第37話 それぞれの本質
宮坂はホールをぐるりと見渡すと、迷いなく腕を上げた。
「あそこと、あそこから」
「花道を、中心に向かって伸ばすんだ」
言いながら、ホール中央付近に移動して自分の立ち位置でゆっくり回転すると、さらに二箇所指差した。
「もう二つ花道を伸ばせば、四方から繋げられる」
「で、メインステージとも繋ぐと、会場を立体的に使えるよ」
「三幕のアクションシーンにも、効果的だね」
ミナが、その動きを目で追う。
「センターステージにするってこと?」
宮坂は、力強く頷き、今度は正面の壁画へ指を向ける。
「本来、公演をやる場所じゃないから、メインステージはスペースが限られる」
「だったら、もう一つ作るんだ」
一切の迷いのない顔に、ミナが思わず口元を緩める。
「あんたのその発想力は、凄いよ」
しかし、ミナの声は宮坂には届かず、視線はもう別の場所へ動いている。
「バルコニー下のスペースは、目隠しをしたら」
「そこで着替えや小道具を配置する」
「片方は、演奏班のスペースになるね」
「お客さんも、どこから出てくるか楽しめるよ」
ミナは、その横顔を見た。
(ほんと、キラキラした目してさ)
宮坂はスマホを取り出し、カメラを起動する。
「ひとまず写真撮るから、ミナ、まず最初の花道の位置に立って」
ミナが少しだけ眉を上げる。
「私、いる?」
「当たり前だよ」
「演者の導線の確認なんだから」
「はいはい」
軽く返しながら、指定された位置へ歩き出した。
ひとしきり写真を撮り終えると、ミナは立ち位置から戻り、歩きながらスマホの画面を覗き込んでいる宮坂の横で足を止める。
「もういい?」
宮坂は最後の一枚を確認してから、ようやく顔を上げた。
「うん、だいたいのイメージはまとまったよ」
ミナはその顔を見て、小さく笑う。
「じゃあさ、他の絵も観に行こうよ」
「待って、その前に」
ミナが振り返ると、宮坂はなぜか無言のまま、すっと肘を差し出していた。
ミナはパチパチと、目を瞬かせる。
「何? それ」
宮坂は目を逸らしながら、ぶっきらぼうに返答した。
「いや、さっき外の廊下で、ここであったイベントの写真、見たんだ」
言いながら、差し出した肘は引っ込めない。
「歌舞伎とか、コンサートとか」
ミナは腕を組んだまま、その肘と宮坂の顔を見比べる。
「それでなんで?」
「いや、その中にあったんだよ」
「何がよ」
「横綱の……その……結婚式」
「はあ!?」
ミナの声が、がらんとしたホールに少し大きく響いた。
宮坂が、口を尖らせる。
「嫌なの?」
ミナは呆れたように目を細めながら、口元は緩んでいた。
「嫌じゃないけど、また発想が飛んだね」
その時、すぐ後ろから、穏やかな声が差し込んだ。
「じゃあ、私、神父さん役やりましょうか?」
聞き覚えのある声に、ミナと宮坂の肩が同時に跳ねる。
二人はほとんど同じ勢いで振り返った。
そこには、さっきからのやり取りを見ていたらしく、どこか面白がるような秀然と健作が並んで立っていた。
ミナが耳のあたりを押さえながら、小さく息を整える。
「お二人とも、絵を見に行かれたんじゃ……」
秀然は穏やかに頷いた。
「衣装担当のミナさんに、私の司祭役の、参考にしてほしいものがあったんですよ」
「三銃士に出てくる、リシュリュー枢機卿の絵です」
健作が、その横で肩を揺らした。
「呼びに来たら、なにやらキュンキュンするやり取りがあったけえ、声を掛けにくうての」
ミナの顔が、わずかに引きつると、健作は秀然を見て、にやっと笑った。
「秀然さん、いきなりぶち込んでいくんで、ビックリしたわ」
秀然はまるで気にした様子もなく、くるりと背を向ける。
「さあ続けましょう! ほらほら」
そのまま、ホールの一番奥へ向かって歩き出した。
健作は後を追いながら、振り返って片手を上げる。
「宮坂くん、スマホ借しいな、写真撮ったるけえ」
宮坂はスマホを持ったまま、少し口元を上げた。
「もう、逃げられないよ」
「なんで、こうなるのよ〜」
聡志と杏奈は、人の流れの中で、自然と足を止めた。
金の額縁に収まったその表情だけが、静かに浮かび上がっている。
誰しもが知る名画、モナ・リザ
杏奈と聡志は、ほんの少しだけ前に出た。
