第46話 適性相性
暗転の間、回転舞台の裏側では、忙しない作業が始まっていた。
丸い壁面には、夕刻のビル群を映した背景が手早く貼られていく。
さらに、街路沿いを思わせる消火栓やゴミ箱が次々と運び込まれ、所定の位置に置かれていった。
限られた転換時間の中、頼りになるのは投光器の灯だけだった。
半円の壁面の向こうから漏れる光が、その輪郭を淡く縁取っている。
「なんか、日食みたい……」
客席で、梨夏が小さく呟いた。
その頃、控えでは秀然が鏡の前に座り、化粧直しを受けていた。
安積が楽しそうにはしゃぐと、秀然が苦笑する。
「すごい良かったですよ♪」
「めちゃ胡散臭かったです♪」
「そうでしょう?」
「かなり意識しましたから」
「けど、汗を拭けないのは辛いですね」
「大丈夫、何回でも直しちゃいますから♪」
舞台裏の準備が完了し、そこに聡志が上がり、森山の声が飛ぶ。
「聡志くん、スタンバイOK」
宮坂が続ける。
「よし、舞台回転始めて」
「回転完了したら照明点灯」
聡志はが深く息を吐いて顔を上げると、その先に、杏奈の姿がある。
「いい顔してんな」
「聡志くんも」
その返しに、聡志の表情がふっと崩れた。
「行ってくる」
「見ててくれよ」
「頑張ってください!」
舞台が音を立て、ゆっくりと回り始めた。
回転が完了すると、壁画に照明の光が当たる。
そして、スクリーンには宇宙に浮かぶ地球の映像が映し出され、杏奈の声が、静かに響いた。
「この世界は、完成されています」
スクリーンの景色が、緑豊かな原野、澄み切った青空、整然と並ぶ街区へと、次々に切り替わる。
「空は澄み、街は清潔で、無駄がありません」
「しかし、人間たちは、常に計測されています」
再びスクリーンが切り替わる。
手首の端末では、心拍、体温、脳波、会話の抑揚までもが波形となり、数値へ変換されていく。
「感情は数値化されます」
「悲しみは、レベル3」
「喜びは、72%」
「共感性、41」
「対人適正、58」
数字が、整然と並ぶ。
「恋や友情は、“適正相性”によって許可されます」
映像の中で、人と人が、ぶつからない距離を保ってすれ違う。
まるで、傷つかない関係を維持するかのような、誤差のない笑顔を繰り返していた。
「徹底的な計測により、基準値を超えた者だけが繋がれる一方で、その裏で排除される者がいる」
「管理によって支配される人生」
「それはもはや人間を、“ヒト”という単なる一つの『種』へと位置づけてしまいました」
その声が落ちると、聡志がふらつくような足取りで、街並みの舞台を歩く。
「こんなはずは、ない」
「こんなはずじゃ、ないはずだ!」
震える指で手首の端末を操作すると、次の瞬間、脈動のような低い音が響き、スクリーンに計測結果が表示された。
悲しみ レベル5
喜び 67%
共感性 38
対人適正 43
「何故だよ、なんでだよ」
中央舞台にスポットが当たり、そこにミケランジェロの姿が浮かび上がった。
スクリーンには、"ERROR”の文字が浮かび、ブザー音が鳴り響く。
その音を合図に、淡々と冷酷に話すミケランジェロと、感情を表に出して捲し立てる聡志のやり取りが始まった。
「ヒトよ……基準値を満たさざる存在は、この世界には不要だ」
「ふざけるなよ! こんな数字で、何がわかるんだよ」
「ヒトは、幼少期、少年期を経て、成人という成熟期を迎える」
「世界を創っていくのは、成熟したヒトである」
「そのためには、より良い組み合わせによる繋がりが必要となる」
「それが、適正相性だ」
ミケランジェロの仮面の赤い目が、光を放つ。
「より良い組み合わせにより生まれた者同士が、新たな関係を構築し、また新たな関係を生み出す」
「後悔も、苦悩も、絶望もない」
「あるのは、幸福だけだ」
「それではなぜ! その適正相性に従って生まれた俺が、基準値を下回るんだ」
「その計測器は、青年期を迎えたヒトに与えられる」
「持って生まれた性質だけではない」
「幼少期、少年期に培われる思考パターンや感情が、世界を創るうえで重要なものだからだ」
「そして、何事にも“誤差”は生じる」
