第五譚「星径と希い」
翌日。昨晩は夜通し、飲めや歌えやの宴会騒ぎで、御影は早々に部屋に戻った。雲生から貰った万寿菊を栞に加工し、愛読している本にそっと挟み込んでそのまま寝てしまっていた。
目が覚めると、背中に薄手の毛布が掛けられていた。机に突っ伏して寝落ちしてしまった為か体が痛く、ゆっくりと上体を起こした。
今は何時だろう、どれほど眠っていたのだろう。辺りを見渡し、一先ず風呂へ入ろうと思い、着替えを取りに立ち上がる。窓から光が差し込み、暖かな空気が部屋に流れ込んでいるのを感じた。それと同時に遠くから楽しげな声が風に乗って聞こえて来る。あれだけ騒いでいたのに、やはり体力が有り余っているのだな、と関心さえしていた。
部屋を出ると、加州が前方から歩いて来た。
「主、おはよ。昨日疲れちゃった? もうお昼だよ」
「多分、疲れたのかも。風呂入ろうと思ったんだけど」
「そっか、じゃあ燭台切に伝えとくよ。お昼ご飯はそのあと運んでもらお」
「ありがとうね」
いーよ、と言い、踵を返して加州は立ち去った。
暖かいとは思っていたが昼時だったのか。確かに昨日は色々なことがあったと思う。一番大きなことは、……思い出すだけで何故だか冷や汗が出て来る上に顔が熱くなる。昨日から体がおかしい。
悶々としながら風呂場へ向かうと、誰かが使用している形跡があった。女は自分一人しかいない、さすがに相手が短刀たちであってもこのまま突き進むのは出来ない。時間をずらすか、と踵を返したその時。
「主?」
振り向くと、風呂場から湯気が溢れ出て来る中、雲生と雲次がほぼ裸の状態で出て来た。
見てはいけないものを見てしまった様な感覚と、遠目からでもはっきりと認識してしまう二振りの体つきにまた顔が熱くなるのを感じ、一目散に走って逃げた。
「主っ、……後で謝罪に行かなければ、見苦しい物を見せてしまいました……」
「いやタオル巻いてるし、多分そう言うことではないと思うけど」
背中越しに二振りの会話が聞こえて来たが、正直それどころではない。
「あれ、主……おっと、どうしたの? そんなに慌てて」
前を見ていなかった為ぶつかりそうになったが、安定は御影の肩を掴んで受け止めた。まだ呼吸が浅く息苦しい。走ったせいだろうか。
「ふ、風呂に、入ろうと、思って……そ、そしたら……」
「ん? 虫でも出た?」
違う、と言いかけたが、目眩がする様に視界がぐるぐると回っている。安定は不思議に思い、風呂場へ向かった。
「あれ、雲生たちが入ってたんだ」
「はい、時間が合わず、先程入らせていただきました」
「今さっき出てきたら、主とばったり会っちゃったんだよね」
二振りから状況を説明され、「ははー、そういうことか」と納得した様子で、何故かにこにこと笑みを浮かべながら御影の元へ戻った。
「主、やっぱり昨日の話は本当なんだね」
――昨日の話?
何のことかと聞こうとする前に、「清光とか、歌仙とかが話しててさ。まあ主って惚れっぽいもんね」と安定は微笑んで、「大丈夫そうだし、僕行くね」と立ち去った。
無事ではないが、何故か“何かを解られている”のが不思議でならない。とりあえず一刻も早くここを離れよう。そう思っても先程から体がうまく動かせず、もたもたしていると雲生と雲次が風呂場から出て来た。
「主!」
雲生は御影を見つけるとすぐさま駆け寄り、深々と頭を下げた。
「えっ、えっ?」
「申し訳ありません、主にお見苦しいところを見せてしまい……」
その言葉でまた鮮明に先程の情景を思い出してしまい、両手で顔を覆った。顔も耳も熱い。体を縮こまらせ首を横に振って必死に耐えようとする。
「やはり、傷つけてしまいましたか?」
誠実そうな彼は肩を落とし、心配そうに御影の顔を覗き込んだ。その気配を感じるだけでまた鼓動が早まっていく。
「ち、ちが……」
上手く言葉が出ないでいると、「よく見なよ。耳まで真っ赤だ」と雲生の後に続いて雲次が近付いて来た。雲次の言葉に雲生はじっと見据える。両手の隙間から見える顔や長く艶のある黒髪の隙間から見える耳まで熱を帯びている様に赤く染まっていた。
「雲生、とりあえず向こうに行こう」
「しかし……」
「主、もう行くから、ごめんね」
そう言って雲次は渋る雲生を連れて行った。
そっと顔から手を離し、落としてしまった着替えを拾って風呂場へ向かった。まだ顔が熱い、手も震え、呼吸が浅くなっている。何故だか胸が苦しい様にも感じる。けれど不思議なもので、この感覚が嫌ではなく怖いとも感じなかった。
*
自室までの廊下を普段通り歩いているつもりが、雲次には全てお見通しだと言う風に、「まだ動揺してるんでしょ」と言われた。
