第四譚「風路の灯」
鯰尾に引っ張られながら皆のいる場所まで無理やり走っている。振り払う余裕も勇気もなく、ただ心臓が煩く鳴っているのを聞きながら、必死でついていった。視界の端に人影が増えていくのが分かる。陽が落ち始め、辺りは暗くなっていく中、灯籠の淡い光が点々とつき、蛍の様に見えた。
「主、こっちこっち!」
鯰尾の手は自分の手と大差ないほどの大きさだが力強く、引かれるままに庭の中央近くまで来てしまった。皆に囲まれている雲生と雲次の姿が見えてしまった。
「……!」
御影は目を逸らしそうになったが、どこかで逸らしてはいけないと思った。雲生が、自分に気づいてこちらを見ている。何か言いかけたような表情をしていた。その優しさに、また胸がぎゅっと締め付けられた。一歩足が後ろに動いてしまったが、後ろをついて来ていた骨喰に背中をとん、と押された。
「ほら! 連れて来たよ!」
容赦無く鯰尾は手を引っ張ってずい、と前へ押し出した。その反動でよろけてしまうが、反射的に雲生は受け止めようと前へ出て手を伸ばした。全く顔を上げられない。視界に映る伸ばされた手は大きくて逞しく、更に鼓動が速くなるのを感じた。
「主、大丈夫ですか? 体調の方は……」
「あっ、え、だ、大丈夫」
体を縮こませ、胸の前でぎゅっと両手を重ねる。本来なら姿勢を正して顔を見て話した方がいいのは分かっている。だが全く顔を上げられずに庭の砂利を視界に収めることしか出来ない。
「主はほら、恥ずかしがり屋だからさ!」
「そうだな」
鯰尾は軽い調子で笑うと骨喰もそれに同調した。
「でもこうして僕たちの為に来てくれたんだ。ありがとう、主」
雲生の隣にいた雲次はにこりと言った。
「……うん」
声が届いたか分からないほど下細い声が出た。また手が震える、しっかりと向き合わなければと思っていたのに。
「主」そう言って雲生は片膝をついて、目線を合わせて来た。驚いて一歩下がるも、陽が陰り、灯籠の明かりがはっきりと雲生を照らし出し、そのあまりの美しさに息を呑んだ。まるで御伽噺の中の様だ。自分は目を奪われていた。その手には、万寿菊が添えられていた。
「これを、受け取っていただけますか?」
真っ直ぐとこちらを見据える雲生から万寿菊に視線を移す。大きな手の中で咲く橙色の可憐な花は何かを訴えるかの様に花弁を御影へ向けている。
こんなに誠実で真っ直ぐで不器用にも見える贈り物は初めての様に思えた。それまでも何かを貰ったことはあっただろう、しかしそのどれよりも特別に感じていた。
何かは分からない。ただ、断る理由すら見つからない。震える手はそっと花に手を伸ばしていた。
受け取ると、顔に近づけて匂いを嗅いだ。万寿菊特有のハーブの香りが仄かに鼻腔をくすぐる。元々特別好きなわけでもなかったが、ハーブや虫除けとして栽培することを提案していた花だった。しかし今は、ずっと特別に感じられた。
「ありがとう、……雲生」
上手く笑みを作れただろうか。雲生は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに優しく微笑み、「はい。こちらこそ、受け取っていただいて何よりです」と答えた。
「良かったね雲生、渡せて」
「なんだか物語を見てる気分だよ〜やるねぇ、雲生さん」
雲次や鯰尾が口々に軽口を言い合うのを骨喰は肯定する様にうんうんと頷いていた。雲生は少し恥ずかしそうに渡せて良かったです、と話している。
御影はただ、万寿菊を回し見ていた。これをどう保存しようかと考えているのだ。花はすぐに枯れてしまう、いっそ栞にしようか、それとも何か別の方法でも。
