第七話「決意」
ゆりは獲物を噛み砕く獣のように、司の唇に激しく食らいついた。
そのキスは甘さではなく、支配の証。
刻みつけるように、熱く深く、何度も舌を絡ませた。
そしてその動きを止め、ゆっくりと唇を離す。
名残惜しそうに司は顎を浮かせ、追いかけるように伸びた舌からは、透明な絹糸が細く伸びていた。
ゆりはその姿を冷ややかに見下ろしながら、手のひらを司の胸から腹へ、ゆっくりと這わせていく。
ぞくりと震える司の身体。
やがて指先が辿り着いたのは、明らかに昂ぶりを主張している下半身部分だった。
わざと優しく、ピンッと人差し指でそこを弾く。
「ここ、すごいことになってるよ…?」
低く囁く声。
視線は舐めるように下半身へ。
そして次の瞬間、射抜くように司の目を真っ直ぐ捉えた。
その挑発的な眼差しと、突かれた感触。
両方が一気に神経を支配し、司は抑えようのない興奮に呑まれ、硬さをさらに増していった。
理性はとっくに溶かされ、ただその視線と仕草に縛られていく。
ゆりの指が、そっと司の昂ぶりをなぞる。
先端をやわらかく指先で撫で、裏筋へ沿わせては上下に行ったり来たり。
やがて五本の指で包み込むようにして握り、ゆっくり、優しく上下へと動かした。
全身を小刻みに震わせる感覚が司を襲う。
吐息は乱れ、目の焦点が定まらなくなっていく。
次第に虚ろになっていく眼差しを、ゆりは冷たく、そして甘やかすように見つめた。
布越しに伝わるその快楽に、辛抱しきれなくなった司は震える手でベルトへ伸ばす。
カチャリ、と金具を外し、堪らず腰を浮かせた。
そのままズボンと下着を下ろすと、熱に充血し、張り詰めてそそり立つ自身を、ついに露わにしてしまった。
司の昂ぶりを見下ろすゆりは、思わず「ゴクリ」と固唾を呑んだ。
視界に突きつけられる光景に、脳裏へと鮮明に蘇る。
先日、蓮が自分の奥深くをゆっくりと、浅く深くを繰り返し侵入してきたときの感触。
その記憶が、下腹部に生々しく蘇り、自ら触れられたい衝動となって身体の奥から湧き上がってくる。
ソファに背を預け、ゆったりと身を沈める司の上に跨がったまま、ゆりはゆっくりとリクルートスーツのジャケットを脱いだ。
その手は一切の迷いもなく、次にワイシャツのボタンへ。
カチリ、カチリとひとつひとつを外していくたび、白い肌が司の視線に晒されていく。
そして上半身を露わにしたゆりが目の前に姿を晒す。
面前に露わになったゆりの胸に、司は抑えきれない感動と興奮のため息をもらした。
その白さと形の美しさに目を奪われ、吸い寄せられるように手が伸びる。
その瞬間、ゆりの指先が、湿りを帯びた司の硬い先端にそっと回り込む。
ビクンと司の腰が跳ね上がり、全身がその感触に支配される。
両手に包むマシュマロのような感覚と、自分の硬い先端を弄ばれる快感に、荒くなる呼吸を堪えきれず、熱を求めるようにゆりの胸へ顔を埋めた。
「……はぁ……はぁ……」
高鳴る吐息。
昂ぶりは臨界を超え、もっと、もっと深く触れたいという欲望に形を変えていく。
胸を夢中で貪りながら、跨るゆりのスカートをめくり上げる。
さらさらとしたストッキング越しに伝わる丸い肉付きの感触に、司の指先は溺れるように這い回った。
もはや歯止めは効かなかった。
司の手がゆりのストッキングを下ろすと、ゆりは逆らうどころか、その動きに合わせるようにすっと足を持ち上げた。
するり、と布が足首まで落ち、最後には重力に従ってぱさりと床に崩れ落ちる。
熱を帯びた司の指先が、下着の隙間へと潜り込む。
求めるように深く敏感な場所を確かに捕らえると、ゆりの身体がわずかに震えた。
同時に、彼女の手は焦らすように撫で続けていた司の先端を包み込む。
じわじわと溢れ出す先端の蜜を受け止め、それを掌に広げるように全体へと塗りつけた。
その蜜を纏った熱を、ゆりはそっと握りしめ、ゆっくりと、じっくり上下に扱きあげた。
「…はぁ…あぁっ…」
堪らず漏れる司の声。
震える吐息が、抑え切れない欲望の証だった。
もっと深く、もっと奥を求めて、司の指はゆりの中へと侵入し、濡れそぼる奥を確かめるように動きを速めていく。
「…ん…あぁ…んっ…」
ゆりの唇からも抗えない声がこぼれ落ちる。
互いの敏感な部分を貪るように弄り合いながら、熱を帯びた声が絶え間なく室内に響き渡る。
それはもはやどちらが与えて、どちらが受けているのかすら曖昧な、甘く危うい共鳴だった。
司の舌が、執拗に胸の突起を転がす。
その動きは次第に激しさを増し、同時にゆりの下半身の奥を探る指先もリズムを早めて湿り気を帯びた水音が大きく響いていく。
荒い呼吸の合間に、ゆりは確かに覚えた。
あの、全身を駆け上がる感覚。
下半身からお腹へ、そして胸の奥へと、熱と痺れが這い上がってくる。
…いきそう──
頭の中で言葉が弾けた瞬間、全神経がその一点に集中する。
握って上下させていた手は無意識に動きを止め、ただ、押し寄せる波を迎えることに全てを注ぎ込んだ。
「…あぁ…はあ…!…ああっ…!」
ゆりの声は、抗えぬ高まりに引き出されるように大きくなっていく。
その声色は、ただ純粋に、昂ぶる身体の証だった。
司は、その声に気づいた。
もっと近くで、その表情を確かめたくなる。
