第38話 確かな胎動
大鳴門海橋を臨む温泉ホテル。
会議室では、プロジェクトメンバーがテーブルを囲んでいた。
宮坂がマイクを握る。
「今日の視察で、当日の舞台のことで思いついたことがあります」
そう言うと、宮坂は席を立ちあがり、ホワイトボードの前に立ち、マーカーを手に取ると、迷いなく線を引き始める。
それは簡易な平面図。
長方形のホールに、出入り口の位置を描いた。
「まず正面をメイン舞台、そこからホール中央に、センターステージを置きます」
本舞台のスペースを線引きし、その先からホール中央へ向かう花道を書き加える。
「そこに、四方から花道を伸ばします」
中央に置かれたセンターステージに向かって、四方から伸びる花道も線が引かれた。
メンバーの視線が、自然とホワイトボードへ吸い寄せられていく。
宮坂は一度だけ全体を見渡し、左右の壁際に、縦の線を走らせた。
「左右のバルコニー下のスペースは目隠しをして、衣装や小道具の設置場所、着替え場所」
「舞台装置の音響や映像を操作する、舞台中枢を置きます」
「うちと軽音さんの場所は?」
静かに口を開いた日崎に、宮坂は振り返らずに答えた。
「バルコニー下の、一番舞台側の片方の位置です」
「舞台中枢の反対側になりますね」
言葉と同時に、マーカーがその位置をなぞる。
雄吾が真剣な顔で、手を上げた。
「舞台転換に関しては?」
「暗転後、入り口側のスクリーンに映像を映します」
「上演中、お客さんの目が行っている間に舞台セットを入れ替えます」
宮坂の説明は淀みがない。
だが、雄吾がますます顔を険しくした。
「それだと、真っ暗でしょ?」
「スムーズに行くかな?」
宮坂は一瞬だけ言葉を止め、目を閉じると、ホワイトボードに目を向けた。
「正直、そこがネックです」
「簡易な幕を付けるか……」
その時、瀬良がふっと不敵な笑みを浮かべた。
「うちのあれ、使うかい?」
宮坂が、はっとして瀬良に向き直る。
「いいんですか?」
「しかし、ここまでの移動を考えたら……」
瀬良は、まるで気にした様子もなく肩をすくめた。
「なあに、別に組み立て式だから、移動は問題ないよ」
「2tトラック一台あれば充分さ」
雄吾が、少しだけ眉を上げる。
「あれ、とは?」
瀬良は口元をゆるめた。
「六大演劇部自慢、直径2700mmの回転舞台です」
雄吾が喉を鳴らして感嘆した。
「そんなものがあるんですか?」
「すごいな」
ミナが、図面から顔を向けた。
「そもそもあれって、どうやって動かしてるんですか?」
瀬良は、少しだけ得意げに口元を上げる。
「至ってアナログだよ」
「人力さ、五人いりゃあ簡単に動かせるから」
「芝居の所作に合わせて回しゃいい」
田﨑が続きを引き取ると、宮坂が頭を下げた。
「その辺はうちに任せてください」
「ありがとうございます」
そのやり取りを受けて、聡志が息をつく。
「それじゃあ、それに合わせて、台本も手直しだな」
「あれ? 杏奈?」
名を呼ばれて、杏奈は小さく肩を揺らした。
「え? は、はい」
「大丈夫か? 話、入ってる?」
杏奈は一瞬だけ視線を泳がせ、それからすぐに頷く。
「は、はい」
「大丈夫です」
反射的に答えた杏奈だったが、どこか上の空の仕草に、聡志はため息をつき、それ以上踏み込むのをやめた。
会議が終わると、張りつめていた空気も少しずつほどけてゆく。
皆、思い思いに、入浴を済ませる者、窓の外の鳴門海峡にスマホを向ける者、屋外へ出て波音と潮風に身を預ける者、その過ごし方は様々だった。
みなそれぞれが、共に舞台を作り上げる過程の時間を共有することを、楽しんでいるみたいだった。
やがて、場は会食へと移る。
広間に料理が並び、皆が席につくと秀然がマイクの前に立ち上がった。
自然と視線が集まる。
秀然は居住まいを正し、穏やかな顔で口を開く。
「挨拶とお経は短い方が良い、と言われますので手短に」
その一言で、広間に小さな笑いが起きた。
「学生の皆さんに囲まれて、私も落研(おちけん)時代を思い出しました」
「良いものを一緒に作りましょう」
グラスを持ち上げ、会場を見渡してから、声を上げた。
「それでは、けんぱ……乾杯!」
広間が静まると、高笑いした健作がすかさず突っ込んだ。
「縁起悪いわ、やり直しじゃあ!」
会場の笑いがひときわ大きく広がる。
秀然は苦笑しながら、咳払いした。
「私としたことが」
それから、改めて杯を上げる。
「乾杯!」
今度は、あちこちから威勢よく声が重なった。
グラスの触れ合う音が広間に弾け、ようやく本当の宴が始まる。
ひと口目の飲み物が喉を通ったところで、峯岸が隣の雄吾へ顔を寄せた。
「住職さん、ああいうの、分かってやってるんですか?」
雄吾は、向こうで笑いながら座り直す秀然を見やって、静かに口元をゆるめる。
