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神の帰還

いらいじゃ

98,495 字

壮大なファンタジー、成長と愛の物語

"神と悪魔が交錯する世界で、少年は愛の力で運命を切り拓く。"

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第四章

1

「クレイ?」
 ベッドから起きあがり、クレイは呼びかけたアルミスを見る。
 クレイが起きあがる気配に、アルミスは蝋燭を灯す。闇の中にアルミスの顔が浮かび上がる。アルミスの瞳には、真摯な光がある。
 凶猟鶏との戦いから2日がたっていた。大きな街道に出るにはあと1日と言うところだ。辺境の訪れる人の少ない開拓村のたった一軒の宿屋に三人は泊まる。部屋にはアルミスとクレイ、隣の部屋にバーノルが寝ている。アルミスの傷口の薬草を取り替え、包帯を巻き直してベッドに入り明かりを落としてしばらくしてから、アルミスはクレイに声をかけた。アルミスは何度もためらい、そして耐えきれず声をかけたのだった。
「何?」
 アルミスの表情がクレイの声にも緊張を含ませる。
「クレイ……あの、あの“力”の事なのだけれど……」
 アルミスの眼がクレイの胸を見ている。
「やっぱり、その力には何か恐ろしいものを感じるわ。今のうちに……手放した方が良いと思うの。そのための方法を考えなくては」
 クレイは、唇をかむ。手のひらを胸に当てる。
「確かに、僕にもこれがなんなのか、わからない。先生が呼び出すことのできる妖魔と似ている気がするけど、もっと、何か恐ろしい力を秘めているような、そんな気もする」
「それならば……」
「でもね、アルミス」
 クレイは胸の前で拳を握る。
「あの、凶猟鶏の数。もう間違いない、僕らは“追われて”いるんだよ。バーノルさんは確かに信じられないくらい強いけど、だからといって、それで安心だというわけじゃない。何かはわからなくても、胸の中のものは、僕に力を貸してくれる。あの力を、アルミスも見ただろ?」
「ええ……」
「この前、わかったんだ。力の使い方は、こいつ自身が教えてくれる。本当のこいつの力は、まだまだあんなものじゃないのが、はっきりわかったんだ。もっと、もっとこいつは力を持っている。それはどんなものなんだろう……」
「クレイ!」
 アルミスは思わず駆け寄る。クレイの手を右手でつかむ。
「“魔法には代償が必要だ”って、お父様はいつも言っていた。私達の青い爪。私達の姿がこんなに特殊だったなんて、外に出るまで気がつかなかった。次の街からは、この爪に薬を塗って隠さなくてはいけないって、バーノルさんはいったわ。昼間でもフードをかぶって、巡礼者の振りをして、極力隠れなくっちゃいけない。私達が使う魔法ですら、人の身体をこんなに変えてしまう。あの蓑村の人達の目、魔法は、私達の心の有り様すら普通の人とは違ったものに変えてしまっているかもしれない。クレイの力は危険よ、はっきりわかるの」
 アルミスを見上げて、それからクレイは目をそらす。
「それは……わかっているよ」
「クレイ……」
 身をかがめて、アルミスはクレイの顔をのぞき込む。
「でも!」
 突然クレイが手を伸ばす。クレイはそっと、アルミスの左手、包帯を巻いた腕に手を触れる。
「僕はもう、アルをこんな目に遭わせたくない。そのためなら、どんな代償だって払うよ。僕が、アルを守る。どうなるか、そんなことは、今はどうだっていい。僕は、あのときアルに守ってもらった。もう、あんな想いは、したくないんだ!」
 最後の方は叫びになる。
 クレイはアルミスの手を放し、背を向けて毛布をかぶる。
 アルミスは、しばらく立っていた。やがて、自分のベッドに戻る。
 一度だけクレイの背を見つめる。
「……ごめんなさい」
 そういって蝋燭を吹き消し、目を閉じた。