「確か、パリの本物は、こんなに近くで見れないんだよな」
「そうらしいですよね、行ったことないけど」
二人の視線は、絵柄から離れない。
「触ってもいいんだろ? 技術って凄いよな」
「ほんとうに、そうですよね」
聡志が横目で見て、少しだけ首を傾けた。
「大丈夫? なんか上の空だけど」
杏奈は一瞬だけ目を瞬かせて、すぐに視線を戻した。
「そんなことないですよ」
「次、行きましょう」
踵を返すと、聡志は一歩遅れて、その背中を追った。
芝生の庭園の外柵に手をかけ、峯岸はそのまま身体を預けていた。
視線は遠くへ向けたまま、動かない。
すると、隣に雄吾が現れ、同じように外柵に手をかけた。
「いやあ、海風は気持ちいいね」
「山風みたいに、吹き降ろすんじゃなくて、吹き抜ける感じだね」
「高梨さん、お一人ですか?」
「だいぶユズさんにつけ回されたよ」
小さく息を吐くと、峯岸が顔を曇らせた。
「うちの大橋がすみません」
「いや、いいんだ」
「十も年の離れた女の子に好意を持たれるの、悪い気はしないからね」
峯岸は少しだけ顔を上げる。
「あいつは、大人な人が大好物なんです」
「おいおい、俺は食べ物かい?」
「獲物みたいに、狙われとるやないですか」
雄吾が肩をすくめた。
「確かに、そうだね」
雄吾は、柵に手を置いたまま視線を横へ流した。
「ここにいるってことは、ゲルニカ、見たかい?」
峯岸は小さく頷く。
「はい、ミケランジェロのヒントがあるんやないかと思って」
「そうか」
「君はしっかり役の本質を捉えてるね」
峯岸は首の後ろを軽くかいた。
「いや、無意識ですよ」
「本質を理解する力は、みんな無意識だよ」
「そうなんですかねぇ」
雄吾は笑わずに目を細める。
「銀河座の役者達は、みんなそうだったよ」
「俺には、その理解力がなかったからね」
「それは謙遜じゃないですか?」
雄吾はゆっくり首を振った。
「いや、そうだよ」
「俺は、自分を主観的に見ることしかできないから」
「だから、俺は丸々別人になる努力をしないといけない」
潮風に前髪を揺らしながら、峯岸の目を見て続けた。
「一緒にやったハッピーアイランド」
「君たちは、自分のままで役になり切った」
「凄い事だよ」
峯岸は、わずかに眉を寄せた。
「そう言われても、ピンと来ません」
雄吾の口元が、少しだけ緩む。
「これから、色々見ていたらわかってくるさ」
すると、少し離れたところから、弾んだ声が飛んでくる。
「み〜つけた」
二人が同時に振り返る。
駆け寄ってくるユズの瞳が、爛爛と輝いていた。
「探しましたよ、雄吾さん♡」
雄吾は小さく肩をすくめた。
「ごめんね、色々気になる絵があったから、ついつい先に行っちゃって」
「じゃあ、峯岸くん、また後で」
峯岸は軽く頷いた。
「はい、またお願いします」
ユズはすでに雄吾の横に並んでいる。
そのまま二人は歩き出し、峯岸は、その背中をしばらく見送っていた。
民衆を導く自由の女神の前では、瀬良と田﨑、それから演劇部の部員たちが集まっていた。
瀬良は絵の前に立つと、すっと片腕を高く上げ、まっすぐ前を見る。
「この絵が見たかったんだ」
「どうだい? レジスタンスのリーダーっぽいだろう?」
田﨑はスマホを構えたまま、落ち着いた声で返した。
「はい、じゃあ撮りますよー」
「もっと他に、言うことないのかい?」
田﨑は画面の位置を少しだけ直す。
「だいたい何が返ってくるかはわかるんで、大丈夫です」
「私が聞きたいんだよ……ん?」
「ここは、“アタイ”とかの方がいいかな?」
田﨑はスマホを構えたまま、淡々と答えた。
「それだと、どっちか言ったら盗賊か山賊みたいですよ」
田﨑の後ろの部員たちから笑い声が漏れ、瀬良は上げていた腕をゆっくり下ろし、絵の方を見上げた。
「それもそうだね」
最後の晩餐の前では、六人が横一列に並ぶ。
修復前と後の絵が、対面する壁に描かれていた。
宮西が両方を見比べるように、視線を行き来させる。
「俺たち、すっかりさ」
「彼らのおかげで、面白いことに関われてるよね」
佐藤が肩を揺らす。
「ライブハウスでちょこちょこやるより、全然違うよな」
「お客さんも多いし」