「あの人は全部計算だよ」
「常に人前にいるから、空気を読むのが抜群に上手いんだよ」
一度だけグラスを傾け、それから小さく息をつく。
離れた席でミナが、グラスを片手に苦笑した。
「今日はほどほどね、て無理か」
隣の宮坂は遠慮なくグラスを傾ける。
喉を鳴らして飲み干し、そのままミナの方へ顔を向けた。
「会議の僕、どうだった?」
間髪入れず、ミナが軽く手を振る。
「あー、はいはい、すごいすごい」
宮坂は満足げに頷く。
「それじゃあ」
「はい、はい、よしよし」
「うん、ありがと」
そのやり取りに、ミナの口元がわずかに緩む。
(めんどくせ〜)
心の中でぼやきながらも、グラスを傾ける。
(けど、ま、いっか)
その向かいで、聡志が杏奈の方へ身体を向けた。
「杏奈、やっぱり最後の演説、気にしてるのか?」
杏奈は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく頷く。
「はい、どうしても言葉が浮かんで来なくて」
聡志はグラスを置き、少しだけ身を乗り出した。
「ミナが言ってたじゃん、誰か知ってる人に、伝えたい言葉を乗せりゃいいって」
「だけど、みんながみんな、同じ言葉を求めている訳じゃないし」
その言葉に聡志は、少しだけ息を整えてから、ゆっくりと口を開く。
「そうだね、俺も正直言って、見る人みんなを意識して芝居してた」
「やっぱり、お客さんみんなを喜ばせないとって、考えてた」
「だけど、この前考えが変わったよ」
杏奈の視線が上がる。
「どうしてですか?」
「弓を引いてる、河瀬くんを見てから、考えが変わったんだ」
「あの時の、河瀬くんを?」
聡志は力強く頷いた。
「あの練習の河瀬くん、自分と的しかない世界にいたみたいに見えた」
「一つのものだけを狙ってる姿に、目が離せなかったよ」
杏奈は、少しだけ視線を落とす。
「河瀬くんが見てるのは、的じゃないんです」
聡志が、わずかに眉を上げる。
「そうなの?」
「青島邦彦さん」
「誰?」
「河瀬くんが、インターハイの決勝で負けた人です」
「あの人、準優勝なのに、負けたって言うんですよ」
聡志は、その言葉を聞いて、何度も小さく頷いた。
「尚更だな」
杏奈が首をかしげる。
「どう言うことですか?」
「自分だけの世界に、そうなるべくしてなる理由があるだろ?」
「よく、わかりません」
聡志は、少しだけ柔らかく言葉を続けた。
「一つの事に集中するには、それだけ譲れない理由があるんだと思う」
杏奈は黙ったまま、聡志の言葉を待つ。
「お客さんてのは、一つの塊じゃない」
「一人一人が違う人で、それぞれが、欲しい言葉を待ってると思うんだ」
「誰かのために、伝える言葉は、待ってる言葉じゃなくても、人の心を打つと思うんだよ」
「マスターもそうだったんだろ? うちのおふくろに」
杏奈の目が見開かれた。
「彗星群……」
「そういうこと」
ユズはちらちらと、雄吾の様子をうかがっていた。
さっきから、グラスを持つ手の角度も、誰かに向ける笑い方も、やたら気になって仕方がない。
(はあ、やっぱり……好き)
(けど、相変わらずいけずやわ)
美術館でのそっけない態度を思い出し、口を尖らせる。
(そんなら、今日は、すぐには行きませんからね)
(押してもだめなら、引いてみな作戦や)
(あれ? ユズさん来ないのかな?て思うまで、焦らしたるで〜♪)
そんな決意を固めた、その時だった。
瀬良が、ビール瓶を片手に雄吾の前へすっと座る。
ユズの目が、ぴたりと止まる。
(きらりさん? ま、まあ初対面やし、挨拶くらいするわな)
そう思いながらも、視線は外せない。
瀬良はきっちりと背筋を伸ばした。
「高梨さん、お目にかかれて光栄です」
雄吾も、穏やかにグラスを置いて会釈を返す。
「瀬良さん、でしたよね」
「宜しくお願いします」
雄吾は感心したように目を細めた。
「名門の六星の演劇部の部長さんて、凄いですね」
「とんでもありません。部員の皆さんに助けてもらってます」
その返しに、雄吾の表情がふっとやわらいだ。
「私が昔いた劇団にも、六星演劇部出身の方、沢山いらっしゃいましたよ」
瀬良の目が、ぱっと輝く。
「劇団にいらっしゃったんですか? どちらに?」
「銀河座です」
その一言に、瀬良の肩が跳ねる。
「銀河座!? 凄いじゃないですか!?」
周りの何人かも、その声に反応して顔を向けた
けれど雄吾は、照れたように小さく笑っただけだった。
「いやあ、研究生を何年もやって、やっと端役を貰える程度だったんで、才能なかったんですよ」
「ご謙遜なさらず、才能がなかったら、入れないですよ」
そのやり取りを見ながら、ユズの眉間にじわじわ力が入る。
(ムキー! 何盛り上がってんの?)