「適正に管理していても、エラーは想定の範囲内だ」
「エラーは排除対象として処理される」
「処理……だと? 人間を何だと思っているんだ!」
「“ヒト”という、単なる固有種に過ぎない生命体だ」
控えでは、モニター越しにミナとユズが舞台の様子を見つめていた。
「聡志、いつもと違うね」
「うん、なんや、作ってないな」
「自然でリアルや、芝居の感じがあらへん」
ミナが、画面から目を離さずに言う。
「一周回って自然体の演技か」
「あいつも、レベルアップしてんだね」
ユズがふっと鏡台に目を向ける。
そこには、長い白髪のかつらと白髭を装着し、安積の手によって白眉に仕上げられている雄吾の姿があった。
「雄吾さん……」
ユズは思わず声を漏らし、その隣で、ミナは舞台中枢の本部席に目をやる。
そこでは宮坂がマイクを握ったまま、忙しなく指示を飛ばし続けていた。
「ゆうま、今日のあんたが一番カッコいいよ」
舞台に戻ると、仮面の目の光が一段と輝きを増していた。
「誤差によるエラーがあるからこそ、心が荒み、争いを呼ぶ」
「ヒトの幸福を損なう不純物だ」
聡志は、両膝をつき、力なく項垂れた。
「ふざけるな! シューゼン大司教も言っていたじゃないか」
「人類は、誰しもが幸福になるために生まれて来たと」
「幸福な人生が約束されていると」
すると、伴奏とともにシューゼンが現れる。
「仰る通りです」
「ヒトは、生まれながらに幸福が約束されています」
「だったら何故!」
「基準以下の誤差を排除すればこそ、んふふふふ」
客席で、由美加が口元をぎゅっと結ぶと、隣で志織が小さく吹き出した。
「方丈(ほうじょう)さん、なかなか腹が立ってくるねえ」
「それだけ、上手なんだよ」
シューゼンが聡志に近づき、手首の端末を取り外す。
「誤差のあなたに、これはもう必要ないものです」
「それが、我らが神たるミケランジェロの御心なのですから」
聡志は両手を床につき、拳を握りしめたまま肩を震わせる。
「御心……心、だと? システムにそんなもの、あるはずがない」
シューゼンは、不敵な笑みを崩さない。
「ありますよ」
「ミケランジェロの中には、世界中すべてのヒトの感情が記録されています」
「みんな幸福になり、幸福にできる」
「しかし、エラーには、それは不可能だ」
聡志の声が、かすれはじめた。
「そんなはずはない……そんなはずは……」
「これ以上は、時間の無駄ですね」
シューゼンが、静かに言い切った、その時、病室ではフタバが医師と看護師に見守られながら、画面を食い入るように見つめていた。
「冷たい言葉やね……けんど、弾かれても、戻ろうとする者もおるがやきね」
その視線は、舞台上のミケランジェロへ向けられ、マスクの赤く光る眼を、まっすぐに見据えていた。
(海斗……)
再び舞台へ戻る。
仮面の両眼の、赤い二つの斜めに伸びる光を揺らしながら、ゆっくりと歩み始めた。
大きな靴音が、ホールに響き渡る。
その緊張感に固唾を呑みながら、河瀬が思わずこぼした。
「これが、ほんまの舞台か……すごい緊張感じゃのう」
「聡志さんも、普段と同じで、普段と違う」
「よう目を離せん」
客席では、由美加たちから少し離れた席に、高校生らしき一人の少年が座っていた。
その目は鋭く、どこか怨嗟を含んだような眼差しで聡志を見つめていた。
「あいつが……多辺聡志」
舞台上で、聡志がゆっくりと立ち上がり、ミケランジェロと正面から対峙した。
その瞬間、少年がぎりっと歯を鳴らす。
「俺の……兄貴」
一方控えスペースでは、ミリタリー衣装に身を包んだ演劇部の面々が整列していた。
その前を、田﨑が忙しなく行き来している。
目つきは、普段の穏やかなものではなく、大きく見開かれ、血走っていた。
「そろそろ出番や!」
「おどれら、わかっとるやろうな!」
部員たちが、足並みを揃えて声を張る。
「イエッサー!」
「非公認の奴らに、いつまでもええ格好さしたらあかんぞ!」
「イエッサー!」
「ほな、お頭」
「締めを頼んます」
田﨑が下がると、瀬良が一歩前に出て、まずミナとユズ、そして杏奈の方へ向き直り、軽く一礼した。
