第45話 ミケランジェロ誕生
時間は少し遡る。
席についた梨夏は、志織から手渡されたパンフレットをそっと開いた。
「凄い……本物の映画のパンフレットみたい」
「梨夏ちゃんが作ってくれたから、張り切っちゃった」
「色合いとかどう?」
「すごくバランスも良いです」
「本当に? お世辞じゃない? だったら嬉しいよ」
「梨夏ちゃんに見せるのが、一番緊張したからね」
その横で、由美加はあらすじのページに目を落としながら、ぽつりとこぼした。
「このお話を杏奈が書いたんか思うたら、信じれんわ」
◽️あらすじ◽️
時は近未来。
世界は幸福に満ちていた。
清潔な町。
平和な世界。
しかし、それは本物であって、紛い物でもあった。
人間は「適正相性」によって管理され、一定の数値を上回った者だけが、他者との関わりを許される。
出会いも、恋愛も、仕事も。
適正相性の管理を統括するシステム、ミケランジェロのもと、選ばれた者同士だけが繋がる世界。
それは人間を、世界を動かすためのただの機能へと変え、人間は、「ヒト」というひとつの“種”として扱われていく――
◽️キャスト◽️
聡志 …… 多辺聡志
ミケランジェロ …… 峯岸海斗
ドクトルユーゴ …… 高梨雄吾
シューゼン大司教 …… 禿谷(かむろだに)秀然
ケンサック …… 田澤健作
ユーマ …… 宮坂悠真
ミナ …… 梁本美奈世(やなもとみなせ)
ユズ …… 大橋柚乃
マサネ …… 田﨑雅音
セラ・フラッシュ …… 瀬良姫良理
語り …… 田澤杏奈
「……あれ?」
パンフレットを見ていた梨夏が、ふと顔を上げた。
「瀬良さんとお姉ちゃんの間、不自然に開いてますね」
志織が、少しだけいたずらっぽく笑う。
「ちょっとした仕掛けがあってね」
「間にもう一人いるの」
「サプライズでね」
「ひょっとして、本物の有名な役者さん?」
「有名、ではないけど……間違いなく本物よ」
その時、ホールの照明が落とされた。
スクリーンに、大きく「5」の文字が浮かび上がる。
カウントダウンが始まった。
やがて、開演を告げるブザーが鳴り響く。
重い駆動音とともに、回転舞台が動き出した。
舞台の縁に仕掛けられた電飾が、ひとつ、またひとつと灯っていく。
その光は波のように左右のセンターステージへの花道へ走り、暗闇の中に一本の道を描き出した。
ホールを包んでいた荘厳な絵画は、もはや何も見えない。
その舞台の奥から、乾いた足音が、センターステージへ向かって響いていく。
「電飾のタイミングオッケー、花道は?」
宮坂の声が、無線に乗ると、宮西が即座に返し、森山が続けた。
「ドクトル、オッケー」
「司教も準備完了」
「いつでも行ける」
「じゃ、五秒後にドクトル出発で」
宮坂が言って、無線機のチャンネルを切り替える。
「河瀬くん、三秒後にドクトル側のライト照射、頼む」
「わかりました」
短く返る河瀬の声。
「二、一――今だ!」
その瞬間、サーチライトが片側の花道を鋭く照らし出す。
そこに、白衣のドクトル・ユーゴが現れた。
宮坂が、ほとんど独り言のように呟く。
「さあ、始まるぞ。田澤さんの生み出した世界が」
「僕らの、『PLANET LAND』が!」
舞台袖の演奏隊では、日崎と佐藤が顔を見合わせ、静かに頷き合う。
次の瞬間、指揮者のタクトが翻った。
シンセサイザーとヴァイオリンの旋律が、ゆっくりと流れ始める。
その演奏に乗るように、ドクトル・ユーゴが正面ステージへ踏み込んだ。
回転舞台の研究所セット、その机の端に腰を下ろし、深く頭を抱える。
やがて、顔を伏せたまま、低い声が漏れた。
「人間とは、かくも愚かな存在だとは、思わなかった」
「平気で人を裏切り、傷つけ、遠ざける」
「なんとも救いようのないものだ」
次の瞬間、スクリーンに少し前のユーゴの姿の映像が浮かび上がった。
「教授、この論文は私の提出したものではないですか? なぜ教授の名前なのです?」
問いかけに対し、返ってきたのは声だけだった。
「何を言っているんだね? 私はこの研究チームを束ねている身分だ」
