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復讐代行はやってません

連載中(書きかけ)

被験者:坂井

26,454 字

都市伝説ホラー、現代怪談、復讐譚

"「復讐代行はやってません」――その言葉の裏に潜む、都市伝説を操る異能の影。理不尽に囚われた魂は、禁忌の儀式に救いを求める。"

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被験者:坂井 下

「どうも、都市と言います」

 鳥の巣のような髪に丸眼鏡。差し出された名刺には、名前と実践都市伝説研究家という肩書だけが記されていた。住所も電話番号も何もない。

 実践都市伝説研究家。何をしている人間なのか、さっぱり分からない。

「それで、復讐のご相談でしたね」

「はい」

「電話でもお伝えした通り、復讐代行はやってません。ただ、お話を聞いたうえでなら、何かお力になれるかもしれません」

「……はい。それで来ました」

「では、何があったのか聞かせてもらえますか?」

 少し迷ったが、ここまで来て今さら隠すことでもない。

 身に覚えのない経費精算で懲戒解雇を言い渡され、争った末に自己都合退職という形で会社を辞めたこと。その後も自分が横領したという噂を流され、再就職にも影響が出たこと。娘の学校や妻の職場にまで噂が広がり、とうとう家を売って引っ越すことになったこと。

 男は途中で何度かメモを取りながら、最後まで黙って聞いていた。

「なるほど」

 話を聞き終えると、男はメモに何かを書き足した。

「それで、あなたはその営業部長をどうしたいんです?」

「どう、って……」

「復讐と言ってもいろいろありますからね」

 男はペンを置いた。

「殺してほしい、怪我をさせたい、会社を辞めさせたい、社会的な信用を失わせたい。あなたは?」

「殺すとか、そこまでは……」

「では、どうなれば納得できます?」

 すぐには答えられなかった。謝罪。違う。金。それも違う。弁護士に頼めば、時間はかかっても、その二つは手に入るかもしれない。

 頭に浮かんだのは、何もなくなった美咲の部屋だった。

『このおうちがいい』

 泣きながら、そう言っていた。

「……俺たちは引っ越しました。娘は学校を変わった。妻も新しい職場で一からやり直してる。俺はまだ次の仕事も決まってない。でも、あいつは何も変わらない」

 営業部長の西徳は、金には細かい男だった。飲みに行っても一円単位まで割り勘。部下に缶コーヒー一本奢るのも渋るくせに、自分の家の話だけはよくしていた。

 駅から近い。庭が広い。リビングは何畳ある。去年はウッドデッキを作った。聞いてもいないのに、写真まで見せられたこともある。

「あいつ、自分の家が自慢なんですよ」

「家?」

「ええ。金にはあんなにケチなくせに、家にはずいぶん金かけてて」

 俺たちは家を失った。美咲があれだけ泣いても、もう戻れない。

「……あいつも、あの家にいられなくなればいい。俺たちみたいに、今までの生活ができなくなればいい」

 男は何も言わなかった。机の上のメモに何かを書き足してから、ふいに顔を上げた。

「ひとりかくれんぼって、ご存じです?」

「……は?」

「ひとりかくれんぼです」

「ああ……なんか聞いたことありますよ。ぬいぐるみ使うやつでしょ?」

「そうです」

「それが?」

 男はペンを指先で転がした。

「やってみませんか?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「……俺が?」

「はい」

「ひとりかくれんぼを?」

「はい」

 思わず笑ってしまった。

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。俺、そんなことするためにここまで来たんじゃないですよ。そんなの本当に何か起きるわけないでしょう」

「そう思います?」

「思いますよ」

 何を真面目に話しているんだ。

「やっぱりここも外れか……」

 あの夜から、検索で見つけたところには何件も連絡した。最初に金を振り込めと言ってくるところ。話を聞きに行けば、いつの間にか祈祷だの除霊だのという話になり、高そうな壺まで勧めてくるところ。こちらの個人情報ばかり聞きたがるところもあった。

