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嵐過心月

20,765 字

正義を問う、慟哭のヒューマンドラマ

"そのスイッチは、正義か、復讐か、それとも愛か。"

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第一章  ミスタークロムの休息

「相田翔太くん」 「はい」
入学式会場に響く声。息子だ。翔太だ。私は一時間前から一番良い場所を確保していた。相手を見るには一番良くて、相手からは見えにくい。そんな場所を。
名前が呼ばれた。一番最初に。ただアイウエオ順、それだけなのに。
一瞬の間があった。まだその呼び方に慣れていないようだ。
ちょっぴり風が強い。少し温度が下る。そう言えば今日は部分日蝕だ。

 久しぶりに見る翔太は、大きく見えた。あいつは昔から、何でも少しだけ出来過ぎていた。だからこそ、危うかった。今は母方の姓だが、離婚して初めて良かったと思った。私は若林なのでいつも最後だ。
 元妻を軽く探す。いた。義父母も一緒だ。眼の隅にそれらしき物体を見つけただけで身体が拒否をする。
 思えば最初から釣り合うはずがなかった。両親が銀座老舗のがん天オーナー、お嬢様として嵯峨大学をエスカレートで登ってきた。熊本出身の貧乏体育学生と知り合う確率は旧帝大に受かるくらいマレだろう。眠らない街東京、汽車は一時間に一本終電は二十二時の熊本、
しかし 奇跡は起きてしまった。出会いはベタである。
サークルの新歓コンパだった。大学は、いわゆる純粋培養と呼ばれていた。
入学前から、そう聞かされていた。
実際、その通りだった。男も女も、どこか守られていた。空気が違った。言葉が違った。
傷つくことを知らないまま大人になった人間たちが、当たり前のように集まっていた。
店も、選ばれていた。料理も、上品だった。
だが、酒が入ると、全部崩れた。
先輩の一人が、大声で笑っていた。調子に乗っていた。
グラスを叩き、テーブルを揺らし、店員を呼びつける。周囲の空気が、少しずつ変わっていく。
それに気づいている人間は、少なかった。いや、気づいていても、止めなかった。
ここでは、それが普通だった。守られているから。何も起きないと、思っているから。
そのときだった。
隣の席のサラリーマンが、立ち上がった。「うるさいんだよ」低い声だった。
一瞬、場が止まる。
 だが、先輩は笑った。「なんすか?」軽い。軽すぎた。
次の瞬間、空気が壊れた。椅子が倒れる音、怒鳴り声、店の中が、一気にざわつく。
さっきまで騒いでいた学生たちが、一斉に逃げた。まるで、最初からいなかったかのように。蜘蛛の子を散らすように。
残ったのは、数人だった。そして私が最後に。
立ち上がるのが、遅れた。気づいたときには、もう遅かった。
視線が、こちらに向く。
「おい」
呼ばれた。逃げ道はなかった。店の外に出たときには、雨が降っていた。
誰もいなかった。さっきまで一緒にいた人たちは、もういなかった。
腕をつかまれる。強く。「ちょっと付き合えよ」。言葉が軽い。
だが、逃げられないことだけは分かった。
怖かった。どうすればいいのか、分からなかった。
今まで、こんな状況になったことがなかった。誰かが止めてくれると思っていた。
そういう世界にいた。だが、誰もいなかった。
「やめてください」
男たちが振り向いた。小柄な男が立っていた。
「なんだよ引っ込んでろ」利勝は、距離を詰めた。
「その手、離してください」男に笑われた。
お前に何が出来る。
軽い侮蔑だった。その軽さの根拠が、利勝には分からなかった。
次の瞬間、体が動いていた。
腕を取るとそこから一瞬で潜り込み一本背負い。
もう一人。おなじく足をかけ体落とし。
止めなかった。止めれば終わらない。やるなら、終わらせる。
サラリーマンは抵抗する前にいなくなった。

 雨だけが残った。「ありがとう」。
言葉と共に。静かに。確かに。
利勝は、何も言えなかった。ただ、その言葉を受け取った。
女は、少しだけ笑った。濡れた髪が頬に張り付いていた。こんな状況なのに、どこか整っていた。東京にはこんな綺麗な人がいるのが驚いた。
都会の人間だった。自分とは違う世界の人間だと、すぐに分かった。
それでも、その言葉は同じだった。
「ありがとう」。

