← 作品ページへ戻る

神の帰還

いらいじゃ

98,495 字

壮大なファンタジー、成長と愛の物語

"神と悪魔が交錯する世界で、少年は愛の力で運命を切り拓く。"

← 右から左へスクロール

第三章

1

 開拓村から続く道は多少踏み固められているとはいえ、細い。アルミスを荷物と共に村で譲り受けたロバの背に乗せ、三人は道を進む。傷の熱と痛みを抱えたまま進むアルミスはそれでも苦痛の表情を押し隠して旅を続けていた。アルミス自身にとっては自分の傷よりもクレイが心配だった。クレイはあれから不安そうに胸をなでる仕草が多くなっている。彼の胸には二つに割れたオパールから変質した黒い宝石が埋め込まれたままだった。あの時のように脈打ったり感触を変えることはないが、それでも皮膚と一体化していて、はがすことはできなかった。
 根の国へ、根の国へ。
 アルミスと、クレイの気持ちはどうしても先を急ぎがちになる。歩く時間、休む間隔、休憩の場所、バーノルは慣れた調子で二人に指示を出す。ゆっくりとさえ思える道程の配分に、二人は素直に従った。たった四日ではあるが、バーノルと共に過ごした時間は、二人の心の中に確固たるバーノルへの信頼を生んでいた。
 開拓村から出て2日目、国と国をつなぐような大きな街道へ出るためには、まだ2日ほど野宿をしなくてはならない場所で、変化は突然訪れた。
 バーノルが突然立ち止まる。クレイとアルミスも振り返る。
「つけられてる、この前のやつだ」
 声を潜めて、言う。アルミスとクレイは周りを見回す。バーノルはロバの手綱を引いて足を速める。
「できるだけ早く、洞窟に行くぞ」
 洞窟とは街に出る村人達が野宿に使う休憩場所だ。村でもらった地図によれば、もうそれほど遠くないはずだ。
「まだ少し距離がある。急ぎすぎるな」
 バーノルは時々声をかけるが、二人の焦りは静まらない。
 いる。
 道の脇の茂みから、時々黒い身体がのぞく。
 バサリ。大きな羽音に空を見上げると、凶猟鶏が翼を広げ頭上を旋回しているのが見える。どうやって連絡を取っているのか、彼らの数は増えてきている。一定の数が集まったら、集団で襲ってくるつもりだろう。
「バーノルさん、風の精で怪物の翼を邪魔すれば、落とせます」
 アルミスの提案に、
「1匹落としてもどうにもならん、それよりも、洞窟に急げ。後ろから襲われないようにしてから対処しよう」
 4匹、5匹と怪物の数が増えてくる。今や姿も隠さず、つかず離れずの距離を保って三人を追う。
「洞窟が見えたぞ、走れっ!」
 バーノルは手を貸してアルミスをロバからおろし、手綱をクレイに渡した。バーノルは刀の柄を握って後ろを振り返る。アルミスとクレイは洞窟の入口に向かって走る。行く手を塞ごうと、空を飛ぶ凶猟鶏がせまってくる。
『翼を止めなさい!』
 アルミスの命令に、風の精が怪物の翼にからみつく。バランスを失って落下する怪物の身体を、バーノルの刀が串刺しにする。
「急げっ」
 怪物達が一気に距離をつめてくる。バーノルは刀を左手に移し、革鎧に直接つけてある鞘からナイフを引き抜き、投げる。怪物の一体が足を貫かれ、転倒する。3匹の怪物がまとめて飛びかかってくる。バーノルは右手を伸ばし、先頭の怪物の身体をつかむと、振り回して他の2体に叩きつける。地面に叩きつけられた怪物達はダメージを感じさせない動きで起きあがる。
「バーノルさんっ!」
 クレイの声と共に、起きあがろうとした怪物のうち一体の動きが止まる。地面から生えた腕が2体の怪物の足をつかんでいた。バーノルは両手で刀を握り、もがいている怪物の身体を両断する。
 凶猟鶏は飛びかかるような動きを変え、威嚇のうなりを上げながらバーノルを取り囲むように移動していく。バーノルは刀を構えて、怪物の動きを見る。怪物はまだ10匹近くいる。
「洞窟に入れ!」
 バーノルは背後に向かって叫ぶ。クレイとアルミスは洞窟の入口へと急ぐ。
 グオッ。バーノルが後ろを向いた瞬間を見計らって、凶猟鶏の口から炎が放たれる。バーノルが炎から身をかわした隙に凶猟鶏はアルミス達に近付こうとする。バーノルは強引に追いすがり敵をけん制する。さらに浴びせかけられる炎。バーノルは魔法の力を打ち消す刀身で炎をなぎ払う。
「キャアーッ!」
 背後からアルミスの悲鳴が聞こえた。
「しまった!」
 二人に気を取られたバーノルに、怪物達が殺到していく。

