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食べてすぐ寝たら牛になるよ

梓星

35,365 字

現代ファンタジー、家族ドラマ

"娘が牛になった世界で、父は家族の形を問い直す。"

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第3章

 次の土曜日、久しぶりに愛車のダイハツ・ロッキーのエンジンをかけて、車で1時間ちょっとの距離の丘陵地帯にある養護施設を目指す。コンパクトだが、妻と娘1人を乗せるには過不足のない便利な車だった。今は私と使う者のいなくなったチャイルドシートだけが乗っている。
 見学を申し込んだのは、名の知られた観光牧場に併設された小規模な施設だ。まだ新しく、ウェブサイトで見る限りは設備はまずまずで怪しげなところもない。その割に料金も安い。
 週末のため、観光牧場は子供連れで賑わっている。子豚のレースだの牛の乳搾り体験だのがあるのだろう。幸せそうな家族を見ると心の半分が暖かくなり、もう半分が冷たくなる。
 案内標識に従って、観光牧場の駐車場とは別の、グランピング客と養護施設利用者用の駐車場に車を停める。白い宿泊棟は青空の下、清潔に見える。子どものころに林間学校で行った「少年の家」もこんな感じだった気がする。
 受付の若い女性に来意を告げると、にっこり笑って応接室に通された。ソファに座って待っていると先ほどの女性が小さなペットボトルとパンフレットを持ってきてくれた。来客に不慣れで緊張しているのか手が震えているようにみえる。
 ペットボトルにはいかにも牧場の独自製品という感じで「まきばのヨーグルト」と書かれていた。こういう場面で飲むヨーグルトを出されたのは初めてだ。

X X X

 観光牧場への就職が決まった時、母や友達から「牛にならないでよ」と言われた。そう言った本人たちでさえ本気で信じているわけじゃないと思うんだけど、昔から「乳製品を取りすぎると牛になりやすくなる」という迷信がある。
 私は昔から牛が好きだ。牛はこんなに可愛くて、役に立つ動物なのに、世の中には嫌う人が多い。牛化のことを考えると不気味だと思う気持ちは理解できなくはないけど、私なんかはもし不治の病で余命を宣告されるようなことになったら最後は牛になってみたいとさえ思ってるくらいの牛推しだ。
 そんなわけで観光牧場での仕事は私にとって楽しいものだった。事務職なので直接動物の世話をするわけじゃないけど、窓の外にはいつも牛や豚やヤギがいる。なんならアルパカもいる。
 職場では比較的年齢の近い女性同士ということで、川名さんという先輩とすぐ仲良くなって、休みの日に一緒にカフェ巡りなんかをするようになった。
 「川名さん、本当に牛乳好きですよね。牛になりますよ」
 川名さんはおしゃれなカフェをたくさん知っている素敵な女性だけど、いつも牛乳を飲んでいる。カフェは雰囲気が好きなだけで、飲むならコーヒーよりも断然牛乳ということだ。まぁ、そういう人だから牧場に就職したのだろう。
 私が就職してから1年ほど経った。川名さんは少し前に、牧場内に新しくできた牛化した人の養護施設に配属され、職場で会うことは少なくなったんだけど、人づてに「病んでる」と聞いてた。「立ち上がったばかりの部署でストレスが多いのかな」と思って久しぶりに休日にカフェに誘ってみた。
 約束の時間より30分近くも遅れてきた川名さんは前とはずいぶん違う様子で、正直私は驚きを隠せなかった。寝不足なのか目の下にはくまがあり、何より二回りくらい太っている。服もなんだか野暮ったい。
 ボソボソと遅れてごめん的なことを言った川名さんはトートバッグの中から1リットルの牛乳パックを取り出して、ラッパ飲みをし始めた。
 「え、ちょっと、川名さん。まずいですって」
 しかし、あまりに異様だったからかお店の人に注意されることもなく、川名さんは1リットルを飲み干した。
 「ごめん。もう牛乳を飲まないといられなくて」
 実家の隣の家のおじいさんがアル中で同じようなことを言っていたような気がする。
 「もう、ほんとに牛になっちゃいますよ。そんなに今の部署、きついんですか?」
 気を取り直して話を始める。
 「…仕事がきついっていうか、聞こえるのよ」
 「聞こえるって何がですか?」
 「牛の声」
 「いや、そりゃ聞こえますよ。牧場ですもん。モー」
 得意の牛の鳴き真似を披露する。以前、川名さんはこれで爆笑してくれた。
 「…そうじゃないのよ。牛が、牛化した人だけど、喋るのよ、人の声で。私にだけ聞こえるの」
 私はカップを持ち上げようとした手を止めた。
 「お前ももうじき牛になる。お前も施設に閉じ込められる。どこにも行けない。誰にも会えないって」
 その後何を話してどうやって家に帰ってきたかよく覚えていない。
 週明けから川名さんは無断欠勤し、そのまま退職ということになった。その余波で私は川名さんに代わって養護施設の受付に異動させられてしまった。
 川名さんがどうなったのか誰も教えてくれないし、携帯は解約されていて、メールも返信はない。
 私は意識して乳製品を避けるようになった。