「でも、気は晴れるかもしれませんよ?」

「え?」

「嫌いな相手の家で、呪いの儀式をする。何も起きなかったとしても、それなりに気分はいいんじゃないですか?」

「相手の家?」

「当然でしょう。実行するのは、西徳さんの家です」

 笑いが止まった。

「……どうやってやるんですか?」

「そこまでの手配はこちらでなんとかできます」

「でも、不法侵入ですよね?」

「ばれなければ問題になりませんよ?」

「犯罪は犯罪でしょう」

「まあ、そうですね」

 男は気にした様子もなく、ペンを机に置いた。

「ですから、やるかどうかはあなたが決めてください。何も起きないと思ってるんでしょう?」

「そりゃ……」

「だったら、ただの嫌がらせです。少しくらい、気は晴れるかもしれませんよ?」

 すぐには答えられなかった。

「……考えさせてください」

「もちろん。やる気になったら、最初に連絡をもらった番号へ電話してください」

     *

 新しく借りたアパートに帰ると、美咲がリビングのテーブルで何か書いていた。ランドセルは椅子の横に置かれ、テーブルには便箋と色鉛筆が広がっている。

「ただいま」

「おかえり」

 美咲は顔だけ上げて、また手元に戻った。

「学校どうだった? 友達できたか?」

「んー……」

 鉛筆を止めて少し考えたあと、曖昧に首を傾げる。

「何書いてるんだ?」

「手紙」

「誰に?」

「ゆいちゃんと、みーちゃん」

「そっか」

 美咲は消しゴムで何かを消すと、また書き始めた。

 しばらくして玄関が開いた。

「ただいま」

 妻が帰ってきた。買い物袋をキッチンに置き、鞄を椅子に掛ける。

「おかえり。どうだった?」

「疲れた……まだ全然慣れない。覚えること多くて。前のところとやり方も違うし」

「そっか」

「まあ、早く覚えないとね」

 買ってきたものを冷蔵庫にしまい終える頃、美咲が「できた」と小さく言った。書き終えた便箋を丁寧に二つ折りにしている。

「パパ、封筒どこ?」

「そこの引き出しになかったか?」

 美咲が椅子を降り、テレビ台の引き出しを開ける。

「あった」

 封筒を二枚取り出して、またテーブルへ戻ってきた。妻はその横で、明日のパートで使うエプロンを鞄から取り出している。

 美咲は前の友達に手紙を書いている。妻は新しい職場で一から仕事を覚えている。俺はまだ次の仕事すら決まっていない。

 その夜、二人が寝るまで待った。テレビを消すと、部屋が急に静かになった。スマホを手に取り、最初に問い合わせた番号を開く。発信ボタンの上で一度指が止まった。

 寝室の方を見る。そのままボタンを押した。

『はい』

「坂井です」

『はい。どうされました?』

「……昼間の話ですけど」

 電話の向こうは何も言わなかった。

「やります」

     *

 数日後、もう一度あの部屋を訪ねた。

「十月十二日から二泊三日。西徳さん夫妻は旅行に出ます」

 男はそう言って、紙を一枚差し出した。

「十二日の夜から十四日の朝までは、家には誰もいません。それから、なぜか一階西側、リビングのサッシの鍵がかかっていません」

「……え?」

「そこから入れます」

「なんでそんなこと分かるんですか?」

「そこ、重要ですか?」

 男は何でもないことのようにこちらを見ている。

「……いえ」

 本当なら、どうでもいい。

「当日までに、俺がやっておくことは何かありますか?」

「ひとりかくれんぼの手順は覚えておいてください」

 そう言って、今度は手順の書かれた紙を差し出した。

「ネット上では細かい手順にかなりばらつきがあります。今回は、この手順でやってください」

     *

 十月十三日、午前二時半。

 西徳の家に着くと、言われた通り西側へ回った。そこにはリビングの大きなサッシがあった。警備会社のステッカーも見当たらない。サッシに手をかけると、何の抵抗もなく開いた。