指の早さを緩めることなく、司は胸を責めていた顔をゆっくりと上げた。
そして司の視界に飛び込んできたのは、あまりに淫らで、あまりに抗えぬ顔。
涙を滲ませ、熱に蕩け、半開きになった唇から甘い声を零すゆり。
止まらぬ衝動に吸い込まれるように、司はその唇の隙間へ舌を滑り込ませた。
荒々しい熱が混ざり合い、激しく唇を貪る。
「────っ…!!──…っっっ!!」
ゆりの身体が大きく震え、背を反らす。
声も吐息も、司の口に塞がれて掻き消えた。
全身を駆け抜ける強烈な波に飲まれ、絶頂へと攫われていく。
司は、彼女の震えを舌で、腕で、指先で、すべてで感じ取った。
喉の奥で押し殺した声。
熱に溶け落ちる瞳。
目の前の女が、自分の手の中で壊れていくその事実が、堪らなく甘美だった。
理性という最後の糸が、ブツリと切れる音が、確かに司の胸の奥で響いた。
ゆりの絶頂に、司の中で最後の歯止めは完全に吹き飛んだ。
荒ぶる興奮を抑えられず、両手でゆりの腰をがっしりと掴み、今にも暴発しそうな自身をゆりのその腰へ押し当てる。
そのまま入口を自身へ沈めるように、力を込めて自分の腰を浮かせた。
ゆりの思考は停止している。
ただ熱に流されるだけのはずだった。
だが、ふと心の奥底で声が囁いた。
──このままでは駄目だ。
ただ奪われるだけでは、また同じだ。
もっと苦しめてやらないと、私の立場は覆らない。
グッ──。
腰を浮かせ、司の圧を正面から押し返すゆり。
司の腕に込められた力に対して、真っ向から抗った。
ゆりの腰を掴む司の手は、その瞬間鋭い力で引き剥がされ、驚く間もなく司の両腕はゆりの華奢な指に絡め取られ、抑えつけるように強引に、ソファの背もたれへと押し付けられる。
深く沈み込む背もたれ、軋む革張り。
司の身体は完全に抑え込まれ、逃げ場を失った。
ゆりは覆いかぶさるように司を見下ろした。
その瞳は、恐怖も拒絶もない。
妖しく光り、相手を誘い込む魔性の色。
「……欲しいの?」
吐息混じりの囁きが、耳の奥に落ちていく。
司の喉が上下する。
堪えきれずに、荒い息と共に声が零れた。
「欲しいです…っゆりさんが…欲しいです…!」
その言葉は、懇願であり告白であり、支配されることを自ら望む弱さそのものだった。
息を荒げて縋るように見上げる司。
その必死な表情を眺めながら、ゆりの唇がゆっくりと吊り上がり、悪魔のように艶めいた笑み。
「ねぇ……」
囁きと共に、ゆりは司の顔へとじわじわ距離を詰める。
互いの吐息が混ざり合う距離で、虚ろな瞳を逸らさせないよう、妖艶な光を注ぎ込む。
「……私のこと、“こ・ま”って……言ったよね?」
その一言で、司の記憶が鮮烈に蘇る。
「履いて捨てるだけのコマだ」と吐き捨てた自分の声と、その直後に水を浴びせられ、視線で射抜かれたあの瞬間。
味わったことのない屈辱と、背筋を焼くようなゾクゾクが、今また全身を駆け巡る。
「…す….すみませ……」
咄嗟に口をついて出た言葉。
その声音は、レストランで威圧的に語っていた男のものではなかった。
力を削がれ、魅惑と威圧に屈した、ただの一人の男の声だった。
ゆりはその司の弱り切った姿に
──いける
と何かを確信する。
口角が艶やかに持ち上がり、勝利を予感した支配者の微笑みに変わる。
ゆりは、そそり立つ司の先端に自分の下半身の入り口をぐっと押し当てる。
わずかに触れ合っただけで、司の全身がピクリと痙攣して、吐息は荒くなり、瞳が虚ろに揺れる。
そしてゆっくりと唇を司の耳元に沈める。
熱い吐息と共に、核心を突き刺すような衝撃的な一言を放った。
「じゃあさ…土下座しなよ…♡」
「………………っっっっっ!!!!!!!!」
脳内を強打されたような衝撃が全身を駆け巡る。
頭の奥で弾けるような痺れ、背筋を突き抜ける電流。
全身がゾワゾワと逆立ち、腰は勝手にビクビクと震えた。
強者であったはずの男は、完全に跪かされる存在に変わっていた。
「…っはぁ…!はぁ…!はぁ…!」
ゆりの、あまりにも乱暴で挑発的な言葉。
それは暴力よりも鋭く、司の胸に突き刺さった。
呼吸は乱れ、肩で大きく息を繰り返す。
興奮で酸素が足りず、頭がクラクラする。
そんなあからさまな反応を愉しむように、ゆりは更なる快楽の暴力を与える。
「……ほら…早くしなよ…」
囁く声は甘く冷たく、残酷なほど優しい。
腰をくねらせながら、司の固く脈打つものの先端に、円を描くように自分の入り口を擦り回しつけて、粘膜同士が触れ合う度に、司の脳の奥が焼けるように痺れた。
さらにゆりは、司の裏筋へと自分の蜜を塗り込めるように腰を動かし、ゆっくり上下に撫でる。
熱い液が絡みつく感覚。
滑る花びらから溢れ出る密着した蜜の音。
先端と根本を何度も行き来する柔らかいゆりの入口の感触。
司の腰は勝手に跳ね、堪らず喉の奥から声が漏れる。
…頭が……おかしくなりそうだ────
そして──司は完全に征服された。
脳内の回路はショートし、思考は停止する。
ただ欲望と衝動に駆られ、呆然としたまま、無意識のように身体が動いた。
静かにソファを降りて…
ゆりの前に跪く。
目の前で、その姿を見下ろすゆりは、満足げな笑みを浮かべる。
ソファに深く腰を沈めながら、ゆったりと足を組み、支配する者の優雅さで視線を落とした。
