第43話 燃え尽きた彗星
翌朝、いずみ亭の前に停まったワンボックスのスライドドアが開いた。
志織が振り返って、由美加に手を振る。
「それじゃ、ゆみかん」
「新しいメニューできたらまた来るね」
「それより、次はうちが東京行きたいわ」
「夢の国とか」
そう返した由美加に、志織がすぐ食いつく。
梨夏まで身を乗り出してきて、三人の笑い声が朝の店先にすっと広がった。
「それいいね! 制服とか着ちゃう?」
「じゃったらうちの貸そうか?」
幸弘は思わず額を押さえる。
「いや、二人とも立派な、おば……ゴホン、熟女が何を言うて……」
志織と由美加が、きれいに同じ角度で向き直り、声まで揃っていた。
「女子トークに茶々入れないでくれますか?」
「はあ、すいません」
荷物を積み込み、助手席のドアに手をかけた志織に、由美加がまた声をかける。
「ほじゃあ、志織さん、気をつけて」
「積もる話もあるじゃろう」
「わしは、なかなか気まずいんじゃけど」
志織がちらっと幸弘に目をやる。
「何がよ、今更」
口をつぐむと、そこへ梨夏が手を振った。
「それじゃあ、またね志織ママ」
「なんじゃ? それ」
由美加が肩を揺らして笑う。
「杏奈がおかあさんなら、梨夏はママにしよう言うてな」
「なんか、違うママみたいじゃな」
幸弘がそう言うと、志織が冷ややかに笑った。
「あなたも、すっかりおじさんになっちゃったのね」
志織は、ワンボックスのドアに手を掛けたまま、ふと思い出したように振り返る。
「じゃあ、ゆみかん、また連絡するね」
「あと梨夏ちゃん」
名前を呼ばれて、梨夏が少し背筋を伸ばした。
「はい、例の件ですね」
「一緒に頑張ろうね」
「うち、がんばります」
その返事に、由美加もうなずいた。
「ほじゃあ、気をつけて」
ひと呼吸おいて、視線がすっと幸弘へ向く。
「あと、ゆきくん」
「なんでしょう?」
「ハグまでは許します、そっから先は」
「何を考えとるんじゃ?」
間髪入れずに返すと、由美加は涼しい顔のまま告げた。
「あんたは感覚と勢いの人じゃけぇ」
幸弘はたまらず梨夏を見る。
「梨夏の前でやめなさい」
「うちは平気やよ」
あっさり返されて、ますます困った顔になる。
「お父さんの方がいかんわい!」
由美加がとうとう吹き出した。
「ええから、はよ行きんさい」
「飛行機遅れるじゃろ」
朝の店先に、また笑い声が広がって行くのだった。
ワンボックスは、空港へ向かう林道を走っている。
運転席に幸弘、助手席に志織。
志織がふっと息を吐く。
「ねえ」
「なんだい?」
「何か、話すことないの?」
ハンドルを握ったまま、幸弘は少しだけ笑う。
「ありすぎて、まとまらないんだよ」
「確かに、それはあるかも」
志織が、窓の外に広がる、植林の景色を眺めながらつぶやいた。
「なんたって、25年ぶりだもんね」
「その……あの時の人とは、残念だったんだね?」
「言い方!」
即座に返ってきて、幸弘は苦笑する。
「すみません」
志織もつられて小さく笑った。
「私もいろいろ反省してる」
「……それに」
「まだ高校生だった聡志に、全部話しちゃって」
幸弘は前を見たまま言う。
「苦労、したんだね」
「俺なんか、親父の残した店をなんとか潰さないように、それで精一杯だった」
「それだって凄いじゃない」
「君みたいに、ゼロから起業して、軌道に乗せてって」
「俺には考えられないよ」
志織は少しだけ肩をすくめた。
「そんな大したもんじゃないよ」
「その台詞を言えるのが、大したもんなんだよ」
「うわっ、おじさんくさ」
「おじさんだから、しょうがないだろう?」
そう返すと、志織が肩を揺らして笑った。
「いつぶりかなあ、あなたの助手席」
「あのスターレットで、海ほたるに行った時だね」
「懐かしいなあ」
志織が窓の外を見たまま、少し目を細める。
「あなたは、とにかく急いでたもんね」
「何もかも」
幸弘はすぐには答えず、木立の続く道へ視線を流した。
「今は、穏やかなもんさ」
「杏奈ちゃん、昔のあなたにそっくり」
「それは、可哀想だろ?」
志織が吹き出す。
「顔の話じゃなくてさ」
「急いで、ひとりで抱え込んで、先へ行こうとするとこ」
幸弘は小さく鼻で笑った。
「今はそうでもないよ」
「きっと、聡志くんのおかげだよ」