グラスを持つ手に、ほんの少しだけ力がこもった。
秀然がマイクを手にして立ち上がった。
自然と視線が集まるタイミングを、逃さない。
「宴たけなわでございますが、この度、県大会第3位になった、田澤健作さんのパフォーマンスをご披露します」
「舞台にご注目ください」
一同が固唾を飲んだ次の瞬間。
舞台袖から、ゆっくりと現れたのは、ブーメランパンツ一枚に、オイルで鈍く光る筋肉が、照明に黒光りする健作だった。
低音のBGMが、腹の底に響く。
健作は、その音に合わせてにっと笑い、ポーズを取る。
フロントから左右のリラックスポーズ。
それから、ダブルバイセップス。
ラットスプレッド。
モストマスキュラーで、歯を食いしばっていきむと、席から拍手が起こった。
そして、意外にも最初に掛け声を発したのは、ミナだった。
「いよっ! 腹筋カレールーだよ!」
座席から、割れんばかりの笑い声が重なる。
嬉々とした目で見つめるミナの横顔を、宮坂が不安気に眺めた。
次は田﨑が声を出す。
「背中がゲイラカイト!」
そこから思い思いの歓声が重なり、健作のポーズに合わせて、手拍子が起こった。
呆気に取られていた面々も、気づけば声を上げている。
その喧騒の中、ビール瓶を手にしたまま健作の舞台を眺めている瀬良に、雄吾が口を開いた。
「瀬良さん、あなたと俺は、似てる気がします」
「どう言うことですか?」
雄吾は、少しだけグラスを回しながら答えた。
「プラネットランドの彼らのように、自分が役になるんじゃなくて、別人にならなきゃいけないことです」
その言葉に、瀬良の目がわずかに細くなる。
「見抜かれてましたか」
「さすが大手劇団にいた方ですね、私も彼らが羨ましいです」
「いや、羨望よりも、嫉妬に近いかな?」
ちょうどその時。
「雄吾さ〜ん、次カラオケ、うちとデュエットしましょ」
痺れを切らしたユズが、横からやり込み、雄吾の前に身を乗り出す。
瀬良は、その顔を見た瞬間、目を細める。
「あら、だったらミナちゃんとめいリン歌ったら?」
「え? いや、ちょ」
瀬良は、その反応を面白がるように畳みかけた。
「私も混ぜてもらおうかな? どうせなら、春川ちゃんと佐々木ちゃんも」
「ちょちょちょ、」
完全に調子を崩したユズは、瀬良に手を掴まれると、引きずられるようにしてその場を離れていった。
その姿を、雄吾は柔らかい笑みをうかべて見送った。
少し座敷を離れていた杏奈のスマホが、小さく震える。
画面に視線を落とした杏奈が目を丸くした。
「あれ? 河瀬くんから?」
【田澤さん、リーグ戦優勝した】
【俺も、的中トップだった】
【伊勢神宮出れる】
その文面を追ううちに、杏奈の表情がふっと綻び、思わず口元を押さえる。
(何? した、だった、出れるって)
(小学生かいね)
心の中でそう突っ込みながらも、頬はゆるむばかりだった。
飾り気もなければ、気の利いた言い回しもない。
けれど、そのぶん真っ直ぐに伝わってくる。
勝ったこと。
嬉しかったこと。
真っ先に知らせたかったこと。
その全部が、短い文の並びにそのまま出ていた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。