2

「今日は夕方までに宿場町に着く。しっかり食っとけよ」
 干し肉を挟んだパンをかみちぎりながら、バーノルは言う。少し大きな声だった。アルミスとクレイは昨日から、どこかぎくしゃくしていた。
 街道から少しはずれたところで火をおこし、3人は食事をしていた。これから地の精を使って、材料を集め、爪の色を変える塗り薬を作る。
 薬の作り方や、他にも旅に役立つ知識は、ボドルフが書いた本の中にまとめられていた。“巡礼者を装うための割り符の作り方”なども書いてある。旅立つまで読むこともなかった本だが、その実用的なノウハウはアルミスとクレイを驚かせた。まるでこの日があるのをあらかじめ予見していたかのようだ。
 アルミスは顔を上げ、クレイの手を取り、強く握る。驚いたクレイの目を見つめ、
「大丈夫よ、クレイ。根の国に行けば、お父様がいる。きっとなんとかなるわ」
 アルミスの手がかすかにふるえている。クレイは少し答えをためらいながら、
「そうだね。」
 と、つぶやいた。
 バーノルは二人を見つめる。そして大きく息を吐き出しながら、
「そう、うまくいくか?」
 二人はバーノルを見る。
「おまえらは、魔法使いだろう? 『魔法使いは、この世のすべての事象の真理を探究するために努力するのが“基本の姿勢”です』というのが俺の知り合いの口癖だった。曲がりなりにも、大魔導師の娘と弟子が、師匠にまかせっきりで、いいのか?」
 いかめしい顔に、笑みを浮かべる。眼にはからかうような光がある。怪訝な顔をする二人。
「根の国まではまだまだある。時間は山ほどあるんだ。まず、おまえらだけでやって見せろ。あれがいったい何なのか、どんな力があるか、えーと、『問題を先延ばしにするのは、賢い方法ではありませんね』だ。」
 かつての友人の口まねだろう。バーノルには全く似合わない気取った言い回しに、クレイとアルミスは思わず吹き出す。
「そうですね」
 自分に言い聞かせるような、クレイの言葉。アルミスはクレイを見て、小さく頷く。
 バーノルはさすがに苦笑する。しかしまあ、こういう空気を作ってやることは大事なことだ。これからも旅は続く。それにこいつらの行く手は、決して平安なものじゃない。とにかく、まずは気力だ。
「まず、食っちまえ。それから準備だ」
「はい!」
 生徒のような二人の返事。しかし、バーノルの苦笑は、二人が食事の後にする行動を見て、一瞬堅くこわばる。
 食事を終えた二人は、小さな香炉を取り出して、その中に薬品をとかし、飲む。色で分かる。水銀を含んだ、常人にとっては猛毒の薬。
 バーノルは知っていた。こういった薬こそが、魔法使いの肉体を形作っているものだ。そして、幼い頃より常人には猛毒となるような数々の薬品を受け入れ、人とは違う肉体を持つことこそが、魔法使いの最初の“資格”なのだ。
 バーノルは改めて二人を見る。あまりに青い爪。そして彼らの仕草ひとつひとつの中に潜む、違和感。俺たちとは違うのだ。改めてバーノルは自分にそのことを言い聞かせる。
 準備が整う。アルミスとクレイは爪に薬を塗り込む。ぱっと見ただけでは、爪に何かが塗ってあるようにも見えない。病的にも見える白い肌も、巡礼者としてフードをかぶっていればそれほど奇異には見られないだろう。バーノルは二人に魔法使いであることを気付かれないようにするための仕草や、言葉の使い方を注意した。
 二人は改めてバーノルの魔法使いへの知識に驚く。
「あなたは、一体?」
 アルミスの問いに、バーノルは考える。確かに、出来過ぎた出会いだ。バーノル自身もそう思っている。彼ら二人にとって、バーノルこそおあつらえ向きのガイドではないか。
 バーノルの脳裏には、若き日に出会ったボドルフの顔が浮かんでいる。何かが彼らの出会いを仕組んだのだろうか? わからない。東方での冒険を終えて、彼は故郷へ帰る途中だった。二人に出会ったのは偶然にすぎない……はずだ。
 考えに沈み込むバーノルをアルミスはじっと見つめる。バーノルに強い信頼を寄せている自分の心に不意に気がつく。不思議で、温かい人だ。彼の刀を振る姿、言動、にじみ出る貫禄。傭兵を生業にしている彼は、厳しく、そして恐ろしい。しかし、どこかに優しさがある。
 いま、自分は思考の迷路に陥っていきそうな不安の渦中にある。クレイと二人だけだったら、歩くこともできなくなってしまったかもしれない。先のことは、不安が大きくなるばかりだ。しかし、進まねばならない。とにかく何が起きたのか、根の国に行って、知らなければならない。改めて、バーノルが傍らにいることをアルミスは感謝する。