花を見つめながらじっと考えていると、横から「あるじさまだー!」と強い衝撃に遭い、反動で倒れてしまった。
「痛って……」と今剣の下敷きになり上体を起こそうとすると、
「主⁉︎」とやたら焦った様子で慌てている雲生と、「あらら」と今剣の襲撃に気付いていたのかあまり驚いた様子のない鯰尾が見えた。
「主、お怪我は? 医務室へ運びましょうか?」
「え、いや、大丈夫……てか、いまつるちゃん降りて……」
「ごめんなさーい。でもうれしくって!」
今剣は無邪気に笑い、御影の胸にすりすりと頬擦りをした。
はっとして手に持っていた花に目をやると、茎が少し折れていた。衝撃で手に力がこもってしまった様だ。
「あ」と声に出たのに反応して、雲次が「折れちゃったのかな」としゃがんで花の様子を見た。
「ごめんなさい、あるじさま」
今剣も花の様子を確認したのかすぐに体を離して立ち上がった。
「大丈夫、栞にしようかとか思ってたし」
そう言うと安心したのか、今剣はよかったですと微笑んだ。
「栞か、それは名案だね」
「確かに栞にすれば、半永久的に保存できるわけだ!」
うんうん、とまたも雲次と鯰尾は軽快に言う。
「主、お手をどうぞ」
そう言って雲生は手を差し出して来た。逞しく大きな手はただ自分に掌を向けている。それに触れるのは怖かった。視線が泳ぎ、また俯いてしまいそうになる。呼吸が浅くなるのを感じる。雲生はただじっと自分が手を取ることを疑うことなく待っている様だ。そこには何の特別な感情もなく、ただ身を案じて手を差し伸べているだけにすぎない。疑う余地もないと言う風に真っ直ぐと。
震える手を伸ばした。
ただ直接触れることに躊躇った手は宙に留まるが、雲生はそれを掴んで優しく引き上げた。
「立てますか?」
雲生の手は思った以上に温かく、触れた瞬間に更に胸がざわめいた。
「……うん」
そう答える声は微かに震えていた、けれどもう逃げようとは思わなかった。立ち上がった御影を見て、雲生が少し安堵したように微笑む。
「主が無事で、本当に良かった」
その言葉にまた心臓が跳ねた。真っ直ぐ見つめる瞳から少しだけ目を逸らしてしまった。
「おーい、主役たち〜! あれぇ、主もいるじゃん〜!」
すると間延びした大きな声が聞こえて来た。声の方を見ると、酒壺をぶら下げたへべれけな次郎太刀が歩いて来ていた。
「あの方は……」
次郎が持っている酒壺を見て強張っているのか、それともへべれけな状態でふらふらの次郎の様子に心配しているのか雲生は少しそわそわしていた。
「次郎ちゃん、飲むの早くない? まだ、」
「え〜? 良いじゃないー、ほら。アンタたちも飲みなさいよ!」
御影の言葉にへらへらと返し、酒壺をずいっと前へ出した。
「しかし……」
「まあ今日くらいは飲んでも良いんじゃない?」
渋る雲生に雲次は軽く言った後、次郎の方へ歩み寄ると、「一口だけもらおうかな」と酒壺を受け取った。躊躇いなく酒壺から直接ぐいっと豪快に一口飲んだ。躊躇いの無さと、重量感のある大きな酒壺を片手で持ち上げて飲む雲次の姿に思わずごくりと生唾を呑んだ。
「良いねぇ! アンタ、良い飲みっぷりじゃない!」
「どうも。ほら、雲生も飲みなよ」
そう言って雲生へ酒壺を渡す。
「せっかくアンタたちの歓迎会なんだからぁ、一口くらい、ねぇ?」
酒のせいで頬を赤らめながらゆらゆらと歩み寄り、雲生に飲む様に促す次郎に、雲生は少し仰け反る様に避けるが次郎の言葉もあながち間違いではないのかもしれないと思ったか、躊躇いつつも「では、一口だけ」と雲次の時と同様に片手でそれを持ち上げ、ぐいっと飲んだ。