「この度は、このような濃密で荘厳な舞台にお声がけを頂き、ありがとうございます」
三人は慌てて頭を下げ返す。
しかし、顔を上げた次の瞬間、瀬良の口元がつり上がった。
「けどね、アタイらは伝統の六大演劇部!」
「出るからには、全部こっちの色に染めてやんよ!」
「イエッサー!」
「準備は良いか、野郎ども!」
「イエッサー!」
「非公認に負けんじゃねえぞ!」
「イエッサー!」
「アタイらが全部、食って、食って、喰らいまくるぞ!」
「イエッサーーー!!」
その熱量に、杏奈は呆然と目を見張った。
「みなさん、文化部……ですよね?」
ミナとユズが小さく呟く。
「……あれは、一種のマインドコントロールだよ」
「ああやって、強制的に役に入らせていくねん」
そして舞台では、二幕の物語が佳境に入っている。
両手両膝をついた聡志を、ミケランジェロが冷たく見下ろした。
「ヒトよ、いや、誤差よ」
「お前は、幸福にはなれない」
「誰も幸福にはできない」
「う、うぐ……うう」
「いつまでも、あなたに時間を割けません」
「ケンサック!!」
シューゼンの声に応じて、ケンサックが現れると、そのまま聡志を押さえ込み、拘束する。
「あなたに、おまかせします」
再び、控えスペース。
瀬良と田﨑が並んで立ち、意識を集中させていた。
「マサネ、やっぱさ、来年の六友祭」
「あんたの暴走族、やろうよ」
「いや、俺は乙女なお頭に壁ドンして、キュンキュンしたいですわ」
その横から、歩美が口を挟む。
「あの……それ、両方できません?」
「暴走族のメンバーがいる学園のラブコメ」
別の部員も乗ってくる。
「それ、面白そう」
瀬良と田﨑が顔を見合わせ、次の瞬間ふっと笑ってハイタッチする。
歩美も頬を染めて笑顔を見せた。
「離せ、離せよ!」
舞台上から、聡志の叫びが響く。
ケンサックは何も言わず、さらに拘束に力を込めた。
ミケランジェロが、拘束された聡志を見下ろす。
「ヒトよ、どんなに喚こうが、運命は変わらない」
「運命だと? 機械が使う言葉じゃないだろう」
「そうだ、我は機械」
「ヒトがヒトの永久の幸福のために生み出した方舟」
「ヒトを導く神」
「違う! お前は神なんかじゃない!」
「人間を、世界が機能するための部品としか見ていない、ただの機械だ!」
ミケランジェロが、赤い両眼を揺らす。
「ヒトよ、我に抗うな」
「我の導きを、受けるがいい!」
聡志が身をよじる。
「くそっ! 離せよー!」
その叫びを切り裂くように、照明が落ち、暗転すると、静寂の中、杏奈の声が響く。
「相性により、管理される世界」
「しかしそれは、数字によって人間を選別する、恐ろしい世界だったのです」
病室では、フタバが、台本に目を通していた。
主治医が穏やかに言うと、看護師も微笑む。
「症状は落ち着いとるみたいやな」
「ええ、あんな生き生きとした山根さん、初めてです」
フタバは二人に視線を移し、にこやかに頭を下げた。
「先生、村中さん」
「変なことに付き合わせて、ごめんなさい」
「ええねん、ええねん」
「おかげで面白い舞台を見れるさかい」
「本当ですよ」
「山根さんの出番、ドキドキしてます」
「あ〜、はよう進まんかな?」
「ワクワクが止まらんちや」
場面は、回転舞台の裏側へ。
瀬良の頬には、交差するライフルに蛇が絡みついたタトゥーシール。
目を閉じ、静かに呼吸を整えている。
隣に立つ田﨑は、舞台の両端の部員達に声をかけた。
「ほな、お前らが右、お前らが左な」
「ミュージカル風のテンションで回してくれや」
「イエッサー!」
「お頭、いよいよでんな」
瀬良は目を閉じたまま、内ポケットから真っ赤な口紅を取り出し、ゆっくりと引く。
「ああ、アタイら色に染めてやろうや」
「スタンバイOK!」
宮西の声が飛ぶ。
歩美は瀬良と田﨑を見つめて息を飲んだ。
次の瞬間、宮坂が照明オンの合図を出すと、瀬良の目が、力強く見開かれた。
「さあ! フラッシュ団のお通りだ!」
第二幕、了。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。