 包丁のリズム。
 鉄板の音。

 その横で、母が皿に手早く何かを盛り付けている。
 ソースの艶。
 湯気の向こうに揺れる光。
 やがて、母が厨房から現れて、二人の前にそっと皿を置いた。

 ふわりと立ちのぼる香り。

 覗き込むと、まるで皿そのものが光っているみたいに見えていた。

 ――よしっ。

 小さな決意の声。
 視界が、すっと現在に戻る。
 白いディスプレイ。

 杏奈の指が、動いた。

 次の瞬間、凄まじい速さでキーを打ち込みはじめる。
 迷いがない。
 止まらない。
 峯岸や、聡志、ユズとミナは、豹変した杏奈に目を丸くした。
 宮坂は表情を変えず、冷静に杏奈の手の動きに注目していた。

 数分後。

 最後の一文を打ち終え、杏奈は小さく息を吐いた。

「ふう……」

 タブレットを閉じず、そのまま峯岸に差し出す。

「できました」

 父の料理は
とても美味しい

当たり前だ
父は 料理人だから

母も それなりに上手
だけど 父と比べたら

――お母さん ごめんなさい

父は
皿の隙間を埋める
きちんと埋めて
安心させる

母は違う
余白を残す

繊細に置いて
置かない場所まで計算する

見ただけで
美味しいとわかる

けれど 口にすると
視覚と嗅覚で満たされていた世界が
一瞬で
味覚に支配されていく

目で楽しみ
香りに包まれていたはずなのに
最後に残るのは
舌の記憶

それは
父の腕と
母の感性が
辿り着く場所

どちらか一つでは
辿り着けない

父が焼き
母が彩る料理の中で
私がいちばん好きなのは
ローストビーフ

一切れ
口に含むと
芳醇で濃厚な肉の風味が
ひろがる

ひと噛み
弾けた粒胡椒が
鼻に抜ける

その香りが
お肉のしみ出した脂を
連れて行く

さらり、と
口の中がほどけて
勝手に
次の一切れへ
私を誘う

私は
いつも食べたいのに
毎日でもいいのに

今は
食べられない

でも いいの

夏休みに帰ったら
お父さんは作ってくれる
必ず
作ってくれるから

だから 頑張る

私は
私のやるべきことを
私は
私のために

それが
私が私でいる
理由だから

 タブレットを受け取った峯岸は、最初の数行を追ったところで眉を上げた。
 もう一度、今度はゆっくり読み直す。読み終える前に、喉が鳴った。

「……きみ、凄いな」

 言いながら、口の端が上がっている。
 ふざけた笑いではない。

「俺、今――口の中にローストビーフあるわ」

 峯岸が自分の口元を指差す。

「香りもする、粒胡椒のやつ。鼻に抜ける感じまで来た」

 ユズとミナが横から覗き込み、ふっと息を漏らした。

「絵、浮かぶ、映像やん、これ」

「文字って……絵の具にも、フィルムにも、なるんだね」

「お、ミナ、今の表現、ええな」

 杏奈は、笑うタイミングがわからなくて、ただ小さく息を吸った。
 胸の奥だけが、熱くなっていく。

 褒め言葉が次々に落ちてくる。
 どれも、お世辞には聞こえない。

 感嘆の声を上げるサークルメンバーたち、彼らを見た杏奈は、戸惑いながら掌を閉じて握りしめた。

(そんな、なんで?)
(なんでみんな、なんで?)

 誰も笑っていない。
 誰も茶化していない。
 その事実が、なぜか怖かった。

(私、もっとすごい言葉、知ってるのに)

 ふっと脳裏に浮かぶ、父の作品『彗星群』

(ちがうじゃろ?)
(そうじゃないじゃろ?)