「君はその中の、いちスタッフに過ぎない」
「しかし、この適正相性理論は、教授が鼻で笑っていたじゃありませんか?」
「私は研究チームとは一線を画して、独自に作成したのですよ」
教授の声は、どこまでも冷たい。
「それがどうした?」
「学会の発表は、名前が大切だ」
「単なる一研究者の君と私、どちらが信頼できるか、わかるだろう?」
「しかしですね――」
「これ以上の議論は不要だ」
「君は今日付で解雇する」
「そんな……待ってください!」
その叫びを遮るように、教授の声が落ちた。
「君の理論に言わせたら、私と君の相性は、適正ではなかったんだよ」
スクリーンの映像が消えて新たな伴奏が流れると、花道が照らされた。
司祭のローブをまとい、顔をくまどりに彩ったシューゼンが姿を現す。
「……あれ、和尚さん?」
客席で、梨夏が思わず目を丸くすると、由美加が、半ば呆れたように笑った。
「方丈(ほうじょう)さん、ノリノリやね」
シューゼンは不敵な笑みを浮かべたまま、正面舞台、ユーゴのもとへ歩を進めていく。
声音は大仰で、どこまでも胡散臭い。
「ふふふふふ……あはははは」
「哀れなるものよ、愚かなるものよ」
「神より賜った翼を、手折られしものよ」
「あなたの苦しみ、私に話してみませんか?」
ユーゴがゆっくりと顔を上げる。
「あなたは?」
「私は司祭シューゼン」
「あなたの適正相性理論に、大いに感銘を受けた者です」
ユーゴは、顔を上げたまま冷たく言い放つ。
「私は、神のことは興味がありません」
「ふふふ……あなたの傷ついた心は、神の御心によってのみ癒されると言うのに、ですか?」
「どう言う事だ?」
「あなたは、酷い裏切りに打ちひしがれているようだが、人間とは、かくありきな生き物なのです」
シューゼンが、ゆっくりと片腕を掲げた。
「ご覧なさい!」
その瞬間、照明が切り替わる。
天井の《楽園追放》が、闇の中に浮かび上がった。
「かつて、悪魔である蛇の甘言に惑わされ、神の禁忌を破り、楽園を追放されたアダムとイヴ――」
くまどりに彩られた顔が、不気味な光の中で笑う。
「我ら人間は、神への裏切りから始まった種族なのです」
ユーゴの声は、まだ冷静だった。
シューゼンの声が、静かに重なる。
「だから私は、神学の講義を聞くつもりはない」
「あなたの理論を形にするお手伝いをする、と言ってもですか?」
ユーゴの視線が揺れる。
「なんだと?」
「あなたの理論は素晴らしい」
「最適な組み合わせの者同士が結ばれ、繋がる」
「争いもない」
「裏切りもない」
「真の幸福のみに溢れた世界――」
「あなたにしか、作れません」
その一言が、深く突き刺さる。
「私に何をしろと言うんだ」
「わが教団が、全力で後援いたします」
「あなたには、あなたの理論を実現する装置を作ってほしい」
「しかし、あれはもう、私のものではない」
ユーゴが目を伏せると、シューゼンの声が、わずかに低くなる。
「いや、真に理解しているのは、あなただけだ」
「名声のみにしか興味がない、あの教授ではない」
「なぜ……それを」
ユーゴが顔を上げると、シューゼンは、ゆっくりと笑った。
「神はなんでも、お見通しなのですよ」
「かつて神は、心正しき人間と、生き物たちを残すため、ノアに方舟を作らせて、悪しき者たちのいない世界へと作り直しました」
シューゼンの声に合わせるように、《ノアの方舟》の絵が照らし出される。
「しかし、愚かな人間はそれでも、後悔、苦悩、絶望を繰り返す宿命から逃れられない」
照明の灯が切り替わり、ほかの物語の絵が順番に闇の中へ浮かび上がっていく。
「しかし、あなたの理論によって構築されるシステムは、真に人間を幸福に導くものなのです」
何も言わず打ち震えているユーゴに、シューゼンが大きく両腕を広げた
「方舟を……作るのです」
「あーっははははは!」
哄笑と伴奏を残し、ローブの裾を翻してシューゼンは退場する。
あとに残されたユーゴは、ゆっくりと腰を下ろし、画面を見つめた。
「方舟か……」
その呟きが、静かに漏れる。
「そうだ、後悔がなければ、苦悩しなければ――」
