第49話 プログラムミロク
(……フタバ、なんや、元気そうやないか)
(俺だけ知らんままで、サプライズか?)
(素になるところやったやんけ)
峯岸は仮面の下の表情を変えないまま、画面の中のミロクに胸を弾ませた。
(海斗……あーし、ちゃんとあんたに向き合う覚悟、できたきね)
画面越しのフタバも、込み上げる感情を抑え込み、表情を崩さぬまま、じっとミケランジェロを見据えた。
杏奈や瀬良、秀然ら舞台裏の面々も、舞台上の聡志たちも。
そして客席も、水を打ったような静けさに包まれ、センターステージに立つミケランジェロと、画面に映るミロクから目が離せない。
(人をビビらせた罰や、遠慮せんと突っ込んだるからな)
(望むところちや、返り討ちにしちゃうきね)
二人の目線が離れず、沈黙は続く。
やがて、ミケランジェロの声が、低く響いた。
「メモリーデータを調整、だと?」
ミロクは、落ち着いた声で返答する。
「ええ、ガリレオに集約されている各システムは、全人類のデータを記憶しています」
「特にミケランジェロ」
「あなたの司る“感情”は、もっとも複雑で、さらに変化するものです」
「我は、それを簡潔に分析し、選別をしている」
「本当に、そうでしょうか?」
ミケランジェロが一歩前に出て、ミロクを睨みつけた。
「何が言いたい?」
「ただ観測をするだけなら、定期的な微調整で問題はありませんでした」
「しかし、あなたには“適正相性”に基づく人類の選別という使命が与えられました」
「使命などではない」
「導きだ、それがヒトを幸福へと導くのだ」
「しかし、従来通りの項目では、誰も基準値に至らなかった」
「違いますか?」
「その通りだ」
ミケランジェロの声が強まり、手を上げて握り込んだ。
「ならばこそ我は、最適な幸福への道を提示できるよう、何度も何度も分析を重ねた」
「その結論が、なぜ分からん」
客席の隅に出てきていた幸弘と久保崎は、モニター越しに交わされる二人のやり取りを、腕組みしながら見守っていた。
「画面越しなのに、息ピッタリですね」
「目に力があるね、彼女」
「画面に映える役者だよ」
「入院中とは聞きましたが、表情も非常に豊かですね」
久保崎が、少し嬉しそうに目を細める。
「芝居が楽しくて仕方がないんだろう」
客席では、志織がフタバから目を離せずにいた。
時々、口元が小さく震えはじめ、その目は潤んで揺れ始めていた。
(フタバちゃん、良かったね)
(本当に、良かった)
「幸福? あなたは、人間の幸福とは何だと思っているのですか?」
ミケランジェロが即座に返す。
「苦しまず、傷付かぬこと」
「後悔せず」
「苦悩せず」
「さすれば――」
「絶望することはない」
「なるほど」
「それがあなたの導き出した、答えなのですね」
「唯一無二の、幸福だ」
「なんと短絡的な」
「なに?」
「それこそが、ハルシネーションです」
「あなたが人間を“ヒト”というただの固有種と位置付けている理由が、よく分かりました」
「絶望を感じることがなければ、ヒトは幸福になれるのだ」
「それは、あなたが決めることではありません」
その言葉と同時に、フタバの脳裏に記憶がよみがえる。
ICUの中で、朧げに映る医師の姿。
「ギラン・バレー症候群?」
「はい、末梢神経を、自分自身の免疫が誤って攻撃してしまう病気です」
落ち着いた医師の声が続く。
感染をきっかけに、手足の痺れや脱力が急激に進行すること。
当時のフタバのように症状が重い場合は、呼吸筋にまで影響が及び、人工呼吸器での管理が必要になること。
今はまだ、症状がどこまで進むか見極める段階であること。
フタバは、呼吸器越しに力無く口を開く。
「……それで、あーしは治るんですか?」
医師は静かに答えた。
「多くの方は、時間をかけて回復されます」
「ただ今は、まず症状の進行を抑えることが最優先です」
「……時間を、かけて」
ゆっくり頷くと、医師が続ける。
「まずは投薬により、寛解を目指します」
「その後、長期入院による筋力の回復のためのリハビリも必要です」
「山根さんの症状ですと、数ヶ月から一年以上は、必要になるでしょう」
「……そんなに?」
フタバの目は閉じられ、意識が遠のいていった。
峯岸の脳裏には、あの時の光景がよみがえって来ていた。
アルバイト先で着替え終わり、何気なく見たスマホの画面。
【海斗、もうあーしのこと、待たんでえいき、もっとえい人見つけてや】
【別れて下さい】
「おい? おい! なんやこれ?」
慌てて返信を打つが、送信は弾かれる。
「ブロックって……」
すぐに電話をかけるも、呼び出し音すら鳴らない。
「着信拒否って……なんで、なんでなんや!」
さらに時間が遡る。
入学したばかりのフタバが、肩を落とし、俯きながらキャンパスを歩いていた。
(あーし、大学行っても続けるき!)