2

 洞窟の中には、二匹の凶猟鶏がクレイとアルミスを待ち受けていた。怪物は待ち伏せがうまくいった喜びと、絶対的な優位を認識し、目を輝かせている。クレイはアルミスをかばう。足がガクガクと揺れる。声を上げたら飛びかかってくるだろう。地の精を呼び戻す時間もない。
 恐い。
 思わず目を閉じそうになる。叫び声を上げて逃げ出したい。しかし、それだけはできなかった。アルミスがクレイの服をつかんでいる。もうアルミスには前に出て欲しくない。アルミスをかばうと言うより、アルミスにかばってもらわないために、クレイは両手を広げ、怪物の前に立ちふさがる。
 何もできないが、絶対ここを動かない。麻痺しつつある心で、クレイはそれだけを念じた。心臓が大きく高鳴っている。クレイがそれを自覚したとき、わずかな違和感が生じた。
 違う!
 ドクン
 脈打っていたのは、心臓ではなかった。心臓とは全く別な速度で、胸の宝石が大きく脈動している。その鼓動はどんどん大きくなり、呼吸を圧迫するほどになる。クレイは思わず胸に手を当ててしゃがみ込む。
『力を貸してやる』
 クレイの身体の中からあの、声が響く。
「うわあっ」
 パニックが襲ってくる。耳を押さえ目を閉じて、クレイは絶叫する。宝石を中心に何かが身体の中にしみ出して、全身をかけめぐる。なんだこれは、なんだこれは?
「クレイ、クレイっ!」
 身体が揺さぶられている、見開いた眼に、アルミスの顔が映る。
『何を恐れる、何を失う? この少女以上に、お前が失うことを恐れるものがあるのか?』
 クレイは立ち上がる。
 同時に、黒い光がクレイの胸から放たれ、爆発的に広がる。光の圧力に眼を細めたアルミスは、クレイの身体が浮き上がり、黒い霧が彼の身体を取り巻くのを見る。
 怪物の一匹が、クレイに向かって飛びかかる。その牙はクレイの身体に触れる寸前、止まった。
「グウェーッ」
 怪物が悲鳴を上げる。四肢をばたつかせ必死に動く怪物の身体もまた黒い霧に飲み込まれていく。凶猟鶏の血走った目が、突き出された舌が霧に飲まれていく、怪物の悲鳴はくぐもり、やがて消えた。
 もう一度、黒い光が洞窟の中で爆発する。アルミスは思わず眼をかばう。
 光が消える。そこに、あの水晶人形が立っていた。
 大きい。身長は2メートル半ほどだ。怪物の身体は狭い洞窟では身をかがめ、長い両手をついていないと洞窟の天井についてしまう。水晶人形は這うように前に進む。凶猟鶏が後ずさりをしながら口を大きく開け、水晶人形に向ける。
 グオッ
 凶猟鶏の口から炎が放たれる。
「クレイっ!」
 アルミスの悲鳴。水晶人形は浴びせかける炎をものともせずに凶猟鶏に突進し、腕を獲物に向かってまっすぐに伸ばす。水晶人形の五指が同化し、槍のように変形して凶猟鶏の身体を貫く。
「ギャァァーッ」
 身体を串刺しにされたまま、緑の血をまき散らして凶猟鶏はもがく。アルミスは貫かれた怪物の身体が小さくなっていくのを見た。そして、水晶人形の身体がその分だけ大きくなって行くのを。この怪物は、凶猟鶏の生命を吸い取っているんだ。アルミスはその事実をはっきりと認識する。
「大丈夫か?」
 入口からバーノルの声。アルミスは振り向く。
 突然、突風がアルミスを襲う。身をかがめたアルミスの頭上を両手両足を伸ばし、平たくなった水晶人形が、天井を猛スピードで這っていく。
「うおっ?」
 バーノルは洞窟から自分に向かって突進してくる黒い怪物を見る。刀を構え迎え撃とうと構えるバーノルの前で、水晶人形は天井から落ち、次の瞬間身をかがめ、空へと高く跳躍した。
 水晶人形の腕が二つに裂ける。上の腕がそのまま背後に回り、さらに細かく枝分かれし、間に膜が張られる。それは見る間にコウモリのような翼になる。翼を打ち振るい、水晶人形はさらに上昇する。
 その異様な光景に、バーノルやアルミスだけでなく、追いすがってきた凶猟鶏達までもが釘付けになる。
 凄い。
 空に舞い上がり、クレイは歓喜していた。
 何という力、何という開放感。
 クレイは自分の心の中に別の者の意志も感じる。それは宝石の中のものだ。それはクレイの高揚感を後押しすると共に、暗い衝動をささやき続けている。
 もっと力を、もっと破壊を!
