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PLANET LAND - 彗星から惑星へ -

305,817 字

青春群像劇、家族の物語、成長譚

"彗星のように駆け抜けた日々から、自らの重力で輝く惑星へ。これは、出会いと別れを繰り返し、居場所を見つける若者たちの物語。"

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第36話 ゲルニカ

 秋風が、海沿いの駐車場を吹き抜けて行く。
 車から降りた瞬間、ユズの髪がふわっと持ち上がった。

「うわ〜海やー!」

 潮風の香りに鼻をくすぐられながら、駐車場から海を覗き込むと、小さなコバルトブルーのスズメダイの群れが、海中のコンクリートについている牡蠣殻やフジツボの隙間をついばんでいた。

「なかなか風、強いね」

 ミナは髪を耳にかけながら、山並みを見上げる。

「ほんとだね、あ、来た」

 宮坂が顔を上げると、車が二台止まった。
 瀬良と田﨑、歩美が降りて、もう一台からは、演劇部の数名が順に降りてきた。

「田﨑、姐さん、お疲れ様です」

 峯岸が軽く手を上げると、田﨑は顎を引いて応じた。
 その横に立つ瀬良は、迷彩のジャケットにカーキのカーゴパンツ姿だった。
 首元のドッグタグが、身体の向きを変えるたびに光る。

「ああ、すまないね、海斗君」

 瀬良が歩みを進めると、杏奈は瞬きをした。

「……雰囲気、全然違いますね」

 田﨑が口元をわずかに上げる。

「役作りだよ、今回はレジスタンスなんでね」

 聡志が目を丸くして呟いた。

「けど、なかなかステレオタイプな」

 すると、瀬良が聡志の前に立ち、自嘲気味に笑った。

「まあ、私は形から入っていく方だからね」
「あんたと違って、じっくり作っていくタイプなんだ」
「面倒くさいだろ?」

 聡志が苦笑いをしていると、杏奈が横から駆け寄って、歩美の手を取った。

「歩美ちゃん、よう来たね」

 歩美は一瞬怯えたように肩が跳ねるが、すぐに杏奈の手を握り返した。

「……杏奈ちゃん、なんとか、来れたっちゃ」

 瀬良が腕組みをして目を細め、二人の間に立つ。

「無理しなくても良い、て言ったんだけどさ」
「公演の場所を直接見たいって」

 杏奈と歩美は、微笑みを交わす。
 続いて、もう一台現れた。
 ドアが開くと、降りてきたのは、澄水座の三人だった。
 その姿を見た瞬間、ユズが駆け出す。

「雄吾さ〜ん♡」

 すると雄吾はその場で足を止めた。
 ユズがあと一歩、というところで雄吾の視線が険しくなる。

「私に……近寄るな」

ユズの足が、ぴたりと止まり、その身が固まった。

「え?」

「人間など……誰も、何も信用できない」

「え? え?」

 すると、雄吾の目元が穏やかになり、口元が崩れる。

「はは、ごめんね」
「役作りだよ」

 肩の力が抜けると、健作が横から笑う。

「雄吾さん、今回なかなか気合入っとるけえ」

 秀然も穏やかに続ける。

「日頃の稽古が、本当にきつくてね」
「今日は、楽しみにしてますよ」

 ミナがユズの横に立ち、顔を覗き込む。

「……あ、魂抜けてる」

 ユズは動きを止めたまま、目を瞬かせていた。
 宮坂が前に出て、手を叩く。

「皆さん揃ったことだし、早速行きましょうか」
「宮西さんや春川さんたち、他のプロジェクトメンバーは、もう美術館の前に待機しているそうです」

 一行は、そのままシャトルバス乗り場へ。
 順に乗り込んでいく中で、ユズだけが一瞬立ち止まり、雄吾の方を見ると、雄吾は、何事もなかったように笑みを返し、車内へ入っていった。
 ユズは息を吸い込むと、怪訝な顔で首を傾げて後を追う。
 バスが動き出すと、杏奈の隣の席の歩美が、手を堅く握り、顔を伏せた。
 額には冷や汗が浮かぶ。