司の胸の奥で、屈辱と興奮が激しくせめぎ合う。
一生のうち、自分が他人に跪くなど夢にも思わなかった。
これまで数多の権力者たちが自分に跪き、頭を下げてきたのを見てきた。
その立場にあった自分がまさか今、自ら〝そっち側〟へ落ちていくなど。
本来ならば、耐えがたい屈辱のはずだ。
プライドはズタズタにされ、権威は踏みにじられている。
それなのに。
なぜ、鼓動がここまで高鳴るのか。
司の身体は熱を帯び、高揚が止まらない。
理解不能なほど昂ぶる自分に、司は戦慄した。
だがその震えは恐怖ではなく、悦楽に近いものだった。
「……申し訳…ありませんでした……」
この世の全てを手に入れた男。
絶対的権力という名の暴力で、いつも他者を支配してきた男。
その男が、快楽という暴力の前に、今まさに跪いている。
その構図はあまりにも痛快で、あまりにも甘美だった。
なんて軽快で、なんて爽快なことか。
ゆりの胸の奥から噴き上がるのは、勝利の愉悦と征服の悦び。
自分を壊した権力者を、今は自分が壊している。その事実がゆりの中で熱を爆発させた。
「あははっ♡」
あまりの快感に、ゆりは抑えきれずに高く笑い声を上げた。
その声には喜びだけでなく、狂気にも似た色が滲んでいた。
組んでいた足をバンッと床に下ろす。
垂れている司の頭を、ゆりは乱暴に鷲掴みにし、顔をぐいと持ち上げさせた。
容赦なく注ぐ乱暴過ぎる行為への強烈な快楽が司の全身を纏う。
「お利口だから……許してあげる。」
囁くその声音は甘く、だが眼差しは狂気そのもの。
そのギャップが、司の全神経を容赦なく刺激し、理性を焼き尽くしていく。
持ち上げられた司の顔は、もはや威厳も何もない。
だらしなく、溶けきった表情。
ゆりから与えられた屈辱は、司の骨の髄まで侵食していく。
権力者としての誇りも、威光も、すべてを奪われ、残っているのはただ欲望に絡め取られた男の顔だった。
ゆりはそんな力無い司を見下ろし、勝ち誇ったように笑うと、両肩を強く押して床の絨毯へと押し倒した。
背中に柔らかな絨毯が触れた瞬間、司の心拍は跳ね上がる。
ゆりは躊躇なくその上に跨った。
妖艶に微笑むその顔は、支配者のそれ。
「お待ちかねの…ご褒美だよっ♡」
司の昂ぶったものに自らの入り口を押し当て、ゆっくりと腰を沈めていく。
「っ……あぁ……!」
ずぶりと包まれる感覚に、司の喉から思わず声が漏れた。
それは抗えぬ征服の証であり、快楽に絡め取られた雄の悲鳴だった。
ゆりは無我夢中で、司の上で激しく腰を振る。
「……あぁ…っ…あぁ…っ」
甘く切ない吐息が、熱気を帯びた空気に溶けていく。
司は、息を荒げて声を漏らしながら、その光景に飲み込まれ記憶を揺さぶられていた。
会議室で毅然と自分に立ち向かってきた姿。
正義感を掲げ、冷徹なまでに誠実な言葉を放った瞳。
レストランで挑発を浴びても揺るぎなく凛とした態度。
そのすべてが、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
それなのに今、目の前で腰を振る彼女の姿は、あまりに罪深く、淫らで、不埒すぎる。
そのギャップが司の脳を混乱させる。
夢か現実か。
正義と誠実の象徴のようだった彼女が、今は自ら快楽に身を捩じらせ、淫らに声を漏らしている事実に司の頭はぐちゃぐちゃになった。
ゆりの腰の動きは激しさを増していく。
押さえ込まれている自分の両腕に、彼女の力がさらに込められ、自由を奪われている感覚に、司は感じざるを得なかった。
──犯されている。
その感覚は、立場も、権威も、誇りも、無残に打ち砕いていく。
屈辱であるはずなのに、背徳であるはずなのに、なぜか胸の奥を灼き尽くすほどの昂揚が湧き上がってくるこの堪らぬ感情。
矛盾する意識の中で、興奮は暴走し、もはや制御は効かない。
その混濁の果てに、司の我慢は限界を迎えようとしていた。
「…あぁーっ……!」
喉の奥から搾り出すような声。
司が、ついに絶頂の寸前に達するその瞬間――
ズボッ──!!
ゆりは、膨張する司の中心から自分の身体を勢いよく引き抜いた。
「……っっっっ!!!?」
遠のきそうな意識の中、不意を突かれた司の全身が硬直する。
一気に押し寄せていた波が宙吊りにされたようで、眩暈に似た衝撃が走った。
腰を浮かせ、必死にゆりの入り口を「待って!」と言わんばかりに追いかける司。
片手でゆりの腰を掴み、もう片方の手で肩を下に押さえ込み、再びゆりの中に自分のものを嵌め込もうとする。
まだ、駄目だ。
もっともっと苦しめてやる。
ゆりは全身に力を込めて抵抗した。
司の力が押し込もうとするのに対し、ゆりは逆らうように腰を押し上げる。
「……くっっっ……!!」
我慢できない欲望に呑まれた司は、ついに心拍を爆発させるように上げ、焦燥に駆られてゆりの腕を掴む。
その勢いのまま、身体を起こしてゆりをソファへと押し倒した。
一瞬で形勢は逆転。
獣のように荒い息を吐きながら、司はゆりの足を強引に開き、その間に覆い被さった。
暴発寸前の熱を、今にも突き入れんとばかりにゆりの入り口へ押し当てる。
このままでは、立場が逆転してしまう。
ゆりの胸中に警鐘が鳴る。
このままでは、せっかく築いた支配が崩れる。
グイッ!