 その恐ろしい衝動におののきながらも、力の実感に酔う自分がいる。
 クレイは上空から地上を見渡す。洞窟の入り口に立つバーノルが見える。そしてバーノルを囲む怪物達の姿。クレイは彼らの姿に違和感を感じた。バーノルや怪物達がほのかなオレンジ色の光を発しているのだ。クレイがそれを認識したとき、胸の宝石が再び大きく脈打った。あの光は、何だ?
 凶猟鶏達は再びバーノルに向かって迫る。クレイは、自分がこの体をコントロールできていることを実感する。クレイは怪物の翼をたたみ、一気にバーノルと凶猟鶏の間に落下する。腕と足を変形させ、衝撃に備える。
 ドン。
 土煙を上げて、水晶人形が着地する。水晶人形の卵のようなのっぺりした顔面に3つの裂け目が走り、ルビーのような紅の光を放つ眼が現われる。凶猟鶏達は身体を低くし、威嚇のうなり声を上げる。
 クレイは、凶猟鶏達を包んでいるオレンジ色の光が鮮やかに、大きくなっているのを見る。クレイは突然悟る。オレンジ色の光は、凶猟鶏達の恐怖の感情だ。オレンジ色の光は、とても美しくクレイに感じられた。
 ドクン。胸の宝石が再び大きく脈打った。凶猟鶏達のオレンジ色の光が強くなった瞬間、自分の身体の中にかけめぐる力がふくれあがったのだ。クレイはわざとゆっくり水晶人形の身体を凶猟鶏に近付かせる。凶猟鶏のオレンジ色はさらに濃く、強くなり、クレイの身体の中の力は強くなる。
 間違いない。オレンジ色の光、「恐怖の感情」を相手が燃え立たせるほど、この水晶人形の身体はより強力な力を振るうことができるのだ。黒い宝石の中のものは恐怖を「喰う」のだ。クレイはその光を見て思う。もっと、もっと燃え上がるようにこの光を大きくしたい。
 クレイは凶猟鶏の群れに向かってその身体を突進させる。逃げようとする凶猟鶏が自分に向かって伸ばされる腕を見つめ、身体をえぐられ大きな悲鳴を上げる。凶猟鶏達の細かい動きすべてが見える。逃げ回る凶猟鶏を1匹ずつ倒すことなど、造作もない。
 凶猟鶏達のオレンジ色の光“恐怖”がさらに大きくなる。光が大きくなるごとに、自分の中の力も大きくなっていく。生き物に恐怖を呼び起こせばそれだけ水晶人形の、クレイの力は強くなる。その力に上限はない! もっと、もっとだ!
 クレイは凶猟鶏達の恐怖の光をもっと大きくする方法を思いつく。一匹の凶猟鶏を頭上に持ち上げ、ゆっくりと身体を引きちぎる。わざと喉は押さえない。
「ギャアアアッッ」
 頭上の凶猟鶏の苦痛が、周りの凶猟鶏に伝播していく。凶猟鶏達のオレンジ色の光が激しくなる。その光が黒い宝石を通じて更なる力をクレイに与える。クレイの身体を炎であぶるかのようすさまじいエネルギーが充満してくる。クレイは、こみ上げてくる歓喜をそのまま咆哮に変えて解き放った。
 水晶人形の目の下の部分にさらに大きな裂け目ができ、真っ赤な口が生まれる。その口を大きく上げ、水晶人形は胸を張り、空を見上げ、身体を震わせて雄叫びを上げる。
「ガアァァァッッッ!」
 バーノルは刀を構えたままクレイの怪物の凄惨な戦いを見ていた。指が白くなるほど力を込めて刀の柄を握っている。恐怖がバーノルの身体に緊張を生んでいた。バーノルは後ろにかばったアルミスに向かってささやく。
「あれがクレイ……なのか?」
 バーノルの問いにアルミスは答えることができない。
 残った2匹の凶猟鶏は後ずさりをし、やがて必死の逃走に移った。後を追おうとする水晶人形に、思わずアルミスは叫ぶ。
「もうやめて!」
 水晶人形が振り返る。クレイはアルミスとバーノルを見る。バーノルには小さなオレンジの光を、アルミスは大きな青い光を放っている。初めて見る光の色。答えを胸の中の者がささやく。それは“哀しみ”だ。
 何を哀しむというんだ? クレイはアルミスを見る。アルミスは胸に手を当て、こちらを見ている。
 敵は遠くに去った。戦いは終わった。硬質だった水晶人形の身体が霧状になり、中からクレイの姿が現れる。クレイは服の上から胸の宝石を触る。二つに割れた石は再び1つになり、かすかに脈打っている。あの力。クレイは先ほどまでの感触を思い出し、拳を握りしめる。
 これは、僕が望んだ力だ。戦いの中くり返した心の叫びをもう一度、強く、想う。