3

 日が沈む頃、3人は宿場町に着いた。アルミスとクレイはその“初めての世界”に好奇心を抑えられない。道行く人、開け放たれた門と、退屈そうな門兵。開拓民の村とは明らかに違う家々。人が生活を営む、そのことにかわりがないが、積まれた年月が違う、使われている技術の洗練が違う、そして何より、住んでいる人々が違う。
 形だけ取り繕い、その日を生きるのに精一杯な開拓民に比べ、例え辺境であっても交易が行われている宿場町の人々は、活気と、どこか倦怠がある。
「朝にはな、市が立つんだ。いろいろ珍しいものが見られるぞ」
 バーノルにはクレイたちの興奮が分かる。旅を始めたばかりの気持ち。彼は結局、自分の最初の旅の時の好奇心や警戒心、希望と不安の入り交じったそんな気持ちを忘れることができずに、ずっと旅を続けている人間なのだ。
 街の中心には巨大なトチノキが生えている。この巨木が街のシンボルだ。
 三人はトチノキを囲むように作られた広場に面した大きな建物の前で立ち止まる。古ぼけてはいるが、頑丈そうな作りの家。煙突からは、大きく煙が出ている。大きな木の下で、小人がランプを持っている構図の、凝った意匠が施された看板が掲げられている。街にはいる前、バーノルが農夫に聞いた、「街一番の宿屋」だ。
 小間使いが出てくる。バーノルは短く交渉をし、二人を手招きする。前金制だ。バーノルは隠しから銅貨を出し、小間使いに渡す。
 建物にはいる。二人は入り口で立ち止まって、驚きとともに周りを見回す。
 広い部屋、大きなテーブル。大きな暖炉と、部屋を明るく照らすランプ。そして、人の匂い。
 何組かある大きなテーブルは、二つのグループに分かれている。片方は街の連中が固まって、カードやおしゃべりを楽しみ、もう片方では、宿泊客がお互いに距離を置いて、すわっている。
「二階でまず荷物を置いてから、裏で手足を洗うぞ。」
 バーノルが二人を促す。店の客の視線が自分たちに集中しているのを意識しながら、アルミスとクレイは階段を上り、バーノルに部屋を案内される。
 粗末なベッドが二つ。しかれた藁は古くなってつぶれていて、ごわごわの厚手の毛布が掛かっている。
 バーノルは粗末な袋を懐から取り出し、少しだけ声を潜めて、
「アルミス、とりあえずコレにちょっとだけ砂金入れろ」
「?」
 バーノルは少し笑って、
「路銀を手に入れとくんだよ。砂金見せびらかしてたら、トラブルの元だ。俺が換えておいてやる。こういうのは、ちょっとしたコツが必要なんだよ。」
「あ……はい」
 アルミスがあわてて袋を取り出し、口を開けたところを、
「こんなものでいい」
 と、バーノルはほんのちょっとの量をつまみ上げた。
 袋をしまおうとするアルミスに、
「ここから先、そいつだけは服の中にでも入れて、簡単に持っていることを気付かれないようにするんだ。もし人に金を見せなくてはいけないときは、全部見せるな。ほんのちょっと、手のひらにおくか、小袋に入れて見せろ。そうしないと、厄介事になる。」
「はい」
 バーノルが隣の部屋のドアを開けて中にはいる。アルミスは少しの間だけ、その扉を見つめていた。