日崎が腕を組んだまま、小さく頷く。
「あのホールで演奏なんて、考えられなかったよ」
森山が一歩前に出て、絵の中のテーブルの並びに目を落とす。
「ほんと、この絵に囲まれてる弟子たちみたいだよね」
春川が、少しだけ顔を傾けて、視線を中央から左右へ動かした。
「けど、この絵って」
「この中に裏切り者がいるって話す場面だったですよね」
佐々木の顔が、ぱっと上がる。
「そうなの!?」
そのまま、人物たちの顔を順に見ていくと、さっきまでただ並んで見えていた表情が、少しずつ違って見え始めていた。
宮西が、中央の人物から少し視線を外した。
「なんか、縁起悪いね」
佐藤が小さく鼻で笑う。
「気にすんなって」
「裏切りって言ってもさ、やらかしたってことだろ」
日崎が腕を組んだまま、視線を絵に残す。
「俺たちは俺たちの分野をしっかりやるさ」
佐々木がテーブルの上に目を落とし、パンの形を指でなぞった。
「この食卓のパンとワイン、もし現実に小道具にするなら」
「シンプルな分、難しいだろうな」
春川が布の重なりへ視線を移す。
「この衣装も」
「使い込まれた感じ出すの、大変そう」
全員の視線が、もう一度中央へ戻ると、森山が、静かに口を開いた。
「誰か一人、外れるだけで全部、崩れるんだよね」
全員が顔を見合わせて、息を飲んだ。
「舞台は、演じる彼らがメインだけど」
「裏の人間だって、きっちり支えていかなきゃね」
六人は口を結んで、決意を新たに頷き合った。
再び、芝生の庭園では、手すりの向こうにひらけた海を見ながら、峯岸はスマホを握っていた。
画面には、自分の台本のデータが映る。
そこに視線を落とし、親指を添えた。
「ヒトが犯す過ちも、ヒトの絶望が生み出すものだ」
「罪も、争いも、戦争も」
同じ頃。
病室ではフタバもまた、ベッドの上で背を起こし、台本の文字を追いながら声に出していた。
「しかし、人間は誰しも、与えられた命を全うする権利があります」
録音を止めると息を整え、すぐにまた次の台詞へ目を落とす。
庭園の風が、峯岸の頬をくすぐる。
「しかし、他者を傷つける権利もなかろう」
「確かに傷つきます」
「それでも、本心をぶつけなければ得られないものもあるのです」
「ただの種に、そんな物は必要ない」
言い終えたところで、手元のスマホが震えた。
峯岸が画面を切り替えると、ミナからのメッセージだった。
【集合時間だよ、志織代表が用意してくれた宿の時間が迫ってるから、早く来て】
峯岸は、その文字を見て小さく息を吐く。
「今日は、ここまでか」
「フタバ、俺、ちゃんとやれるんかな?」
もう一度海を見ると、海面が陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
病室では、フタバが台本を胸の上に置いたまま、白い天井を見上げていた。
「海斗、待ちよってよ」
「あーし、ちゃんと帰るきね」
シャトルバスが駐車場に着くと、演劇部の二台の片方に、ここで解散する部員が乗り込んでいた。
「じゃあ、みんな気をつけて」
見送る田﨑の元へ、杏奈が不思議そうな顔で近寄る。
「皆さん帰られるんですか?」
「うん、バイトとかあってね、残るものは残らせてもらうから」
すると、歩美が杏奈の元にやって来た。
「杏奈ちゃん」
「歩美ちゃんも、帰るの?」
黙って頷き、少し顔を引き攣らせた。
「うん、まだ、お泊まりと……」
「大勢で、ご飯食べたりする場所は、怖いさけ」
返答ができない杏奈に、歩美が台本を差し出した。
「今日見て、気づいたこと、書き込んだっちゃよ」
「生意気かもしれねぇけど、見てね」
杏奈が受け取った台本を開くと、びっしりと書き込みがされていた。
読んでみると、ホールの絵を生かした演出案が詳細に記されてあった。
「すごい……歩美ちゃん、これ、使わせてもらうけえ」
「よかった! ありがとう、杏奈ちゃん」
歩美は車に近寄り、また振り返ると、満面の笑顔を杏奈に向ける。
杏奈はそっと、手のひらを向けた。
「ほじゃね! 歩美ちゃん」
「へばな! 杏奈ちゃん」
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。