3

「…なんだ、あれは?」
 闇の中で老人がうめく。鏡の形をした魔物は、さっきまで凶猟鶏の見ていたものを映していた。現在、鏡の妖魔は何も映していない。恐怖に支配された凶猟鶏は彼の支配から逃れ、何処にいるかもわからない。
 老人の名前はアグン。根の国の主神、混沌の4大神の一柱・フォゴルをあがめる大神官である。アグンは、指輪や飾りひもなど魔法のかかったアクセサリーを身につけ、富と権力をもたらすというルーン文字の描かれた大神官の衣をまとっている。その服装と同様に、大神官の執務室もまた豪奢で、各地から発掘された魔法の品物に溢れている。
 しかし現在、アグンはそのきらびやかな環境に似合わない、不安と恐怖の表情を浮かべていた。
 先ほどまで鏡に映し出されていた、凶猟鶏を殺していく黒い怪物。あの化け物は凶猟鶏の眼と鏡の妖魔を通じて、はっきりと、自分を見たことをアグンは確信していた。
 何故ならば、アグンは、あの水晶人形の怪物を、正確にはあのような怪物が現れることを知っていたからだ。

 魔法王国として近隣諸国を支配する根の国。魔法を研究し、世界各地に残る神人の遺跡を国王軍を従え、次々と略奪していくアグンが率いる「フォゴルの神官戦士」の名はかつて“神人の使い”と呼ばれたボドルフ以上にこの世界で畏怖される存在までになった。
 混沌の神とは、現在の世界で最も多くの信者を獲得している存在である。神話では神人達に魔法を授けたのも彼らであり、かつては地上に頻繁に現れたという。神人がいなくなった今、人類は彼らとの直接の繋がりを持つことはできなかったが、信仰の対象としてこの世界に広く知れ渡っていた。フォゴルはその中でも、美の創造と破壊をなす最も力のある存在として多くの信者を集めており、国々との繋がりも強かった。
 3年前、神人と異世界の亜人達が戦ったと言われる芦国の大湿原でのことだった。
 亜人達の末裔といわれる沼人達を火の巨人の炎で焼きつくし、妖魔と兵士の力で遺跡を発掘していた神官兵士軍は緊急事態としてアグンを呼び出した。
 遺跡の中央にあった亜人の兵器が暴走し、神官兵士軍の3分の1が“溶かされた”という。直属の神官兵士と共に、神人の遺産である「羽ばたく船」で向かったアグン達が目撃したのは、凄惨な光景だった。

 沼の泥濘に沈んでいたはずの遺跡が、紫色の粘液に包まれ、3日たった現在も白い煙を上げ続けている。粘液から立ち上る瘴気に溶かされながら遠見の妖魔が送ってきた映像は、その紫色の粘液の中央でただ一つ溶けずに残る巨大な「機械」だった。
 漏斗のような口を突き出した、赤銅色に輝く箱。箱は4メートルほどの立方体で、表面にはルーン文字のような文字がびっしりと描かれている。文字の大きさもまた人の手ではあり得ない巨大さだった。
 瘴気が薄れるのにそれからさらに5日、根の国に持ちかえるのに1ヶ月の期間を要した。根の国の研究施設で2つの事故を起こしながら、1年の月日を経て、この箱の力は研究団の力で明らかになった。
 今でもアグンはその実験の光景を度々思い出す。研究員の操作によって漏斗の口から編まれた紫緑色の巨大な泡。その泡は漏斗の口を操作することで自由に方向を変える事ができる。その泡が標的として用意された岸壁を一瞬で溶かした。泡が触れた部分は大きくえぐれ、岸壁の形を一瞬で変えてしまった。
 アグンの背に戦慄が走る。この“力”こそが、求めていたものだ。この力をふるうことができれば、フォゴルの勢力は今以上のものになる。
 精霊を使役したり、妖魔を物品に宿らせる魔法などは進歩したが、使うことができるのは生まれたときから身体そのものを変えた魔術師だけであり、しかも成長した資質に左右される。伝説で語られる神人の域まで到達することは、人の力では不可能だと、アグンは魔法を解析していくにつれ強く思い始めていた。