「……マジかよ」

 持ってきた小型の懐中電灯をつけ、足元を照らす。さすがに緊張した。やっていることは不法侵入だ。見つかれば、今度こそ本当に警察の世話になる。

 一度だけ後ろを振り返り、そのまま中へ入った。

 広い。まず、それが腹立たしかった。

 西徳が会社で自慢していた通りだった。大きなテレビがあり、庭の向こうには何度も写真を見せられたウッドデッキまである。あいつは今も、この家に帰ってくる。そう思っただけで、腹の底が熱くなった。

 サッシを閉め、鞄を手に廊下へ進む。バスルームはタイル張りで、大人が二人ゆったり入れそうなバスタブがある。よくあるユニットバスとはまるで違う。

「……風呂までこれかよ」

 鞄から、準備してきたぬいぐるみを取り出した。中身はすでに抜いてある。代わりに米と自分の爪を詰め、赤い糸で縫い合わせ、余った糸を巻きつけてある。ほかに必要なのは、包丁と塩水。

 スマホを見る。午前二時四十二分。まだ少し時間がある。

 そういえば、隠れる場所を決めていなかった。

 懐中電灯を手に家の中を見て回る。廊下だけでも広い。洗面所はうちのアパートの風呂場より広そうだったし、寝室には大きなベッド。その奥には、服を掛けたまま人が隠れられそうなウォークインクローゼットまである。

「……なんなんだよ、この家」

 隠れるなら、ここでいい。

 リビングへ戻る。ソファも、棚に並んだ酒も、いちいち金がかかっている。

「横領御殿かよ……ふざけやがって」

 スマホを見る。午前二時五十八分。そろそろだ。

 バスルームへ戻り、ぬいぐるみを置く。次は名前をつける。何でもいいらしい。少し考えて、西徳の顔が浮かんだ。どうせこのあと、こいつに包丁を刺すんだ。

「……西徳にするか」

 馬鹿馬鹿しい。そう思いながら時間を待つ。

 午前三時。

「はじめは坂井が鬼です」

 三回繰り返し、そのままぬいぐるみを浴槽へ沈める。

 リビングへ戻り、懐中電灯を消してテレビをつけた。画面を砂嵐にして目を閉じる。

 一、二、三――。

 十まで数えた。

 目を開け、用意していた包丁を手に取る。テレビの明かりを背に暗い廊下を進み、バスルームへ戻る。浴槽の中に、ぬいぐるみがいる。

「西徳、見つけた」

 包丁を突き刺した。

「次は西徳が鬼」

 塩水を持って、さっき見つけたウォークインクローゼットへ向かう。扉を閉め、服の間に身を潜めた。暗闇の中で息を潜める。遠くから、テレビの砂嵐だけが聞こえていた。

 一分。二分。

 何も起きない。当たり前だ。

 三十過ぎた男が他人の家に忍び込んで、ぬいぐるみに元上司の名前をつけて包丁を刺し、今度はそいつのクローゼットに本気で隠れている。何やってんだ、俺。

 それでも、西徳の名前を呼んで包丁を突き立てた瞬間だけは、少し気分がよかった。

 五分ほど待った。何も起きない。

「……もういいだろ」

 立ち上がり、クローゼットの扉に手をかける。

「あ、忘れるとこだった」

 手に持っていた塩水を、指示通り口に含む。そのまま扉を開け、クローゼットから出た。

 リビングへ戻ると、しんと静まり返っていた。明かりのない広いリビングは、さっきまでとは違って見えた。懐中電灯の光が届かない場所は真っ暗で、無人の豪邸というのは、それだけで少し気味が悪い。

