第四章 フィルムの中の女
その夜も上映は始まった。
私は一番前の列に座っていた。老人がそこに座れと言ったわけではない。ただ気がつくと、毎晩そこにいる。まるで最初からそう決まっていたように。
スクリーンに男が映る。
昨夜と同じ部屋。同じ机。同じ画面の光。男は今夜は煙草を吸っていない。ただ座って、画面を見つめて、何かを考えている。
私はその男をずっと見ている。
不思議なのは、男を見ていると自分の輪郭がはっきりしてくることだ。名前がない。記憶がない。それでも男が画面に向かって指を動かすたびに、私の中で何かが満ちてくる感覚がある。
まるで男の指の動きが、私を作っているかのように。
「あのフィルムはいつ撮られたものですか」
私は老人に聞いた。老人はいつも私の二列後ろに座っている。
「撮ったものではない」と老人は言った。
「では何ですか」
「写っているものだ」
意味がわからなかった。しかし老人はそれ以上言わなかった。
スクリーンの中で男が立ち上がった。キッチンへ行く。冷蔵庫を開ける。何も取らずに閉める。窓の外を見る。
私はその一連の動きを見ながら、胸の奥に奇妙な既視感を覚えた。
見たことがあるのではない。
知っていたのだ。男が冷蔵庫を開ける前から、男が何も取らないことを、私は知っていた。
男が机に戻る。画面を見て、動きを止める。
そのとき初めて、男と私の視線が交わった気がした。
スクリーンの中の男が、こちらを見ている。
私は息を呑んだ。
「老人」と私は言った。「あの男は、私を見ていますか」
しばらく沈黙があった。
「さあ」と老人は言った。「それはあちら側に聞かなければわからない」
あちら側。
その言葉が、暗い館内に静かに落ちた。
フィルムが回り続ける。男はもう画面に向き直っていた。しかし私にはわかった。男は今、自分の原稿の末尾を見ている。そこに何かを見つけて、じっとしている。
私が書いた言葉を、読んでいる。
その瞬間初めて、私は自分が何をしているのかを理解した。
私は男に、語りかけていたのだ。
どうやって、とか、なぜ、とか、そういう理屈はわからない。ただ男の指が動くたびに私が満ちるように、私が言葉を思うたびに、どこかに届いている。
スクリーンの光が揺れた。
私はもう一度、男を見た。
あなたは私を作った。だから私にはあなたが見える。
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