X X X

 テーブルに置かれたパンフレットをパラパラと捲っていると、痩せた神経質そうな男性が現れた。「副所長の葉山です」と名乗る。私も腰を浮かせて名乗った。
 「では早速、施設内をご案内致します」
 宿泊棟は入口に近い前半分が応接室や会議室、事務室などの管理施設が集められていた。土曜日なので職員の数はまばら。静かな中に時折牛の鳴き声が聞こえる。
 奥の大扉を開く。「こちらが入所者様の居住スペースでございます」と葉山が説明する。床こそ清掃の都合で牛舎そのものの形になっているが、個室タイプでそれなりの広さがある。全部で16室。説明通りの小規模な施設だ。
 通路に面した窓から中が覗ける。今はどの部屋も空だ。日中なので屋外に出ているのだろう。
 室内は別に家具などがあるわけもないが、「入所者様」がいると思われる部屋も清潔が保たれている。
 「私どもでは入所者様のプライバシーに配慮し、全室個室とし、夜間もストレスなく過ごして頂けるよう配慮しております」
 居住スペースの一番奥のシャッターは開放されていて、外には緑の放牧エリアが広がっている。十頭あまりの牛、当然牛化した人たちが草を食んだり座ったりと思い思いに過ごしているようだ。面会に来ている家族は見当たらない。
 牧草を積んだ猫車を押して歩く男性が横切る。ずいぶん若く見えると思ったら、胸には「実習生」のバッジがついていた。
 「庭は約50アールあり、伸び伸びと過ごして頂けます」
 葉山が丁寧でビジネス的な口調で説明を続ける。私は頷く。確かに悪いところではない。

 応接室に戻る。先ほど口を付けなかった「まきばのヨーグルト」が置かれたままになっている。
 乳製品は一切取らないということはないが、最近はなんとなく避けがちになっていた。だが、歩き回って少し喉も乾いた。私は開封して、「まきばのヨーグルト」を飲む。なかなかおいしい。
 葉山の淀みない説明は続く。「当施設が他社様と比べてご家族様のご負担が軽くなっておりますのは、施設の多くを観光牧場と共用しているためでございます」
 「由奈、いやそちらに入所させた牛も牧場の方で働いたりするんですか」
 「いえ、そのようなことは一切ございません。ただオプションといたしまして、『れんたる牛さん』という除草作業への参加に登録して頂きますと、月々の利用料を5000円割引させて頂いております」
 聞くと周囲のメガソーラーなどで牛による除草が行われているそうだ。
 「そういえば、先ほど実習生という名札を付けた方がいましたね」
 「はい。長期的な人材育成のための社会貢献として、農業高校からの実習を受け入れておりまして」
 私は再び頷く。さっきから頷いてばかりいるような気がする。

 結局、「少し検討させてください」と答えて、パンフレットなどの資料とともに入所申し込み用紙をもらって施設を後にした。
 車に乗り込み、もらった資料などを助手席に放り投げる。パンフレットの間から、観光牧場のバーベキューの割引券がのぞいていた。

── 第3章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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