第四章 手
いつもの時間、いつもの駅、いつもの車両――
そして、変わらぬその場所に男は立った。
2つ目の駅に電車が止まった時、彼はいつものように男の隣に立った。
半袖になった彼のワイシャツから、筋肉のついた腕が覗いた。
彼はリュックを肩から外し、いつものように床に置く。
リュックを持ち上げた瞬間、腕の筋肉が膨らんだ。
その膨らみに男の呼吸が少し早くなった。
抗いようのない執着が頭をもたげた。
彼は右手でつり革を持ち、左手で参考書を持った。
窓に彼の右腕の袖口が映る。
黒く影になったその向こうに隠れた彼の脇を、男は想像した。
汗と生温かい肌の香り、薄い体毛に覆われた脇を……。
その隆起に舌を這わせ、硬く膨らんだ筋肉をなぞっていく。
――ガタンッと車両が小さく揺れ、男は白昼夢から引き戻された。
彼のつり革を持つ手に、ぎゅっと力がこもった。
二の腕から肘、手首にかけて筋肉が隆起し、筋が張った。
男は思わず息をのんだ。
窓越しに偶然彼と目が合った。
男はまるで自分の恥部を見られたかのような気がした。
しかし、彼は男を一瞥するだけで再び本に視線を落とした。
彼の乾いた視線に、男はぞくりと甘く震えた。
男は彼の視線が“自分への衝動を押し殺した痕”だと思い込み、
小さく呟いた。
カサリと音を立て、彼の長い指が本のページをめくる。
本を持つその腕は二つに折り曲がり、
柔らかな肉がむくりと存在感を露わにした。
男はその肉のふくらみに、大人の男とはまた違う危うさを感じ取った。
その危うさが男の視線を否定する。
それが禁忌だと自覚するたびに、心の奥底で、甘い痛みが滲んだ。
破られた掟の重みが、男を甘い奈落へと静かに沈めていく。
きれいに切りそろえられた爪と指先が、ページをめくるたびに、男は自分が触れられている錯覚に陥った。
『もう逃れられない』――
諦めとも、開き直りともつかない感情が、男の妄想を静かに煽った。
男のつり革を持つ手に力が入る。
初夏の重い空気が肌にまとわりつく。
湿り気を帯びた空気がねっとりと男の頬を撫でた。
男は、つり革を握る彼の手を、何かに取り憑かれたかのように凝視した。
ありもしない生臭さが鼻先をくすぐり、口内にぬるりと何かが滲んだ気がした。
ゴクリ……
口内のそれを喉へ押し込み、男は耽溺の沼に沈みながら、微かな笑みを浮かべた。
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