「歩美ちゃん、大丈夫?」

「ありがとう……人が固まってる所、まだ落ち着かねぇから……」

 杏奈がそっと歩美の手に、触れると顔を上げて、引き攣った笑顔を返した。

 美術館前のロータリーにバスがゆっくりと停まり、ドアが開く。

「おーい!」

 宮西が大きく手を振り、佐藤と日崎と共に歩み寄って来た。
 宮坂が三人に向き合う。

「宮西さん、お待たせしたんじゃないですか?」

「いや、いや、今来たところだから」

「森山さんは?」

 宮西は肩をすくめて、建物の方を指差した。

「先に中に行くって、入っちゃったよ」

 ちょうどそのとき、もう一台の路線バスが停まる。
 ドアが開き、ゆっくりと降りてきたのは、春川と佐々木だった。
 二人とも足早にこちらへ向かう。

「遅くなりました」

 ミナが一歩前に出る。

「大丈夫、こちらこそ遠くまでごめんなさい」

 瀬良が軽く手を挙げる。

「春川ちゃん、今日は折角の姫路のイベントの日なのに、ごめんね」

 春川は吹き出して手を振った。

「いいんですよ」
「了さんも安積さんも、リーグ戦の間は参加無理だし、流石に一人で行く勇気ないから」

 宮坂が軽く手を叩いた。

「それじゃあ、皆揃ったし入りましょう」

 自動ドアが開くと、杏奈がふと顔を上げた。

「うわぁ!すごい高いエスカレーター」

 杏奈は思わず声が漏れて見上げると、何階分もの高さがある。
 上に着いたところで、森山の姿が見えた。

「ごめんね、先に入っちゃって」

 聡志が一歩前に出る。

「それで、システィーナホールって?」

 森山は振り返り、正面に見える入り口に手を伸ばした。

「すぐそこだよ」

 中に入った瞬間、言葉を失った。
 遥かに高い天井一面に、旧約聖書の世界が鮮やかに描き出されている。
 大勢の人物が、一人として同じ顔はなく、その表情は喜怒哀楽が豊かに表現されていた。
 杏奈はまばたきも忘れ、ため息をこぼした。

「すごい……」

 秀然は天井を見上げたまま、ゆっくりと頷く。

「これは、ある意味曼荼羅ですね」

 田﨑は視線を動かしながら、声を出した。

「三百人の人物が描かれているそうですよ」

 聡志は天井を見上げたまま、頭を戻せない。

「これだけのものを一人で、すげえな」

 雄吾はゆっくりと一歩、後ろへ下がり、立ち位置を確認する。

「客席だけじゃなく、天井からも見られているみたいだな」

 誰もがすぐには動けない。
 それぞれが、絵を見上げたまま思い思いの場所に頭を動かしていた。

 ミナが小さく息を吐き、全員に向き直った。

「それじゃ、二時間後にここに集合でお願いします」
「各自で見学しましょう」

 ユズが振り返り、満面の笑みを浮かべて弾んだ声を上げた。

「了解!じゃあ、雄吾さん♡」

 しかし、雄吾は動かず、視線だけがゆっくりとユズへ向くと、また冷たい目を向けた。

「名前……か」
「所詮、個体を識別するための記号でしかないものだ」

 ユズの動きが止まり、笑顔のまま、目だけが瞬きを忘れる。

「……え?」

 すると、健作が横から肩を揺らして笑う。

「雄吾さん、役作り徹底しよるなあ」

 雄吾が視線を外し、ゆっくりと歩き出すと、ユズはその場に残ったまま、雄吾の背中を目で追っていた。

(……わざとやってるんちゃうん?)

