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とある大正新婚夫婦の異世界転移サバイバル!日記

93,514 字

異世界転移、夫婦愛、家族の再生、コミカルサバイバル

"大正ロマンと異世界サバイバルが織りなす、笑いと涙の家族物語。"

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第四十一話 ち、違うぞきな子! 今のは違う! 誤解だ!

結局のところ、きな子にとって初めてとなる外の世界への探索には
祥吾も同行することに決めた
目的を千草の採集作業の護衛というよりは
家族三人での「ピクニック」として楽しむことにしたのだ

夫の提案に千草も大賛成で
当日の朝はまだ星が瞬くうちから起き出し
意気揚々と台所に立っていた
パチパチと油の跳ねる心地よい音と
食欲をそそる香ばしい匂いが屋敷に広がる
おにぎりに色鮮やかなサンドイッチ
きつね色に揚がったコロッケやフライなど
いつもよりずっと手の込んだ弁当箱が並べられていった

きな子は、そこまで早くは起きられなかった
しばらくして目を覚ましたきな子は
隣に千草の温もりがないことに気づき
慌てて布団を抜け出し
パタパタと裸足のまま台所へと駆け込む

その間、祥吾は千草の代わりに朝の力仕事や水汲みを引き受け
手早く済ませると厩舎へと向かった
疾風とアズキの鼻先を撫でながら
「今日はピクニックだ。お前たちも楽しんで
 そして二人をしっかり守ってやってくれよ」
と念を押すように言い聞かせる。

にぎやかな朝餉を済ませると
三人と神爺、そして二頭の獣たちは連れ立って屋敷を出発した。

目指すは、千草が以前の探索で見つけたという滝だ。
出発の際、祥吾はきな子の小さな身体を気遣い
疾風の背に乗せようとした
しかし、きな子はふるふると首を振り
「自分も歩く」と身振りで示して
ぎゅっと千草の小さな手を握ってきた。
頼られた千草の顔は
それはもう「でれっ」とだらしなく崩れてしまう。
「ふふっ、疲れたらすぐに言うのですよ?」
千草はすっかり甘やかす母親の顔になって
小さな手をしっかりと引き寄せた。

しかし、屋敷の敷地を抜け、深い森へと足を踏み入れた途端
きな子の足取りに微かなこわばりが混ざり始めた

きな子はかつて、エルフの集落の端で
日々の糧を得るために何度も森へ入っていた
だが、集落周辺の森はエルフたちの強力な結界と管理が行き届いた
いわば巨大な「庭」のようなものであり
森そのものはそれほどの驚異も恐れも抱く対象ではなかった

だが、祥吾たちと共に進むこの未知の森は
きな子の知るそれとは全く異なっていた
きな子の胸の内に渦巻く「驚き」と「恐れ」は
神爺の力を借りずとも
千草や祥吾に直接伝わってくるほどだった。

頭上を覆う梢は分厚く
差し込むはずの日の光は進むことを拒絶されたように弱々しく
少しでも気を抜けば
足元から這い寄る黒い影の底へ呑み込まれてしまいそうだった

エルフの森の木々は神聖で整然とした姿をしていたが
ここの樹々は荒々しく、おどろおどろしい
地を這う太い根は、まるで巨大な獣の骨の残骸のように白くねじれ
立ち塞がる幹は行く手を阻み
風に揺れる頭上の枝葉は
油断する獲物を絡め捕ろうと蠢く
邪悪な手のひらのように見える

きな子が思わず千草の手にすがりつくと
祥吾がその肩に安心させるように
自分の手を置いた

きな子が、祥吾を見上げ、ほっとした笑顔を返した、その時だった

重苦しい木々の隙間から
ゴォォォという低い地鳴りのような音が聞こえてきた。
視界を覆っていた邪悪な枝の壁が唐突に途切れ、ぱっと目の前が開ける

「着きましたわ。あそこです!」

千草が指さした先
天の高い場所から白銀の滝が真っ直ぐに落ちていた
凄まじい水量が生み出す轟音と
陽光を乱反射してきらきらと輝く無数の水しぶき
「あっ……」

きな子は千草の手を握ったまま、立ち尽くした
強張っていた瞳が
今は信じられないほどの驚きと
純粋な感動に見開かれている

「綺麗だろう?」

祥吾がしゃがみ込み、きな子と同じ目線になって微笑みかける
きな子は言葉の代わりに、満面の笑みで力強くこくりと頷き
もう一度、虹のかかる白い滝をひときわ眩しそうに見上げた