酒壺を持つ力が籠った手と袖から伸びる静脈が浮いて見える筋肉質な腕、酒を飲み干す喉仏、そしてその横顔が何故か異様に色っぽく見えた。酒の匂いに当てられたのか、理由は定かではないがくらくらする。
雲生はすぐに飲むのをやめ、次郎に酒壺を返した。
「これをほとんど一人で飲んでいたんですか?」
「そうよーいつもだけどね」
「それは、ちょっと」
二振りの会話を耳にしながらも体が言うことを聞かないようでふらふらしていた。
「主、大丈夫?」
鯰尾は御影の様子に気が付き、体を後ろから支えた。
「なんか、くらくらする……」
「あらま、主ってばそんなにお酒弱かったっけ?」と言いつつも次郎はまた酒を飲み始めた。特に問題認識はしていないらしい。
「主、大丈夫ですか? やはり休まれた方が」
反対に雲生は御影に駆け寄り、優しく背中に手を回して体を支えた。鯰尾はそっと手を離し、「縁側で座ったらどうかな?」と縁側を指差した。
「その方が良いでしょう。ほら、私に掴まってください」
そう言うや否や雲生は軽々と御影を抱き上げ、縁側へ連れて行った。横抱きにされた経験などほとんどない。真っ直ぐ前を見据える瞳や灯籠の光を反射する白っぽくよく手入れされた美しい髪、落とさない様にと密着されより意識してしまう厚い胸板や大きな男の手。より鮮明に見えて意識してしまい、また鼓動が早まり、息苦しくなる。顔が熱い。それでも全く嫌ではなく、むしろ居心地の良ささえ感じていた。普段なら迷惑をかけたくないと嫌がるが、じっと動けずにされるがまま、縁側に座らされていた。
「すぐにお水をお持ちします」
雲生がそう言って踵を返した時、何故か無意識に雲生の上着の裾を掴んでいた。
「……あれ?」
「主?」
すぐに我に帰り、手を離した。体が自分の物では無いみたいに制御が効かない。
雲生は呼び止められたと思い、御影を向き、片膝をついて目線を合わせた。
「どうされましたか?」
「あ、いや、そのっ、なんでもない……」
両手で顔を隠し俯きながら首を横に振って答えた。何でもない、特に用があるわけではない。これ以上振り回すわけにはいかない。
それでもじっと雲生は態度を崩さず、御影を見つめていた。他の刀剣男士たちから話を聞いているからか慎重に、それでも真っ直ぐ支えようとしている。
「少しだけ、お側にいましょうか。主が落ち着くまで」
そう言って立ち上がり、御影の右隣に腰を下ろした。
手は少し震えているが、ゆっくりと膝上に手を落とした。体を縮こませ、まだ前を見ることができないでいる。しかし視界の端には雲生の長い足が見える。心細かったわけではない、苦しかったわけでもないし痛みもない。だが何故か、視界の端にでも彼が映っているのが安心する様だ。
*
「歌仙くん。主はまだ来ていないのかい?」
青江は手ぶらで辺りを見渡しながら、緑茶を飲んでいた歌仙に声をかけた。
「主なら、向こうにいるみたいだよ」
そう言って母屋を指さした。縁側には主と雲生の姿がある。その手前では鯰尾や骨喰、雲次や次郎、今剣が集まって話している様子。青江は少し観察した後、「青春だねぇ」と呟いた。
「主はどうやら話せる様になったみたいだね。前はもっと逃げ回っていた様な気がするけど」
「どうかな。今だけかもしれないし、明日には分かるだろう」
主が前を向けた喜びか、明日には元に戻ってしまっているかもしれないという呆れからか、少し頬が綻んだ歌仙は緑茶を啜った。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。