ユーゴが、ゆっくりと顔を上げる。
「人は、絶望することはない!」
そこにナレーションが、静かに響く。
「これが、すべての始まりでした」
客席で、梨夏が小さく呟く。
「お姉ちゃんや」
その横で、由美加が手を組む。
「杏奈、しっかりやりんさいね」
志織も、まっすぐ舞台を見つめた。
「杏奈ちゃん……」
舞台裏、マイクの前に立ち、続ける杏奈。
その姿を、幸弘が目を細めて見守っている。
「本当に、最適な者同士が出会い、結ばれ、繋がるなら、理想的な世界になるかもしれません」
「しかし、それは別の、恐ろしい社会の現実も隠されていたのです」
舞台上のユーゴの手の動きに合わせて、スクリーンにプログラミングコードが打ち込まれていく。
「人間の感情を数値化する」
コードの羅列は止まらない。
「この基準値をクリアした者が、誤差の少ない相手と引き合わされる」
「互いの幸福のために」
スクリーンに、Enter (エンター)の文字が浮かび、ユーゴは目を見開いた。
「人類よ、今こそ乗り込むのだ」
「私の、方舟に!」
キーを押し込んだ瞬間、荘厳な伴奏がホールに響き渡る。
それと同時に、ホール正面の壁画を照らす照明が点灯した。
闇に閉ざされていた壁画の全容が、ゆっくりと浮かび上がる。
センターステージに、世界の断片を集めたローブに身を包んだシステムのシルエットが現れた。
シューゼンの声が、背後から響く。
「完成したようですね」
「シューゼン司祭、あなたのおかげだ」
「早速、試させていただきましょう」
「ケンサック!」
声が飛ぶと同時に、花道にセキュリティーガード姿のケンサックが現れた。
迷いのない足取りでユーゴに近づき、その腕を後ろ手に拘束して制圧する。
「何を……?」
シューゼンは、くまどりの奥で笑みを崩さない。
「なぁに、ただの試運転ですよ」
ユーゴの腕に端末装置を巻きつけるケンサック。
その瞬間、スクリーンにそれぞれの感情数値が現れ、いくつかの項目が赤字に変わった。
さらに、けたたましくアラームが鳴り始める。
シューゼンの声が、静かに響いた。
「これで解りましたね」
「あなたが裏切られ続ける理由」
「適正相性の基準値に達していなかっただけなのです」
制圧から逃れようとして、ユーゴは身をよじる。
「そんな、馬鹿な」
「あなたは、乗る資格が無いのですよ」
「自身が造った、方舟にね」
「ケンサック、連れて行きなさい」
「どこへ連れて行くつもりだ」
「行けば解りますよ」
「古い世界の残滓が漂う場所です」
「ふざけるな! 離せ!」
ケンサックは無言のままユーゴの手を掴み、そのまま花道を退場していく。
花道を出て、控えに戻った健作と雄吾のもとへ、ユズがペットボトルを持って駆け寄った。
「雄吾さん、お疲れ様です!」
けれど、雄吾はその声にすぐ反応しなかった。
顔を上げた目が、鋭くユズを睨みつける。
「なんのつもりだ?」
「雄吾さん……」
その声に、雄吾がはっとする。
一瞬で、目の色が戻った。
「ごめん」
「すまないね、悪い癖だ」
「ありがとう」
舞台中央には、システムとシューゼンだけが残っていた。
センターステージに、静かにスポットが当たる。
「適正相性管理統括システムよ」
「あなたに名前を差し上げましょう」
「名前?」
「いかにも……」
シューゼンは、ゆっくりとホールの壁画、そして天井絵を見渡した。
「ミケランジェロ」
「人類を幸福に導く、新たな神」
「……神」
ミケランジェロの声には、感情の揺らぎがない。
「新しい世界を作りましょう」
「私と、あなたで」
「新しい世界」
「神」
「人類を、導く」
無機質な応答が、かえって不気味に響く。
「くふふふふ……あはははは……あーっはっはっは」
シューゼンの哄笑が、ホールに広がる。
やがて照明が落ち、舞台は闇に沈んだ。
「ここから、物語は始まります」
静かなナレーションが流れる。
客席は静まり返って、その声に耳を傾けていた。
第一幕、了。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。