第五章 難題
五年目の夏、隣国から使者が来た。二人の使者を、頼賢は広間で迎えた。重臣たちが居並ぶ中、使者から書状が差し出された。書状は短かった。隣国の領主は二つのことを求めていた。
第一に、国境を流れる川の水利の配分について。現状ではこちらの取り分が多すぎる、双方に公平な配分を求めると。
第二に、山を越える交易路の通行について。あの道の大半は隣国の領内であり、こちらの国の者に通行の銭を課したいと。
そして、この二つの取り決めに対する返答を、秋の収穫の前までに寄越せと。
頼賢は書状を読みながら、隣国の領主の顔を思い浮かべた。会ったことは数えるほどしかないが、愚かな男ではないことは知っていた。風土はこちらと似ている。山がちで、土地がやせていて、冬が長い。棄老の触れのことは、隣国にもとうに伝わっている。国の維持のために長幼の序を軽んずる領主。あの男にとって、頼賢はそのように映っているはずだ。
使者が退がった後、広間に重臣たちが残った。
「水の配分が不公正だと言っているが、根拠はあるのか」
頼賢が問うた。
江木が答えた。
「今の水の配分は、代々の慣行に従ったものです。ただ、なぜ今の形になったのか、経緯ははっきりいたしません」
「文書は残っていないのか」
「探しましたが、見当たりません。水利の取り決めは、もともと両方の村の間で口約束に近い形でなされていたようです」
頼賢は頷いた。文書がなければ、慣行の正当性を主張しにくい。慣行とは「ずっとこうしてきた」という事実の積み重ねだが、相手が「不公正だ」と言い始めれば、なぜこの形なのかを説明せねばならない。
「先代の御代に、水利の争いはなかったか」
堀江が口を開いた。
「先代の御代には、水利で揉めたことが一度ございました。あのときは、双方の年寄りが川に出て、水の流れを見ながら話をまとめたと聞いております」
年寄り。その言葉が広間の空気を微かに揺らした。
「今、川の流れの経緯に詳しい者はおるか」
頼賢が訊いた。沈黙が答えだった。
川の水利は、代々の庄屋や村の長老たちが管理してきた。水の流れは季節ごと、年ごとに変わる。田のどこに水を引き、どの時期に堰を開け、どの順で下流に流すか。それは帳面に書ける種類の知識ではなかった。土地に長く住み、水と付き合い、親から子へと伝えてきた記憶だった。その記憶を持つ者の多くは、すでに山に送られている。頼賢はそのことに思い至った。だが口にはしなかった。
「交易路の件はどうだ。向こうは、あの道が隣国の領内を通っていると言っているが」
話題を移した。
江木が答えた。
「あの道がどちらの領内かは、はっきりしたことが言えません。もともと双方の民が使ってきた道で、どちらのものとも決められていなかったはずです」
「はずだ、というのは、証が残っているのか」
江木は口ごもった。
「あの道がいつ、どのようにしてできたか、ご存じの方は」
成瀬が広間を見回すようにして訊いた。誰も答えなかった。
堀江が静かに言った。
「おそらく、もう──」
言いかけて、止めた。その先を言えば何を言っていることになるか、わかっていた。
広間は沈黙した。頼賢は、その場での結論を諦めた。
散会の後、頼賢は一人で書状を読み返した。
隣国の領主は、こちらの足元を見ている。だがそれは単なる悪意ではない。同じ山あいの、同じやせた土地で、民の暮らしを守ろうとしてきた男が民の口食を賄う、そのための異なるやり方だ。
対処しなければならない。だが駒が足りない。五年前ならあったかもしれない知恵──土地の記憶、水の記憶、道の記憶──を、この藩は失ってしまった。
だが、今、それを言うわけにはいかない。言えば山に送られた者、送った者の誉を、汚すことになる。
その夜、頼賢は眠れなかった。
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