先輩たちは私を置いて逃げた。
LINEは来ていたが、開く気にはなれなかった。
画面に「就職内定」の文字だけが見えたが、そのままサークルのグループごと削除した。
利勝の逞しさは、さっきまでその場にいた誰よりも本物だった。
冬美は、恋に落ちた。
それが純愛だったのか、気まぐれだったのか、それとも強さを重ねただけなのか、まだ分からなかった。

冬美の実家へ挨拶に行くことになった。
都内一等地の和風の豪邸だった。
門をくぐった瞬間、空気が変わった気がした。
手入れの行き届いた庭、静かすぎる玄関、見慣れない広さ。
お手伝いさんと執事という存在を、初めて現実として知った。
図太い方だと思っていたがさすがに足が震えた。
九州大会決勝よりも何倍も緊張した。
床の間の掛け軸に目がいった。
青が目に焼き付いた。
高そうだ。それしか思わなかった。
後日それは青緑山水 と知った。

冬美が一言「頑張って」

なんとなく居心地が悪い。喉が渇く。そうこうしていると
冬美両親登場 まさに苦虫を噛み潰したよう
覚悟を決めて「若林利勝です」声の大きさに皆ちょっとビックリ
慌てて冬美が 「柔道しているから肺活量がすごい」
とりあえず第一関門突破
いよいよ面接開始
「若林君の出身地は?」「熊本です。小学中学は熊本市の隣の地元の公立に
高校は柔道の強い県立肥後農林へ 三年の時は県大会優勝 九州大会優勝しました。」

冬美も応援「ものすごく強いんだから」
「そして大学は立政学院です 」乗り切れたかなと思った。「九州では負け知らずでした」
「九州では?」
冬美の父昭彦は冷静に聞き返した。はい 東京には怪物山田がいました。
同じ階級の山田には全く勝てません。」オリンピックチャンピオンで百年に一人の逸材 国外公式戦百十連勝中。「では大会で優勝したら娘をやろう。インカレとか山田がエントリーする大会で」あろうことかオリンピックチャンピオンの山田に。 勝てるわけがない。
昭彦が言う。「私は無理な事にチャレンジする努力が大好きだ。しかし  少し間をおいて
結果を出せない奴、運を味方にできない奴は大嫌いだ。」
大会は後三回残っている。山田は全て出てくる。全力であたっても無理。利勝は頭を
抱えた。
ぼんやりと考えながらの帰り道
冬美が言った。
「お父さんを見返そうよ。頑張れ」でもなんとなく諦めが垣間見える言葉だった。
冬美にとって父は絶対であった。

最後の大会、くじ運頼み
決勝迄山田とあたりませんように。
トーナメント表をみる。
最悪の事態に目眩がおきる。
シードの山田は 三回戦から
そして最初の相手は
若林利勝  つまり私だ。
テレビ中継の入る前。利勝は一回戦、二回戦と順調に勝ち進む。
山田を待つ。何やら外野が騒がしい。
人々のどよめき 焦り そして畳へ向かう。
なんと山田は会場に来る途中でどうも事故にあったらしい。
何でも道に飛び出した子供を庇ったとか。
騒然とする体育館、異様な空気
しかし  勝ったのは自分だ。
ほっとした。私は卑怯者だ。しかし不戦勝でも勝ちは勝ちだ
冬美をさがした。笑っていた。しかし その笑顔は心底よろこんでいる
のでなく微妙なニュアンスを感じた。
冬美の変化に気がついたのは 熊本の実家に
帰省した時からではないか。十一月になって急に冷え込んできた週末
冬美と一緒に熊本の実家に帰省した。地元が紅葉で赤く燃えていた
ターミナル駅まで迎えに来てもらい、車で四十五分
典型的な昭和の田舎街 里山がある
庭ではヤギ、ニワトリが放し飼い

 利勝の両親が満面の笑顔で迎える。自分が言うのもなんだが人の良い田舎者
皆が集まる。自己紹介
「本家の太郎です」「新家の雄作」「八百屋のはじめ」
なぜ名前だけ? 名字は? 冬美に小さな疑問がわく。
勇気をだして聞いてみる。
「あのー皆さんの名字は?」
一瞬ポカンとするが意図がわかり
本家の太郎さん「若林です」
新家の雄作さん「若林だ」
八百屋のはじめさん「若林」
この付近の姓は皆若林
他の名字を探すのが難しい
草野球でピッチャーもキャッチャーもファーストもセカンドも
ベンチ全部が若林,そんな事もあった。
都会の人には分からない不思議な空間がそこにはあった