 宿屋の夕食の時間、アルミスとクレイは妙な緊張感を味わっていた。
 クレイは周りを見回す。バーノルに促されて降りた、宿屋の1階にあるホールだ。宿屋の一階は広い酒場になっていて、円形の大きな木のテーブルが全部で15卓ある。1つのテーブルには6つの椅子が置いてある。
 ホールの真ん中は通路になっている。食事には旅行者だけでなく十数人のこの街の者達も来ていた。通路が両者をはっきりと隔てている。街の者達は常連なのだろう。野良着のままで、くつろいだ様子で小さな声で話をして、時々旅行者側に顔を向けて声を出して笑い合っている。クレイやアルミス達の旅行者側はほとんど会話もない。暖炉には薪がたくさんくべられていて、少し蒸し暑い。
 食事の時間が始まって20分もたつが、料理はほとんど運ばれてこなかった。食事はいっこうに進まない。厨房から音は聞こえるが、次の料理が運ばれてくる気配はないし、下男が皿を並べようともしない。ワインと共に出された粉が荒く堅いパンは、食べるのが遅いアルミスでさえ、すでに食べ終えている。
「次の料理はまだかね?」
 場の雰囲気にたまりかねたのか、一人の太った商人風の客がぼうっと立っている下男に声をかける。商人はさっきから、舌打ちをしたり、いらいらと胃のあたりをなでていた。
 下男は最初、その男の声が聞こえないふりをしていた。もう一度同じ言葉が男から出ると、仏頂面で答える。
「うちの料理は時間がかかるんでさ。文句があるなら、他の店へ行ってください」
 商人はむっとした表情を浮かべる。
 街の住人である常連客のテーブルから、押し殺した笑い声が洩れる。粗野な格好をした町の者たちは、にやにやと一般客のテーブルを見つめている。意地の悪そうな笑顔。一般客たちがお預けを食ってとまどっている姿を娯楽として楽しんでいるのだ。
 アルミスはバーノルがこちら側の、旅行客の側で一人だけ笑顔を浮かべているのに気がつく。
 バーノルはクレイとアルミスに顔を近づけ、小さな声でささやく。
「宿場町の宿屋ってのは、こういうもんなんだよ。さっきの太った男の服を見てみろ、真新しいし、そんなに日に焼けてもいない。あいつは、旅ってものを知らないんだ。」
「どういうことですか?」
 クレイの問いに、バーノルはニヤリと笑う。
「まあ、もうしばらく見てると、楽しいぞ。こういう歓待を受けると、ようやく“文明圏”に帰ってきた気がするよ。やっぱりこうじゃないとな」
 バーノルは息を大きく吸い込む。料理の匂いがかすかに漂ってきて、さらに笑みを深くする。やはり本場の料理の匂いは違う。帰ってきたのだ、ようやく。
 バーノルは感慨深く、手をこすりあわせる。クレイとアルミスは、顔を見合わせる。
 下男がテーブルにミルクで割った麦の粥を運んでくる。旅行客は待ちに待った食事の貧相さに顔をしかめながら、それでも空腹を紛らわせるために、せっせとスプーンで口に運ぶ。
 バーノルはにこにこ笑っている。
「ようやく始まるぞ」
 バーノルのささやきが合図だったように、
 今までどこに隠れていたのかと思われるような数人の女の給仕達が厨房の扉から飛び出した。手には大きな皿を持っている。その皿に山盛りにされた料理! 大きな肉団子と野菜をたっぷり入れたスープ、じゅうじゅうと油が音を立てているあぶり肉、たっぷりのハーブを加え煮た魚が来る、詰め物の入った焼きたてのパン、大きな骨付き肉の入った濃厚な煮込み料理……。さっきまで仏頂面だった下男がワインを満たした大きな杯を手に、顔中を笑顔にして忙しく注ぎ回る。
 常連客は歓声を上げる。宿屋全体が爆発したような騒ぎになった。地元の人々が杯と瓶を手にずかずかと旅行客の方へいき、とまどっている客達の肩を抱き、ワインを注ぐ。さらに料理は運び込まれ、あっという間に広いテーブルの上を占領する。その騒ぎの中で、宿屋の親父がもったいぶった仕草で東方から渡ってきたスパイスを各テーブルの料理に振りかけた。
 タイミングを計っていた吟遊詩人が、暖炉の前に立ち、汗だくになりながら激しい曲を奏で始め、宿屋中で唱和する。
 さっきまで不機嫌だった太った商人は、鳥の足を持ち、口元を肉の脂で光らせながら赤ら顔で大声で笑っている。ひげ面の地元民が、びっくりしている旅人のやせた背中をどついている。