「いえ……ただ、主が心配で」
「あれはただ照れていただけと思うけど?」
「しかし、手も足も震えていましたし」
「まあ、力が入りづらくなっていたのかもね。でも病気とかそう言うのではないことは僕にも判るよ」
雲次の言葉には納得できる部分はある。それでも腑に落ちない、自分の中で違和感がある様に思えた。
ぐるぐると思考を巡らせていると、背後からどたどたと慌ただしい様な足音が聞こえて来た。
「あ! 雲生さんと雲次さんだ!」
振り返ると、乱藤四郎と前田藤四郎が短冊を持って走り寄って来ていた。
「どうされましたか?」
「それって短冊?」
雲生は柔らかい口調で、なるべく怖がらせない様にと聞き、雲次は目線を合わせる様にしゃがんで聞いた。
「はい、今日は七夕の日なので、みんなで短冊に願い事を書いて笹に飾るんです!」
手に持っていた短冊を見せながら前田は答えた。
「面白そうだね、僕たちも書こうかな。ね?」
雲生へ振り向き、含みのある笑みを向けて言った。
「そうですね、そうしてみましょうか」
「やったー! じゃあじゃあ、広間で歌仙さんと安定さんが短冊配ってるからもらって来たらどうかな」
嬉しそうに跳ねて、乱は広間がある方の廊下を指さした。
「よし、じゃあ雲生、行ってみようか」
「はい」と返事をし、二振りとは手を振ってその場で別れた。
広間へ向かうと何振りかの刀剣男士たちが短冊に願いごとを書いていた。
「おや、来たんだね」
壁際の座卓に座っていた歌仙は二振りに気がついた。それにつられて向かいに座っていた安定も振り返り、
「雲生たちも書く?」
座卓の上には短冊が山積みになっており、安定はそこから二枚手に取り、雲生と雲次に差し出した。
「ありがとう。折角だし書こうかな。これって何でも書いていいの?」
「願い事だしね」
雲次は二枚受け取り、安定にそう聞いた。雲生にその内の一枚を手渡し、近くの席が空いていた為、二振りはそこに腰を下ろした。
――私の願い……。
雲生は筆を執るも、手は宙で止まり、小さく息を吐いた。
「僕だったら、そうだなぁ。“ここの空がずっと晴れでありますように”とか?」
対照的に雲次は明るくそう笑うと、「雅だねぇ」と歌仙は微笑み、「良いじゃん、素敵だと思う」と安定は言った。
三振りの会話を聞き、再び手元へ視線を移す。
自分の願いは、と心の声を聞こうとすると、昨晩の情景が目に浮かんできた。主の声、主の拙い笑み、小さな背中も手も、鮮明に思い出してしまい、思わず空いている方の手で顔を覆った。
「雲生、どうしたの?」
「いえ……」
不思議な気分だ。主のことが脳裏によぎると途端に顔が熱くなる。何だか気恥ずかしい。
今までずっと戦も本丸も平穏無事を祈り続けていた。しかしそれは管制を担う者としての務めに過ぎないのかもしれない。
自分自身の願いとはなんだろう。改めて考えようとしても、主のことばかり考えてしまう。何故、こうも胸がざわめくのだろう。
「雲生、先に僕短冊結んでくるね」
雲次はそう声をかけ、広間を出て行った。
……考え過ぎているのかもしれない。ただ、「願い」を書き記せばいい。
そっと墨に筆をつけ、短冊に書いた。
『あなたがどうか笑って過ごせますように』
*
まだ目に焼き付いてしまっている。彼らの風呂上がりの姿が、それに続いて昨晩のことも。どう気持ちを沈めればいいだろうと風呂に入りながら考えていたら少しのぼせてしまった。
タオルで紙を拭き、適当に着物の肌着を着て風呂場から出た。
「あ、主。大丈夫?」
すると何やら笹に何かを巻きつけ終えた雲次がこちらに走り寄って来た。
「え? あ、うん、大丈夫」
「のぼせてない?」
「だいじょうぶ」
「それならいいけど」
今度は厨房の方から燭台切が歩いて来た。
「主、ちょっと疲れてるでしょ。胃に優しいご飯作ったよ。部屋で食べる?」
「うん、食べる」
じゃあ部屋で待ってて、と言って燭台切は踵を返した。
「そうだ、主も短冊書こうよ」
「たんざく?」
「うん、なんか七夕のイベントって感じかな、皆で書いてるんだ」
そう言って広間の方を指さした。
「ふーん。まあ、僕はいいかな……」
言ったところで背後から「あるじさまも書きましょうよ!」とまた強い衝撃に見舞われた。
「抱きつくのは、いいけど、突進しないで……」
今剣は「ごめんなさーい」とあまり反省していない様子だが可愛いので許そう。
「あるじさまもねがいごとかきましょ!」
「うーん……今更書くことなくない? いつも同じこと書いてる気がする」
「それで良いんじゃないかな? だめなの?」
「うーん」
答えあぐねていると、腹の虫が鳴った。先に腹ごしらえにしよう、これ以上頭が動き気がしない。