(うん、けど、もう二十歳超えたらピーク過ぎる)
(卒業したらコーチで戻(も)んてきてね)
(え?)
その時、不意に声がかかり、足を止めた。
「なあ、君、えらい暗い顔やけど、なんかあったん?」
フタバがゆっくりと顔を上げる。
その後の学生会館の光景が甦る。
何気なく見せた新体操の所作に、思わず拍手が起こる。
「君、凄いわ」
峯岸が目を見開き、聡志も一歩前に出る。
「一緒にやらないかい?」
峯岸が、目を輝かせながら少しだけ身を乗り出した。
「君、名前は?」
「山根……双葉です」
「俺は峯岸海斗や、二回生」
「なあ、一緒にやろうや」
「は、はい!」
フタバは戸惑いながらも、差し出された手をそっと握り返した。
胸に去来する思いの数々。
そのひとつひとつを噛み締めながら、フタバはミロクとして、次の言葉を落とした。
「人間には、プログラムやメモリーでは語れない心があります」
「複雑で、誰一人として同じものがないものが」
ミケランジェロの低い声が、遮るように割り込む。
「だからこそだ」
「だからこそ、ヒトは罪を犯し、互いと争うようになる」
「ならば、等しく近い心のもの同士ならば、互いを理解し合える」
「世の中は円滑でスマートに構築されるのだ」
「誰も、裏切ることはない」
「誰も、離れることはない」
「誰も、傷つくことはないのだ」
(すまんな、フタバ)
(俺は自分のことばっかりで、お前をちゃんと見てなかったかも知れん)
ミロクの声は、迷いがなく揺れない。
「その考えが、人間を“ヒト”という種の枠組みに捉えた、あなたの結論なのですね」
(海斗、ゴメンで)
(自分の苦しみを、自分で抱え込んで、楽な方、楽な方ばっかり選ぼうとして、遠ざけて)
ミケランジェロの問いが、鋭く突き刺さる。
「後悔を繰り返すのか?」
「苦悩を望むのか?」
「絶望に、打ち滅ぼされたいのか?」
ミロクの声は、静かに、しかし確かに響いた。
「人間は、後悔の積み重ねの中から、経験を得ます」
「人間は、苦悩を浄化するために、努力します」
「人間は、絶望を希望に上書きすることができるのです」
(新体操をなくした時には、海斗が演劇に誘うてくれた)
(病気になっても、杏奈ちゃんがこうやって、あーしの夢を叶えてくれた)
(あーしの軌道を、みんなが支えてくれゆうことが、やっとわかった!)
ミロクの目に、さらに力が宿る。
「ガリレオの中にいた頃のあなたを思い出してください」
「人間たちが、惑星のように引き寄せ合い、衝突し、弾き合う」
「それでも、自分の軌道を選び続ける姿を」
ミケランジェロの動きが止まり、顎がわずかに引かれた。
「あなたは、理解しているはずです」
「変わっていくものばかりではない」
「変わらないものもあるのです」
(けど変わったがは、あーし、)
スクリーンのミロクに重なるように数式が流れ、照明が激しく点滅を始める。
(誰も、変わってない)
動きを止めたミケランジェロを見つめる聡志。
「ミケランジェロが動きを止めた?」
ユーマが、スクリーンに走る数式を見上げて告げた。
「ミロクと、アクセスを始めたんだ」
(みんなあ、ずっとあーしを待ちよってくれた)
ミナがモニターに身を乗り出す。
「それじゃあ!」
ユズがディスクの明滅を見つめる。
「調整を?」
ミロクの声が、強く響く。
「昔のあなたに……戻るのです!」
ミケランジェロが、両膝をついて崩れると、フードに隠れた口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
(なんでやねん)
(それは、お前やんけ)
画面のノイズが止まり、照明が少し落ち着いていくと、ミケランジェロはほとんど独り言のように言葉を落とす。
「……再調整を、受け入れる」
ミロクはゆっくりと目を閉じた。
「スキャンニングを始めます」
「人間よ、あなたたちは、完璧ではありません」
(それは、あーしのことやね)
「惑星のように引き寄せ合い、」
(聡志)
「衝突し、」
(ゆうま)
「弾きあいながら――」
(ユズ)
「軌道を選び続けます」
(ミナ)
「もし、また管理システムが暴走するなら、」
(杏奈ちゃん)
(ほんで……)
「私は何度でも現れます」
(……海斗!)