「もっと近くで見よう」

きな子に、そう言って立ち上がると、祥吾は千草にひとつ頷いて
二人の前を歩き始めた
すぐ後ろを、疾風とアズキが続き、最後に千草ときな子がついていく

少し歩くと、以前にも来た川縁に着いた
滝からの水が流れてくる
先程よりずっと近くに滝が見える
流れ落ちる水の迫力も轟音も先程の比ではない

だが、滝壺から巻き上がる清涼な風が
きな子の頬を優しく撫でていく
飛沫の中に、うっすらと七色の虹が架かっていた

きな子の感動の余韻が、美しい水飛沫の中にまだ漂っていた、その時だった。
穏やかに流れる川面に、暴力的な水柱が連続して跳ね上がった

ゴァバァッ!

穏やかな静寂を引き裂いて、水面から巨大な物体が飛び出してきた
人間を超える太さの巨体、どす黒く硬質な鱗
大きく裂けた顎には、鋭く凶悪な牙がびっしりと並んでいる
それが一匹だけではなく、二匹、三匹と続けて跳ね上がって襲いかかってくる

だが、それよりも疾く、祥吾が動く
地を滑るように踏み込み
腰に帯びた軍刀の鯉口を、親指で弾くと
飛びかかってくる魚へと、刀を走らせる

ただし、柄を握る手首を返し、分厚い「峰」を前方へと向ける
そのまま、迫り来る先頭の一匹に
真上から鋭く軍刀を振り下ろした
さらに返す刀で、もう一匹は水平に薙ぐ

ドゴォォンッ!

2つの、斬撃ではなく、強烈な鈍器の衝撃音が
ほとんど同時に響くと
2匹の狂暴な人食い魚が
白目を剥いて空中で「くの字」に折れ曲がり
川辺に叩き落とされた

残りの魚がなおも宙を舞い、牙を剥いて迫る。
だが、そちらには
疾風が後ろ足で立ち上がり、魚たちに向けて
見事なまでの前足の蹴りを放った

バキィッ! ドゴォッ!

強靭な蹄が、怪魚の硬い鱗を軽々と打ち砕く
見事な蹴りを腹に食らった魚たちは、
ゴム鞠のように蹴り飛ばされ
川辺の岩に激突して次々と沈黙していった

あっという間に片付いた脅威

いや、一匹だけ
見当違いに飛び出し、川辺であがいている魚がいた

その魚めがけて、こぶし大ほどの礫が次々と襲いかかった
「アズキ! その一匹、こんがりとお願いしますわ!」
千草が指をさして嬉々として命じる。

主人の意図を完璧に察したアズキが、「グルッ!」と短く吠えた
アズキが大きく口を開いた瞬間
そこから高熱を帯びた炎の息吹が一直線に放たれる
ゴォォォッという熱波とともに
もがいていた怪魚は瞬く間に炎に包まれた

数秒後、なんとも言えない香ばしい匂いが周囲に漂い始める
「見事ですわアズキ
 火加減を覚えましたのね」
ほめる千草に、誇らしげに胸を張るアズキ
絶妙な火加減により猛魚は、外はカリッと、中はふっくらとした
見事な「丸焼き」と化していた

祥吾は、チャキリと静かな音を立てて軍刀を鞘に納めた。

「さて……一段落ついたな
 シートを広げて、お昼にしよう」
「そうでございますね}

祥吾に笑顔で答えた千草が
持っていた荷物から大きな敷物を取り出し
滝がよく見える岩場に広げた
それから、
先ほどの焼き魚を、木の枝で器用に転がしながら
お弁当の準備に取り掛かかり始めた