 この喧噪の主役は間違いなくバーノルだった。健康な“獣”の食事というものは、それだけで見物となる。力強い顎が大きな肉を難なく噛み裂き、熱々の煮えたシチューをものともせずに口の中に流し込む。大きなパンが一口で消える。速いスピードでありながら、1つ1つの料理を味わい、そして楽しんでいるのが分かる。皿が次々と空になっていく。客達はいつの間にかバーノル達のテーブルに集まり、バーノルの健啖ぶりをはやしたてた。
「エールをくれ!」
 口元を拭って、バーノルが声を上げると、人混みの中から大きなジョッキが回されてくる。
 バーノルはジョッキを上げ、ニヤリと笑い、周りを見回す。観客が固唾をのんで見守る。
 次の瞬間、傾けられたジョッキは、そのままバーノルの口の中に一瞬で消えた。
 ドンと音を立てて空のジョッキがテーブルに置かれたとき、歓声は最高潮に達した。大きな拍手の中、バーノルはそれに片手を上げて応える。
 テーブルの料理が空になりみんなが満腹になると、宿のバカ騒ぎは一段落した。暖炉の脇に腰掛けた吟遊詩人は物憂げな恋歌を奏で始め、客たちはそれぞれのかたまりに分かれていく。給仕達は皿を片付け、食後のワインを置いていく。
「どうだ? 感想は?」
 ゆっくりとワインをすすりながら、バーノルはアルミスとクレイに声をかけた。ふたりはさっきから目を大きく見開き、周りを見回すばかりだ。
「すごいですね…宿屋というのはどこも、そして毎晩こんなに凄い騒ぎなんですか?」
 応えるクレイの頬の上気はワインのせいばかりではない、興奮の余韻だ。
「そうじゃない、静かなところもあるし、ケチな親父が鳥の餌の様なまずいものを出す店だって、旅人の荷物を狙うようなところだってある。はずれの宿に泊まるくらいなら町をさっさと通り抜けて、野宿しちまうほうがましだ。良い宿屋を見抜く条件としては、ちゃんとした村、建物の立派な作り、使用人の態度とか、いろいろあるが、宿屋を選べない町だって多いし旅人がそんな贅沢を言っていたらたちまち日干しだ。旅をする風来坊なんて、飯を売ってくれるところに巡り会えただけでも幸運というものだよ。そんな時、自分を助けるのはなんだと思う?」
 バーノルは小さく笑みを唇に浮かべてから、ふたりに顔を寄せる。
「芸だよ。別に歌や踊りである必要はねえ、目の前で荷車持ち上げられちゃ、盗賊崩れだってそいつを襲う気もうせる。腕っ節が弱くったって、面白い話を歌う鳥を締めちまうやつはいない。ジプシーって奴らがいる。一族郎党彷徨える民、ほとんど盗人って奴らだが、奴らは突然村に祭りをひらいちまう。派手な服着た奴らが踊り、異国の歌を歌う。集団で来ることもあるが、一人でもそれは見事なものだ。長く旅を続ける人間は、そういう取り柄があるものさ。それを武器にして、日々の食い物を得て、世界中を渡り歩く。その旅は決して楽しいだけじゃない、命もかかってる。つらいことだって多い。それでも旅をやめられないんだ」
 バーノルは街の人々の卓に目をやる。
「街に住んでいる奴らは、そういう変わった奴らに、恐れと共に、強い興味を持っている。街の人達の恐れを刺激せず、好奇心を満足させてやることだ。異国気分をかき立ててやるのがコツだな。街に住んでいる大概の連中は、頭が固くて臆病だから、こんな旅人が来るような宿屋で夕飯なんて食わない。それなのに、酒場の常連達の話を聞きたがるんだよ。向こうの連中のように毎日飲んだくれているおやじ達の酒代を、又聞きの時喜んで出してやるんだ。あの連中達は街の人にそうやって養ってもらってる。こういう“社会”ってやつが見えてくると、面白いぜ。」
 クレイと、アルミスがあらためて周りを見回す。
 バーノルはそれを見ながら、ウィンクする。
「……と、こんな話を旅慣れない奴にすると、感心される。テーブルで隣り合った偶然を良いことに、うまく解説すればこっちに対しての警戒心はなくなるし、宿代を持ってくれる場合もある。うまくいけば雇ってくれる、俺のような用心棒を生業にしている奴にとって、信用を得るのにいい方法だよ。旅をするには、狡く立ち回って、客の求めるモノを少ない労力で提供するのがコツだ」
 バーノルは目を丸くする二人を見て、大きく笑う。

