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PLANET LAND - 彗星から惑星へ -

305,817 字

青春群像劇、家族の物語、成長譚

"彗星のように駆け抜けた日々から、自らの重力で輝く惑星へ。これは、出会いと別れを繰り返し、居場所を見つける若者たちの物語。"

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第42話 久羽乃にて

 いずみ亭の前で鉢合わせた志織と梨夏は、しばし互いの顔を見つめていた。

「お父さんの、お友達?」

 梨夏が首を傾げると、志織は少し照れたように笑う。

「そうよ、だけど会うのは二十数年ぶりかな?」
「今回はあなたのお母さんから、直接連絡をいただいて、お仕事を頼まれてたの」
「今日その打ち合わせに来たのよ」

 梨夏は人懐こい笑顔になった。

「ほうじゃったら、どうぞ中へ」

「え、あー、けど、約束の時間より二時間も早く着いちゃって……」

 そう言いかけた志織を、梨夏はじっと見つめる。

「お昼は?」

「え? ああ、まだだけど」

 次の瞬間、梨夏の顔にぱっと笑みが広がった。

「じゃあ、ちょうどええじゃないですか」
「どうぞどうぞ」

 そう言って背中を押すものだから、志織は慌てて声を上げる。

「ちょっとちょっと、わかったから」
「押さないでよ」

 けれど、その勢いに思わず小さく吹き出す。

(杏奈ちゃんとは違うタイプだけど、良い子ね)

 そんなことを思っているうちに、サルーンドアがキィ、と音を立てた。
 店内はランチタイムの真っ最中、客席は賑わい、数名のスタッフが忙しなく動いている。 
 その中へ足を踏み入れた志織に、厨房から顔を覗かせた由美加が、ぱっと明るい声を向ける。

「いらっしゃいませ――あ!」

 その声に、店の奥で手を動かしていた幸弘が、ゆっくりと顔を上げると、目を見開いたままその場に固まってしまった。

「あ、あの、申し訳ありません」
「お約束の時間より、だいぶ前に着いちゃって」

 戸惑いがちに頭を下げる志織の背中から、ひょこっと梨夏が顔を出す。

「お昼まだって言うけえ、入ってもろたんよ」

 由美加は一瞬だけ志織を見つめ、それから柔らかく微笑んだ。

「それなら是非、召し上がって下さい」
「梨夏、ご案内して」

「はーい」
「ほいじゃ、こちらです」

「ありがとう」

 案内されていく志織の背中を、じっと見つめて固まったままの幸弘に目をやると、くすりと笑う。

「ゆきくん!」

「は、はい!」

「手、止まってますよ」

「あ……す、すいません」

 慌てて手を動かし始めるものの、視線だけはどうしてもそちらへ向いてしまう。
 席に着いた志織は、ふっと遠くを見るような目になった。

(私は、二時間前だったけど……あの人は、一日前だったっけ)

 懐かしい光景が、静かに浮かび上がる。
 とある企業の受付にて、若い志織がカウンターに座っていると、そこに一人の男性がやって来た。

「本日十時より、沢渡課長とお約束を頂いておりました、田澤と申します」

「いらっしゃいませ」
「そちらに、おかけになってお待ちください」

 志織は受話器を取って、内線のボタンを押した。

「沢渡課長に、お約束の田澤様がお見えですが……え?」
「……はい、はい、わかりました」

 受話器を置き、溜息をつく。

「田澤様」

「はい」

 男性が立ち上がり、カウンターへ近づくと、志織は少しだけ申し訳なさそうに言った。

「お約束は、明日の十時だそうです」

「明日、ですか?」

 男性は慌てて手帳を取り出し、確認すると、顔を上げ、カウンターの横に置かれたカレンダーを見る。

「今日って……」

「はい、十二日です」

 その瞬間、男性の顔がみるみる赤くなった。

「完全にこちらの勘違いでした」
「お騒がせして、申し訳ありません」

 その記憶は、ふいに現実へ引き戻された。

「メニューは、こちらです」

 制服の上にエプロンを重ねた梨夏が、おしぼりと水を乗せたトレイを運んできていた。
 志織の前にそっと置くと、小脇に挟んでいた手書きのメニューを差し出す。

「ご注文、お決まりでしたら、お声掛けくださいね」

「ありがとう、お手伝い、偉いね」

 志織がそう言うと、梨夏は少し照れたように笑う。

「そんなことないですよ、うち、好きでやっちょるんやけえ」

 そのまま軽やかに立ち去っていく背中を見送りながら、志織はゆっくりと店内を見渡した。

(随分、流行ってるのねえ)