「奥方。して……『あれ』も用意しておるのかの?」
つい先ほどまで何一つ仕事をしていなかった神爺が
敷物の端にちょこんと座り
臆面もなく鼻をひくつかせて聞いてくる
「ふふ、お酒なら、少しだけお持ちしておりますわよ」
千草が竹筒を振って見せると
神爺は顔をだらしなく崩し
「おお……!」
と歓喜の声を上げた

その傍らでは、祥吾と疾風、そしてアズキが
自分たちが倒した残りの魚の残骸を
川に流れないように一箇所へとまとめていた

その一連の光景を、きな子はただただ
ぽかんと口を開けて唖然と見つめていた

森に潜む魔物は、恐ろしいもの
見つかれば命を奪われるもの
きな子の常識ではそうだったのだろう

しかし、目の前の人たちは
襲い来る化け物たちを
まるで「ちょっとした害虫を払う」かのようにあしらい
平然と食事の用意をしている

「きな子、ぼんやりしていないで
 あなたも手伝ってちょうだい」
千草が、広げた敷物の上から手招きをした
「水筒と、コップを出してくれる?」

ハッと我に返ったきな子は、急いで頷くと
小走りで敷物の上へと向かった
バスケットの中から
千草が朝早くから作ってくれた
おにぎりやサンドイッチ、コロッケが次々と並べられていく
そしてその隣には
アズキ特製の「怪魚の丸焼き」が
なんとも場違いな存在感を放って鎮座していた

「さあ、冷めないうちに食べましょう」
千草が笑いかけ、三人と二頭、そして一人の屋敷神の
にぎやかな昼餉が始まった

轟々と落ちる滝の音を背景に
美味しいご飯を頬張る千草の笑顔と
神爺と軽口を叩き合う祥吾の声

きな子は両手でおにぎりを持ち
それを小さくかじりながら
目の前の光景を眩しそうに見つめた

ふと、きな子がじっと自分たちを見つめていることに気づいた祥吾が
お茶を飲みながら首を傾げた
「ん? どうかしたか、きな子」
問われたきな子は、
夢から覚めたようにハッとして
慌ててぶんぶんと首を振った

その様子を見て、酒が回り少し顔を赤くした神爺が
ニヤニヤと笑いながら言う
「なんのことはない
 きな子は、おぬしの強さに驚いておるのじゃよ」
「俺が、強い?」
「そうじゃ。初めてあんな鮮やかな太刀筋を見ればな
 そりゃあ尊敬の念も抱くというものじゃて」

「そうか……初めて見れば、そうか……」
神爺の言葉を反芻した祥吾の瞳が
ふっと、遥かに遠い目になった

『強さ』――
確かに、今の祥吾は迷いなく魔物を一刀両断できる
だが、その脳裏にまざまざと蘇ってきたのは
決してひたむきな修行の成果などではなかった

千草からの笑顔の「食料調達」のお願い
それに逆らえず、泥にまみれ、時には逃げ惑いながら
必死に未知の化け物たちと命がけの死闘を繰り広げてきた

その汗と涙に塗れた苦闘の日々が
祥吾の魂には深く深く刻み込まれていたるのだ

(……俺は、立派な夫という、千草の期待に応えるために
 必死でやってきただけなのだ……)

その、あまりにも哀愁に満ちた祥吾の悲痛な心の声は
神爺の手を借りずとも、無意識のうちに
きな子の心へと流れ込んでいた

祥吾がはっときな子を見る
先ほどの信頼の混じった目つきはどこにもなく
気の毒そうなかわいそうなものを見る目がそこにあった

「ち、違うぞきな子! 今のは違う! 誤解だ!」
思わず身を乗り出して弁明しようとする祥吾と
何事かと不思議そうに首を傾げる千草
そして腹を抱えて笑い転げる神爺

そんなみんなを見て、きな子もクスクスと笑った
祥吾には、それが、
きな子の見せたはじめてのくったくない笑いに見えた

第四十ニ話 旦那様? どうかされましたの? な、なんでもない!ちょっと風切り音が鳴っただけだ!