渾身の力で両腕を突き出し、ゆりは司の上半身を押し返した。
尚も抵抗するゆりの勢いに呑まれた司の身体が揺らぐ。
「…お願いです…ゆりさん…っもう…もう…!」
縋りつくような声。
必死に懇願するその姿は、権力を振り翳してきた男の影など微塵もなく、ただ快楽に奪われた哀れな人間の姿だった。
奪われ続ける悦び。
焦らされ、支配され、突き放され──
それは司にとって、もはや快楽ではなく地獄のような苦痛となりつつあった。
「…はぁ…はぁ…どうしたいの?」
力を込めて抵抗していたゆりの呼吸は、わずかに乱れていた。
その僅かな息遣いすら、今の理性を失った司には強烈な誘惑となる。
「…入れたいです…っ!」
荒い呼吸を繰り返しながら、願うように吐き出す司の声は震えていた。
欲望に駆られた男の必死の本音。
「……なにを…どこに…?」
ゆりの声は艶を帯び、挑発そのものだった。
司は言葉を詰まらせる。
だが喉元まで込み上げてくるのは、他でもない自分の欲望の言葉。
跪かされた時に味わった屈辱の暴力に、間髪入れずに今度は羞恥の暴力へと形を変えて司に襲いかかる。
プライドが。
威厳が。
立場が。
ひとつ、またひとつと次から次へと削ぎ落とされていく。
それでも抗えない。
むしろ、壊されていくたびに甘美な痺れが背骨を駆け上がる。
司の胸は、恐怖と興奮と屈辱が混ざり合い、暴走するように高鳴っていた。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
司は目を固く閉じ、頭の中で何かと格闘していた。
揺れ続ける理性と欲望。
そのせめぎ合いが、荒い息となって空気を震わせる。
長い沈黙の後、ふいに頬を撫でる、柔らかくもいやらしい指先。
ゆりの手の感触が司の思考を侵食し、うっすらと司の瞼が開く。
「……ねぇ……言って……?」
顔をわずかに傾け、腰をくねらせる。
濡れた唇、赤らんだ頬、潤んだ瞳、垂れ下がる目尻。
そして、とろけるように甘すぎる声。
その光景が司の視界に飛び込んだ瞬間、
プツン──。
またひとつ、理性の糸が音を立てて切れた。
羞恥も、矜持も、すべてが崩れていく。
残ったのは、ただ目の前の女に応えたい衝動だけだった。
何かを決心したように、司の喉が動く。
ついに、禁じられた言葉が吐き出されようとしていた。
「……私の…○○を…っ、ゆりさんの…はぁ、はぁっ……!」
その言葉を吐き出した瞬間、羞恥が全身を焼き尽くす。
胸が締め付けられるように苦しく、同時に心拍は跳ね上がり、理性の壁を越えた興奮が一気に駆け上がる。
「…ゆりさんの…○○に…入れさせて下さいっ!」
懇願に近いその声は、司という男が背負ってきた威厳や立場を、粉々に砕いて床に散らした。
耳に届いたその惨めな願いに、ゆりは薄く笑みを浮かべると、溶けるほどの快楽に喘ぐ司を見上げながら囁く。
「……みっともないね…?権威ある男が……」
その冷酷な一言が、屈辱と快感を同時に脳天へ突き刺す。
そしてゆりは司の腰の後ろへ手を回し、自分の中へと押し込んだ。
「……はあぁっ……!」
悲願し続けた願いが叶った瞬間。
あまりにも鋭すぎる痛撃の快感に司の全身はブルブルと震えた。
そして次の瞬間、理性も体裁も投げ捨て、司は一心不乱に腰を打ちつけ始める。
「あぁっ…!はっ、はぁぁっ……!」
荒い息を吐きながら、ただ夢中で突き進む。
その衝撃に突き抜けられるたび、ゆりもまた声を上げた。
だが彼女の瞳には、快感と同じくらいの「完全勝利の喜び」が宿っていた。
「あぁ…ん!あんっ…あぁぁ!っあん!」
快楽と悦楽に声をあげながら、ゆりは無我夢中で突き動かされ続けている司の頭を両手で掴み、グイッと自分の顔へ引き寄せた。
そして容赦なく、激しいキスを浴びせる。
舌と舌がぶつかり、絡み合い、呼吸を奪い合う。
司の意識はもう限界だ。
……もう無理だ……これ以上は……
絶頂寸前。
その瞬間、意識が霞みそうになりながらもほんの刹那に、つい先ほど「解放寸前で快楽を奪われた」トラウマが脳裏をよぎる。
あの時の焦燥、全身を這い回った地獄のような苦しみ。
その恐怖と、今まさに破裂しそうな絶頂の波が、司の中でせめぎ合った。
次はもういい加減に耐えられない。
「…はぁ…っあぁっ…ゆりさんっ…い、いきそう…っいきそうです…っあぁ…っはぁ…!」
必死に吐き出すように声をあげ、ゆりの反応を確認するように震える声を重ねる。
もう自分の意思では止められない、暴走する腰。
「…いかせてください…っもう…ゆりさんっ…!!」
頼む、今度だけは──寸前で奪わないでくれ。
その懇願は、心の底から溢れ出る叫びだった。
ゆりもまた、激しさを増す司の動きに、快感の波を必死で受け止めながら、同じく絶頂の淵に追い込まれていた。
二人の声が重なり、部屋の空気は限界まで張り詰めていく。
「…うん…っ…ぃこ…っあぁ…はあっ…私も…いく…っから…っあん…ああ…いっ…て…っ!」
そのひと言は、司にとって地獄のような焦燥からの救済だった。
奪われ、焦らされ、寸前で何度も翻弄されてきた記憶が一瞬で塗り替えられる。
「…あぁ!…ゆりさん…っああ!あーーーっっっ!」
抑え込んできた欲望が、溢れ出すように解き放たれる。
司の熱は容赦なくゆりの奥深くへと流れ込み、奔流のように痺れる快感が二人を貫いた。