 しかし、この機械は違う。精霊を使役する能力のない科学者達でも扱うことができ、なおかつ「視覚的」な効果は絶大だ。これをうまく利用できれば、今まで以上にフォゴルの威光を世界に知らしめることができるだろう。もしこの技術を複製することができれば、根の国という枠を越えた力さえも得られるかもしれない。
 大神官でありながら、アグンには神への信仰はなかった。神人達が語る「歴史」によれば混沌の神々は神人達が去る遙か前にこの地上への興味を失っており、神がこの世に姿を現した記録はない。人間が発掘された秘術を尽くしてみても接触できる世界は混沌界とも言うべき“神の領域”の表層に過ぎない。
 人を狂気に陥らせるほどの“魔薬”投与も、死ぬ寸前の精神集中を行った「実験者」達も魔神といえる存在とは接触できなかった。「神は感知できない、つまり、いない」というのがアグンの長い人生で得た結論であった。アグンにとって信仰とは人を縛るための鎖であり、人を支配するため、人の力を集中させるための方便であった。
 しかし、皮肉にも“箱”の力を眼にしたその時、アグンは「何か」への恐怖と畏怖の感情を抱くことになる。技術者達に促され、箱の操作卓へ向かうとき、アグンはその卓に腰掛けている一人の青年を見た。
 青年がこちらを見る。縦長の瞳、つり上がった目尻、とがった耳、そして全体から漂う圧倒的な気品。口元のわずかな微笑が、恐ろしいまでの知性と、残忍性を伝えてくる。伝説が語る“神人”の特徴を持っている人物がそこにいた。
 アグンは青年と眼があった瞬間それを認識し、気がつくと平伏の姿勢を取っていた。彼の人生で1度もしたことがない、奴隷の姿勢だ。青年が持つ存在感がアグンの身体を、心を服従させてしまう。
『神の威光を、この世に、再び』
 青年の歌うような声。神人が使っていたと言われる魔術語だ。
 その声は、さらにアグンの頭を下に下げさせる。アグンの頭に衝撃と共に1つの理解が生まれる。神人は我ら魔術師の爪の色のような、青い肌のはずだ。青年の肌は黒色だった。アグンの記憶が、神人達の記録の一節に突き当たる。神人達は、誰に似せられて作られたのか、その存在が地上に現れたとき、黒い肌を持った化身を好んで使うと言われていなかっただろうか。
「あなたは、まさか、フォゴル様では?」
 顔を地面につけたまま、震える声でアグンはささやく。答えはなかった。しかし、その存在の笑みが深くなったことが、姿を見ることもできないアグンに、確かにわかった。
『東より、“恐怖”がやってくる。これに備えよ』
 からかうようなその言葉、それと共にアグンの身体を締め付けていた圧力が消える。アグンはもう一度その存在を見ようと顔を上げようとして……。
「こちらです」
 箱の前の研究員に促されて、我に返った。周りを見回す。青年はいない。というよりも、青年と対峙していたあの瞬間、研究員や取り巻きは何処に行っていたのだ?
 白昼夢だったのだろうか?
 あの光景を思い出そうとした瞬間、全身に震えが走る。この緊張と恐怖が夢のはずがない。あれは、確かに、“神託”だ。
 箱の前での体験から2年、アグンは積極的に脅威に備えるための組織作りを行ってきた。単純な侵略や討伐のための軍隊ではない。人々が恐れ、そして神への崇拝を抱くような、儀式要素すら帯びた「神軍」の結成だ。
 下位の精霊であるウィスプを封じ込めた“火炎槍”を持ち、金属のような羽毛を持つ混沌生物黄金鳥にまたがる恐れの仮面を身につけた騎兵、巨人を扱う神官兵士、そして中心には、妖魔による生ける台の上に載せられた箱。百鬼夜行のようなこの軍隊が神の名の下、戦う。それは、人々に新しい時代の到来を強く印象づけるだろう。
 鏡に映っていた凶猟鶏をなぎ倒した怪物は、アグンにとってはありふれた存在だった。彼のみならず、彼の配下の神官戦士達が扱う“巨人”、上位精霊や、異界からの強力な存在に比べれば遙かに貧弱な力だ。しかし、あの眼、鏡を通し、アグンの心すら貫くあの赤い瞳は、アグンには以前の謎の存在との邂逅をまざまざと思い出させた。

