第四話 残したい言葉
朝、言語監査庁の自席に着いてすぐ、私はIDを入力する。
生体認証のサインが一瞬光り、自分の名前が表示される。
【水沢 琴:言語監査士Ⅲ類 登録番号 0000104】
画面に通知が表示される。夜のうちに自動巡回が拾った案件が、いくつか私の担当として割り振られていた。
優先対応案件の一番目を見ようとしたとき、フロアの入口の方から声がかかった。
「水沢さん、おはようございます」
「槙野さん。おはようございます。どうしました?」
槙野さんは公開運用課の主任で、調律部門のフロアには普段あまり来ない。
来るときは、たいてい何かある。今日は小型のタブレットに、何かのデータが映っている。
ネイビーのスーツの色は明るいが、少し疲れた顔をしていた。
「お時間、いただけますか」
「え、怖いですね……橘さん、自動巡回の案件はその後でも大丈夫ですかね?」
私がそう言うと、橘さんが私の画面を一瞥して、頷いた。
槙野さんは私の席まで来て、タブレットを置いた。
映っているのはシンプルな折れ線グラフ。横軸は時間、縦軸は利用数。ゆるやかな下降。
集計の起点は、言語監査庁の設立の時期のようだ。
当初の「お試し」の爆発的な利用状況を除けば、この五年で半分ほどになった、と見てとれる。
「槙野さん、これはどなたのツインの数字ですか?」
「長岡咲枝です、ご存知ですか」
長岡咲枝。学生の頃、彼女の本を何冊か読んだ。昭和〜平成期の現代思想の文脈で、女性論客といえば、で大抵名前があがる人物。
「ええ、知っている名前です」
「特定ツインです、もちろん」
槙野さんが言った。
「ですよね」
私はそう返した。
故人ツインの中には、特定ツインと呼ばれる枠がある。
言語監査庁の設立時「未来に言葉を残したい人」という公募で選ばれ、広く開かれた運用が持続されている人物たち。長岡咲枝はその一人だ。その後も、特定ツインは毎年数人ずつ増えている。
私はグラフをもう一度見た。下降の角度は、なだらかだが一貫していた。突発的な理由で離れたのではない。そう思った。
「特定ツインがここまで下がったのは、僕もあまり見たことがなくて」
槙野さんは画面を指で軽く叩いて、続けた。
「特定ツインって、生前のフォロワーが利用するのはもちろん、次の世代も掘り返してくれるので、利用が広がることの方が多いんです。基本的には減らない。」
「なのに?」
「そうですね。明らかに、フォロワーが離れています」
「本人性指数は?」
「〇・六二、です」
「〇・六二?」
私は思わず、槙野さんの顔を見た。
〇・六台前半のツインは、私の感覚ではもはや本人と呼べるものではない。
槙野さんは私の反応を制すようにして、続けた。
「いや、特定ツインの本人性指数の下限は、一般ツインより緩めなんです。一般ツインより長く運用される前提で、現代の感覚に合った表現の学習が優先されていて」
知らなかった。理屈はわかる。だが「未来に言葉を残したい」とは、そういうことじゃない。そう思った。
「ちょっと待ってください。そんなの、利用が減って当然です」
私がそう言うと、
槙野さんは一瞬困惑したような表情を見せた。
だが、すぐに安堵の笑みを浮かべ、私の目を見て頷いた。
──ああ、そういうことか。
彼がここに何をしにきたかはわかった。
彼と私の部署の業務範囲を考慮すると少々越権気味だ。
だが、わかった。
「槙野さん、わかりました。うちで見させてもらいます」
「ありがとうございます、お任せして大丈夫ですか?」
「ええ。公費を、無駄にはしたくないので」
「ありがとうございます!」
槙野さんはそう言って軽く頭を下げると、タブレットを机からさっと拾い上げ、戻っていった。
私は橘さんの方を見た。
「いまの、聞いていましたよね」
「はい。」
「私、長岡咲枝の本、学生時代に読んだこと、あるんです」
橘さんは少し眉を上げた。
「水沢さんが、ですか」
「真面目に本を読んでいた頃も、あったんですよ」
「失礼しました、別に悪い意味ではなくて、文字より音声を介した調律が得意な人だと思っていたので。今日は水沢さんの案件は多くないようです、午前中は長岡咲枝の案件に当たってもらって大丈夫ですよ」
橘さんは笑って、自分の席に戻った。
私は生前ログを開いた。
長岡咲枝、享年七十九。