 やがて、注文した料理を平らげた志織が、軽く口元を拭く。

(ふう、美味しかった)

 志織は小さく息をつき、グラスに残った水へそっと手を伸ばした。
 カウンター越しの厨房に目をやると、幸弘が忙しなく手を動かしている。
 注文を捌き、皿を送り出し、時折スタッフに短く声をかけていた。

「こちら、サービスです」

 顔を戻すと、梨夏がにこにこと笑いながら立っていた。

「父の手作りなんですよ」
「うちも姉も、大好きなんです」

 テーブルに置かれたのは、シュークリームとコーヒーだった。

「シュークリーム……」

 思わず、言葉が漏れる。
 空いた皿を、梨夏が手際よく重ねながら言った。

「空いたお皿、お下げしますね」
「コーヒーのお代わり、必要でしたらおっしゃってください」

 志織は、シュークリームを見つめたまま小さく返す。

「……ありがとう」

 その丸みのある形を見た瞬間、胸の奥にしまっていた時間がまた静かにほどけていく。

 前回の翌日。

 受付に座る志織の前に、昨日と同じ男が現れた。

「あ、田澤様。いらっしゃいませ」
「いま、沢渡にお繋ぎしますので、掛けてお待ちください」

「ありがとうございます」

 幸弘はそう返しながら、ふと志織の名札に目を向けた。

「あの、多辺さん」

「はい?」

 差し出されたのは、小さな紙袋だった。

「これは?」

「昨日、お騒がせしたお詫びです」

「わあ、ありがとうございます」

 思わず顔がほころぶと、幸弘は少しだけ照れたように笑った。

「ぜひお召し上がりください」

 そう言い残し、そのままオフィスの奥へ消えていく。
 志織は手元の紙袋へ目を落とした。
 見覚えのある店のロゴ、少し洒落たデザイン。

「ここのシュークリーム、美味しいのよね」

 回想が静かにほどけ、また厨房に目をやると、柔らかい笑顔の幸弘が、薦めるように掌を向けた。
 志織は笑い返して頷くと、目の前のシュークリームへゆっくり視線を落とした。

(思えば、あれが始まりだったんだよね……今の私も)

 そっと一口、運ぶと、わずかに目を見開いた。

(え?)
(めっちゃ美味しいじゃん!)

 思わずもう一口かじり、すぐにコーヒーへ手を伸ばし、ひとくち啜ると、ふっと肩の力が抜けた。

(あー……なんか、幸せ)