 ひとつ首を傾げて、その後を追いかける。
 全員がばらけていく中、ミナはその場でひとりだけ動かない背中を見る。
 宮坂がホールのあちこちに視線を移し、時にスマホで撮影し、時に何かを確かめるように指を差す。

「ゆうま、ウチらもいこうよ」

 声をかけるも、宮坂は反応しない。

「……やれやれ、スイッチ入っちゃったか」

 苦笑いでため息をつくと、今度は右往左往して、絵とは関係のない出入り口の場所や、バルコニー下の面積、客席の配置。
 それらが宮坂の頭の中で、整理されているようだ。

「あそこ……と、あそこ」
「客席の導線が、あそこ通って……」
「……あの2階バルコニー下の空間」
「ここ、目隠ししたら……」

 壁際のバルコニーが、突き出している場所に進むと、また上下左右に目線を配っていた。

「道具の置き場所や、着替えもできるな」

 ミナは、その横顔を見ながら、小さく笑って肩をすくめる。

「……やれやれ」

 一言こぼして、ふと振り返ると、まだ動かずに立っている峯岸の姿があった。

「あれ? 海斗、行かないの?」

 声をかけると、峯岸は天井を見上げたまま、小さく息を漏らした。

「あらためて見たら、すごいな」

「来たことあったんだっけ?」

「ああ、フタバとな」

 その名前が出た瞬間、ミナの口元がわずかに強張った。

「……ごめん」

「かめへんよ」

 短く返してから、もう一度天井へ目を向ける。

「けど、ミケランジェロはこれを、ほぼ一人で描いたって言うてたな」

 言葉の間に、視線が人物から人物へ移っていく。

「孤独で、黙々と」

「海斗?」

 峯岸の目は、まだ上を向いたままだ。

「システムの、ミケランジェロみたいに」
「感情っちゅうもんを、排除しとったんかな」

「海斗?」

 峯岸は上を向いたまま、淡々と呟く。

「後悔」
「苦悩」
「絶望」
「……か」

 ミナは天井を見上げ直す。

「ああ、神学部の教養講義であったね、旧約聖書」

 峯岸が小さく頷き、人差し指を天井へ向けた。

「絵、それぞれあるわ」
「天地創造」
「楽園追放」
「ノアの方舟」
「モーセの十戒」
「ダヴィデとゴリアテ」

 言い終えたあと、視線をミナに向けた。

「まさに、後悔、苦悩、絶望の繰り返しやな」
「こうやって絵で見たら」

 ほんの少しだけ目を細める。

「気持ちに入ってくるわ」

 ミナは返事をせず、もう一度天井を見上げた。
 絵が表す物語を重ねると、同じ絵から受ける印象が変わって見える。
 峯岸は、口元をわずかに動かした。

「システムのセリフやけど、確かに、無いに越したことはないな」

「何の話?」

 峯岸は視線を少し落として、自分の足元を見る。

「俺の後悔と、フタバの苦悩」
「絶望にならんかったらええけどな」

 ミナの表情が、すっと引き締まる。

「そんな事、言うもんじゃないよ」

 峯岸は、短く息を吐いた。

「言わんと、片付かんもんも、あるわ」

 しばし沈黙が流れたが、少し離れたところから宮坂の声が飛んでくる。

「ミナ、ちょっとこっち来て」

 ミナがそちらを向くと、峯岸が冷やかすように、歯を見せた。

「ほら、彼氏君が呼んでんで」

「うるさいよ」

 そう返して、宮坂の方へ歩いていくミナの背中を見送ってから、ひとつ肩を回した。

「どら、ピカソでも見に行ってみるか」

 振り返り、靴音を響かせてその場を後にする。

 2階からホールを見渡せる開口部に、杏奈と聡志が差し掛かると、歩美が熱心にホールを見ながらメモを取っていた。
 聡志がゆっくり近寄る。

「君、確か公認の……」

「広原歩美ちゃん」
「公認演劇部の作家見習いだそうです」
「歩美ちゃん、何しよるの?」

