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消失点の野原

奥井晴弥

13,365 字

芸術と教育の物語、自己発見、人間ドラマ

"「見られたくない」少年と「隠したい」教師。二人が見つけた、真実の「野原」。"

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第四章 1991年・5月:白の静止

 連休が明けた五月の図工室。南向きの窓から差し込む午後の光の中で、無数の埃が粒子となって踊っていた。夏目は、木床の軋みを殺しながら、五人の子どもの机の間を歩いていた。

 大輔の前に、真っ白な四つ切りの画用紙があった。

 授業時間が終わろうとしているのに、紙の上に線は打たれていない。
 大輔は背筋を伸ばし、鉛筆を握ったままその白磁のような空間をただ見つめていた。

 「……大輔くん。かっこいい車でも、昨日の夕ご飯でも。君が描きたいものを自由に描いてごらん。上手じゃなくてもいいんだよ」

 夏目は、自らが信奉する寛容さを込めて、穏やかに声をかけた。

 大輔は、ゆっくりと顔を上げた。
 その瞳に宿っていたのは、戸惑いではなく、夏目の臓腑の奥までを見透かすような、澱みのない拒絶だった。

 「自由……ですか」
 大輔が初めて、授業中に言葉を発した。
 「自由に描いたら、先生はそれを見て、僕のことをわかったような顔をするんでしょ。……この線は優しいねとか、この色は寂しいねとか」

 夏目ははたと気づいた。そして言葉に詰まった。
 大輔が感じ取っていたのは、夏目が「自由」と呼んだものの底にある、無意識の支配欲だった。自分を「観察」し「理解」しようとする大人。
 そしてこの村で、大人はすべて顔見知りだ。逃げ場のない世界。

 「僕は、何も描きたくない。……見られたくない」

 大輔はそう言うと、再び視線を真っ白な画用紙に戻した。
 そこには、完璧な静寂があった。
 夏目は、最後まで白紙のままだった大輔の画用紙を回収した。
 指先に触れる紙の感触はひどく冷たく、そして重かった。

 奥三河の山々が、夕闇に黒い影となって校舎を飲み込んでいく。

 夏目は大輔という深い空洞を前にして、これまで築き上げてきた「寛容さ」への信頼が、あまりに脆く崩れていくのを感じていた。

── 第4章 了 ──

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