「あっ…ああぁぁーーーっっっ!…」
ゆりの全身が震え、大きく弓なりにのけぞる。
お腹の奥で感じる司の熱と、自らの絶頂が重なり合い、電流のような衝撃が身体を駆け抜けていく。
息もできないほどの痺れる快感の渦に、二人は同時に飲み込まれていった。
「はぁ――…はぁ――…」
全身の力を失った司は、ゆりの中から自分を引き抜くことさえ出来ず、ただ脱力したまま彼女に覆い被さっていた。
時間が経つにつれ、硬さを失いながらもなお、繋がったまま。
太腿は閉じられず、開いたままの姿勢で、ゆりはソファの背もたれにぐったりと体を預ける。
司の重みを胸に感じながら、ゆりは虚ろな瞳で天井を見つめていた。
どれほどの時間が流れただろうか。
ようやく司がゆりの肩にもたれていた頭を上げ、パチッと彼女の瞳と視線がぶつかった。
虚ろな瞳と交わった瞬間、司の胸にふと疼くような渇望が蘇る。
余韻を求めるように、司はそっとゆりの唇に自分の唇を重ねた。
それは激しさとは無縁の、名残惜しむような優しい口づけ。
絡め合う吐息は熱を帯びていたが、どこか切なさも混じっている。
ゆりはしばし司の求めるキスに応じた。
しかしその瞳には、次の仕事を見据えているかのような冷静さを潜ませている。
やがてそっとその胸を押しのける。
司の身体がわずかに離れた瞬間、繋がりを失ったゆりの入口から、ドロリと重たい熱が零れ落ちていった。
力を失った司の肩を優しく支え、彼をソファの隣へと座らせ、テーブルのティッシュで零れ落ちた熱を拭き取った。
その仕草は拒絶でもなく、慈しみでもなく、ただ静かに、幕を下ろすかのような穏やかさだった。
長い沈黙の後、ゆりは口を開いた。
「…お薬を下さい。」
その声は淡々としていた。
けれど、あの日ラウンジで司の鞄から無理やり差し出された光景が頭を過り、言葉の選び方に自然と棘が混じる。
まるで処理するべき案件を片付けるかのような淡々とした冷徹さを纏っていた。
司は一瞬、ゆりの顔を見た。
だがすぐに目を逸らし、ソファ横に置かれた自分の鞄を力なく指差した。
ゆりはその仕草を確認すると、バスローブを羽織って静かに立ち上がり、ゆっくりと鞄を手に取る。
そして再び司の前に戻り、膝を折って丁寧な所作で鞄を差し出した。
その動作はまるでスタッフとしての接客そのもの。
司は受け取った鞄を開き、錠剤の箱を取り出してゆりに渡した。
「ありがとうございます。」
ゆりは受け取ると、業務連絡のような無機質な声でお礼を言う。
目の前の男を見ず、あくまで「役割」としての動作に徹するその姿は、数分前まで淫靡な熱に呑まれていた存在とは別人のようだった。
その後、無言で冷蔵庫に向かい、ミネラルウォーターのキャップを回すと錠剤を箱から一錠取り出す。
そして淡々と口に放り込み、水で押し流す。
そして胸に、ある気持ちを宿した。
アフターピルは確実ではない。
一度限りの応急処置では、安心など出来ない。
(……次の休みに病院へ行こう。ちゃんとした低用量ピルを処方してもらって、これからはずっと飲み続けよう)
ただ身を守るためではない。
それはもう「自分を守る術」であると同時に、これから始まる復讐を遂行するための、冷徹な攻撃準備だった。
そして、同じ被害者をこれ以上生み出してはならないという強烈な使命感。
壊され、奪われ、彼らの犠牲になる女性を、二度と増やさせはしない。
私が愛するこのパークの綺麗さは、私が守る。
誰よりもお客様に夢を与える現場を知るからこそ、
裏で汚す者たちを許すわけにはいかない。
その正義感と使命感が、ゆりの決意を一層固くした。
男達の思惑に弄ばれ、支配されるだけの存在で終わるわけにはいかない。
むしろ、その権力も欲望も利用し尽くして奪って壊して彼らを逆に地獄へと落とす。
ネームプレートを胸に着けたSVとしての瞳ではなく、女としての、復讐者としての瞳が、静かに決意を宿していた。
ここからゆりによる、容赦なく残酷なまでに二人の男たちへ、終わりの見えない地獄を与え続ける復讐劇は幕を開ける。
第八話「対象LO」
春休みの喧騒が嘘のように落ち着きを取り戻したパーク。
とはいえ、もう間もなく訪れるゴールデンウィークの嵐を前にした、ほんの束の間の静けさに過ぎない。
新緑が芽吹き始めた園内の空気を吸い込みながら、ゆりはいつものように無線を確認し、今日の担当であるスナックワゴンの巡回へと足を運んでいた。
新入社員として右も左もわからず必死だったあの日々から、一年。
気づけば、ゆりはもう二年目の社員として後輩を指導する立場になっていた。
次に回るのは、新アトラクションのオープンを間近に控えたエリア。
その入り口のすぐ横にある、スナックワゴンの様子をチェックするのが今日の彼女の業務だった。
「お疲れさまでーす。」
いつもの調子でスタッフたちに声をかけ、ワゴンの在庫やマシンの稼働を確認しようとした、その瞬間。
ふと、アトラクションの方に視線をやったゆりの目に、見覚えのある姿が映り込んだ。
———蓮。
新アトラクションの前で、管轄の社員たちと何やら指示を交わしている彼の姿。
その存在感は、遠くからでも強烈に視界を奪った。
気づいた直後、蓮もまたゆりの視線に気がついて、パチンと軽快にウィンクを飛ばす。
いつもの軽薄さを纏いながらも、どこか意味深な光を宿した笑みと仕草。