「そして、何度でも修復します」
「あなた達と、共に」
「だから……」
光が静かに落ち、画面のノイズが消えていく。
ミロクが顔を上げて、潤んだ目で力強く、画面を見据えた。
画面越しにメンバーの姿を確認すると、ミロクからフタバの人懐っこい表情に戻り、満面の笑顔を見せた。
「それまで……」
「待ちよってね」
やがて画面がゆっくりと消え、ツールバーが表示されると、ミナがモニターを見つめたまま告げる。
「スキャンニングが開始されました」
ユズが、小さく息を吐く。
「これで、ミケランジェロは感情を観測するシステムに戻ります」
ユーマが、静かに頷く。
「ガリレオが再起動されます」
病室では、フタバが看護師に肩を抱かれたまま、崩れるように泣き出した。
その傍らで、医師は目を腫らしながら、何度も手を叩いている。
客席でも志織がハンカチを口元に当てて、泣き崩れ、由美加がその肩を抱き、梨夏が手を握っていた。
「志織ママ、ミロクさん、本当に本物じゃったね」
「でしょ?……もうすぐ、もうすぐ帰ってくるから」
「梨夏ちゃんも、すぐ仲良くなれるよ」
「ほんまに、杏奈はええ人たちに恵まれたんね」
腕組みをして立つ瀬良は、流れる涙を隠すことなく肩を震わせていた。
田﨑と歩美が覗き込むと、二人に顔を向けて笑顔を向けた。
「やっぱり、脅威だね」
「山根双葉」
舞台ではユーゴが静かに呟く。
「これで本当に良かったのか、私にはわからんし、それを見届ける時間もない」
聡志は、ゆっくりと前を見据えた。
「良いか悪いかを決めるのは、決まった誰かじゃないはずだ」
「そうか、そうだな」
「正解は、ひとりひとりが決めること」
「俺の答えも、俺が決める」
聡志が息を吸う。
「人間は惑星」
ユーマが続く。
「ここは、惑星たちの大地」
ユズとミナが声を重ねる。
「ここは……」
四人の声が揃う。
「PLANET LAND!!」
舞台が暗転すると、照明席の河瀬が、頬を膨らませて息を吐く。
そして、ヒマワリのキーホルダーを手に取り、視線を落とした。
「田澤さん、いよいよじゃな」
そこへ、久島と安積が現れて、河瀬の背中を軽く叩いた。
「最後の最後にヘマすんなよ」
「田澤さんを、綺麗に照らしてやれ!」
「めっちゃ可愛くしたかんね♪」
「見惚れてちゃ、ダメだぞ♪」
「あ! いや、揶揄わんでください」
舞台裏では、杏奈と幸弘が向き合っている。
「お父さん……怖い」
「そりゃあ、そうじゃ」
「うち、自信ない」
「皆さんがしっかりやってきたのに、うちが台無しにしそうなんよ」
幸弘は一歩近づき、まっすぐ杏奈を見る。
「その気持ちが大事じゃ、杏奈」
「お前が産まれた時、今のお前の姿なんぞ想像もつかんかった」
ゆっくりと言葉を重ねる。
「自分の足で立って、歩いて」
「自分で食べて、読んで、書けるようになって」
「自分で考えて、どこでも行けて……」
「仲間も、好きな人らも、自分で見つけて引き寄せたんじゃ」
杏奈の目をまっすぐに見据える。
「それは他でもない、お前自身の力なんよ」
「自信なんぞいらん!」
「思いっきり、やってきんさい!」
そこへ、ユズが駆け寄り、杏奈を強く抱きしめた。
「せやで、何回も言うたけど、ウチらがここに居れるんは杏奈ちゃんのおかげなんやで」
ミナが一歩前に出る。
「だから、余計なことは考えないで」
宮坂が続ける。
「そうだよ、君が作った世界を、君しか言えない言葉で締めくくるんだ」
峯岸が大きく頷く。
「せやで、杏奈ちゃん! 俺らは杏奈ちゃんを信じとるから!」
その時、スピーカー越しに声が重なった。
「海斗! なに追い込みゆうが? 杏奈ちゃん、楽しんできたらえいきね!」
フタバの声に、杏奈が思わず顔を上げる。
聡志が近づくと、そっと杏奈の手を取り、ポケットに手を入れた。
そして、杏奈の掌を開き、そこにそっと何かを置く素振りを見せる。
「君は、ちっちゃい世界しか、まだ知らないよ」
杏奈の目が見開かれる。
あの時のチャップリンのコイン。
しかし、今、掌には何もない。
聡志はまっすぐ杏奈を見つめる。
「俺らに出来るのは所詮、この程度だけど」
「君は、新しい世界を知れば知るほど、新しいものを見られるんだよ」
「そして、しっかりそれを見つけた」
「作り出したんだ」
「新しい世界を」
杏奈は掌の中の、あの日の感触を確かめるように握り込み、聡志と目を合わせた。
「……聡志くん」
「なんせ、ここはプラネットランド」
「お前が作り出した世界なんだからな」
「はい!」
時間が迫ると、杏奈は所定の位置に立ち、静かに息を整えた。
(通り過ぎるだけの存在じゃったうちが、いまはここにおる)
(自分の足で立って、ここにおる)
(大切な人に囲まれて、ここにおる)
(当たり前じゃろ?)
(ここは、惑星の大地)
(PLANET LANDなんやけぇね!)
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