母はご馳走の準備に余念がない
「今日は鶏鍋よ。利勝 卵いいかな」
「はーい  ちょっととってくる」カゴさげて答える
「手伝おうか」 冬美が聞く
いや、大丈夫 すぐだし
冬美には言わない方が良い、直感的にそう思った。

みんなそろっての食卓、今日は客人が来るので宴会状態
ビールを勧める父、美味しそうな匂い
 冬美が無邪気に話し掛ける
「美味しそう 卵も鮮度が違いますね。採りたてですか?」
うれしそうに母が答える
「そう 産みたてなの。美味しいわよ。」
そしてもう一言「お肉も締めたてで美味しいよ」

冬美は気がついてしまった。小さなかけ違いの始まり。 
冬美は箸をおいて。二度と食べなかった。
野菜しか食べなかった。
利勝は冬美の変化に気がついた。でもどうすることも出来ない
一度決めたらてこでも動かない そんな性格をしっていた。

ちょっとびっくりした。風呂、トイレが外にある。
風呂にはいるにはスノコの上に乗らなければならない。
都会の清潔な環境との隔たりは憧れを消し去るには充分である。
冬美は帰る準備をした。
「道中、長いのでお腹空いたら食べてね。新米だから」
母親がおにぎりを持たせてくれた。
新幹線の中、利勝が「お腹空いた。おにぎり食べよう」
冬美「どうぞ 私はちょっと電車酔いしているのでやめとく」
今 食べたら本当に吐いてしまいそう。
おにぎりを握る手、ニワトリを締める手
ずっと寝たふりをしていた。
利勝は何も言わなかった
冬美も誰かを責めることなどしなかった
ただ 身体が受け付けない

ファスナーが一つ外れたくらいの感覚 些細な事、でも人格の根本
それが段々大きくなる。やはり色々な所で住む世界が違った。
そして離婚。利勝はその理由が理解できなかった。子供もいる。翔太には、柔道を習わせている。嫌な顔せずに練習へ行く。親権でもめる。でも母親には勝てない。翔太は母方へ。
翔太は父が大好きだった。母も大好きだった。無くしたくなかった。壊したくなかった。最後まで粘った。父母の対立が自分の勉強と柔道の事と思い込み猛勉強、学年百番からクラスで五番へ柔道は地区チャンピオン。どちらも出来るだけ努力した。そして一番ではないけど、地元では文武両道で知られる学校に入学した。

人付き合いが上手な方ではない。はっきり言うと全く出来ない。
利勝は又も都会で孤独になった。連休中等何日も喋らなかった。
離婚してからは仕事一筋である。刑務官は天職と思った。決められたことをきっちりこなす。全てが法律で決められている。ありがたかった。
休日でもやることがないので休みでも積極的に仕事を入れた。実質二十連勤も経験した。安易な妥協はしない。朝早くから遅くまで働き詰めだった。嫌な事を忘れられた。
 平日の休みは何年ぶりだろう。ミスタークロム、影でそう言われているのは知っている。
新人職員が施錠のタイミングで手間どった。ちょっときつめの説教をした。
「若林さん細かすぎと思わない?」
「そうそう 頭が硬すぎMrクロム」私はあたり前の事を言っただけだったが、いつのまにか私のあだ名になった。
最初は皮肉だと思った。
だが、間違っているとも思わなかった。
決まりを守らせるのは、当たり前のことだ。
それでもMrクロムという呼び名だけは、なぜか少し気に入っていた。
私は信じた道を進んで行くだけ。カラオケではいつもMy Wayを歌わされる。 自分の心に従い私は進むだけ 信じる事 それは正義。そして自分。
今日くらいいいか。こっそりと翔太を呼び出す。駅まで歩いて十五分。言葉が詰まる
「さようなら」 背後から声をかけられた。振り向くと、翔太の席の隣にいた女の子だった。
 可愛い子だな、と場違いなことを思う。
「誰?」問いかけると、翔太は少し顔を赤くした。
「青木さん。たまたま隣になっただけ」
 そう言って目を逸らす息子の横顔に、私は自分にはもう戻ってこない、眩しい季節の気配を感じていた。

── 第3章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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