4

 その時、大きなドアを叩く音が宿屋に響いた。ノックの音ではない、下男が小槌でドアを叩いたのだ。
「見回りだ」
 下男が大きく声を上げると、剣をぶら下げた民兵と、小太りの役人が入ってくる。常連の客達が声を上げ、ジョッキを持って近づこうとすると、役人は大きく咳払いをして押しとどめた。咳払いを一つして、
「これより検分を始める!」
 大きな声で告げた。常連客が顔を見合わせているのを、宿屋の従業員たちが緊張をしているのをバーノルは見逃さなかった。これは、いつもと違うのだ。
「何かあったとき、すぐ動けるようにしておけ」
 バーノルはふたりにささやく。ふたりの表情にも緊張が走る。
 役人が後ろを向き、恭しく頭を下げる。入り口から、一人の男が入ってくる。
 灰色のローブを着た男。口元には深いしわが刻まれ、肌は青白い。そして、華奢な飾りの目立つ僧衣と、腕と腰に巻かれた仰々しい飾りひも。
「神官だ…」
 常連客の間から、つぶやきが漏れた。男の胸元からは、大きなペンダントがぶら下がっている。八本の矢が円を描く“混沌”の印に、足を絡めた蜘蛛。男はフォゴルに仕える神官であった。
 役人に先導されて、神官は宿屋の中心へと移動する。ふたりの民兵は、テーブル周辺を回る。緊迫した空気が流れた。
 神官は目深にかぶっていたフードを跳ね上げる。肉の落ちた、険の強い顔があらわれる。神官は落ちくぼんだ、ぎらぎら光る目で一人一人の客の顔を見ていく。客たちは神官から目をそらし、身じろぎする。
 神官の目が、アルミスとクレイに向けられた。その時、神官の唇が笑みの形に曲がった。バーノルはテーブルの下でベルトに差した短剣の柄を握った。