ゆりは、フイッと顔を逸らし、蓮の仕草を無視するように、あえてスナックワゴンへ集中し、業務に没頭する。
少し時間は流れた。
「シードと、バターを1ケースずつ……バケットは、そうですね、3ケースお願いします!」
手際よくワゴンの在庫を確認しながらスタッフへ指示を飛ばし、補充に向かわせた瞬間、不意にじっと注がれる視線を感じた。
ふと横を向くと、ワゴンのすぐそばで腕を組み、何やら面白そうにこちらを眺めている蓮の姿。
同時に、いつの間にかワゴン前の列が急に長く伸びていることにも気づく。
「恐れ入りまーす!こちらの植え込みに沿ってお並びくださーい!ありがとうございます、こちらへお願いしまーす!」
蓮の存在を意識の端で感じながらも、ゆりは一切無視して、すぐさまお客様対応に集中した。
列を整理して声をかけていると、その中に、スナックバケットを肩から下げた来園者が、外れてしまったストラップを必死に直そうとしている姿が目に入った。
ゆりは、笑顔で手のひらを差し出す。
「よろしければ、お付けいたしましょうか?」
「ありがとうございます!」
カチッ、カチッ。
慣れた手つきでストラップを留め直すと、来園者は安心したように笑みを浮かべ、バケットを受け取った。
「メルヘンな一日をお過ごしください!」
笑顔でそう伝え、軽く会釈して手を振ると、ゆりは再びワゴンへと戻った。
パチパチパチ———。
唐突に聞こえてきた拍手の音。
「君の仕事っぷりはつくづく素晴らしいね、早瀬さん」
見ると笑顔で目を細めながら手を叩き、歩み寄ってくる蓮の姿。
「鳳条代表…ずっとそこにいますけど、暇なんですか」
「いや?バニクラの最終チェック中だけど、あまりの君の素晴らしい仕事ぶりについ見惚れてしまって。」
「それなら早く戻った方が良いですよ。私、次のワゴンに行かなきゃいけなくて忙しいので。」「ねーつめたーい。」
「では。」
ゆりが踵を返して移動しようとした、その瞬間だった。
「ママー‼ママー㣑」
突如、甲高い泣き声が辺りに響き渡った。
振り返ったゆりと蓮の目の前に、目を真っ赤にした幼い男の子が現れる。
両手を振り回し、必死に何かを訴えるように「ママー!」と叫び続けている。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
ゆりは慌てて駆け寄り、しゃがみ込んで目線を合わせる。
「ママとはぐれちゃったのかな?」
「ギャー㣑あ———ん㣑!」
そんなゆりの言葉など一切耳に入らず、子供は大粒の涙をぼろぼろと零しながらパニック状態で叫ぶ。
(迷子…だよね)
そう直感するも、冷静に判断してすぐさま無線を迷子センターへ繋ぎ、話しかけた。
ピッ。
「対象LO、対象LO。」
聞いた来園者が不安にならないよう、「迷子」を表すスタッフ内での隠語だ。
「ドリームガーデンエリア…えー、ピクシーレストラン前。服装は———」
「ギャー‼ママー㣑」
報告の途中で子供が突然走り出す。
「あっ!待って‼」
ゆりは反射的に追いかける。
制服のスカートを翻し、息を切らせながらも必死に伸ばす声で呼びかけた。
「お兄ちゃん!ちょーっとここで動かないで、じっと出来るかな?すぐにママに会えるからね!」
だが、その声も届かない。
「や———だ———‼ママー‼」
子供は泣き声と共に足をバタつかせ、全く制御が効かない。
ゆりは眉を寄せ、焦りを隠せぬまま再び無線に声を飛ばした。
「すみません…対象LO、服装はノアの青いTシャツにデニムズボン…年齢は……」
「ギャー㣑ギャー㣑」
「お兄ちゃん、何歳かな….?」
泣き声にかき消され、返答などあるはずもなかった。
「ママー㣑」
またしても子供は方向を変えて走り出す。
「もー待ってって言ってるのに……!」
イライラではない。
只々焦りと不安が募る。
周囲の来園者も次第に立ち止まり、その様子を心配そうに見守りはじめていた。
「…ったく、なにやってんだあいつは。」
後方から様子を眺める蓮は、呆れたように小さく吐き捨てる。
ふとワゴン販売に並ぶぬいぐるみパペットが視界に入り、蓮は足を向けた。
ゆりは、叫びながら走り去る小さな背中を追いかけながら、無線に飛ばす言葉も途切れ途切れになる。
「対象LO…現在ドリームガーデンエリアから…ウィルダネスチャレンジエリア方面へ移動中です……え?…年齢はー…恐らく3歳〜4歳、うーん2歳かな…」
「ギャー‼ママー㣑」
ドサッ。
全身で地面に叩きつけられるように、子供が転んだ。
あっマズい!
ゆりは駆け寄る。
だがすぐに、耳をつんざくような大音量の泣き声が炸裂した。
「ギャ————————㣑‼」
耳がキーンとなるほどの叫びに、辺り一帯の視線が一気に集中する。
通行人の大人も子供も、足を止めて振り返り、心配そうにゆりと泣き叫ぶ子供を見ていた。「お兄ちゃん!大丈夫⁉ケガしてないかな、見てもいい?」
「いや————ッッッ‼ギャー㣑」
必死に声をかけるが、返ってくるのは拒絶と大号泣。
背中を撫でようとした手も振り払われ、どうにもならない。
(…うぅ…気まずい……)
頬にじんわり汗が滲む。
自分の声も、必死さも、子供には全く届かない。
これでは迷子センターに連れて行くどころか、一歩も動かせない。
(もぉ…どうしたらいいの……!)