 その様子を、厨房から由美加がそっと覗き込んで、小さく微笑む。

 店先の札が、営業中から準備中へと裏返され、ランチタイムの慌ただしさが、少しずつ引いていった。

「お疲れ様でした」
「宮内さんは、今日は夜は無理でしたね」

 幸弘が声をかけると、宮内がエプロンを外しながら申し訳なさそうに頭を下げた。

「すいません、どうしても外せん用事がありますけぇ」
「気にせんでええですよ、夜は田村さんも来てくれますけえ」
「石田さんは、夜も大丈夫かいね」

「はい、主人と子供の夕食を作ってきます」

 そのやり取りの横で、由美加がすっとタッパーを二つ差し出した。

「じゃったら、これ持っていきんさい」
「宮内さんも」

「いつもすみません」

「ありがとうございます」

 二人が揃って頭を下げると、幸弘は軽く手を振る。

「気にせんでええよ。お互い様じゃ」

 そうして店を出ていく二人の背中を、見送ると、由美加がくるりと志織の方へ向き直る。

「多辺さん、すみません」
「随分お待たせしてしまって」

 志織は慌てて首を振った。

「いえいえ、こちらこそ早く来すぎてしまって」
「とても美味しかったですよ」

 その言葉に、由美加の顔がぱっと明るくなる。

「じゃって! 嬉しかろう?」

 わざとらしく意地悪そうに笑ってから、すぐ厨房の方へ声を飛ばした。

「いつまでもそっちにおらんで、早ようこっち来んさい!」

 その声に押し出されるように、幸弘が厨房から姿を現す。
 どこかぎこちなく立ち止まり、それでも小さく笑った。

「やあ、その、久しぶりだね」
「今日は、どうしたの?」

 すかさず梨夏が横から口を挟む。

「お父さん、東京の言葉になっとるー!」

「向こうの人と話す時は、勝手に切り替わるんじゃ」

 幸弘が、少し照れくさそうに言い返すと、志織がくすっと笑った。

「アクセントは、変わらないけどね」

「ええ! そうなの?」

 思わず本気で驚く幸弘を見て、由美加がまた笑う。

「ふふ、ほら、ゆきくんも座りい」

 志織はノートパソコンを開き、画面を三人の方へ向けた。

「今回、由美加さんからご依頼を頂いて、いずみ亭様の新メニューのデザインを作成させていただくことになりまして」
「その試作をご用意させていただきました」

 その言葉に、幸弘が目を丸くする。

「ええ!? そんな話、聞いとりゃせんぞ!」

「言うてないもの」

「言うてもな……」

「せっかく杏奈もお世話になって、ご縁頂いたじゃろ?」
「いつまでも手書きより、お洒落なのがあった方がよかろ?」

 幸弘は一瞬言葉に詰まり、それから背筋を正すようにして言った。

「それには、異論は、ございません」

 その返しに、志織の表情がふっとやわらぐ。

(そりゃあ、そうよね、二十年だもの)
(ちゃんと夫婦と、家族の空気があるよね)

 画面に映し出された新しいメニューの試作を、幸弘と由美加は食い入るように見つめていた。
  由美加が素直に声を上げる。

「さすがじゃの、めっちゃお洒落じゃわ」

「すごいよ、多辺さん。これはすごい」

 二人の反応に、志織は少し照れたように笑った。
 たが、梨夏だけは、じっと画面を見たまま難しい顔をしている。

「あのー、生意気言うかもしれんけど」

 三人の視線が一斉に梨夏へ向く。

「ここの料理の写真の、この斜めの放射線の、こことここ」
「黄色と緑に変えたらどうじゃろ?」

 志織の目がわずかに見開かれた。

(え?)

 由美加がすぐに反応する。

「梨夏? 何言うてんの、凄い綺麗じゃないの」

 けれど志織は、落ち着いた声で言った。

「大丈夫ですよ、やってみますね」

 その場でマウスを動かし、梨夏の言った箇所を修正していく。
 画面の色が少し変わると、志織は思わず、心の中で息をのみ、梨夏に目を向けた。

(……この子)