 何を怖がってるんだ。結局、何も起きなかったじゃないか。

 懐中電灯を足元へ向け、塩水を口に含んだままサッシから外へ出た。サッシを閉めてから、ようやく口の中の塩水を吐き出す。

 夜風に当たりながら歩いていると、不思議と気分が軽かった。

「……俺、なんであんな奴にこだわってたんだろ」

 西徳がどうなろうと、俺たちの家が戻ってくるわけじゃない。美咲が前の学校に戻れるわけでもない。だったら、いつまでもあいつのことばかり考えていても仕方がない。

「明日から、ちゃんと職探し頑張るか」

 そのまま一度も振り返らず、西徳の家をあとにした。

     *

 十月十四日の夕方、西徳夫妻は旅行から帰ってきた。

 西徳は玄関に入るなり荷物を置き、そのままリビングのソファに腰を下ろした。妻はキャリーケースを開け、洗濯物や土産物を片づけ始めていた。

「疲れた……」

「荷物くらい片づけてよ」

「あとでやるよ」

「どうせやらないでしょ」

 西徳は聞こえないふりをしてテレビをつけた。

 その夜、西徳は大きな物音で目を覚ました。

 ゴトン。

 時計を見る。午前二時を少し回ったところだった。隣では妻が眠っている。何か落ちたのか。耳を澄ませていると、今度はゴロ……ゴロ……と、何かが床を転がる音がした。

「……なんだ?」

 西徳はベッドを出て、廊下の明かりをつけた。床には何も落ちていない。音のした方へ進み、リビングまで見て回ったが、やはり何もなかった。

「なんなんだよ……」

 寝ぼけていたのか。そう思って寝室へ戻ろうとしたとき、背後からザーッという音が聞こえた。

 振り返る。

 テレビに砂嵐が映っていた。

「……は?」

 西徳はリモコンを手に取り、電源を切った。真っ暗になった画面に、自分の姿が映る。

「故障か?」

 気味は悪いが、それだけのことだ。そう自分に言い聞かせて寝室へ戻った。

 しばらくすると、ガリ、ガリと、何か硬いもので壁を引っ掻くような音が聞こえてきた。

「……ネズミか?」

 ガリ、ガリ。

 また鳴った。今度はさっきより近い。西徳が上半身を起こすと、音はぴたりと止まった。

 しばらく耳を澄ませていたが、それ以上は何も聞こえない。西徳は布団をかぶり直した。

 どれくらい経ったのか。また、遠くからテレビの砂嵐が聞こえてきた。

「……ふざけんなよ」

 西徳が起き上がると、その声で妻も目を覚ました。

「……なに?」

「テレビ。勝手につくんだよ」

「なにそれ……」

「知らねえよ。さっきも――」

 べしゃ。

 廊下から、湿った音がした。

 西徳が口を閉じる。

 べしゃ。

 まただ。水を吸った何かを床に落としたような音。

「……ねえ」

「静かにしろ」

 べしゃ、べしゃ。

 少しずつ近づいてくる。妻も起き上がった。二人で扉を見つめる。

 べしゃ、べしゃ。

 すぐ外まで来た。

 そして、止まった。

 遠くではテレビの砂嵐が流れ続けている。

「……誰?」

 妻が小さな声で言った。

 カチャ。

 二人の目の前で、ドアノブが動いた。ゆっくりと下がりきり、扉がわずかに開く。

 真っ暗な廊下。

 誰もいない。

 それでも扉は、ギィ……と軋みながら開いていく。妻が西徳の腕を掴んだ。

「……なに、これ」

「俺が知るかよ……」

 二人とも動けなかった。遠くでは、テレビの砂嵐が流れ続けていた。

     *

 怪異は、その夜だけでは終わらなかった。

 二日目、西徳は家中の明かりをつけたまま寝た。玄関も窓も二度確認し、テレビのコンセントも抜いた。

 それでも午前二時を過ぎると、砂嵐の音が聞こえてきた。リビングへ行っても、テレビは消えている。コンセントも抜けたまま。それなのに、ザーッという音だけがどこからともなく聞こえていた。