きな子が、年相応の子どもらしい屈託のない笑顔を
見せてくれるようになったことは、喜ばしいことではあるが
それが、自分のへたれが原因となれば、手放しでは喜べない

(なんとかして、俺の威厳を取り戻さなければ…… 名誉挽回を図らねば……っ!)

どうすれば頼れる家長としての姿をきな子に見せられるか
祥吾が腕組みをして真剣に頭を悩ませていたとき
ふと、ある閃きが脳裏に舞い降りた
地図の作成だ
正確には、地図の作成のために行っている空中捜索を
きな子にも体験させてやろうと思いついたのだ

以前のように、ただの戸板一枚の上にうつぶせになって
空を飛ぶというスリル満点(かつ危険極まりない)やり方ではなく
もっと安全で快適に行える形で

すでに祥吾は、『アズキゴンドラ一号』を作り上げていた
これに乗れば、きな子も怖がることなく
祥吾の操縦の腕に尊敬の眼差しを向けるに違いない
祥吾の胸には、揺るぎない自信が満ち溢れていた

庭の真ん中に鎮座する、その『自信作』を前にして

「……自信、ねぇ?」
小さな腕を組んだ神爺の声には
これ以上ないほど濃厚な疑いの色が滲んでいた。
「だ、大丈夫ですわ、屋敷神様。……
 ほら、見た目は、その……あれですけれど
 とても頑丈に出来ていそうですもの」
千草も一応夫をフォローしようと口を開いたが
どう見ても「大丈夫そう」には見えていない様子だった

無理もない。
祥吾が、蔵に眠っていた古い戸板や資材の木材をノコギリで切り出し
釘で打ち付けて作り上げたソレは
控えめに言っても「継ぎ接ぎだらけの不格好な木箱」にしか見えなかったからだ

一応、高所から安全に下を覗き込めるようにと
床の一部には覗き窓をはめ込むなど
祥吾なりの細やかな工夫が随所に凝らされてはいる
だが、いかんせん外観が不格好すぎた

「大丈夫だ!」
不満げな二人の反応に、祥吾は胸を張って力強く反論した。
「たしかに、ここに至るまでには失敗らしきものもあったが……
 それらの教訓を活かして
 今は絶対の信頼に足るものが出来上がったのだ!」

その高らかな宣言を聞いた瞬間
神爺の顔からスッと血の気が引き
祥吾の耳元まで飛び上がってきて
ギリッと歯を食いしばりながら小声で怒鳴った。

「ばかもん!! 奥方の前で、余計なことを言うでないわ!!」

「あっ」
ハッとした祥吾が慌てて千草の方を見ると
千草は「失敗……?」と、何のことか全く分からずに
きょとんと小首を傾げているところだった

実は、祥吾は千草に内緒で
このゴンドラのテスト飛行を何度か極秘裏に行っていたのだ
実際にアズキの強靭な爪でゴンドラを掴んでもらい
上空の風圧に耐えうるか、うまく安全に飛行できるかを試していたのだが……

そのテスト飛行の最中。
一度だけ、上空数百メートルの風に煽られたゴンドラが
空中で「バキィッ!」という派手な音と共にバラバラに
分解したことがあったのだ

足場を失い、真っ逆さまに虚空へと投げ出された祥吾
当然、祥吾の胸ぐらを必死に掴んでいた神爺も
絶叫と共に完全なる道連れとなった
眼下に恐ろしい速度で迫り来る森の木々

幸いにも、事態に気づいたアズキが弾丸のような速度で急降下し
空中で見事に二人の身体を背中で柔らかく受け止めてくれたため
大事には至らなかった
もし千草が、夫が(自分の知らないところで)空から墜落しかけたなどと知れば
二度と空を飛ぶことなど許してはくれないだろう