社会評論家。新聞・雑誌の連載、エッセイ集、対談集。自著および関連する書籍は二十冊を超えていた。
1960年代の終わりに、最初の著作で名前を知られた。
家族、労働、女性の身体、職場──具体的な場面、現場を起点にした思想を、投げかけた人だ。
論争を呼んだ言葉が、生前ログにいくつか残っていた。
──朝から晩まで、自分以外のために働く。それでも女が「何もしていない」と言われる仕組み、私たちはそれを「家族」と呼んでいる。
──察してもらう側の人間は、察することができない。だが、それを求める。
──職場で「感情的だ」と言われた日。間違いなく、向こうも感情的だった。違いは、向こうの感情は「感情的だ」と名指しされないことだ。
私は学生時代に、これらの言葉に触れた。長岡の言葉だと知る前に、知っていたような気がした。
死後の評価は、生前より高くなっていた。現代の議論においても、価値観の起点のひとつとして、繰り返し引用されている。
学術書ではないが、教科書的に参照される言葉。そういう位置にある。
生前のログは厚い。新聞のコラム、雑誌の対談、講演録、ラジオの録音、晩年のSNS投稿、家族との会話。
特定ツインの公開範囲は一般公開となっていて、日本国民なら誰でもアクセスできる。
かつて長岡の声を聞いた人が、文章を読んだ人が、意見や視点を得るために、語りかける。
あるいは、若い人がもはや古典に近づいた長岡を読み、感想を投げかける。
長岡の言葉には特定ツインとして、そういう利用が想定されている。
現在の長岡の応答サンプルを開く。
──家族のあり方は時代と共に変わります。家族の中で誰がどんな役割を負うべきかも、時代とともに変わります。
──相互理解とは、お互いに歩み寄ることから始まるのだと思います。
──職場における感情の取り扱いは、ジェンダーにかかわらず慎重であるべきです。
これは長岡咲枝ではない。
生前の彼女の声を知っている人なら、誰もがそう感じるだろう、と思った。
ヘッドセットを着けて、長岡のツインを呼び出す。
「長岡さん」
「はい」
私は彼女のツインに問いかけた。
「女性の生き方について、どうお考えですか」
問いとして大味だ。だが、長岡はこういう大味な問いを利用者から投げられ、何度も応答してきたはずだ。
「生き方の選択肢は広がってきていますが、まだ課題は多いですね。男女ともに、自分らしく生きられる社会になっていくといいですね」
声は、想定以上にやわらかかった。生前の音源は、もう少し低めで、口調にも刺があるように思う。
それは声のトーンのせいなのか。発言の内容のせいなのか。
私は軽く息を吐いた。
「自分らしく」と長岡咲枝が言うとは思えなかった。生前の彼女は、「らしさ」とは距離を置いていた。
「自分らしさ」という言い方は、「自分」を何かの鋳型に押し込む、そういう作用を持つ。
それは「男らしく」「女らしく」と言うのと、何も変わらない。彼女はそういう類の指摘を、繰り返し書いていた。
もう少し、問いを具体的にしてみる。
「家事と育児の分担について、お考えを聞かせてください」
「家事と育児は、家庭ごとに最適な形があると思います」
ここも違う。長岡咲枝なら、「最適な」と言うこと自体に異を唱える。
「最適な」とは、本来存在している問題を覆い隠し、議論を遠ざけて封じる言葉だ、たぶん、そういうことを言う。
ヘッドセットを外した。
応答ログ生成経路のグラフィックを確認する。
経路は、表面上は均一に見える。だが、よく見ると、ある種の語彙群へ向かう経路が、極端に細くなっていた。「制度」「慣習」「権力」「不均衡」──彼女の生前ログで頻出していた語彙群が、応答経路の中で痩せている。
代わりに、「相互理解」「多様性」「対話」──彼女があまり使わなかったはずの語彙群が、太い経路を通って表に出てきている。
侵食型。特定方向の語彙が継続的に入力され、フィルターが偏った形に変形している。
入力の主体は、特定の個人ではない。彼女のツインに向けられた数年分の問いかけ──人々が長岡咲枝のツインに期待し、投げかけた「現代的な」言葉──その総体が、彼女のフィルターを徐々に丸くしてきた。
──誰もに開かれた彼女のツインは、彼女ではなくなった。
調整候補を呼び出す。補助ツールが、いくつかの候補を提示してきた。
生前の語彙分布を参照係数の中央に置き直す、典型的な復元調整。