 しかし、二人の声は歩美には届かない。
 ぶつぶつと呟きながら、ペン先で絵を指し示し、メモに走らせる。

「あれが……アダムとイブの楽園追放」
「あの絵が、ノアの方舟」

 小脇に挟んだ台本を開き、指でなぞる。

「あった」
「最初の司祭のセリフの時、絵にスポット当てたら……」
「わあ!!」

 顔を上げて聡志と目が合った歩美が、飛び上がって驚きその場にへたり込んだ。

「ごめん、驚かしちゃって」

「いえ……私も没頭してしまって」

「大丈夫? 立てる?」

 すっと差し出された聡志の手を見た歩美が、今度は顔を強張らせて、荒い呼吸を始めた。

「歩美ちゃん」

 杏奈が二人の間に割って入り、その背中を優しくさすってやった。
 その時、聡志の眉がわずかに動く。

(そうか……この子、あの時の)

 歩美の顔を思い出した聡志は、二人から距離を取った。

「杏奈ちゃん、ごめん、もう良いっちゃ」
「大丈夫らて」

 呼吸が安定してきた歩美に、杏奈が言葉をかけた。

「無理したらいけんよ」
「うちと、回る?」

 すると、歩美はゆっくりと首を振った。

「ううん、ひとりで大丈夫」
「その方が、絵に集中できるし」
「待たして迷惑かけるから」

 気丈に笑う歩美に、杏奈は戸惑うも優しい目を戻した。

「わかった、ゆっくり楽しみんさい」
「そのメモ、台本のことを書いてくれたんじゃろ?」
「あとで見せてね」

「うん」

 立ち上がった歩美に見送られ、杏奈は聡志の元へ戻った。

 最上階では、芝生の広い庭園を臨む大きなガラス壁から、陽の光がまっすぐ差し込んでいた。
 その光の中に、それはある。

 ゲルニカ。

 原寸大のサイズで、壁一面に広がっていた。
 峯岸は、そこで足を止めて見上げる。
 モノクロームの景色。
 いななきながら逃げ惑う動物。
 倒れた兵士。
 動かなくなった子供を抱く母親。

 写実的ではないその絵だが、苦悶に歪んだ顔や、不自然に折れた首、ばらばらに置かれた目や鼻や口が、かえって生々しかった。

 峯岸は、それらをひとつひとつ、時間をかけて凝視した。
 頭の中に形にならないまま沈んでいた怒りや恐怖が、絵の中で渦を巻いているような感覚に陥る。

「こうならんように、するんやな、ミケランジェロは」

 人の感情を削り、均し、波立たせないように整えていくシステム、ミケランジェロ。
 後悔も、苦悩も、絶望も、最初から無いことにしてしまえば、こんな景色にはならない。
 その役を演じるにあたり、自分の中で設定を組み立ててゆく。
 その時、倒れた兵士の剣のそばで、目が止まる。
 そこにある一輪の花の絵に、峯岸の目が、わずかに細くなる。

「これが、ピカソが見つけた、絶望の中の希望か」

 しばらくその一点を見つめたあと、ようやく踵を返し、庭園に出た。
 風が、駐車場の時よりやわらいでいる。
 目の前には、高速道路。
 その先に、大鳴門橋から瀬戸内海に浮かぶ淡路島があった。
 峯岸は手すりに手をついて、海の向こうへ目を凝らす。

「神戸は、どっちやろ?」
「親父、言うてたな」
「あの時は、ほんまもんの絶望やったって」

 一度、視線を落とし、すぐにまた上げる。

「けど、今のあの街は、そんなこと信じられんくらいや」
「フタバも、そこにおる」

 また、潮の香りを纏った風が強くなる。
 手すりに肘をついて、じっと海の向こうに思いを馳せた。

「絶望の中の希望か」
「ホンマに、あるんかな?」

── 第34章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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