 三日目には、妻が家のあちこちに塩を盛った。

「こんなので何とかなるのかよ」

「じゃあ、あなた何とかしてよ」

 言い返せなかった。その夜も、べしゃ、べしゃ、と濡れた足音が廊下を歩いた。朝になると、寝室の前に置いてあった盛り塩だけが、水を吸ったように崩れていた。

 四日目、西徳は防犯カメラを取りつけた。玄関、リビング、廊下。それにバスルームの前。

 その夜、二人は寝室から出なかった。

 べしゃ。

 べしゃ。

 音がするたび、西徳はスマホの画面を切り替えた。何も映っていない。廊下にも、リビングにも、誰もいない。

 べしゃ。

 べしゃ。

 それでも、音は近づいてくる。

 寝室の前で止まった。

 妻が西徳の腕を掴んだ。

「……もう嫌」

     *

 五日目、妻は荷物をまとめた。

「どこ行くんだよ」

「実家」

「待てよ」

「もう無理。私、あの音聞きながら寝られない」

「だったらホテルでも――」

「あなたも来ればいいでしょ」

「なんで俺が出ていかなきゃならないんだよ。俺の家だぞ」

 妻はしばらく西徳を見ていた。

「……そう」

 それだけ言って、キャリーケースを引いて玄関を出ていった。

 その夜から、西徳は一人になった。

 六日目、西徳はネットで見つけた祈祷師を呼んだ。家の中を一通り見て回った男は、難しい顔で腕を組んだ。

「かなり強いものが入っていますね」

「取れるんですか?」

「できます。ただ、本格的にやるとなると……」

 提示された金額を見て、西徳は顔をしかめた。

「百万?」

「このままにしておく方が危険ですよ」

 普段なら、こんなものに百万円も払うはずがなかった。

「……分かった。やってくれ」

 祈祷師は家中に札を貼り、塩を撒き、長い時間をかけて何やら唱えた。

「これでもう大丈夫です」

 そう言って帰っていった。

 その夜、午前二時を過ぎた頃。

 ザーッ。

 西徳は目を開けた。

 聞き間違えるはずがなかった。ここ数日、毎晩聞いている砂嵐の音だ。

「……嘘だろ」

 べしゃ。

 べしゃ。

 音が近づいてくる。

 西徳は布団から飛び出した。スマホと財布だけを掴み、玄関から逃げ出した。

 その夜は駅前のホテルに泊まった。

 何も起きなかった。テレビは勝手につかなかった。壁を引っ掻く音もしない。濡れた足音も聞こえない。

 久しぶりに、朝まで眠った。

     *

 それから西徳はホテルから会社へ通うようになった。妻は実家から戻らない。着替えが必要になれば昼間に家へ戻り、必要なものだけ持って出る。日が暮れる前にはホテルへ戻った。