 しかし、神官はそのまま後ろを向き、部屋の外へ歩き出した。役人はあわてて声を張り上げる。
「こ、これにて検分を終了する!」
 戸口で神官は止まり、役人にささやきかける。役人は直立して敬礼し、宿屋の主人に耳打ちする。
 一団は出ていく。場は完全に白けた。常連客は帰りはじめ、宿泊客は2階へ上がっていく。
「傭兵さん」
 店の主人がバーノルを呼ぶ。
「お前らは荷物をまとめとけ。とにかくすぐ出れるようにしとけよ」
 クレイとアルミスに声をかけてから、バーノルは席を立つ。ふたりも頷いてから急いで二階に向かった。
 主人は厨房の入り口に立っていた。手に大きな包みを持っている。
「お客さん、さっきいわれていたお弁当、今渡しておくよ」
 バーノルは包みを受け取ってから、
「明日のはずだが?」
 店のオヤジは辺りを見回してから声を潜めて、話しかけてくる。
「役人が明日の朝にきて、あんたらを取り調べるそうだ。その前に出た方がいい」
「なぜ俺たちにそのことを?」
 バーノルの問いに、主人は一層声をひそめて、
「その大きな体と、食べっぷり、覚えているよ。2年前、あんたは横柄な貴族とその用心棒がここで起こした厄介事を解決してくれた。あの大きな用心棒が床にたたきつけられたのを見たときは、ざまあみろと心の中で声を上げたよ。あれからずっと、この宿屋で盛り上がる話の1つになったよ」
 宿屋の主人の言葉に、バーノルはにやりと笑う。
「それにな、あの神官、半年ほど前にきたやつなんだが、どうも気にくわねえ。道神様の教会に突然居座って、フォゴルの像を置きやがった。道神様の像を皆の前で壊したんだ」
 主人は大きく魔除けのまじないをする。
「あんたらはこの背の国というより、フォゴルの神官どもににらまれているようだよ。都の方は根の国の締め付けでずいぶんおかしくなっているらしい。どっちに行くのかは知らないが、気をつけたほうがいいね」
 数年前、遺跡の調査と称して背の国に侵攻した根の国は、海を隔てた大国である背の国の軍隊を敗退させ、国教をフォゴルに改められている。背の国の各所に伝道所が作られ、国民達は大きな不満と共に、仕方なしにそれを受け入れていた。
 バーノルは親父の言葉に手を挙げて応えてから二階に上がる。クレイとアルミスはすでに荷物を背負い、緊張した面もちで待っていた。バーノルはふたりに笑いかける。
「そんなに気張った顔をするんじゃない、大丈夫だ。今すぐ動けば逆にやばい。夜明けに出発する。それまでちゃんと寝とけ。やはり地べたよりベッドはいいもんだ」
「でも…」
 言い返そうとするアルミスにバーノルは強引に弁当を押しつける。
「旅をするコツは“ちゃんと寝る”ことだ。心配事はいろいろあるだろうが、先のことを考えたら、疲れるだけだ。疲れて足が鈍るのが一番悪いぞ」
 アルミスの肩を叩いてから、バーノルは笑みを浮かべ、クレイの胸の辺りをこづいた。黒い宝石の埋め込まれたあたりを。クレイははっと顔を上げる。バーノルはそれにウインクを返すと、部屋を出ていった。
 アルミスとクレイはベッドに入る。クレイはアルミスに背を向けて、そっと胸に手をやる。
 かすかに宝石の脈動を感じる。神と名乗るあの存在との契約の証。親指より一回り大きかった黒い宝石は、亀裂がつながり、さらに大きくなっていた。今は小さめの卵ほどだ。バーノルはこのことに気がついているのだろうか? アルミスには言えない、心配をさせるだけだ。
 バーノルはたぶん、知っている。気づいてくれているのだ。そう考えるとクレイはかすかな安心感がわき上がってくる。魔法使いでないバーノルが何をしてくれるとも思えない。しかし、見ていてくれているというのはそれだけで力になる。味方がいるのだ。クレイは目を閉じる。無理にでも寝ておかなければならない。

── 第5章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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