「聡志か、あの子、なんだかあなたみたいなとこ、あるよ」
「俺みたいって?」
志織はそこで、いたずらっぽく口元を上げた。
「あのチャラい見た目のわりに、超絶奥手なの」
幸弘は、ふっと息を漏らした。
「彼は、君に良く似てるよ」
「繊細な心を見せないように、頑張って振る舞っている」
「あなたは人をよく見てるね」
「これでも、長いこと客商売だからね」
車は林道を抜けて、やがて日本海を臨んだ。
やがて空港の駐車場に車を入れると、二人は並んで車を降りる。
「ここまででよかったのに」
「あなたも鳴門行くんでしょう?」
「うちの奥方からさ、いい土産選んでやれって命令されてるんだよ」
志織がくすっと笑う。
「すっかり尻に敷かれちゃって」
「あの人は、何もかにも筋が通ってるからね」
幸弘がそう返すと、志織の笑みが少しやわらいだ。
「ほんとだよね」
「私では……敵わないよ」
「杏奈ちゃんも、梨夏ちゃんも、あんな良い子だから」
「だろ?」
誇らしげに言ってから、少し照れたように続ける。
「年を重ねるごとに、どんどん頭が上がらなくなるんだよ」
「本当に、あなたは、ゆみかんに良く出会えたよ」
すぐには返さず、ひとつ頷いて、二人は歩き出した。
売店で土産を選び終え、保安検査場の入口で二人は向かいあった。
幸弘が掌を向ける。
「じゃあ、また来月、鳴門で」
「それで終わり?」
「え?」
「せっかく奥様から許しが出てたのに」
「なんの話?」
次の瞬間、志織がふわりと幸弘の胸に顔を埋めた。
幸弘は一瞬だけ身体をこわばらせる。
「ちょっと、俺の地元なんだよ?」
「知り合いに見られたら」
「そんなの、ゆみかんが全部突っぱねてくれるよ」
胸元のくぐもった声に、幸弘は思わず表情を崩し、そっと背中に手を回した。
「それも、そうだね」
志織が、ポツリと言葉を出した。
「杏奈ちゃんはすごいね」
「なにが?」
「あの子の重力」
「何でもかんでも引き寄せちゃうから」
幸弘は目を閉じて頷く。
「ほんとうに、そうだね」
志織が身体を離すと、何も言わずに手を振り、そのまま検査場の向こうへ消えていく。
その背中を、幸弘はしばらく見ていた。
やがて、志織を乗せた飛行機が滑走路を走り出す。
白い機体はふっと空へ浮かび、そのまま雲の中へ昇っていった。
幸弘は車にもたれたまま、見えなくなるまで目で追っていた。
いずみ亭に帰るころには、もう夕方が近づいていた。
「ふう、今日休みにしといてよかったわ。ただいま」
自宅スペースの玄関から上がり、リビングへ入った途端、由美加が険しい顔で振り向いた。
「ゆきくん!」
「なんじゃ? 疑っとるんか?」
「なんもしちょらんぞ! お互い歳も歳じゃし、まあ、ハグはしたけど」
「そんなことは、どうでもええ!」
「ちょっと見て!」
強い口調で促され、幸弘は言われるまま視線を向けると、そこにいたのは、パソコンの前で夢中になってマウスを動かす梨夏だった。
画面の中でカーソルが忙しく走る。
文字を置き、画像を重ね、全体の配置を組み替えていく。
モニターに並んでいたのは、舞台衣装に身を包んだ出演者たちのビジュアル、ポスター案、タペストリー案――
幸弘は、しばらく言葉が出なかった。
「うち、中学の時から、デザインソフト自分で勉強しとったんよ」
「うち、寂しかった」
「お姉ちゃんや、聡志兄ちゃんの仲間になれんで」
幸弘が、ごくりと唾をのむ。
その気配を背中で受けながら梨夏は、はっきりと続けた。
「……これでうちも惑星」
「プラネットランドやけぇね」
志織は、オフィスに戻り、椅子に腰を下ろすと、パソコンを立ち上げる。
すぐに梨夏からのメールの添付ファイルに気づいた。
(仕事が早いわね)
ファイルを解凍し、開く。
(なに……これ)
思わず、画面に顔を近づけた。
いずみ亭では、梨夏が椅子から背中を離し、大きく伸びをした。
「あー! 出来た!」
くるりと首を回して、にやっと笑う。
「志織ママ、気に入ってくれるかな?」
画面を見つめたまま、志織の視線がわずかに揺れる。
(幸弘さん)
⸻
同じ頃、いずみ亭の奥で、幸弘は静かに目を閉じていた。
(志織さん)
⸻
(俺たちは、一瞬通り過ぎた彗星だったね)
(もう、走り終わって燃え尽きちゃったけど)