膝をつき、泣き続ける小さな背中に途方に暮れるゆり。
必死に子供を安心させようと笑顔を浮かべながらも、泣きたいのはこっちだと言わんばかりに内心は焦りと冷や汗が止まらなかった。
「ヤッホー!ぼくノア!私リラよ!」
突然響いた甲高い声に、ゆりは思わず顔を上げた。
そこにいたのは、両手にテーマパークのイメージキャラクター、ノアとリラのパペットをはめ、キャラクター帽子までかぶった蓮の姿だった。
「…え?」
あまりに突拍子もない光景に、ゆりは呆気に取られる。
「どうして泣いているんだい?このままじゃ、今日が悲しい物語になっちゃう。だから僕がハッピーエンドのページに書き換えてあげるよ!」
蓮がパペットを揺らし、わざとらしいほど明るく声色を変えてみせた瞬間。
「わぁ———ん‼ママぁ———‼あーん…」
さっきまで耳をつんざくように響いていた大号泣が、不思議と音量を落とした。
「物語の力で、どんな願いも叶えてあげるよ!君の願いを教えて!」
キャラクターそのものの声で話しかける蓮。
子供は涙をぐしぐしと手の甲で拭いながら、しゃくり上げる。
「ままぁ…ママぁ…」
「もしかして、ママに会いたいのかな?じゃあ、ママに会えるページを開いてあげようか?」
蓮の明るい声と人形の動きに、あれだけ激しく泣きじゃくっていた子供が、少しずつ嗚咽のリズムを落としていく。
「ふぇっ……ひっく……ままに……あいたい……」
涙で濡れた頬をこすりながら、やっと言葉が形になった。
その瞬間、ゆりの耳に無線からの声が飛び込んできた。
《迷子センターにて、対象LOの親御様と思しきお客様を確認。ドリームガーデンエリアにて、3歳のキヨトくんを見失う。服装はノアの青Tシャツ、デニムズボン。現在、対象LOの位置情報どうぞ。》
思わず胸を撫で下ろすゆり。
その横で、蓮がちらりと目配せしてきた。
無線から漏れた声は、もちろん蓮にも届いている。
「対象LOは…現在ウィルダネスチャレンジエリア、アドベンチャーコースター前です」
ゆりが的確に伝える。
《対象LOから、年齢、もしくは名前等の情報は聞けましたか。》
その時、蓮が片手のパペットを高く掲げて、大げさな声を張り上げた。
「ママに会いたいのね!ノアならお安いご用よね!もちろんだよリラ!じゃあ、君の名前を魔法の絵本で当てるね!ワンス、アポンア、タイム!」
一人二役で小芝居をすると、くるりとパペットを回し、誇らしげに子供を指さす。
「わかった!名前はキヨトくんだね?」
「えっ⁉どうしてわかったのー⁉」
目を真ん丸にして、驚きに泣き声さえ忘れる子供。
ゆりは呆気にとられ、次の瞬間には蓮の視線と笑顔を正面から受け止めてしまった。
「対象LO、名前はキヨトくんで間違いありません。」
無線に報告するゆりの声は、努めて冷静だった。
《了解。すぐにスタッフと親御様でアドベンチャーコースター前へ向かいます》
「了解。」
無線を切ったゆりは、ようやく深い息を吐いた。
その横では、ノアとリラのパペットをはめたまま、子供と笑顔で話し続ける蓮の姿。
「じゃあ、キヨトくん。ママに会えるページを開くから、君のママの名前を教えて?」
「……ママは、はしもとぉ〜ママ!」
「橋本ママだね!ねぇねぇキヨトくんは今日はどこから来たの?」
「えっとね…お家から来たよ!」
蓮は両手のパペットを動かしながら、優しい声で子供に語りかける。
ママを待つ間のこの時間を、少しでもこの子の不安が無くなるように、楽しいひと時になるように。
「乗り物は何か乗ったかな?」
「のったぁ!ジェットのやつ!」
ぎこちなくも嬉しそうに答えていくうちに、キヨトの表情から恐怖と涙がゆっくり薄れていった。
パペットを操る蓮と、それに夢中で応じるキヨト。
ゆりは蓮のそんな意外過ぎる対応に驚きを隠せなかった。
ゆりは迷子センターのある方角をじっと見据えていた。
すると遠くに、迷子センターのユニフォームを着たスタッフと、その横を必死の形相で駆けてくる女性の姿が見える。
キヨトの母親に違いなかった。
「鳳条代表、来ました。」
ゆりは小声で蓮に合図した。
蓮はすっと子供の目線に合わせてパペットを掲げる。
「さぁ、そろそろ君の願いを叶える時間が来たようだね。」
「ほんとに?ほんとに叶うの?」
「もちろんだよ。」
蓮はどんな不安も吹き飛ばすかのような自信あり気な笑顔で力強く言う。
「キヨトくんが物語を信じていればね。」
大きな瞳で蓮を見つめたキヨトは、小さく、でも力強く頷いた。
「ぼく……物語を信じるよ!」
「ワンス・アポンア・タイム!」
蓮の声が響いた瞬間。
「キヨト————㣑」
「ママ……!ママ————㣑」
泣き叫びながら駆け寄る母子が、強く抱き合う。
あれほど大きな声で泣いていたキヨトの声が、今度は安堵の泣き声に変わり、母親の腕の中で小さく震えていた。
「ほら、これ。」
蓮は自分が被っていたキャラクター帽子をキヨトにの頭にちょこんと乗せ、手から外したパペット人形を差し出した。
「もうママから離れたらだめだぞ、せっかくの一日が台無しになっちゃうんだからな」
「うんっお兄ちゃん、ありがとう‼」
安心感溢れる蓮の笑顔。
パペット人形を受け取ったキヨトの表情には、すっかり笑顔が戻っていた。
ゆりはその光景を見つめながら胸の奥が温かくなるのを感じた。
「バイバーイ!」とキヨトが大きく手を振り、母親が何度も会釈をしながら親子は遠ざかっていく。
ゆりは大きく息を吐いた。
張りつめていた肩の力が少し抜ける。
「ありがとうございました…助かりました、本当に。」
隣に立つ蓮へと頭を下げる。
「ったく、お前子供の扱い慣れてねぇだろ。」