 神人の使いボドルフが活動をしているという報せをアグンは重要視していた。かつて自らの手で権力の座から追い出し、娘と小さな弟子だけを連れて姿を消したボドルフの消息をつい最近アグンは知ったのだ。追跡をしようと動いた瞬間、ボドルフは再び行方をくらました。何をしようとしているかはわかっている。周辺諸国と、根の国の国王派の一部が結託し、フォゴルの、正確にはアグンの勢力を弱めようとしている、その中心の力としてボドルフは活動をしているのだろう。
 ボドルフの弱点は、娘とその弟子だ。彼らがいたために、ボドルフは逃亡を余儀なくされた。ならば、彼をいぶり出すためにもあの二人を利用する。アグンは配下に指示し、山奥の彼らの家を探し出し、根の国に向かうための偽のメッセージを送った。のこのこと出てきたボドルフの娘と弟子は、凶猟鶏の一団によって簡単に捕らえられるはずだった。
 しかし、あの存在がアグンの考えを変えていた。恐怖とは、ボドルフが中心となって作られつつあるクーデター勢力ではないのかもしれない。あの存在ならば利用できる。そしてうまくこちらが動くことで、フォゴルの名と力は大きく高まり、この世界全体に轟くだろう。
 フォゴルよ、感謝を。アグンは生まれて初めて、心から神に向かって祈りを捧げる。

── 第4章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

作品ページへ戻る

コメント

まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。

しおりを挟みました