「な、なんでもない! 試行錯誤の末の、輝かしい完成品だということさ!」
引きつった笑顔で必死に誤魔化す祥吾の額には
冷や汗が滝のように流れていた

ともあれ、大空への準備はついに整った

きな子には、祥吾が前もって
これからどんなものに乗るのか
空からの景色がどれほど美しく、気持ちが良いか
を、身振り手振りを交えて説明していた

きな子の大きな瞳は、恐怖よりも、
まだ見ぬ世界への純粋な好奇心でキラキラと輝いていた

そして、迎えた決行の日。
人を乗せて飛べるほどの大きさに戻ったアズキが待つ場所へ向け
一行は出発した

抜けるような青空の下、三人と一柱は
頼れる愛馬・疾風(はやて)に木製の『アズキゴンドラ一号』を牽引してもらいながら
森の開けた場所へと向かって進んでいく

ガタゴトと車輪が草を踏む心地よい振動
きな子はゴンドラの縁を小さな手でしっかりと握りしめ
これから始まる大冒険に期待を膨らませ
満面の笑みで風を浴びていた

開けた野原に到着すると
そこにはすでに元の森の主としての龍へと姿を変え
誇らしげに胸を張るアズキが待っていた

祥吾は手早くかつ慎重に
ゴンドラの上部に設けた頑丈な取っ手を確認する

「よし、準備完了だ。アズキ、まずはゆっくりと頼むぞ」
祥吾の合図に、アズキが力強く一度鳴き、巨大な翼を広げた。

強烈な風圧が草を薙ぎ倒し、アズキがふわりと宙に浮く
そのまま、ゴンドラの取っ手をつかみ、持ち上げる
ゴンドラがふわりと宙に浮く。
「わあ……っ!」
きな子は千草の腕に抱きつきながらも
足元の覗き窓から離れていく大地を見て
歓喜の声を上げた

上空数百メートル。アズキの飛翔は安定しており
『アズキゴンドラ一号』は心地よい揺れを保ちながら空を滑っていた

「アズキ、高度はこのままでいい!
 次は少し右、あの山の稜線に沿って飛んでくれ!」
 舳先(へさき)に立ち、風を切って的確な指示を出す祥吾
 その背中は、頼れる家長としての自信に満ち溢れていた。
 千草ときな子は、目をキラキラと輝かせながら祥吾を見上げている

(よし! 名誉挽回、大成功だ……!)
祥吾が内心で拳を握り絞めた時

――ミシィッ……バキッ。

足元の木板から、決して空の上で聞いてはいけない嫌な音が鳴った
「「っ!!??」」

祥吾と神爺の顔から、一瞬でスッと血の気が引く
( また空中でバラバラになるのか!?)
脳裏に蘇る、真っ逆さまに落下した死の記憶
祥吾の額から滝のような汗が噴き出す。

「旦那様? どうかされましたの?」
無邪気に首を傾げる千草と、尊敬の眼差しを向け続けるきな子。
ここで「分解しそうだから降りる!」などと言えば
名誉挽回どころか一生のトラウマを刻んでしまう。

「はは、ははは! な、なんでもない!
 ちょっと風切り音が鳴っただけだ!」
引きつった笑顔で祥吾は心の中で
(アズキ! 頼むから揺らさないでくれ! そーっと飛んでくれ!)
と、祈り続けるのだった

幸いなことに、不吉な軋み音は一度きりで収まり
ゴンドラは無事に安定飛行を続けた

初めて見る空からの光景は、きな子を魅了したようだった
以前に行った瀧は、驚くことに、その上にもう一つの瀧を有していた
山脈から直接落ちていくように見える水の柱が落ちた先に
大きな川を作りその川がまた、崖に達して
きな子が見た瀧になって落ちていく

瀧の発祥と思える山脈は、その山頂をうっすらと白く飾り
盛り上がりながら北へと続いている

木々で緑一色に覆われていると思われた森は
山脈や地面の隆起に沿って
平地や盆地、小高い丘や崖など
立体的な起伏に富んで、見ている者を飽きさせなかった

雲海を抜け、太陽の光が世界を照らし出す
その途方もない広がりの中で
きな子の動きがぴたりと止まった

足元の窓に張り付き
眼下に広がる広大な景色をじっと見つめ始めた

祥吾は気づく
闇のように淀んだひときわ色の濃い森の塊
――エルフの集落がある、あの森だった

きな子にとって、あの森は世界のすべてだった
冷たく、恐ろしく、自分を永遠に閉じ込める
絶対に逃れられない絶望の檻

空からでは分からないだろうと思っていた
自分の見通しの甘さに、内心で舌打ちした

「きな子……?」
千草も、気づいたようで、心配そうにきな子の手を握る

しかし、きな子は顔を上げ、にっこりと微笑む
そこには、わずかに陰りがさしてはいたが、それでもしっかりした目で二人を見ていた
ほっとする二人の手を、きな子がとり、握り返す