(君の聡志くんが)
(あなたの杏奈ちゃんと、梨夏ちゃんが)
(しっかりと、そこに立っているよ)
(そこに存在して、自分で軌道を描いていく)
(惑星)
学生会館。
宮坂がノートパソコンに向かい、舞台配置の図面を引いていた。
そのとき、画面の隅に通知が灯り、手を止めた。
「多辺代表から?」
被服サークルの部室では、ミナが衣装の縫製に手を動かしている。
ハンドメイドサークルの一角では、ユズが小道具の仕上げに集中していた。
演劇部の部室。
聡志と杏奈、峯岸が稽古に向き合う。
その場には、瀬良と田﨑、歩美の姿もあった。
それぞれのスマートフォンに、同時に通知が届く。
宮坂
【代表から、ポスターのデザインが届いたよ】
やがて、メンバーが学生会館へと集まってくると、宮坂がノートパソコンの前に立った。
「それじゃあ、開くよ」
画面が開いた瞬間、全員が息を飲む。
そこには、舞台衣装に身を包んだ出演者たちが、整然と並んでいた。
そして、ひとりひとりの背後に、緻密に描かれた物語の舞台の景色が描き出されている。
聡志の声が、静かに落ちた。
「これ、おふくろが作ったやつじゃないな」
杏奈が不思議そうに顔を向ける。
「どうしてわかるんですか?」
「おふくろのデザインって、全体的に均一にまとまってるっていうか」
「色合いも、基本に忠実なんだ」
「こんな攻めたもの、絶対作らない」
「オカーサンじゃなかったら、誰なん?」
ユズの問いに、宮坂が画面を指した。
「メッセージに書いてるよ」
【皆さん、頑張ってますか?】
【今回のポスターは、とある協力者の方に、皆さんの写真データを渡して作ってもらいました】
【最初は、配列や色合いを相談するつもりだったけど、彼女はいきなり最高の物を仕上げてくれました】
【その人は、田澤梨夏さんです】
ミナの声が、少しだけ震える。
「梨夏ちゃんが、これを?」
「凄いな……普通に映画のポスターやん、これ」
画面を見つめてる杏奈の頬を、静かに涙が伝っている。
「梨夏……いつの間に、こんな……」
聡志が、そっと肩に手を置く。
「いいね、これ。凄くいいよ」
瀬良が一歩前に出て溜息を漏らすと、田﨑も頷く。
「私らも、これに負けないように頑張んなきゃね」
「嬉しいですよね」
「普段の部活じゃ、こんな経験できませんよ」
その場で、高々と手を振り上げて、声を上げた。
「よーし! もう差し迫ってんだ! 気合い入れて稽古するよ! 野郎ども!」
田﨑がまた、ふっと鼻息を吐いて視線を逸らす。
「だから、それじゃあ海賊か山賊ですって」
「ぴえん」
そのやりとりを見ていた歩美も、口元を綻ばせて杏奈を見ると、目が合い、無言で頷き合った。
いずみ亭では、澄水座の面々がプリントアウトしたポスターデザインを囲み、思わず声を上げていた。
「梨夏が、これを?」
「こんな才能があったんじゃな」
健作が目を丸くすると、秀然は自分のビジュアルを見つめたまま感心したように頷く。
「私のデザイン、いいですね」
「この、なんとも言えない胡散臭さ」
「最高ですよ」
「ご住職、今回かなり切り込んだキャラクターですからね」
「けど……」
雄吾はそこで言葉を切った。
「銀河座にいた頃を思うと、自分がこんなに大きなポスターになるなんて、信じられません」
久保崎は何も言わず、満足気に目を細めてワインをひと口含んだだけだった。
「印刷ができたら大量に届きますから、皆さんの所にも貼ってくださいね」
幸弘がそう言うと、秀然がはっと顔を上げる。
「あ、そうでしたね」
「キャラ設定に夢中で、うっかりしてました」
「どしたんね」
「いや、この姿をお檀家さんに見られてしまうのかと思うと……」
その場が、どっと笑いに包まれた。
幸弘はそっと厨房に入る。
スマホを開き、保存してあるファイルを押した。
『PLANET LAND宣言 演説文』
文字を目で追ううちに、口元が少しずつゆるんでいく。
(杏奈、お前はすごいな)
(お前も、梨夏も、俺の誇りじゃ)
(ふたりとも、わしと母さんのところに来てくれて)
ふと顔を上げて、厨房の壁に飾られた家族写真を眺めた。
(本当に、ありがとう)
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。