 ホテルでは何も起きなかった。それでも、日に日に西徳は荒れていった。

「西徳部長、例の資料なんですけど」

「そこ置いとけ」

「今日中にお願いします」

「分かってるよ!」

 西徳が机を叩いた。フロア中の視線が集まる。

「……すみません」

 部下が離れていく。西徳は舌打ちして、ネクタイを緩めた。

 しばらくして、別の部下が声をかけた。

「部長」

「なんだよ」

「今日の会議、三時からですけど……」

「知ってるよ!」

「いえ、もう三時十分です」

 西徳が時計を見る。

「……だったら早く言えよ!」

「さっきもお伝えしました」

「聞いてねえよ!」

 椅子を蹴るように立ち上がった。

「俺が悪いって言いたいのか!?」

「そんなこと言ってません」

「じゃあなんだよ!」

 フロアが静まり返った。誰も西徳を見ようとしなかった。

 その日の午後、西徳は上司に呼ばれた。しばらく出社しないよう言い渡された。

     *

 それから、しばらく経った。

 俺の方は相変わらず職探しを続けていた。条件を選ばなければ仕事はある。けれど、前と同じような営業職となると、なかなかいいところが見つからない。

 そんなとき、以前も連絡をくれた知人から電話がかかってきた。

『仕事、見つかったか?』

「いや。なかなかいいのがなくてな」

『だったら、うち来るか? ちょうど一人欲しいって話が出てるんだよ』

「ありがたいけど……お前のとこ、俺の前の会社と繋がりあるだろ」

『まあな。でも、お前のこと言いふらしてた西徳、もう辞めたぞ』

「……え?」

『最初はしばらく休めって言われたらしいんだけど、そのまま辞めたみたいだ』

「何があったんだよ」

『なんか精神的に参ってたらしいぞ。会社でも相当荒れてたって』

「……」

『まあ、俺も人づてに聞いただけだから、どこまで本当か知らんけど。それより仕事、どうする?』

「ああ……頼めるか?」

『おう。じゃあ、話通してみるよ』

「悪いな。助かる」

『決まってから礼言えって』

「それもそうだな」

 電話が切れた。しばらくスマホを見つめる。

 西徳が、精神的に参っていた。

 その言葉が妙に引っかかった。頭に浮かんだのは、あの夜だった。午前三時。西徳の家。浴槽に沈めたぬいぐるみ。西徳と名づけて、包丁を突き刺した。

「……まさかな」

 そんなわけがない。あんなもので人間がおかしくなるなら、世の中はもっと大変なことになっている。

 偶然だ。

 そう思うことにした。

「ただいまー!」

 玄関が開いた。

「おかえり」

 美咲がランドセルを置くなり、自分の部屋へ走っていく。しばらくして私服に着替えて戻ってきたと思ったら、そのまま玄関へ向かった。

「パパ、マヤちゃんたちと遊んでくるねー!」

「ああ。気をつけろよ」

「はーい!」

 勢いよく飛び出していく。

 引っ越してきたばかりの頃は、学校から帰ってもほとんど外へ出なかった。最近はマヤちゃんだのユナちゃんだの、俺の知らない名前が毎日のように増えている。

 玄関が閉まって間もなく、また鍵の開く音がした。

「ただいま」

「おかえり」

 今度は妻だった。

「美咲は?」

「今出てった。マヤちゃんたちと遊ぶって」

「ああ、また?」

 妻が笑いながら鞄を置く。

「そっちは仕事どうだった?」

「今日は楽だったかな。最初はどうなるかと思ったけど、もう慣れた」

「そっか」

「あなたは?」

「ああ。さっき電話があってさ」

「仕事?」

「前に連絡くれた奴。うちに来ないかって」

「いいじゃない」

「まだ決まったわけじゃないけどな」

「でも、よかったじゃない」

「ああ」

 引っ越してきた頃は、この先どうなるのかと思っていた。なくしたものが戻ってきたわけじゃない。それでも、俺たちの生活は少しずつ前に進み始めている。

 それでいい。

 ふと、財布の中に入れっぱなしだった名刺を思い出した。取り出して、しばらく眺める。

 都市 伝。実践都市伝説研究家。書かれているのは、それだけだ。

 もう、必要ない。

 二つに折って、ゴミ箱へ放り込んだ。

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【付記】

実践都市伝説研究記録 No.052

■名称

 ひとりかくれんぼ

■分類

 儀式型/継続型/非致死性

■概要

 米、爪、赤い糸などを用いて作成した人形を対象に行う、かくれんぼ形式の儀式。

 開始後、実行者が人形を発見して刃物を刺し、鬼役を交代したのち身を隠す。終了には所定の手順を必要とし、これを行わない場合、儀式は継続状態に置かれるとされる。

 時期、媒体により手順には差異が見られる。儀式中断時の影響についてはサンプル数が少なく、追加検証を要する。

■評価

 危険度 ★★★☆☆
 再現性 ★★★★☆
 制御性 ★★☆☆☆
 実用性 ★★★☆☆

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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