きな子が過去の記憶をのりこえつつあることに
ほっとしつつも
その傷を思い出させてしまったことに胸が痛んだ

千草が背後からそっと肩に手をかけてくる
その手を、軽くトントンと叩きながら小さくつぶやく
「ありがとう」
そして、きな子の小さな頭を優しく撫でる
「風が冷えますわ」
いつの間にか隣に座った千草が、きな子の小さな肩に
ふわりと温かい若草色のショールをかけて抱きしめる
きな子は、お日様の匂いがする千草の胸にすっぽりと顔を埋めた

上空の気流にゴンドラが乗ったのを見計らい
祥吾は床に羊皮紙を広げ
炭筆を握って地図の作成準備に取り掛かっていた

その時、きな子がふと、ゴンドラの縁から身を乗り出し
北西の遠くの地平線を指さした。
「ん? どうした、きな子。何か見えるのか?」
祥吾と千草が目を凝らすが
遠すぎて霞がかかっており、よく見えない

しかし、ハーフエルフとしての優れた視力を持つきな子には
はっきりと見えているようだった
きな子は身振り手振りで、
「四角い石がいっぱいある」
「人が通る道がある」と、懸命に伝えようとする。
そして、きな子は迷いなく炭筆を手に取ると、地図の北西部分に
さらさらと迷いのない線を動かし始めた。

「きな子……?」
千草が息を呑んで覗き込む。

ほんの数十秒の筆致。
そこに描き出されたのは
巨大で美しい大木の周りにある古代都市の遺跡の俯瞰図だった
中心には満々とした瑠璃色の湖が広がり
そこから四方へと幾何学的な水路が伸びている

「これは……遺跡か? いや、壁で囲まれた街のようにも見えるな」
祥吾は驚きの声を上げた。
彼らがこれまで探索してきた未開の森を抜けた先に
明らかに集落、あるいは都市の影が存在しているのだ。

「すごいな、きな子の目のおかげで、大発見だ!」
祥吾が手放しで褒め称えると
きな子は少し照れくさそうに、しかし誇らしげにえへへと笑った。

「旦那様。いつか、あちらの街へも行ってみましょう!」
千草が、きな子の描いた地図の図をワクワクとした表情で見つめる
「ああ、そうだな
 すんでいる者がいるかどうかも調べなければならないな」

軋むゴンドラの底に冷や汗を流しつつも
新たな集落の発見という
冒険の舞台を大きく広げる成果を得た祥吾は
満足げに肯くのだった

(千草も、随分と俺のことを見直してくれたであろう
 これで、自信をもって、千草に――)
祥吾が、思わず、夫として千草を慈しみ愛していく将来を夢見て
密かににやけていたが

――ふと視線を感じて横を見ると
きな子が耳まで真っ赤にして
祥吾のことをまじまじと見つめているではないか

(…………あっ)
その瞬間、祥吾の思考が凍りついた。
自分が、人の心を読んでしまう少女の目の前で
妻に対するなんとも恥ずかしい妄想を
全開にしてしまっていたことに気がついたのだ

「ち、違うぞきな子! 今のはだな!」
慌てて弁明しようと、きな子に近づくためにドンッと一歩強く踏み出した
その時

――ミシリィッ。

足元の床板から
先ほどよりも一回り大きく
致命的な不気味な音が響き渡った
ピタリ、と祥吾の動きが止まる

お恥ずかしい心の中を覗かれた羞恥心と
空の真ん中で底が抜けるという死の恐怖
二つの恐怖に板挟みになりながら
祥吾は文字通り、滝のような冷や汗を流し続けるのであった

── 第31章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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