「梨夏ちゃん、黄色と緑、どんなパターンがいいかな?」

 いくつかのグラデーションを並べて見せる。
 梨夏は迷う様子もなく、すぐに一点を指さした。

「これと、これの間ですね」

「なるほど」

 今度は画面の別の部分を指しながら言う。

「じゃあ、この料理の写真は、こっちに少しずらしたらどうかな?」

「あ! それバッチリです」

「じゃあ、これタッチパネルになってるから、梨夏ちゃんやってみて」

「いいんですか? じゃあ……」

「わあ! 凄い」
「梨夏ちゃん、凄いよ」

 幸弘と由美加は、ただ黙ってそのやり取りを眺めていた。
 打ち合わせがひと段落すると、由美加はエプロンを外した。

「さてと、志織さんは今日はお泊まりは?」

「はい、増田の方でと考えてましたけど、まだ手配してなくて」

「ほいじゃあ、ちょい待っちょって」

 由美加はスマホを取り出し、電話をかける。

「葛西さん? 今日、一人やけど空いとる? ほう、ほじゃったらお願いします」

「え?」

 あまりの早さに、志織は目を瞬かせ、ふと幸弘を見ると、苦笑いしている。

「町内の旅館だよ」
「こういうことは、ぱっぱと決めていくんだ」
「ごめんね」

「これでよし」
「じゃあ、ひとまず宿へ行きましょう」

「すみません、ご迷惑かけて」

「気にせんでええよ」
「ほいじゃ、ゆきくん、うちもあがるけえ」

 由美加はそう言って、振り返りざまに言い添えた。

「ワイン、用意しときんさい」

 幸弘は小さく肩をすくめる。

「仰せのままに」

 いずみ亭の夜、サルーンドアが鳴り、久保崎と澄水座の三人が店に入ってくると、店内の奥にひときわ賑やかなテーブルが目に入った。

「久保崎さん、いらっしゃいませ」
「高梨くんも、方丈(ほうじょう)さんも、ようこそおいで下さいました」

 幸弘が迎えると、健作がすかさず口を挟む。

「わしにはないんかい?」

「おう、よう来たの」

「なんじゃ? そりゃあ」

 健作は口を尖らせたものの、すぐ視線を奥へ向けた。

「あそこ、賑やかじゃの」
「て、ゆみかんさんやないか」

「わざわざ東京から、お客さんが来てくれてな」

「女将さんの、お友達ですか?」

 秀然が尋ねると、幸弘は少しだけ言葉を選ぶようにして答えた。

「いや、どちらかと言うと、私の古い知り合いでして」

 雄吾がそのテーブルを見やり、目を細める。

「でも、随分古くからのお付き合いのように見えますね」

 その視線の先では、志織と由美加がワインを前に盛り上がっていた。

「それからね、その時日除けの裏にプリクラ貼ってて」
「バレたら嫌だからって、目ぇ眩しいのにぱちぱちしてんの」

「うわっ! やりそう」
「未だに後先考えん人よ」

 弾ける二人の笑い声。
 久保崎は、その様子をしばらく眺めてから、ぽつりと呟いた。

「あの人なんだね」

「はい」

 幸弘も、観念したように小さく頷く。
 志織の話はまだ止まらない。

「ロケ地だからってね、あの俳優さんの真似、いきなりするんだもん」
「『おぃ、ちょ、待てよ』って」

「こっちはいきなりフェリーの甲板で、『くろーじゅあらいず』よ」

 由美加はテーブルを叩いて笑い、志織も肩を揺らす。
 久保崎が、そんな幸弘を横目で見た。

「田澤君」

「はい」

「恥ずかしくはないかい?」

「とても、恥ずかしい、です」

 下宿の杏奈のスマホが震えた。
 メッセージの差出人は、梨夏。

【凄い事になっとるよ】

 続けて送られてきた写真を開いた瞬間、杏奈は思わず目を見開いた。
 志織と由美加が、すっかり打ち解けた様子で笑っている。

【え! なんで!?】

【お母さんが、お店の新しいメニュー頼んだんじゃって】

 その文面を見た途端、杏奈の顔がふっとほどけた。

「二人とも、楽しそうじゃなあ」
「お父さん、どんな顔して見よるんじゃろ?」

 そう思いながら、視線を画面の下へ落とす。
 そこには、PDFファイル。

『PLANET LAND宣言 演説文』

 さっきまで送るつもりでいた完成版だったが、杏奈は指先を止める。

「出来たけど、今は送りづらいわ」

 送信ボタンの手前で、そっと画面を閉じた。
 
 同じ夜、歩美のアパートの呼び鈴が鳴る。
 残って滞在している母がドアを開けると、瀬良が笑顔を見せ、母親の顔も綻んだ。
 
「まあ、きらりちゃんいらっしゃい」
「いつも、気にかけてくれてすまねぇら」
 
「いえいえ、たこ焼き屋さんでバイトしてる後輩が、たくさんおまけしてくれたんで、お裾分けです」
 
 そのまま奥へ進むと、歩美も笑顔を見せた。
 
「部長、来てくれてありがとうございます」
 
「台本はどう? 杏奈チャンと連携とれてる?」
 
 歩美は、開いているノートパソコンに目を移した。
 
「はい、私の案も採用してくれて、最後の演説も仕上がりました」
 
 すると、今度は視線を落として顔を曇らせる。
 瀬良が怪訝な顔を向けた。
 
「どうしたの?」
 
「実は……こちらパートの次の四幕で、部長と田﨑さんの場面に入れたいものがあって……」
「でも、四幕は杏奈ちゃんの担当だから、気が引けて……」 
 
「どんなの?」
 
 歩美は黙ったまま、ノートパソコンの画面を瀬良に向けた。
 
「歩美ちゃん……これ、凄くいいよ!」
 
「でも……尺もあるし、追加するのは……」

「だから、前後の場面、そっくり替えちゃおう!」
 
「え?……でも」
 
 瀬良は笑って歩美にウィンクをした。
 
「お芝居には、つきものだよ」
「アドリブは」

── 第40章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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