「ごめん、先ご飯食べてくるね」と二振りに断りを入れてから自室へ戻った。
戻るとちょうど燭台切が料理を運んでくれ、机に「どうぞ」と置いた。
柑橘系の匂いがするそうめんだった。燭台切に礼を言い、早速食べ始める。その様子を見て燭台切は部屋を出て行った。
食べながらも先ほどちらりと見た笹が気になった。皆は何を願っているのだろう。兄弟が揃っていない刀たちなら兄弟を願うだろうか。揃っている刀たちなら平穏無事を願うだろうか。自分なら、何を願えば良いだろうか。
考えていると味覚が機能しないようで、食べていても何も感じなかった。
考えていても仕方がない。残りをしっかり味わうことにして、食べ終えたあとに広間へ向かうことにした。
広間では短冊を書いている者が少しいる中、歌仙と安定のいる座卓には少し短冊が山盛りになっていた。
「それ全部書くの?」
「書きたい子もいるみたいだから、多めに用意したんだ」
安定はそう答えると、「主もどうぞ」と差し出して来た。とりあえず受け取るか、と軽い気持ちで受け取り、近くの席に座った。
「そういえば誰が企画したの?」
「僕が歌仙とか一期に相談したんだ。ほら、歌仙は近侍だし一期は総務だから。で、勘定の博多とも話して、用意したってわけ」
そうか、と納得した。総務番長や勘定番長などの役職は任せられそうな子なら誰でも良いかと思い、好きなようにさせていたからあまり記憶になかった。きっと彼らにとっても大事な企画だと考えたのだろう。
「そうなんだ」
「主はもう少し興味を持って欲しいところなんだが」
「任せたほうがやりやすいかなって」
「主らしいけどね」
呆れて溜息をつく歌仙と逆に特に気にしていない安定は笑っていた。
願い事、か。筆を手に執り、在り来たりな文言を書いた。正直、これが一番かもしれないとさえ思う。
『皆が楽しく平穏無事に過ごせますように』と。
遠征部隊が帰って来てからまた笹に短冊が増えた。
そして夜、夕食を食べ終えたあと、皆で短冊を見ていた。笹を見ながら晩酌をしたいだけの刀もいたが、ほとんどは誰がどんな願い事を書いたのかが気になるらしかった。
それは御影も例外ではなく、手に取って見てみては「ああ、あの子らしいな」など思いながら眺めていた。
ふと、手にした短冊には、美しく達筆な字で『あなたがどうか笑って過ごせますように』と書かれていた。名前は書かれていないので誰だろうかと思ったが、筆跡からして雲生か雲次のどちらかだろうと推測できた。新しく来た刀剣男士以外は長い付き合いがほとんどで大体筆跡は覚えている。どこかにそのどちらかの短冊があって名前が書かれていれば自ずと判明するだろう。
「あ」と見つけた先には雲次と記されている短冊があった。ということは先ほど見たのは雲生のものだろう。雲次の願いも“らしい”ものだと思ったが、違和感を持った。雲生の短冊は個人を指しているように見えるからだ。
「あなたって、誰……」
ふと、昨日の事をまた思い出した。
もしかして、と思ったが、自分には分からなかった。 ……いや、理解しているはずなのに、それを拒んでいるだけかもしれない。雲生のように自分を律している者が、“全体の安寧”ではなく“誰か一人”の幸せを願うなんて。そんなの、あり得ないと決めつけていた――自分の方が、きっとおかしいのかもしれない。
*
主に気付いてもらえただろうか。
短冊に名前を記さなかったのは恥ずかしかったからかもしれない。普段は個を尊重するような願いはあまりしない、空を目指す……それだけが自分の願いだったのは確かだろう。だが、誰か一人を願うのは初めてかもしれない。
他の刀たちに紛れて無意識に主を探していた。
――いた。
じっと、ある短冊を見つめている姿を見つけた。ほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。その姿を見て、また胸がざわめいていた。
……そういえば、主は何を願ったのだろう。ふと思い返し、少しだけ探してみることにした。だがそれはすぐに見つかった。
「あるじさまの短冊だ!」
「お! どれどれ、……ふむ、“皆が楽しく平穏無事に過ごせますように”か。主らしいな!」
今剣と岩融が話しているのが聞こえて来た。
「皆が楽しく、ですか」
ぼそりと呟いていた。主はやはり、自分のように個人に対して願うことはないのかもしれない。
少しだけ恥ずかしく思った。
『皆が楽しく過ごせますように。』
けれどその中に、自分も含まれていれば良いと、そう願ってしまった。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。