呆れ顔の蓮に、ゆりは図星を突かれたように顔を引きつらせた。
「うっ…ぐ…鳳条さんは、なんであんなに慣れてるんですか。ノアとリラの声マネ上手くないですか?」
ゆりの問いに蓮は当然かの如く答えた。
「馬鹿かお前。これでもパークの経営責任者だぞ?どんな時でも、常に来園者がどうしたら喜ぶのか、何をすれば笑顔になるのか知ってて当たり前だろうが。」
その言葉に、ゆりの胸が一瞬熱を帯びた。
ストーリーテイルの社員としての魂を刺激され、心臓が不意に跳ねる。
「……私の中で鳳条さん…ちょっとキャラ変しました。」
「俺のキャラは元々ノアとリラそのものだ。ノアとリラは俺の心の化身だからな。」
「それは無いです。ノアとリラに失礼ですよ。」
「は?お前ぶっとばすぞ。」
思わず吹き出して笑うゆり。
その笑顔は、従業員として作る笑みではなかった。
蓮に初めて向けられた、素のままの少女のように無邪気で可愛らしい笑顔だった。
そんなゆりの笑顔に、胸の奥が熱くなるのを自覚しながら、蓮は口を開いた。
「今日、来てよ。」
突然の言葉に、ゆりは思わず蓮を見る。
どこへ、などと聞かなくても、もう答えはわかっていた。
「今日ですか?」
「早番だよね?一緒に飯食って帰ろ。」
蓮との四度目が、いつかは必ず来る。
その予感は、ずっと胸の奥で確信へと変わっていた。
だからこそ、病院で処方された薬を毎日欠かさず飲んでいる。
もはや、断る理由など存在しなかった。
「ユニフォーム管理棟のゲート横付けだけはやめて下さいね。」
「……!」
第一声は「無理です」か「嫌です」そう返されると思い込んでいた蓮は、不意を突かれたように目を見開いた。
そう言われたら、また軽口を重ねて、なんだかんだ押し切るつもりでいたのに。
まさかの、あっさりとした承諾。
その予想外の返答に、胸の奥でわずかに弾むものを感じる。
「で、どこで待ってればいいの?」
「車はどこに置いてるんですか?」
「本部ビルの地下だよ」
「では着替えたら伺いますので、鳳条代表は車内でお待ちください。」
視線は来園者で賑わうパークに注がれたまま。
口調も、仕草も、あくまで業務中のスタッフ。
プライベートな約束なのに、どこまでも冷静で淡々とした返答。
「はーい。」
対する蓮の返事は軽いトーン。
けれど胸の内は軽くなかった。
予想を裏切られた驚きと、抑えきれない高鳴りが同時に渦を巻いていた。
一日の業務を終えたゆりは、ロッカーで制服を脱ぎ、私服に着替えると、深くひとつ息を吐いた。
その瞬間、ポケットに入れたスマホが震える。
「知ら番……」※知らない番号
画面を見つめたまま少し迷った末、通話ボタンを押す。
「はい早瀬です。」
《車、Cの23ね》
先ほども聞いた、馴れ馴れしい声。
「………鳳条さんに番号教えた覚えないんですけど。」
《お前の職場の経営者だよ?データ持ってねぇわけねーだろ》
「個人情報の私的利用ですよ。」
《うるせーから早く来い。》
「はいはい、わかりました。」
《じゃ。》
一方的に通話が切れる。
無機質な「通話終了」の表示を見つめ、ゆりは思わず大きくため息をついた。
鞄を肩にかけ直すと、体に染みついた一日の疲れを感じながらも、足取りは迷いなく本部へ向かう。
夜の帳が落ちた本部ビルの自動ドアを抜け、静かなロビーを過ぎて地下へのエレベーターに乗り込む。
降り立った地下駐車場は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っており、コンクリートの冷気が足元を撫でた。
「えーと…C……Cの…23…」
ゆりは呟きながら駐車場の表示を確認しながら歩みを進める。
すると薄暗い照明に照らされ、奥まったスペースに一際異彩を放つ黒塗りのリムジンが停まっている。
無機質な駐車場の中で、その存在感だけが異質に浮かび上がっていた。
ゆりが近づくと、運転手が無言で一礼し、後部座席のドアを開ける。
車内からはわずかに冷房の効いた空気と、革張りの匂いが漂い、日常とは切り離された別世界が広がっていた。
「お疲れ様です、お待たせ致しました。」
「お疲れ。」
乗り込む瞬間、ゆりは自然とそう口にすると奥に腰掛けていた蓮は、軽く片手を上げて返した。
重たいドアが閉まると同時に、外界の音がすべて遮断され、車内は二人だけの密室となった。
そしてその空間で、気楽そうな調子で蓮が口を開く。
「どこ行こっか、何か食いたいもんある?」
「……蓮の家でいいよ。」
返ってきた言葉に、蓮は思わず眉を上げる。
その声音は、淡々としている。
けれど二人きりになった途端、急に呼び捨て。
しかもタメ口。
業務中のきっちりとした敬語から解かれたその口調は、妙に距離が近い。
なによりも、ゆりの口から発せられた「蓮」という音。
ただそれだけで耳の奥に残る、数日前に二人で名前を呼び合った甘すぎる時間を鮮やかに呼び起こされ、胸の奥をくすぐられるような感覚に陥った。
「は?俺んち?何もないよ。」
「何か取るとか、買い物して作るとかなんでもいいよ。」
ゆりの中では、手っ取り早く計画を遂行するには、余計な寄り道よりも、二人きりの時間を長く持つのが一番いい。
そんな打算を少しも感じさせない調子で告げるゆり。
「まぁいいけど…お前仕事した後にによく飯作ろうなんて気になれんね。」
「じゃあ取ろう。」
「おっけー。」
短く軽い返事。
だが、蓮の胸は妙に熱を帯びていた。
こうしてリムジンは、夜景の中を滑るように進み、彼の自宅マンションへと向かっていった。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。