 声が少し裏返った。

「なんで……なんで?」

 峯岸の手元から、ほとんど反射のようにタブレットを取り返し、杏奈は立ち上がった。
 そそくさと鞄に仕舞い、肩紐を掛けて振り返る。

「私、もう、失礼します」

「田澤さん?ちょっと待って」

 足を止めると、その背中にかかる声。
 また向き直ると、宮坂が小さなカードを杏奈に差し出した。

「これ、サークルのグループチャットのQRコード」
「連絡事項は、ここに入れるから、登録しておいてね」

 落ち着いた声。
 杏奈が受け取ると、宮坂は、ふっと笑って眼鏡を上げた。

 ユズが人懐っこく、白い歯を見せる。

「ごめんな〜びっくりさせて」
「けど、一緒にできたら嬉しいから、また来てな」

 ミナが、落ち着きながらも、親しみのこもった声で告げた。

「あなたの感性、うちらと相性良いと思うよ」
「待ってるからね」

「失礼します」

 杏奈は、早足で学生会館の出口へ向かった。
 背中に、誰かの視線が残っている気がした。

 ドアが閉まる。
 カタン、と乾いた音が、やけに大きく響いた。

 ユズが、ぽつりと口を開いた。

「……あの子は、すごいわ」
「聡志、あんた、気づいとったん?」

 聡志は返事をせず。
 視線を落としたまま、少しだけ肩をすくめる。

「なんか、色々思い詰めてたから」
「何か、抱えてるんじゃないかと思ってさ」

 峯岸と目を合わす。

「フタバみたいに」

 その聡志の声を聞いた峯岸が、視線を落として苦笑した。

 その名が落ちた時、その場の空気が、少し重くなる。
 その雰囲気を和らげるように、峯岸が顔を上げた。

「まあ、あいつは、今はしっかり治療に専念してもらわんとな」

 ミナが、腕組みをしながら言う。

「杏奈ちゃん…台本書けないかな?」

 宮坂も、頷いた。

「あの詩は、立派なひとつの世界だよ」
「卒業した作家の先輩の台本、まだあるから、今度書き方の参考にしてもらおう」

 ユズが頬を膨らませながら、不満気に続く。

「けど、大丈夫かな?太宰とか、哲学ばっかりやったやん、先輩」

 峯岸が、苦笑する。

「まあ、あくまでも、書き方の参考やからな」

 静かな空気の中、聡志は杏奈が去った扉に目をやった。

「……色々抱えてるやつが、言葉を使ったら凄えって」
「お袋の言うこと、本当だったんだな」

 誰に向けたわけでもない、独り言のような声。

 峯岸がちらりと聡志を見る。

「あの人、そんなこと言うんや?」

「ああ、心を動かすような言葉が、重くなるって」

 その目は、どこか遠くを見ている。
 さっきまでいた杏奈の席を、何気なく一瞥する。

「……あの子の言葉、本物だよ」

 ぽつりと落としたその言葉に、誰も何も返さなかった。
 全員が同じことを考えているように、同じ場所を見つめていた。

 下宿の扉を閉めた瞬間、杏奈の足から力が抜ける。
 靴も脱ぎきらないまま、玄関の狭い床に膝をつく。

 部屋は静寂に包まれている。

 次の瞬間、視界が滲んだ。
 ぽたり、と涙が落ちる。
 そして、止まらない。

 みんなの声が、頭の中で反芻される。

「俺、今口の中にローストビーフあるわ」
「絵、浮かぶ、映像やん、これ」
「文字って……絵の具にも、フィルムにも、なるんだね」

 誰も笑わない、茶化しもしない。
 自分の詩に、本気で向き合っていた。
 杏奈は両手を床について、肩を振るわせた。

「なんで……なんでじゃろう?」

「なんで、泣いとるんじゃろう?」

 涙が自然に溢れ出す。
 胸に温かい気持ちが、塊となって込み上げる。
 それは、杏奈にとって初めて感じるものだった。

 自分を評価する声が、まだ耳の奥に残っている。

「こんなに……」

 涙が、ぽろぽろと落ちる。

「こんなに、こんなに、こんなに……嬉しいのに」

 言葉にした瞬間、嗚咽が混じった。

 嬉しい。

 それが怖かっただけだと、ようやく気づく。
 狭い下宿の部屋で、杏奈はしばらく膝を抱えたまま、声を殺して泣き続けた。

 次の瞬間、杏奈は立ち上がっていた。
 涙を拭う間も惜しいみたいに、机の椅子を引く。

 引き出しから、あの茶封筒。
 クリップで留められた紙の束――『彗星群』。

 さらに、スマホで何かを検索して、ぶつぶつと呟きながら、父の作品の中身と見比べていた。

「……柱」
「……これが、ト書き」
「……カットイン、AO…」

 そのまま、タブレットを取り出して。
 文字を打ち込み始めた。

 父のローストビーフ。
 母の余白。

 指が走る。
 止まらない。

 キーを叩く音が、狭い部屋に連なっていく。

「うわあ……」

 父の書き方をなぞって、書き直す自分の詩。
 厨房の音が聞こえる。
 ローストビーフの香りが立ち込める。

 それだけではない。
 父の指示を出す声。
 母の笑い声。
 妹の話す声。
 自然に浮かび、勝手に会話が始まる。

 夜が深まり、時計は日付を越えていた頃。
 杏奈は、最後の一文を打ち終えた。

 深く、息を吐く。

 その夜。

 サークルのグループチャットに、杏奈の名前が浮かぶ。

《今日は、突然帰ってすみませんでした。
今後も、宜しくお願いします。
差し出がましいかと思ったんですが、今日の詩を、見様見真似で台本にしてみました。
わたし、台本書きたいです。》

 添付ファイル。
 「ローストビーフの詩」

 聡志が、自室のベッドに寝転びながら画面を開き、ページをめくって読み進める。

 口元が、ゆっくり上がり、ニンマリと笑う。

「あの子がいたら、俺ら……伝説になっちゃうかも」

 その言葉は、冗談の響きをしていなかった。

── 第3章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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