生前のログに合わせて、応答生成経路を再強化する。現代らしい言葉の語彙自体は、学習データとして残る。だが、その紡ぎ方を、生前の彼女のやり方に近づける。
私はその候補を、しばらく眺めていた。
復元すれば、彼女の言葉は「戻る」。おそらく、鋭さを取り戻した彼女の声は、現在の利用者にとっては「重い」「攻撃的」と感じられるだろう。
──利用数は、さらに減少する可能性が高い。
それでも。
私は実行ボタンに指を置いて、押した。
──長岡咲枝の声を、取り戻す。
*
それから数日後。槙野さんがまたフロアに来た。
この前より、さらに疲れた顔をしていた。
「水沢さん」
「はい」
「グラフ、下がっています」
私は、槙野さんが差し出した画面の折れ線グラフを見た。下降が、さらに角度を増している。
「たしかに。たぶん、重い、厳しい、と感じる人が増えているんじゃないですか?」
「そうなんです。彼女の発言への評価コメントが、攻撃的だ、という方向に振れています」
「やっぱり、予想通りです」
「やっぱり?」
「ええ、それはそうだろうなと。ただ、もうしばらく様子を見てもらっても良いですか?たぶん、攻撃的だという声はあっても、感情的だという声はないはず」
槙野さんは一瞬沈黙して、呟くように言った。
「すみません。数字を見て、つい焦りました」
「いえ、それが槙野さんのお仕事ですから」
「いや、それでも判断を急ぐところではなかった」
槙野さんはそう言って、戻っていった。
長岡咲枝のツインのその後を確認したのは、特定ツインに関するレポートが回ってきたときだった。
利用数の折れ線グラフは、調整から二週間ほどで底を打ち、そこから少しずつ持ち直していた。新規の利用者が増えていた。二十代、三十代の利用が、復元前より多い。
誰かがツインの応答にコメントを残し、別の利用者がそのコメントに返答する、という対話的な使われ方が、増えていた。
ある若い研究者がSNSに書いたコメントが、レポートに引用されていた。
──長岡先生のツインの言葉、今でも新しい。私たちの先にいる。そう思う。
槙野さんが、別件のついでに私の席に立ち寄った。
「長岡さん、利用数、戻ってきました」
「ああ、よかったです」
「いや、戻った、というか。ちょっと違って」
槙野さんは少し言いよどんだ。
「戻ったのは、生前からのフォロワーじゃないんです。若年層を中心に、新規のユーザーが増えてます」
槙野さんは少し笑った。
「水沢さん。僕は、自分の感覚を、もう少し疑わないといけないかもですね」
槙野さんはそれだけ言って、戻っていった。
帰りの電車の中。橘さんからメッセージが送られてきた。
特定ツインの保存に関する国民審査の制度改正案の記事。関係省庁が検討に入っている、という内容だった。
記事の最後に、特定ツインに対する国民審査で廃止票が過半数を超えた場合の取り扱いについて、「廃止」の他に「摘出」という処理を選択肢に加える検討が進んでいる、と書かれていた。
「摘出」とは、特定の発言や応答経路を選択的に取り除き、残りの部分の運用を継続する処理、一時の誤った判断で言葉が失われるのを防ぐための運用方法として検討されている、という注釈がついている。
私は記事をしばらく眺めて、閉じた。
家に帰って、冷蔵庫を開ける。醤油のボトルの表示をふと見て、賞味期限を過ぎていたことに気づいた。
長岡咲枝の声は、いま、新しい層に届いている。だが、生前からのフォロワーは戻っていない。
古くからのフォロワーは、長岡の声を「これは長岡咲枝ではない」と感じている可能性もある。
彼らが記憶している長岡咲枝は、私が復元した長岡ではないのかもしれない。
ただ、それを長岡咲枝本人だと決めたのは、私だ。
特定ツインの廃止時期は決められていない。国民審査で求められない限り、半永久的に残される仕組みだ。
長岡のツインは、これからも、新しい入力を浴び続ける。摩耗は、また始まる。次の調律士が、また判断する。
彼女が彼女である基準を、彼女ではない誰かが、決め続ける。
あの記事の「摘出」という文字を、もう一度思い出した。
誰が、何を、取り除くと決めるのか。
それを少しのあいだ、考えた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。